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番外編 おにーちゃんはどうしようもない

 おにーちゃんったら、ホントーっにどうしようもない。
「美里さんに見捨てられたらどーするの?」
 おにーちゃんがやってしまったことを美里さんから聞いた当日、私はなんとか家のすぐ近くで帰宅途中のおにーちゃんをひっ捕まえることに成功した。
 事の重大さをおにーちゃんはわかってないんだと思う。何言ってんだこいつはって目で私を見るから、私の言葉には力が入った。
「おにーちゃんが美里さんにどれだけ本気でアプローチしてるかは知ってるつもりよ。これまで家で彼女の存在をことさらにアピールすることなんてなかったもんね。堂々と結婚情報誌を何冊も買い込んできたのなんて初めてだし!」
 まくしたてるとおにーちゃんはうるさそうに顔をしかめるから、余計にテンションが上がる。
「ほんっともー信じらんない! 女の子には夢ってものがあるんだからね! そりゃあ美里さんはしっかりしててそういうのに興味なさそうだけど! でも! でも! でもね!」
「玲子」
 うんざりしたようなおにーちゃんの声は私のテンションにめげずに冷静だ。
「とりあえずもうちょっと声落とせ。近所迷惑」
 続けて大きな手が私の口を塞ごうとやってきたので、対抗して噛みついてやった。
「うわこいつ信じらんねえ」
「それはこっちの台詞だってば!」
「小学生かお前は」
「とっくに成人してるもん!」
「その言い方が余計にガキくさいっての」
 あーあとため息を漏らしながらおにーちゃんはこれ見よがしに私が噛みついてやった手を振った。
「話は聞くから、もう少し声落とせよ。あー、場所を変えるか。誰か出てきても面倒だし」
 冷静ぶったおにーちゃんに言いたい文句は数あるけど、確かに近所迷惑は避けた方がいい。
 うちのおじーちゃんはこの辺のちょっとした地主でご近所に顔が広い。そのついでにってわけじゃないけど、吉田さんのお孫さんであるところの私とおにーちゃんも近所にそこそこ顔が知れている。
 巡りめぐって親の耳に噂が言ったら「いい年して子供みたいに喧嘩するなんて」とかなんとか小言がやってくるに違いない。
 しぶしぶ私はおにーちゃんの言に従って、そこから場所を移すことを了承した。



 駅近くのファミレスに席を落ち着けてドリンクバーから飲み物を取ってくると、おにーちゃんは余裕ぶった顔で「それで?」と話を再開した。
 余裕ぶっていられるのは今だけなんだからねと軽くその顔を睨んで、私は口を開く。
「おにーちゃんが美里さんを好き好きなのはわかるけどさ」
 人目もあるし、少し間が空いたしで、自然と中断前の勢いはなくなってしまったのが悔しい。
「好き好きって、お前……」
 なんつう恥ずかしい言い方をなんて、おにーちゃんに言えた義理じゃない不満を口にされても知るもんか。
「恥ずかしいのはおにーちゃんの方じゃない。美里さんに婚約指輪を渡したんでしょ?」
 美里さんは勘違いじゃないかとも思ったようだけど、私の問いかけにおにーちゃんはややしてこくりとうなずいた。
 私はグラスを少し強くテーブルに叩きつけた。プラスチック的な何かで出来ているらしき傷の多いグラスが大きな音を立てたので、おにーちゃんは顔をしかめる。
「お前、もう少し丁寧に扱えよ」
 仕方なしにグラスを押さえて静かにするとアピールしてから、私はおにーちゃんを睨みつける。
「何考えてんの。プロポーズもなしにそんなことしたって、誤解されそうになるだけじゃない」
 そしてじっとり見据えたまま声を押さえて言ってやると、おにーちゃんはピクリと顔を動かす。
「誤解――?」
「婚約指輪のような重みがあるものだけど実はそうじゃないんじゃないか的な。おにーちゃんが本気なのは私わかってるから、たぶん美里さんがそう思ったなら婚約指輪じゃないかって言っておいたけど」
 目を見張って眉間にしわを寄せるおにーちゃんに一応はフォローを入れてみる。
「助かる」
 ポンと素直にお礼を言われたから、仕方なしに私はほんの少し優しく言葉を続けることにした。
「あのさあ。仮にもプロポーズならもうちょっと気合を入れてもよかったんじゃない?」
 少しは自覚したのかしら、実に苦々しい顔でおにーちゃんは押し黙る。だけどここで追及を緩めて、美里さんに逃げられる結果になるなんて我慢ならない。
「あんまりこってこてなシチュエーションは美里さんが引きそうだけどさあ。一言二言言葉をかけることくらいできそうでしょ」
 例えば、そうだなあ。
 一生君を守るなんて言われたら私でも引くだろうけど、これからずっと一緒に過ごしたい程度ならまあまあかな。
