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続編 3
どう返信すべきか自問しても、答えはすぐに出なかった。
フェードアウト手法はなんとなく、精神衛生上よろしくない。ぐだぐだ悩むのも、本来私らしくない。
だけど、経験のなさが私を弱気にさせた。安恵には絶対笑われるだろうなあと想像するだけで自嘲したくなる。本当に、悔しいくらいに、彼女の言葉は的を得ていた。
上っ面だけでまともな恋をしたことがなかった。全部本気じゃなかったから、こんなときどうしていいかわからない。
可愛いふりをして向こうから告白されて、だけどボロが出て振られるパターン。悔しいとは思ったものの、本気じゃなかったからそんなには痛くはなかった。全然傷つかなかったわけじゃないけれど。
自分から告白したことも、告白を断ったことも、考えてみれば一度もない。そんなことをしようなんて、考えたこともなかった。
考えれば考えるほど迷路にはまりこむようで、ゴールは見えない。結局当たり障りのない言葉を添えて断りを入れた。これまで大抵誘いに乗ってきたけれど、断らなかったことがないわけじゃない。だから吉田は不審には思わないだろう。
気持ち乱れているのは私だけで、吉田から戻ってきた返答は「残念、じゃあまた今度」なんてあっさりとした普通のもの。
また今度の言葉に自然とため息が漏れる。
玲子のためにも、そして私自身のためにも、吉田とは元の部署が違うただの同期の関係にならなければいけないのに、どうすれば戻れるのかが分からない。
人並みの幸せとやらを求め始めた吉田が、玲子とゴールインする可能性はゼロじゃない。可愛い後輩との今後の関係を考えれば、吉田を完全にぶった切るのは得策じゃない。かといって変にずるずると一緒に過ごすのは対外的にもまずすぎる。
袋小路に紛れ込んだ気分で、深いため息が漏れた。
「ま、あれだわ。次までに考えておきましょ」
時間を置いて考えたら、どこかで解決策が見つかるはずだ――たぶん。
何とかなると自分に言い聞かせながら過ごす間に結局解撤策は見いだせず、吉田からの誘いを続けて断ることになってしまった。
二度断れば何か悟るものがあってもよさそうなものなのに、続いた三度目の誘いは「この日にどうか」というものから「いつなら時間がとれる?」という何とも断りにくいものになってしまった。
時間なんて作ろうと思えばいくらでも作れるし、一人暮らしだから作ろうと思わなくてもいくらでも融通が効く。そのことを承知の上で言ってくるのだから、吉田は私と過ごす時間をそれなりに楽しんでくれているらしい。
あるいは……過去の女と後腐れなくきれいに別れているようだから、当たり障りのない言葉できちんと何かを言ってくるつもりがあるのかもしれない。
ああ、あり得るわと今更ながら気付いた。
吉田にまつわる恋愛話は数多かったけど、もめたなんて話は聞いた記憶がない。そりゃあ同僚相手も多かったから、もめたらお互いに居心地が悪いというのもあるんだろうけど。
私と玲子の部署が一緒なら、なおさらきっちりしていないと気が済まないのかも。
きっとそうに違いないと結論付けて、だけどすぐには返信しなかった。
予定をやりくりしたように見せかける時間をおいて、この日ならと返事をしよう。引導を渡されるのはすぐの方が落ち着くだろうけど、避けていたと思われたくもない。
忙しいふりをするくらいの見栄は張るべきだ。ヤツの心変わりに気付いていないふりをしなければきっと、お互いに気まずい。
朝にやってきたメールに気付いた昼休憩、方針を固めて返事を放棄する。どれくらいならば放置するのは許されるだろうかと悩みながら職場を後にする。
今日中に返信すべきだろうか。それとも明日の朝くらいまでは猶予があるだろうか。都合をつけるふりをするなら、その日はいつに設定すれば無理がないだろう。
偽りに偽りを重ねるなんて気が重く、自然と足取りも重くなる。
さらにそれに追い打ちをかけるように、久々に吉田を目にすることになったからたまらない。
最近は毎日現れるようなことがなかったのにと舌打ちすればすっきりするだろう。
「なんか、お疲れのようだなー」
そんな私の気持ちなんて当然知らない吉田の言葉は無駄に明るかった。あんたのせいよと反射的に文句を言わなかった自分をむしろ褒めてやりたい。
「忙しい、のか?」
飛び出しそうな文句を押さえた反動で反応が遅いのを見て、吉田は遠慮がちに尋ねてきた。
