IndexNovel恋愛相談

「でで」
 久々にランチしましょうようと誘われて、やってきた会社近くのレストラン。
 席について注文を終えた瞬間に身を乗り出したのは後輩の園田玲子。ばっちりアイラインの引かれた大きな目を見開いて、興味津々といった顔つき。
「どーなんですか実際!」
 店員の持ってきてくれたグラスを傾けながら私は首をかしげる。
 ランチには昨日誘われて、場所自体は今日昼休憩になって外に出て、あれこれ話しながら決めた。その間、玲子は特に何も言っていなかったのに突然そんなことを聞かれても困る。
「どうって何が」
「何がじゃないですよう、美里さん」
 玲子は甘えるような声を出して、わずかに目を細める。
「何かあったかしら」
 玲子は私が弁当派であることを知っている。それでも誘ってきたのはどこか行きたい店があったか、何か話があるのかどっちかだとは思っていた。
 前者はここに来るまでで否定されたから、残る可能性は後者しかないと思ってたけど、話があるのではなく何か私に聞きたいと考えていたなんて予想外だ。
 だから当然、玲子が何を言いたいのかわからない。水を飲んで間を持たせながら考えても、ちっとも。
 そんな私に焦れたように玲子はこぶしを握り締めた。
「もー! 何言ってるんですか。吉田さんのことです」
 握りこぶしをテーブルに叩きつけるような勢いで玲子は声を上げる。
「吉田?」
「そーです」
「何でそこで吉田」
「ちょっ……美里さん本気で言ってるんですか?」
 私が一つうなずくと、玲子は大きく目を見開いた。
「――えーと、美里さん、実は鈍いんですか?」
「しっかりした方だと思ってるし、鈍いと言われたことはないけど」
「私も美里さんはしっかりした人だと思ってましたけど!」
 玲子の顔には納得できないと書いてある気がする。
「でも実は鈍いんですね」
「さらっと失礼なこと断言したわね、今」
「そう言いたくもなりますよー」
 興奮を鎮めるためにか玲子は普段にない勢いでグラスの水を飲み干した。それでもまだ足りなかったのか、テーブルの端っこに置かれた小さなサーバーからおかわりを注いでもう一杯。
「えいぎょーの吉田さん、最近美里さんにあからさまにモーションかけてると思うんですけどー」
「それは違うと思うわよ?」
「違わないです。だってこの間、一緒に晩御飯食べに行ったんですよね?」
 断定系で迫られて、私はしぶしぶうなずいた。
「よく知ってるわねえ」
「そういう情報はばっちり耳に入ってます。その前の週に同期会でいい感じだったとか」
「情報源に勘違いだって言っておいてよ」
 私は思わずため息を漏らした。
「大体、どこからの情報よ」
 玲子はにんまりと微笑んで、さあどこでしょうねえととぼけるように言う。
「どこだっていいけどね」
「噂なんて、尾ひれがつくものですからねえ」
 さらりと言い放って、玲子は身を乗り出しながら声を潜める。
「で、実際どうなんですか。私にだけは教えてくださいよう」
「何もないわよ」
 事実を口にすると、玲子はうそっと声を高くする。
「そんなことないでしょー? 心配しなくても大事な先輩のことは言いふらしたりしませんって」
 玲子は噂好きで、その中でも特に恋愛ネタを好物にしている。
 私がここ数年の吉田の動向――どこの誰と付き合って別れてなんて話だ――を知っているのは、彼女の存在あってこそだ。
 吉田だけでなく、他の人間についてだって玲子は呆れるほど詳しい。どこの部署の誰がと言われたところで知らない人間についてはほとんど残らないから、記憶しているのは面識がありかつ動きが派手派手しい吉田のことが主だけど。
 どういう伝手なのか各部署にパイプのある玲子のことだ。一つ何か漏らしたら、瞬く間にあることないこと広まる予感がするし、それに。
 実際何もなかったのだ。



 吉田と二人きりで夕食する羽目になったのは、爆弾発言の後あまりにナチュラルに先導されたからだと思う。気付くと一緒のテーブルについていたような状態だった。
 酔った吉田の相談に乗る羽目になった同期会の翌週月曜日の終業後のことだった。身支度を整えて会社を出た私に笑顔で吉田は近づいてきた。
