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番外編 理想と現実

 ひとつ、気を長く持つこと
 ふたつ、無理強いはしないこと
 みっつ、口を開く前に話の内容を十分に吟味すること



 散々悩んだ気配を見せた後、玲子が主張したのはその三項目だった。
「他にももー色々色々色々色々ッ! 言いたいことはあるけど!」
 散々ぶうぶう文句を口にしてから、絶対気にかけて欲しいところはそこだから気をつけるようにと、うんざりするほど念を押された。
 どれくらいうんざりしたかって言うと、かなり激しく、だ。
「これを誓って実行しなきゃ、美里さんにあることないこと言うからね」
 だなんて、そりゃ脅しだろ。
 最終的に屈する羽目になったのは、その脅しが一番の原因だ。いくら可愛い妹分からの要求だっていつもだったら簡単にうなずくことはないんだけどな。
 俺のことを思って――あるいは美里のことを思っての言葉を頭ごなしに否定するのもどうかと思うしななんて自分に言い訳しつつ、しぶしぶ要求を飲むことにした。
 取り立てて難しい項目でもなかったから、守るのも簡単のはずだ。いつもよりほんの少し気を長く持つことにして、無理強いも避け、口を開く前に一呼吸余分に時間をかけることを心がける。そんなことくらいきっと、たやすくできるはずだ。
 とはいえ、玲子に散々バカにされた指輪のことを考えれば、気を長く持つのは不可能じゃないだろうか。
 大体、今日の明日にと言うほど性急ではないけど、早いとこ美里と一緒になりたいというのは偽らざる本音だ。
 気が早いと言われればそうかもしれないが、俺としては最初からそのつもりで彼女と付き合い始めた。玲子が言うほど短絡的な行動じゃない、そう思う。
 いまいち気弱になるのは――そう思ってこそいても、確かにあれはなかったかなと自分で思わなくもないからだ。
 俺としては、彼女に信頼してもらうために誠心誠意努力している。付き合って一カ月では早いというかもしれないが、そこに至るまでの数ヶ月も頑張っていたと思う。なのにちっとも警戒心が解けないのだから、半ばヤケになったんだ。
 俺がいつか気を変えるんじゃないかと思うのなら、そうじゃないとアピールすればいい。言葉をいくら費やしてもダメならば、形にすればいい。
 気持ちをモノで測るなんて、本来俺は好きじゃない。だけどモノで心を測る女は案外多いものだ。美里がモノにつられるなんてあまり思えなかったが、生半可な覚悟じゃないんだと伝えるには悪くない手に思えた。
 想いを口にして口の軽い男だと思われるのが嫌だったから思いのたけを込めて指輪を手渡したつもりだったんだが……。
 伝わってないなら、まったく意味がない。
 近いうちにそういうわけで俺は本気だからもう少し警戒心を緩めて何か飯を作ってくれるとありがたいとでも言うつもりだったんだけどなー。
 手段と目的がちぐはぐ過ぎと指摘されてみると確かにそうかもしれないが、言葉にしても形にしてもうまく伝わらないなんて他にどうすればいいんだ?
