Index>Novel>まるで空気のような>
3.過去と現在
「はあぁ〜」
ため息をもらしたところでもはや心配してくれる相手もいない。机に頬杖をつきながら麻衣子はじっと目の前を見た。
「友達がいがないぞぅ」
「えっ」
ため息のあとの突然の一言に麻衣子の前に座っていた親友は見るからに驚いた顔をした。
「そんなこと言われても困るよ」
「親友がため息をついてたらどうしたの、くらい聞くべきじゃなーい?」
半分からかうように声をかけると彼女はわずかに顔をしかめた。
「聞いても答えないくせに。しばらく前から、ずっとそう」
麻衣子は茶目っ気たっぷりに舌を出す。
「何か聞いて欲しいことがあるなら、私でよかったら聞くけど」
「相談するほどのことじゃないんだけどね」
「だったら言わないで欲しいなあ」
やんわりと忠告してくれる彼女は、得難い親友だ。相談すれば親身になって聞いてくれるだろう。解決しないまでも気は楽になるはずだ。
それでも、幼なじみとのあれこれを口にする気にはなれなかった。
その理由の一つはただただ気恥ずかしいからだ。人に弱みを見せることを良しとしないプライドの高さもそれを後押しする。
言いたくないことを突っ込んで聞いてこない親友に対してそれこそ友達がいがないことだと自分でも思うけど、それでこれまでやってきたんだから仕方ない。
「言いたくなったらいつでも聞くからね」
そう言って、机の中から本を取り出して彼女は読み始めた。気にしていないという態度がうれしい。
バレンタインの日も、まさにそんな感じでごまかしたのだ。
親友にまで見栄を張らなくたっていい、そうは思った。でも、去年と対して変わらない品物を義理のように偽って渡すつもりだなんて恥ずかしくてどうしても言うことができなかった。
あの日、一日をそわそわと過ごし、家に帰って制服から着替えた。洗い晒しのジーンズにトレーナー。気合いの入った格好なんてそもそもする気がなかった。
再び親しく話せるようになりたいと願っているのに、気合いなんて入れて本命だと悟られて気まずくなってしまったら目も当てられない。
夕食の準備を手伝って、家族でご飯を食べた。この冬に買ったお気に入りのコートを着たあとで、ようやく前日から準備万端だった皿を取り出して。
「ちょっと隣にいってきまーす」
明るく声をかけて家を出て、久しぶりに隣家の玄関前に立つと一つ深呼吸をした。さて、彼女の知る限り彼の家はもう少しで夕食の時間で、そして彼は夕食までには絶対家に帰っている。最近の行動パターンはつかめてないけれど、バイトをしているなんてうわさ話にも聞かない、だから十中八九いるはずだ。
ゆっくりと手をのばしてごくりと息を飲みこんで、チャイムを押し込むと家の中でぴんぽーんとかわいらしい音がした。
『……はい』
チャイムに付属のスピーカーから聞こえたのは彼の母の声。
「こんばんわ」
『あら、お久しぶりねえ』
名乗らずとも声だけでわかってもらえたらしい。柔らかな声に安心して、麻衣子は半歩進んでチャイムに顔を寄せた。
「お久しぶりです。あのですね、今……いますか? ゆーちゃんは」
『ええ』
久しぶりにその名を口にすると、さらに緊張してきた。くすりと笑う気配がスピーカーから聞こえる。
『すぐ向かわせるわ、ちょっと待ってね』
がちゃりとした音を最後にスピーカーが沈黙し、彼女は玄関から少し離れた。だいぶん日が長くなってきたけど七時を過ぎればもう暗い。暗くなるのに比例して屋外は冷え込んでいる。
コートの前をかきあわせてお皿を手に身震いする。武者震いなのか寒いのか、本当のところは自分でもわからなかった。
あくまでも以前のように。気合いの入らない服装もラッピングなしのプレゼントも義理らしさを演出するためのものだった。義理を装うんだからそこまで緊張することないじゃないと待つ間は自分に言い聞かせていた。
耳を澄ませて彼がやってくる気配を探る。こない、こない、何の音もしない。待ち望みすぎて時間の流れを遅く感じているのか、待つ時間が恐ろしいくらい長いように感じた。
やがて軽い音を立てながら引き戸が開きはじめて、細い明かりが少しずつ大きくなっていく。
麻衣子に訪れを感じさせるような何の気配もなく玄関にたどり着いたらしい彼を見ようと顔を上げても、逆光で表情も何も一瞬よくわからなかった。
「よう」
声は素っ気なく、それはいかにも彼らしかった。だけどちくりと胸に痛みが差してしまうのは自分が変わったからだろうか。
ゆーちゃん、そう言い慣れた名を口にしかけてそのあまりの子供っぽさに思いとどまる。せめて君付けしていたらよかったのにと今更思ってみたところで遅い。高校に入学した直後までは確かにそう呼んでいた。でも、二人の間に距離が開き――さらには時間が経った今、不用意にちゃん付けは失礼な気がした。
彼は背が高く、落ち着いた物腰をしている。ちゃらちゃらしたことには基本的に興味が無く、何にでも冷静に対処しようといつもしている。今呼ぶとしたら、原口君? それとも祐司君?