「お前は他人事だと思って適当なことを……」
「失礼な。私ほどおにーちゃんと美里さんがうまく行くのを願っている人間はいないと思うわ!」
「俺の方が願ってるっつーの」
 呆れたため息を吐きだして、おにーちゃんは自棄になったようにグラスの中身を飲み干しだ。
 空のグラスを手の中でもて遊んで、深く息を吐く。
「お前の口の軽さには信用が置けないけど、こんなことを言えるのはお前くらいだから言うけど」
 嫌々ながら言うんだというアピールをしながら、しょうがのしぼり汁を飲んだ時のような顔で――昔お腹がすいてたまらなかったおにーちゃんはつまみ食いでそんなバカなことをしでかしたことがある――おにーちゃんは切り出した。
「俺、警戒されてるんだよな、彼女に」
「ええとそれはご愁傷様、なの? なんで付き合ってるのに警戒されてんの?」
 おにーちゃんは私とどこか遠くを見比べるようにして、再びため息。
「ため息で幸せを逃がしてどうすんの?」
「誰がつかせてるんだよ。いいか玲子。何で警戒されているかっていえば、付き合っているからこそだ」
 びしっと突きつけられた指と言葉に私ははっとした。
「ちょっ、おにーちゃんもしかして美里さんに口では言えないよーなあーんなことやこーんなことをしたんじゃないでしょーね?」
「お前は俺のことを何だと……」
「おにーちゃんはもうちょっと身の程をわきまえるといいと思う!」
「どういう論理展開だ」
 おにーちゃんの手がぐいっと伸びてきたので、それを避ける。こっちを睨みつける視線は、鋭く跳ね返してやった。
「何をどう考えてるかわからんが、まず間違いなく激しい誤解だ」
 獲物をとらえ損ねたとばかりにおにーちゃんは手をわしわしする。口じゃなくてが出てくる時点でそっちが論理的じゃないじゃないと言いたいところだったけど、その代わりに何が誤解なのと言葉を叩きつける。
「中坊のようなお付き合いをしてるとは言わないが、大人として節度をもって接してるとも」
 ため息交じりにそうごちて、おにーちゃんは頭を振る。
「なあ、玲子。彼女の手料理を食べてみたいってのは、高望みすぎるのか?」
「ちょっと待っておにーちゃん、よくわかんないんだけど」
 いきなりごろっと話が変わった気がして、私はそう言った。
「どういうこと?」
 尋ねると、おにーちゃんはふうと息を吐く。どれだけ幸せを遠ざけたら気が済むのなんて茶化したくなったけど、ぐっとこらえて続く言葉を待った。
「食に関して、お前と俺の好みは似ている、そうだな?」
「は?」
「そうだろ?」
 おにーちゃんは遠い目をして、おばあちゃんの料理を取りあった過去の話をする。うっかり懐かしく思いながら私はうなずいた。
「おにーちゃんはおにーちゃんのくせに譲ってくれなかったよねあれもこれも――って、それがなんなの」
 今は美里さんの話でしょと目線を強めると、おにーちゃんはもちろんだとばかりに首を縦に振る。
「その好きなものがほぼ被るお前がかつて絶賛した美里の手料理を、俺は食いたい」
 真面目な顔で告げられた言葉に、私はポカンとせざるを得なかった。
「作ってもらえば?」
「だから警戒されてるって言ってるだろ」
 何言ってるんだお前はって馬鹿にしたような目で見られても、何を警戒されているのかさっぱりわからない。
「なんで?」
「まず、弁当を作るのは嫌だそうだ」
「前に、休みの日に作り置きをしているからそんなに手間じゃないとか言ってたけど」
 おにーちゃんのため息は止まりそうにない。
「俺が手作り弁当を食べてたら、噂になるとでも思ったんだろうな」
「あー、なるほど」
 おにーちゃんはそれもこれもお前のせいだと思うんだよななんて呟いた。
「なんでよ」
「どういう意図があったのかさっぱりわからんが、お前これまで散々俺の噂を彼女にしてたろ?」
「そりゃあ尊敬する美里さんがおにーちゃんの毒牙にかかったらいけないと思ったからね」
「そんな風に全社的に噂になるのは嫌らしい」
「そうなの?」
 おにーちゃんは重々しく首肯した。
 もう既に噂になっていることくらい想像がつきそうなものだけどなあ、なんて思ったけど私は言わないでおいた。
 美里さんも気付いてるけど目をそらしてるのかな。これ以上の噂を避けたいと思っているんだとしたら、確かに手作りお弁当なんて作りたくないよね。
 いかにもラブラブだって言わんばかりの物だもん。私が美里さんの立場でも避けたいかも。
「でもなにも平日に作ってもらわなくても、お休みの日に作ってもらえば?」
「簡単に言いやがる」
 おにーちゃんは顔をしかめて、既にそう振って断られたと言葉少なに告げる。
「大体、弁当持ってデートなんていくつだよ」
「お弁当じゃなくても、作ってもらえばいいじゃない」