「素面で切々と愛を語ればいいんだよな」
 挨拶もなしにいきなりの一言。あまりの言葉に呆然としているうちに、なぜか一緒に食事をすることになっていた。
 あれはなんていうか、踏んだ場数の違いよね。吉田のエスコートは実にスマートで、気付いたら自然と一緒に歩いていたんだから。
 たどり着いたのはビルの一階にあるおしゃれな店だった。テーブル席がいくつかとカウンター、小さい店を店主一人で切り盛りしていたのは週初めで客が見込めないからだったのかな。
 現に私たち以外には一組しかいなくて、のんびりとした空気が漂っていた。
 木目を基調とした女の子好きのする店内だ。吉田は馴染みの店なのか特にメニューを見ることもせずに勝手にウーロン茶を二人分とサラダをまずオーダーして私にメニューを差し出す。
「何でも好きに頼んでいいよ。ここはどれも外れがないから」
 何故そんなことになったのか疑問に思いつつも、テーブルについてから帰るなんて言えなくてそのまま食事を共にした。
 吉田の言った通りその店の料理は頼んだほとんどがおいしかった。おいしくないと思ったのは、単に苦手な食材が含まれていただけだったし。
 週初めだからかノンアルコール。盛り上がらないかと思いきや、吉田は話題豊富だった。仕事上のあれこれくだらないことから始まったトークは多少の脚色はありなんだろうけど、飽きさせずに面白い。
 これはもてるはずだわと感心した覚えがある。
 間に食事を挟みながら話に相槌を打ったり突っ込んだりしていたら、デザートの注文まですぐだった。
 注文の品が届くまでにとお手洗いに立った時に、はたとなんで吉田と普通に食事しているのかと我に返ったくらいだ。
 アルコールのない状態でアドバイスを受けたいと思ったのだろうかと予測して、席に戻り。
 とはいえそんなことを一言も口にせずに世間話に興じていた吉田に尋ねてみたのだ。
「で、今日の用件はなんだったの?」
 って。聞いた瞬間、驚いたような顔をした吉田は一瞬でその驚きを収めると、作ったような真顔でこうのたまった。
「素面で切々と愛を語る手始めに俺の存在に慣れてもらおうかと」
 それはどういうことかと問う前に、手の込んだデザートプレートが届いてタイミングを逃す。
「すごいよなそれ。ここのマスター、元はフレンチのシェフだったらしいぞ」
 そんなことを言う吉田の言葉通りそんじょそこらの居酒屋では見かけられない、まさにフランス料理のデザートですかって具合のデコレートがされた一皿を思わず見下ろしながら内心舌打ちする。
 吉田は引き続きなぜかマスターの来歴を語り始めている。
 合間に口を挟むのもどうかと思ったし、溶けそうなアイスクリームを見ていたら手を出さずにはいられなくて、私は積極的に聞きたいわけでもない話を聞きながらスプーンを操った。
 店を去るまで吉田はどこまでもスマートだった。いつの間にか会計は終了済みで、割り勘にと言ってもやっぱりスルーで話をうやむやにしたまま別れる羽目になった。
 要するに同期会で相談に乗ったお礼がてら今後の抱負を語りたかったのだろうと帰宅するまでに思い至り、なるほどと納得した。
 なのに翌火曜日からも吉田は私の前に現れた。
 これまでの数年間、あまり遭遇しなかったことからするとそれは異常なことだ。うちの会社は自社ビルを所有しているほど大企業ではないけれど、一部屋にすべてが凝縮されているような小企業でもない。
 うちの社は二階から四階までの三フロア。所属部署も、所属フロアも違う。だからこそ同期という以上に親しくなることなくこれまで来たのだから。
 火曜日は時折はあることだから不思議にも思わなかった。水曜日は偶然だと考え、木曜日は続く偶然に首をひねった。金曜日にたまたま私のいるフロアに用事が続いているのだろうと思いついて、そして。
 翌週も月曜日から姿を見るので、ようやく不審に思った。
 独身で一人暮らしの女の週末は、たいてい暇なものだ。約束があれば出かけるけれど、年を経るに従ってその機会は徐々に減り、日常生活に必要な最低限の買い物に出かける程度ですべての用件は済んでしまう。