 時が解決することもあるだろう。が、美里の堅いガードを見ているとその時は限りなく遠いことは間違いない。ゆるやかに解決を待つよりは、ガツンと決定的な何かで壁を打ち壊す方が早いと思うんだけどな。



 気を長く持てなんて言葉で行動範囲を狭められたら如何ともしがたく、俺は次の行動を迷った。
 ただでさえ美里はこれまでにないタイプで読めないのに、俺にどうしろと言うんだ。
 色気も素っ気もない用件のみのメールはあなたに気を許したんじゃないんだからと言わんばかり。だけど予定がない限りは付き合ってくれる辺りは、少しは気を許してくれていると思える。
 別に、甘えて欲しいなんてことは言わない。欲を言えば少しは甘えてくれてもとは思うが、わざとらしく甘えて陰で舌を出す裏のあるタイプよりは、美里のようにさっぱりしている方がよほど付き合いやすい。
 さっぱりしているくせに恋愛関係には奥手のようで、よく戸惑う姿を見せるのがああ見えて可愛いんだな。
 いかにもできる女の顔が怪訝そうに変わり、瞳に戸惑いの色を乗せて、こちらを見る様子とか。頭の中でおそらく、なにやらいろいろ考えてるんだと思う。そんな時の彼女は何故だかとても可愛く見える。
 それに、毛を逆立てたネコのような反応をした後、こっそりこっちの様子をうかがうところも。言い過ぎたかなと思いながら、どうも素直に言葉が出ないようだ。
 過去に猫被りで振られ続けたからって、逆にあえて棘をまとう必要なんてないと言ってやりたいが、きっとそんなことを言ったら激しく噛みついてくるだろうな。
 こちらがどこまで許容できるか、密やかに計っているのかもしれない。だとすればしたたかなんだろうが、言い過ぎたしばらく後に「しまった」って表情が語るからそんな計算など感じない。
 謝罪の言葉が出ることがほぼないから可愛くないと言えばかわいくないんだが、口にしない代わりにほんの少ししおらしくなるところが逆に可愛く思える。これはいわゆるあばたもえくぼってやつか。



 その晩、一夜うだうだ考えたところで、このひと月――あるいは数カ月攻めあぐねた美里の攻略法なんて全く出てこない。
 とにかく玲子のフォローにだけ任せるのも心もとないので、俺は朝になるやいなや美里に約束を取り付けるべくメールを送った。
 俺はわりと用件のみのそっけないメールを送る方だが、彼女と定義される女相手にはそれなりに気を使う。相手がこれまでの彼女史上最も読みにくい美里相手ならなおさらだ。
 絵文字で愛情を推し量るタイプには辟易した過去もあるが、今なら思う。そういう女の方がある意味わかりやすくて、簡単だ。
 内心うんざりしていようが、とりあえずハートマークの一つでも添付しておけば一応は満足する。あくまでも一応であって、馬鹿の一つ覚えのようにそうしていると誠意がないとなじられる羽目になったりもしたんだが。
 一転、美里は下手に絵文字を使えば本気を疑われかねない恐ろしさがある。
 結局毎度のように悩みに悩んだ後の文面は、無難に天気の話題なんぞを入れたほぼ用件のみのもの。
 下手に長文になって、意味のとり違いが生じたら厄介だからだ。やたらと慎重な美里は特に俺に対して無駄に深読みをしてくるから、そんな可能性はできる限りつぶしておきたい。
 そんな苦労を彼女はさっぱりわかってないんだろうな。苦悩の末に送ったメールの返信は「わかりました」の一言だ。
 気にかかることがあると、時が過ぎるのは遅く感じた。
 午前中はあらかじめアポを取っていた取引先数軒に足を運び昼飯を食って社に戻った。午後は机に張り付く予定だった。急な用件が入ることがなく、日頃であればいい一日だと認識するところだがじりじり進む時計の針にはうんざりした。