二度も断りを入れたし、今日のメールに返事もしていない。こちらの顔色をうかがうように心配そうな声を出されると、ほんの少しだけ胸が痛んだ。
「忙しいわけじゃないけど、疲れてるかもね」
だから不義理をしているのだと言わんばかりに言ってみると、吉田はそうかと呟いた。
そんな気もなかったのに、吉田とそのままお茶をすることになったのはそれからすぐだった。
疲れているならハーブティーでもどうだと誘われ、断ろうと思ったけどうなずいたのだ。
こっちが疲れているって言ってるのに何事だと思ったのはほんの一瞬、思い直してうなずいた。ずるずると引きずるより、早くすっきりした方が気持ちが楽だ。
ハーブティーなんて男らしからぬ提案をした吉田には、目当ての店があるらしい。先導する彼を追いながら、思わずため息が落ちた。
目ざとく気付いたらしい吉田が心配そうな顔を見せ、だけど特に切り込んでくることはなくそのまま歩き続ける。導かれたのは会社からそう離れていないところにあるハーブの専門店だった。
いかにもオンナノコ好みの雰囲気は瞬時に吉田と結び付かない。一体どうやってこんな店を見つけ出したのか――ふと浮かんだ疑問に対しては、簡単に答えが出せそうだ。
店内は広く、喫茶コーナーの他に雑貨も取り扱っているようだ。雑貨コーナーはナチュラル系に属するような小物類と、ハーブ。それにアロマオイルなど置いているようだ。
雑貨コーナーには女性ばかりがいて、当然のように喫茶の客も女性が多かった。女同士の二人連れが幾組かに一人の人も幾人か。一組だけ仲のよさそうなカップルが混じっている。
近寄ってきた店員の先導でテーブルにつき、メニューを繰る。
「吉田、詳しいの?」
「まさか。いいって聞いたから来ただけで初めてだ。安永は詳しくないか?」
「全然」
ハーブなんて幾種類か名前が出てくる程度で、知らないも同然だ。ハーブティーを飲んだ機会もそう多くないし、数少ない機会にこれはと思う味に出会えた記憶もない。
だから、専門店のメニューでひたすらハーブの名前を羅列されても味の見当もつかなかった。
吉田は私の答えに難しい顔で黙り込んで、メニューに視線を戻す。
「じゃあ、どうするか」
「そうねえ」
迷っている時間ももったいないので、疲労回復効果をうたったブレンドを私は選び、吉田はリラックス効果のそれを選んで店員に注文する。
「あ、軽くなんか食うか?」
「食事前に?」
「腹は減ってるだろ。安永が食わないなら俺が食うし」
ふと思い立ったように声をあげた吉田が、勝手にマドレーヌとクッキーを追加注文する。店員が注文を復唱して下がった。
「甘いの平気なの?」
「好きってほどじゃないが、嫌いじゃない程度にはな」
なのに甘いものを注文するとは、そこそこに飢えているらしい。
吉田がメニューをテーブルの端に立てかけるのを、なんとなく目で追った。そのそばにはドライフラワーが飾られている。
あいにく花には詳しくないので、かろうじて中にラベンダーらしきものが混じっているとわかるだけだ。
きっとこの店を吉田に教えたのはこの店にすんなりと馴染むような子なんだろう。
「安永」
馬鹿な想像を巡らせていると、吉田が静かに呼びかけてきた。見てみると、いつだか見たような真面目な顔をしている。
用件を切り出すのだろうと瞬時に悟った。注文の品が届くまでに切り出すなんて、気が早すぎる。
ああ。私こそリラックス効果のブレンドを選ぶべきだったと頭の端で後悔しながら「なに」と応じ、軽くこぶしを握って続く言葉を待つ。
どう切り出すつもりかと内心は戦々恐々で、だから吉田が緊張した面持ちで告げてきた言葉に唖然とした。
だって。
「俺、何か気に障ることしたかな」
なんていきなり言うもんだから。
咄嗟に目に浮かんだショッピングモールの光景は、吉田たちが気付いていなかったのだから言うわけにはいかない。見られていたなんて吉田自身想像もしていないだろう。あんな広いところで知り合いに出会う可能性は本来恐ろしく低いはずだ。
だとすると、他には特に思いつかないし、吉田がそんなことを言い出す理由が分からなかった。
「急に何言ってるの?」
心当たりが全くないとは言い切れない緊張感からかかすれた声が出て、水の入ったグラスに手を伸ばす。
「あんまりしつこくしたから嫌がられてるのかなって思って。この間から続けて断られたし、今日も一瞬口ごもってたろ。単に疲れが溜まってるだけならいいけどさ」
吉田もグラスに手を伸ばして、ぐいっと中の水を飲み干した。