「おま……他人事だと思ってッ」
 だから警戒されてるんだよと苦々しくおにーちゃんは呟いた。
「家に呼んでもらえるならそうしてるっつの」
「じゃあこっちに来てもらえば」
「一人暮らしの男の家と、実家暮らしの男の家、どっちがハードルが高いか微妙なとこだろ。俺としては来てもらっても問題ないんだが……美里がなあ」
「親に紹介できるくらい本気だってことはわかってもらえそうだけどねー」
 何気なく呟くと、おにーちゃんはそれに初めて気付いたと言わんばかりに目を見開いた。
「そういう方向からもありだったか」
 早まったかなんて続けるから、びっくりしたわよ。
「ちょっと待って、警戒を解くために指輪押しつけたの?」
「押し付けたって言い方はどうかと思うが」
 苦々しい呟きは私の言葉を認めるようなものだった。
「おにーちゃん、それ別の意味で警戒されたと思うけど……」
「悪手を打ったつもりはないんだけどなー」
 おにーちゃんはぶつぶつと文句らしきものを漏らす。
 もういっそ結婚したら手料理食い放題だと思うなんて、なんというかなんというか、なんというかもう、ねえ。
「さすがに付き合って一ヶ月でそれは気が早すぎると思うけど」
 色々言いたいことはあるけど、気が短すぎなおにーちゃんにとりあえず釘を刺すと、おにーちゃんはこともあろうかそんなことはないと思うなんて返してきた。
「俺も彼女もタメだろ。もう三十路に突入するし、逆算するといい線いってると思うけど」
 私は今にして悟った気がする。
 そこそこもてるおにーちゃんが、なんでああもコロコロと後腐れなく彼女を変え続けられたのか。
 まず間違いなくデリカシーのなさが原因だ。
「いーい? おにーちゃん、私がためになるアドバイスしてあげる」
 とりあえずそう言ってから、深呼吸を繰り返しながらドリンクバーに行って帰ってのどを潤して。
「女の子に年の話は禁句! 美里さんにそんなこと言っちゃだめだからね絶対!」
 私は一気に吐き出した。
 おにーちゃんが「付き合う前に似たような話はしたから平気だと思うけど」なんて言い出したから一瞬絶望的な気分に襲われたけど、今のところ一応まとまったんだからセーフだよね、セーフ。
「今後禁止! 禁止だからね! あ、今私が言ったからって、美里さんを家に呼ぶのもなしだから」
「なんでだ?」
「もー、わかりそうなものでしょー! プロポーズもなしに婚約指輪まがいの物を渡しておいて、家に呼んで手料理を食べたいだけでしたとか言ったら美里さん怒るわよ?」
 私の言っていることに見当がつかないのかおにーちゃんは不思議そうな顔だ。
「待ってよもー。なんでわかんないの。美里さんだって絶対思うわよ、おにーちゃん家に呼ばれたらご両親へのご挨拶じゃないかって!」
「ああ。ついでにそうする手も」
「ない、ないよ、ないからね、ない! それするつもりなら先に美里さんの家にご挨拶しに行って、お父さんに殴られてくればいいわ!」
 駄目だ、おにーちゃんが駄目すぎる。
「おにーちゃん、恋愛得意のはずだよね?」
「生憎結婚したいと思ったのは美里が初めてだからなー」
「そういう問題じゃないと思う」
 のんきにおにーちゃんが言うもんだから、どっと疲れたわ。
 私は力なくテーブルに突っ伏した。
 どうなのこれ。意外に恋愛ベタだった美里さんと、ナチュラルにデリカシーがなかったおにーちゃん。これ、うまくいくの?
 すれ違って終わりそうな気がしてたまんないんだけど!
「まずはちゃんと美里さんに信用してもらってよ。私からもフォローしてあげるから」
 最大の欠点な女にだらしないところは今のところ鳴りをひそめているし、デリカシーのなさに目をつぶれはおにーちゃんは優良物件だ。
 身内のひいき目なしに。たぶん。
「信用されてないっていうなよ。警戒、警戒されてんだよ」
「似たようなものでしょ。下手すると見捨てられるんだからね」
「似て非なると思うが」
 縁起でもないこと言うなと渋い顔をするおにーちゃんは、ホント全く危機感がないからどうしようもない。
 おにーちゃんが優良物件だとしたら、美里さんは超超超優良物件だよ?
 おにーちゃんじゃなくても他にいい人がいてもおかしくないんだからね!
 とんでもないポカをやらかすようならもう協力しない宣告をする決意を固めつつ、私は今のところとりあえず美里さんお姉さん計画実現のために渋るおにーちゃんにあれこれレクチャーすることを心に決めた。

END
2010.09.06 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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