 たびたび時計を睨みつけていた割には、時が間延びして感じる分、事務仕事はむしろはかどったようで、予定のすべてを終えてもまだ定時まで半時を残していた。
 手帳を眺めても急ぐ用件もなく、手をつけると時間がかかりそうなものばかりに思えて、席を立つ。
 給湯室に行き、自分のカップを出してコーヒーメーカーからコーヒーを注ぐ。タイミングを見て日に数度作られる作り置きだが、インスタントよりは香りがいい。
 それを手にデスクに戻って、ちびちびやりながら机の上を片付ける。
 機械的にパンチを使ってのファイリング。単純作業が功を奏したのか、気付くと今日一番のスピードで定時が過ぎていた。
 待ち合わせ時刻は余裕を持って設定してある。俺はキリがいいところまで片付けを終わらせると、使ったカップを洗ってから退社した。
 週の半ばであることを考えて、帰りにちょっとお茶でもってことにしてある。会社から近くはないが遠いわけでもない喫茶店で直接待ち合わせた。
 携帯を取り出して中を見ても何の音沙汰もない。連絡のとりようがないくらい忙しいのでなければ、美里はそろそろ喫茶店に到着している頃だろうか。
 一人で仕事に生きようとしていただけあって、美里はきっちりしている。社会人になりたての頃からその片鱗はあって、約束事には相当うるさい。
 まず間違いなく時間に余裕を持って先に来ているだろうと待ち合わせ場所にたどり着くと、思った通りに彼女はいた。
「お待たせ」
「私も今来たところよ」
 注文もまだだとメニューを示す彼女の前に座り、逆側からそれを覗きこむ。頼むのはブレンドコーヒーに決めていたが、まだどう話を切り出すべきか決めかねていた。
 注文に迷うふりで結論を先送りにし、注文を告げたところで覚悟は決まりきらない。
「ブレンドで」
 俺の言葉にかぶせるように「私も」と言った美里は果たしてどう思っているのだろう。
 先走った俺の行動のフォローをしてくれたはずの玲子が呆れていたんだから、彼女も呆れているだろうか。
 仕事に生きる女と揶揄されがちな彼女の表情は俺でもなかなか読みがたい。
 注文を繰り返した店員が一礼をして去っていき、いよいよ腹を決めるべき時が来た。
 ぐっと腹に力を込めて彼女に呼びかけようとしたところで、美里は大きく息を吐いた。
「玲子に聞いたけど」
 俺に先んじて口を開いた彼女の声は呆れたようなものだった。
「何考えてんの、あんた」
「えーと、ああ、その、だな」
 先に攻め込んできた彼女に対して、ギリギリまで言葉を決めかねていた俺の反応は我ながら情けないものだ。
 きっと玲子は昨日のあの勢いでそのまま彼女にまくしたてたに違いない。
「玲子が言った通りのことです、はい」
 それを思い返しているのか呆れ切ったまなざしを向けられると、思わず口調も丁寧になってしまう。
「まったく」
 大きなため息が再び彼女から漏れて、身のすくむような心地になる。
 手料理にこだわりすぎたのが問題だったか、婚約指輪なんて早すぎたのか、あるいは好みでないものを押しつけたのが悪かったか、彼女が何に呆れてるかによって対応は変えなきゃならない。
 先攻された以上、余計な弁解で墓穴を掘るのは絶対に避けたい。俺はどんな爆弾が落とされるのか戦々恐々と続きを待った。
 美里の長い指がトントンと机の上で踊る。彼女も何を言うべきか決めかねているのかもしれない。
 そうすると何かに呆れているのじゃなく、いろんなことに呆れているんだろうか――まあ、あり得るんだろう、な。
 玲子のフォローが効いていればいいんだが、もしかして逆効果だったんじゃないだろうか。
 さらにもう一つため息。まだ美里は口を開かない。
 何か決定的な言葉が発せられるんじゃないだろうかと俺はこっそり息を飲んだ。
 別れを切り出されたらどうすればいいんだ。とりあえず先週喜び勇んで指輪を買った俺を後ろから殴りつけたらいいか?