「知らないうちに見切りをつけられてたら嫌だと思って、な」
え、とさっきよりもかすれた声が出た。ポカンと間抜けに口が開いてしまった自覚があっても、唇に力が入らない。
「……ど、どういう、こと?」
「どうもこうも。安永に見切られたら落ち込むなと思って」
何とか質問すると、帰ってきたのはとんでもない言葉だ。水から飛び出してしまった魚のように虚しく口をパクパクさせた後、ようやく「なんで」と問うことができた。
問うというよりは、実際叫ぶような調子だった。余りの言葉にのどが渇いてなければ店中の注目を集めただろう。
注文の品を持って近寄ってきた店員が私の剣幕に驚いたように途中で足を止めたから間違いない。
「なんでって」
呆れたような吉田の言葉に気を取り直したように店員が近付いてきたから、言葉はすぐに続かない。
その隙に私は頭の中を整理した。吉田の言葉は、私に引導を渡すようなものではなかった。むしろ、その逆のように思える。
テーブルに置かれたのはポットとカップが二つずつ、そしてマドレーヌとクッキーがそれぞれ乗ったお皿。
ただただ混乱して、やってきたばかりのガラスポットを持ち上げ、カップに向けて傾ける。本来ならばポットの中のハーブの彩りを楽しむものなのかもしれないけれど、とてもそんな余裕はなかった。
何がブレンドされているかも知れないお茶は温かく、ほっと一息をつける。若干舌に苦く感じるのは飲み慣れないからか、気持ちの問題か。
同じようにカップを傾けた吉田の顔も、どこか苦い。
「好きな相手に忌避されたら、そりゃ落ち込みもするだろ」
あっさりきっぱり、吉田は迷いなく言い切った。想像の逆をいく言葉にカップを取り落とさなかった自分を褒めてやりたい。
慎重にソーサーにカップを戻し、私は一つ深呼吸した。ああ、本当に私こそリラックスティーを頼むべきだったわ。
混乱するばかりで気持ちが落ち着かない。せめて深呼吸をして、叫んだりしないように慎重に私は口を開いた。
好きって誰よと聞きたかったけど、聞くまでもなく私に向けた好意に聞こえた。
自信満々に二股をかけたことも不倫したこともないと言い切った男が、玲子とショッピングモールでデートをしていた男が、堂々と。
結婚願望を抱いたと同時にそのあたりの主義を転じたとしたら、本末転倒だ。
「一つ、聞いていい?」
ごくりと息を飲んで、私は切り出した。
「ああ。何を聞きたい? 安永がいい返事をしてくれるんなら、いくらでも愛の告白をしてもいいぞ――見てて面白いし」
「面白いって何がよ」
「安永が動揺するところなんて、貴重だよな?」
ふざけた言葉は余裕しゃくしゃくで、見ていてイライラする。ショッピングセンターの光景が頭をかすめるだけに、余計に。
言うつもりもなかったことだけど、だから言わずにはいられなくなった。私が目撃したことを突きつけたら、吉田はどんな顔をするだろう。
苛立ちのためにかうたわれた疲労回復効果を発揮しそうにもないハーブティーでのどを潤して、少し意地が悪い気分で私は反撃を開始する。
「でもあんた、恋人ができたのよね?」
鋭く突きつけたはずの刃は、だけど吉田には刺さらなかったようだった。
「恋人?」
唖然とした顔で吉田は繰り返す。訝しげに眉を寄せて、彼は私を見た。
「なんだそれは。根も葉もない噂でも湧いたのか? ――いや、でもそれが安永の耳に入るとは思えないし」
「噂じゃないわ」
この目で見たのと続けると、吉田の眉間にますますしわが寄る。
「見たって何を」
「あんたがデートしてるところよ」
言い切っても吉田はうろたえた様子を見せず、むしろ不審そうな顔をする。見間違いだったかとちらりと思うけれど、偶然吉田と玲子のそっくりさんがデートをしていたと考えるのも現実味がなさすぎるし、仮に幻覚だったにしても発想が突飛すぎて色々な意味で自分の正気を疑いそうだからあり得ないと思いたい。
さすがに玲子となんて言えなかったけれども、日付と場所を明示してやればようやく吉田は反応を見せる。
「ああ、それか」
痛いところを突いたはずだったのに、得心がいったようにうなずく吉田は後ろめたさのかけらも見せず、何故かひどく満足げな顔をしたけど。
2009.10.30 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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