 ウィークデーの食事の下ごしらえでもしてフリージングしていればまあ暇は持つけど、それだって一日べったりつきっきりでこなさないといけない作業ではない。一人暮らしだと、食事の消費量だってたかが知れている。
 音楽を聴いたり読書したり、多少は将来のスキルアップを目指して勉強したり、忙しいと言えば忙しいけれどある意味枯れた週末の間隙で、もしかして吉田は私に気があるのじゃないかと考えてしまったことは否定できない。
 もちろんすぐさまその考えは振り払ったけど。
 休みを除けば連続目にするものだから、ふっと魔が差すように思いついただけだ。もしかすると眠気か疲れでも感じていたのだろう。
 吉田が毛色が変わったのに手を出そうとしていると言っていたなら、勘違いではなかったかもしれない。だけど、あいつは誰かを具体的に狙っているのかと問えば否定はしなかった。
 今まで見えてなかったことが見えたとか――中身が大事なのだとか言っていたっけ。
 そのことを考え合わせれば、吉田が私狙いだと考えることは自意識過剰にもほどがあることだとわかる。
 顔と名前が一致する同期の仲間ではあるけれど滅多に会わない関係で、当然中身云々言えるほどには親しくない。
 頻繁に顔を合わせた一週間が異例の事態だったのだ。



 料理が来るまでの間も食事を開始してからも玲子は私に食い下がり、あまりにもしつこくめげないので、私は思い直して経緯を説明した。
「だから、誰かは知らないけど、吉田の次のターゲットは今までとは違うタイプみたいよ?」
 そのついでに彼女の興味を引く情報をまいたら、玲子は自分の情報網にそれをまき散らすだろう。それできっと吉田が私に言い寄っているなんて馬鹿な話はすぐに消える。
「――なんでそれがわかってるのに、今までとは違うタイプに含まれる自分を候補に入れてないんですか美里さんはー!」
 なのに、彼女の反応は苛立たしげな叫び声だった。右手にぐっとフォークを握り締めてどんっとテーブルに叩きつけて、私を見る目はどこか据わっている。
「信じられません。鈍感過ぎます美里さんは」
「何でそんな反応よ」
 いーいと前置きして、私は彼女に言い聞かせる。
「もしかしてと考えないわけじゃなかったけど、あいつは誰かのいいところに気付いたみたいに言ってたの」
「美里さんにはいいところいっぱいありますよね?」
「そう言ってくれるのはうれしいけど、そのいいところとやらを知ってもらえるほど吉田と親しくはないのよね」
 もっともなことだと思ったのか玲子は言葉に詰まった。沈黙の合間に食事を終えた私はまだ時間に余裕があるのを見て追加でコーヒーを注文する。
 話好きだからかどうなのか関係性は不明だけど玲子は食べるのが遅いから、間を持たせるためにも食後の一杯は必要だった。
 何がそんなに悔しいやら、苦渋に満ちた顔つきで唇を噛みしめる玲子の手は案の定ぴくりとも動かない。
「まだ、半分残ってるわよ?」
 親切のつもりで口にすると、彼女は顔を上げた。
「でも、ほら、美里さん」
「なに?」
「美里さんの知らないところで、美里さんのいい噂を吉田さんが聞いていてもおかしくないですよね?」
 何をしつこくぐだぐだ言ってるんだか、この子は。
「あのねえ、玲子」
 自然と私の声には呆れが混じった。
「そういうことがたとえあっても、噂なんて尾ひれが付くものよ。吉田が噂をそのまんま鵜呑みして人に惚れるなんて考えられる?」
 この問いの答えがイエスであるわけがない。
「大体貴方、吉田のことあんまりいいように思っていたように感じてなかったんだけど、なんで私とあいつを引っ付けたがるわけ?」
 ぐっと再び言葉に詰まった玲子にもう一度食事を勧めるように忠告して、私はゆったりとした気分でコーヒーカップを手に取った。

2009.09.03 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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