「秀久、あのさ」
 珍しくも躊躇いながら話を切り出そうとする美里を見て、とりあえず俺は胸をなでおろした。
 少なくとも、秀久と名前で呼んでくれるからには切り捨てられるわけじゃないと思って。
「親密度はともかくとして、知り合って長いんだから私はあんたがそんなに悪い奴じゃないとは思ってるわよ」
「え」
 続く言葉に、俺はもしや逆にいい言葉が聞けるんじゃないかと期待が盛り上がりそうになる。
「でもね」
 たん、と指でテーブルからよい音を立てると、美里は目に力を込めた。
「わかってる?」
「え、何が」
 端的に問われても、意図することが読めない。
「あんたの言動を悪くとろうと思えばいくらでもとれんのよ」
「――はい?」
 いきなり何の話ですか美里さん、そう言いたくなるのをこらえて俺はまじまじと彼女を見た。
「賞味期限間近の女に付き合って早々に婚約指輪を押しつけて手料理が食べたいなんて、要するに手近なところで身の回りの世話をする家政婦が欲しいだけに見えるって言ってんの」
 そんな俺に美里は不機嫌に告げるから、驚いた。
 驚きのあまり、なんて反応していいんだか一瞬迷った。
「ちょっ、いや待て。なんでそうやって曲解すんのお前!」
「あんたの言動が悪いんでしょ」
「なんでそうなるんだよ。惚れた女の手料理は男のロマンだろ?」
「知らないわよそんなこと」
 あんまりはっきり言い切るもんだから、俺は頭を抱えたくなった。
「大体なんだ家政婦って。家政婦代わりに好きでもない女と結婚するくらいならいつまでも実家に厄介になるぞ俺は」
 堂々と宣言すると、美里は絶句したようだった。
「一足飛びに突然指輪を押しつけたのは悪かった。でも誤解はしないで欲しい。俺は――」
「ストップ」
 愛の告白を止められたから不満は残るが、冷静ぶった美里の頬が心なしか染まっているのを見てそれを押しとどめる。
 どうして気が強くてできる女気取ってるのに、恋愛関係だけどんなに弱気なんだ美里は。
 そういうギャップがまた、よかったりするんだけどな。
「……堂々と実家にパラサイト宣言も、どうかと思うわ」
「これまで実家から出てないんだから、今更一人暮らしもないだろ」
「ああ、そう」
 すっと美里の表情が平静に戻る。
「家を出るとしたら、その時は美里と二人暮らしがいいと思ってる」
 喫茶店というのは間が抜けてるが、咄嗟に勢いで出たわりにはなかなかいいセリフじゃないか?
 なんとなくプロポーズみたいだなと気付いて、俺はじっと美里を見詰めた。玲子の急ぐなってアドバイスがちらりと頭をかすめたが、言ってしまった言葉はもう取り消せない。
 掛け値なし、嘘偽りない本音だから許されるはずだ。
 本格的なプロポーズでも感動するタイプじゃないと思う彼女は、俺のプロポーズまがいの言葉に案の定感動した節はなかった。
 それでも何か心に響いたと信じたいが、美里は頭を左右に振った。
「あのねえ、それがよくないって言ってるんだけど」
 よくないといわれても、本音なんだけどな。
 プロポーズまがいの言葉をあっさりスルーされて、少々面白くない。
「何が良くないんだ?」
 反論は自然と尖った声になった。
「何がって」
 オウム返しにした美里は、続けて何かを言いかけたが、それが音になる前に止まる。
 割合いつも勢いで言った後に後悔するタイプなのに、言う前にためらうなんて珍しいことだ。
「言いかけたんだから、言えばいいだろ」
 険悪な気配に愛想笑いを浮かべながら店員がコーヒーを置いて行く。店員が離れたのを見計らって、俺は話を続けた。
 美里は、どうも俺の過去を気にしている節がある。振り返ってみると、我ながら若さって怖いなあっていうそういう過去を。
 それは明確に嫉妬だと言えるわけじゃあないだろうが、たぶんそれに似た何かだろうと思える程度に彼女は俺を気にかけてくれているんだろう。
 どんな人間であれ、過去をきれいさっぱり消すことはできないんだから、今を見て欲しいってのは我がままじゃないと思うんだけどな。
 美里がどう感じているにしろ、これまでにないくらい俺は彼女との将来を望んでいる。