祐司の視線は不思議そうに悩んでいる麻衣子の様子を見た。
久々に何しに来たんだろうと思われているようで、皿を持つ手に気持ち力を込める。祐司の視線も一瞬皿で止まり、おおかたの意図を察したらしい。
「どうぞ?」
麻衣子の前であきれかえる真似だけはせずに、彼は麻衣子を玄関内に招いてくれた。
彼はさりげなく先導して、後ろ手で扉を閉める。明るい中でもう一度麻衣子の姿を確認したようだった。
「ごめんね、こんな時間に」
「いや」
申し訳なくなって声をかけると言葉少なに祐司は応じる。
「これ、今日、バレンタインだから」
何しに来たんだと問われる前に、麻衣子はひょいとケーキ皿を突き出した。やってしまって余りにも唐突じゃないかと自分で思ったけど、隠しもしていない皿なんて彼はとっくに確認済みだったろう。
「わざわざ、悪いな」
ほんのわずかな笑みを浮かべて彼は皿を受け取ってくれた。
何か言いたそうに見えるのはいろいろ聞きたいことがあるからかもしれない。なぜすっかり疎遠になった甘いものが苦手な自分に義理チョコを持ってきたんだ? 彼が聞くとしたらたぶんきっと、そんなこと。
「チョコケーキだな」
でも彼はケーキを見下ろして、見ればわかることを口にしただけだった。
「まあそんなもんかな。ザッハトルテ、っていうの? ビターチョコ使ったし、一応甘さは控えてあるから」
無粋なことをあえて口にしないでいてくれたのは、思いやりだろうか?
ありがたく思いながらできるだけ自然に麻衣子はにこりと微笑んだ。
「そうか」
「うん。口に合わなかったらおばさんに食べてもらって」
「相変わらず、きれいに作るよなぁ」
「うまいもんでしょ?」
ラップをめくって中身を確認しながらの言葉に、わざとらしく腰に両手を当てて胸を張る。
「そんなに偉そうに言わなくても、充分存じ上げてるよ」
半分呆れたような感じではあったけど彼は笑ってくれたから、麻衣子は思わず全開の笑顔を作ってしまった。
「じゃ、お返し期待してるから」
ぼろが出ないうちにと身を翻し、さりげなく次の機会を願う。
いきなり義理チョコを押しつけてそれはないだろうと拒否される前に、麻衣子は引き戸を開けてさっと外に出た。玄関扉を閉めてしまったら、あえて開けてまで嫌だとは言わないはずで――実際そうだった。
それからおおよそ二週間。
彼と麻衣子の関係はほんのわずか、変化した。なぜだかちょくちょく麻衣子は祐司を見かけたし、その時に二言三言交わすことも多くなった。
他愛のない、端から見たら意味もない会話は、それでも麻衣子には貴重で。それが余りにも以前の二人のそれによく似たものだから、うれしい反面残念には思う。
残念に思うそれこそが「彼が好きだ」という事実の証明になるのか、それともただ単に長期間コミュニケーションをとっていなかったことで掛け合い不足を嘆いているだけなのかよくわからない。
とにかく大方思惑通りにいったにも関わらず、麻衣子はなぜか不満だった。その理由は自分で何となく想像できるのだけど。
2006.03.02 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
感想がありましたらご利用下さい。