「何が不満なんだ」
 取り繕いようもなく不機嫌な声に美里はなおも言い淀む。視線で圧力をかければ、ようやく口を開いたが。
「不満ってわけじゃ、ないけど」
「ないけど?」
「もう少し考えてああいうことは言ったらどう?」
 美里はコーヒーカップを両手で包みこんで、息を吐いた。
「結婚って、そんなに気軽なものじゃないわよ」
 痛いところのある俺は思わずうめいてしまった。確かに拙速だったのは悪かった。
「気軽に言ったつもりはないけどな」
 誤解されるのは避けたくて口にしたけど、言葉にはさっきまでの力がない。
「俺だって、結婚は重いと思ってる。だからこれまで避けてた」
 全部が全部ってわけじゃないけど、重いのは嫌だと思ってたのが原因で別れたことだってある。
 ふらりふらりと遊んでいた時とは違って、しっかり先を見据えた時に美里がいいって思ったんだ。
 ふらふらしていた自分と違って、しっかり将来を見据えていそうなところもそうだし、玲子が絶賛するくらい料理上手らしいし意外と家庭的そうだってところもポイントだった。
「でも、美里とならって思ったんだ」
「そう言ってくれるのはありがたいけど」
 これまでと今の違いなんていくら上げても、逆に過去に目を向けられるだけだろうし、思うままに話したら出しちゃまずいボロが出そうな気がして、自然と言葉が少なくなる。
「でも深いところまで考えてないでしょ?」
「考えてる」
 突き放すように言われて、思わず否定した。
「一人は子供が欲しいなとか。産むのはできるだけ早い方がリスクが低いんだろ?」
「……あんた私に喧嘩売ってんの? 今時四十代で出産だってあるんだからね――まあ、子供を考えるなら早い方がいいだろうけど」
 呆れたように呟いた美里は、俺に挑戦的な目を向けた。
「なんで早い方がいいと私が考えてるかわかる?」
「リスクの問題だろ?」
 違うわよと彼女は鼻で笑った。面白くなくて俺はじろっと彼女を睨む。
「じゃあなんでだよ」
「退職までに成人した方がいいからよ。教育にはお金がかかるからね。老後の資金を考えれば、早ければ早い方がいいわね」
「……早い方がいいなら、結婚も早い方がいい、よな?」
 前向きにとれる発言に、思わずお伺いを立てる。
「勢いで見切り発車したところで、うまくいかないと思うわ。いい?」
 びしっと俺に指を突きつけて、美里は声に力を込める。
「一応私たち、結婚前提ってことで付き合い始めたわよね?」
 最後の最後まで渋っていた美里が今もまだそのつもりっぽいことに勇んで俺はうなずいた。
「だけどまだ、ろくに将来のことなんて話してないでしょう」
「まあ、そう――だな」
「お互いの認識にずれがあれば、結婚した所でうまくいくはずがない。そういうことをもっと突き詰めた上で、お互い妥協できたらはじめて先に進めるんじゃない?」
「そんな漠然としたことを言われても」
 そういうことって、どういうことなんだ?
「もう少し具体的に言えないか?」
 美里はピクリと眉をあげた。
「言ってもいいけど、言った段階で破局が来る気がするわ」
「ちょっ、お前結婚にどんな理想があるんだよ?」
「何言ってんの。理想があるのはあんただと思うわ。私が見てるのは現実」
 きっぱりと彼女は言い切った。
 そういえば美里は妙に現実的に将来設計をしていた女だった。
 普通この年で一生一人で生きていく心づもりになってるもんなのか?
 そりゃ仕事もできるしきっつい性格が目を引いたから、見た目に結婚願望がありそうには見えなかったけど、まったくなかったわけじゃないそうなのに。
「大学時代に猫かぶってたっていうお前も見たい気はするけど、今更そうしてもらうつもりは毛頭ないぞ?」
「何の話よ」
 呆れたように俺を一瞥して、「頼まれてもしないわ」と彼女は言い放つ。
「仮にドラマのような新婚家庭を夢見てるなら無理よ」
「それはない」
 美里相手にそんなバカな妄想しませんとも。
 仮に「あなたぁ」なんて高い声を出しながら玄関にお出迎えしてくれたら引く自信がある。
 実際そんな新婚さんっているのか?
 奥さんのタイプいよってはあるかもしれないが、ああいうのは多大に脚色されてると思うね。
 俺は手料理が用意されているだけで十分満足だとも。
「そこで意見が食い違わなくてまずはよかったわね?」
 意味深に笑って美里はコーヒーを飲む。
「他に何があるんだよ」
「ま、おいおいね」
 空のカップがソーサーに戻されて、続きはまた今度の態度。
「急いだってろくなことはないわよ」
 玲子も気を長く持てと言ったけど、気になる笑いを見せられたら気にせずにいられない。
「破局がなんて言われたら気になるだろ!」
「だから、急いだらそうなるって言ってるの」
 いつもはポンポン言ってきそうな美里が言うのをためらうようなことだってことが、なんだか無性に怖いのは気のせいか?
 どういうことだと悩む俺が何度も引きとめるから、美里は最後には折れてくれた。
「生々しい話になるから、どこかで腰を落ち着けましょ」
 せめて一杯入れなきゃ言えないという彼女に一も二もなくうなずいて、近くの店に移動する。
 適当に入ったわりに当たりの店で、じっくり話すのに向いた半個室。週半ばだからか人のいりもソコソコらしく、落ち着いた雰囲気。
 そこで、美里が言った通りの非常に生々しい話に俺はガツンと衝撃を受けることになったんだが、詳細は割愛する。
 常に前向いているようなふりをして若干後ろ向きなところもあるが、やっぱり前向きなんだろうな、美里は。
 結婚後の生活あれこれを現実的にシミュレーションさせるなんてどうなんだよ……。いや、俺がそんな方向に持ってったんだが。
 共働き希望だとか。家事は分担しないと不公平だとか。他にもあれこれあれこれ。俺が思いもしなかった指摘がわんさと出てきたから驚いたね。
 何詳細をつきつめて考えてるんだ?
 もしかして俺、思ったより美里に愛されてるんじゃね?
 あれだろ、俺が勇んで婚約指輪を渡したもんだから、色々考えてくれたってことだろ?
 こういうところが可愛いよな。言ってることは現実的で夢がないけど。
 口では否定している割に、真剣に結婚について考えてくれている事実に思わず笑みが浮かぶ。
「何笑ってんの」
 不機嫌そうに言われたところで、浮かれた気持ちは変わらない。
 浮かれたまま口をききそうになって、玲子のアドバイスを思い出してそれを押しとどめた。
 ああそうだな。俺愛されてるなって実感したなんて言ったら、美里は引きそうだ。
「いや、美里が真剣に考えてくれたようでうれしくて」
「そりゃあ考えるわよ」
 それを愛ゆえにだと思っていいだろうか。いいよな。
「適度に現実を見せないと、外堀から埋めてきそうな気がしたからね」
「どういう意味だそりゃ」
 首をひねる俺に美里は胡乱なまなざしを向けてくる。
 だんだんその気になっているって解釈でいいんだろうか。睨まれたような気がするのは、流されている自分にまだ納得いかないっていう設定で。
「美里がそんな風にしっかりしてくれてたら、将来安泰だなー俺」
「何他力本願なこといってんのあんた」
 睨みに鋭さが増したのは気のせい、じゃ、ないな……。
 俺は慌てて頭をぶんぶん横に振った。
「違うちがう。結婚は永久就職だとか、永久に養ってもらう気満々とかよりいいなと思って!」
「あっそう」
 美里の目が「そういう女と付き合ってきたのね」と言わんばかりに見える。
 言われてもないのに否定の言葉を口にするなんて愚の骨頂だ。俺はアドバイスを思い出しつつ、慎重に言葉を探した。
「俺も人生を丸投げされても困るし、二人で協力してやっていければいいなと思ってるし」
「そう」
「ああ」
 何がそうで何がああなのか自分でも微妙にわけがわからないが、美里は納得したらしい。
「じゃあ、今日はとりあえず飯を楽しもうぜ」
 正直あれやこれや言われ過ぎていっぱいいっぱいだ。
 ヘラッと笑いかけて提案すると彼女もこくりとうなずいてくれる。
 そんなわけで、俺はとりあえず難しいことは後で考えることに決めて、料理に集中することにした。

END
2011.01.19 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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