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5.思い切れない原因
「あー、そっか」
「どーしたの?」
「今日って、ホワイトデーだったわね」
麻衣子のつぶやきを聞いて親友は教室内を見回した。麻衣子の視線の先にある黒板の日付を確認して、うなずく。
「そうだねえ」
のんびりした口ぶりには含みは何にもない。バレンタインデーの様子から言っても、彼女には本命なんていないに違いない。
含みがあるのはむしろ麻衣子の方。
「それで何となくざわざわしてるのかな?」
「いつも普通に昼休憩はうるさいと思うけど」
冷静な振りをして麻衣子は突っ込んだ。
バレンタインデーに「お返しを期待している」などと言った割に麻衣子はすっかりそのことを忘れ去っていた。当日、昼まで気付かなかったくらいだから自分でも呆れてしまう。
でもそれも無理もない話。
あの時期待したのはもう少し彼と話せるようになることで、この一ヶ月でそれは充分果たされている。そのことに満足して、すっかりホワイトデーなんて言葉を忘れてしまっていたのだ。
「ああいうのって体育館裏で渡したりしたのかな? 下駄箱の中とかに入れちゃったりするのかな? みんなどんな風にしてるんだろうねえ」
「まるきり人事ねえ」
「だって私には想像つかない世界の話だよ」
「私にもつかないけどね」
眉間にしわを寄せて麻衣子はその場面を想像しようと試みた。
例えば、人の途絶えた放課後の教室で。
可愛らしいラッピングされたチョコを頬を染めながら渡したりしたら――祐司はどうしただろう?
「駄目、私そーゆーキャラじゃない」
実際にこれ以上ないようなくらい義理っぽさを主張したチョコケーキを素直じゃない態度で渡すしかできなかった。
本気の本気で渡して拒絶されるのが、怖い。
その気じゃなかったら冷たく切って捨てるようなところが彼にはあるのだから。将来、家を出るのだとしても、一生実家は隣同士。姿を一度も見ずにこれから先過ごせるなんてとても思えない。
「麻衣子は乙女主義じゃないだろうねえ」
「私だってうら若き乙女なんだけど」
「私の作ったチョコが食えないのかーって押しつけそうな感じがする」
「どーゆーイメージよそれ」
じろっとにらみつけると親友は首をすくめた。
「だってそんな感じだもん」
「くーっ。私をなんだと思ってるのよー」
力なく麻衣子はうめく。親友の指摘が間違っていないような気がするから問いつめられない。
「どうせ私は可愛らしくありませんよ」
ぶつぶつつぶやく麻衣子にうんうんと彼女はうなずく。それはあんまりだと文句を言い始める前に親友は麻衣子をじっと見てから口を開いた。
「可愛いと言うよりは、美人さんの部類だよねえ」
「――ありがと?」
「どういたしまして?」
ちゃっかり誤魔化されたような気がしつつ、悪い気はしない。
出鼻をくじかれたので文句を言いそびれ、ざわつく教室内を麻衣子は見回した。
「私にも春が来たらいいんだけどなあ」
バレンタインのイベントが問題だとすれば、ホワイトデーはその解答なのだろうか?
望む答えを手に入れられる女の子は一体どれだけいるのだろう。
部室である家庭科室に歩きながら、麻衣子はバレンタインの晩にお隣に持って行ったケーキを思い起こし、頭を振った。
明らかに問題として違う方向を向いていたし、変則的にすでに解答を得ている。
甘さを控えめにしたつもりだけどケーキは充分甘く、甘いものを苦手とする彼が喜んでくれたのかさえわからない。
それを食べたのか食べていないのかわからないけれど、疎遠になっていた彼と話す回数が目に見えて増えた。
お返しだなんて口にしたのは次の機会が得たいからだっただけで、それがかなえられた今は何も望みがない――本当は嘘だけど、それ以上を望むのは強欲すぎる。
(ってか、期待できないわよねえ)
祐司の性格は知っている。いつものお返しの本当の主が彼でないことも。
今晩にでも母親に手渡された包みを見てホワイトデーの存在を思い出し、麻衣子の家にやってくるに違いない。
「落ち込むわぁ……」
自業自得だけどね、そう続けてため息一つ。
「いざって時に思い切りがたんないのよねえ」
生まれてからこれまでに築き上げた関係がそう簡単にひっくり返るとは思えない。一歩踏み出せば後戻りができないのだから、たやすく思い切るわけにはいかないのだ。
頭を振って麻衣子は益体もない思いを振り払う。気を取り直して歩くとすぐ家庭科室にたどり着いた。
家庭科部は基本的に週二回の活動だ。文化祭の間際はそれより少し増える。料理がメインで、裁縫を行うこともある。冬場は編み物も。
そろそろ時期は過ぎたような気もするけれど、今も窓際で編み物をしている生徒がいる。
「おつかれさまでーす」
そう声をかけながら窓際に進む。集合時間までにはまだ間があり、まだあまり集まっていない。
「面白い編み方ですね」
「え?」
麻衣子が声をかけると初めて気付いたように窓際の生徒は声を上げた。ぴたりと手が止まって、不思議そうに首を傾げて手元を見下ろす。
「えーっと、ただの一目ゴム編みだけど」
「そうなんですか?」
麻衣子の方が不思議そうに問い返した。
「すごく簡単よ」
「はあ」
羨望の眼差しを注ぐ麻衣子に彼女は苦笑した。
「単に毛質の違う糸を二本どりで編んでるだけなんだけど。ちょっと高級そうに見えるでしょ?」
一も二もなく麻衣子はうなずいた。麻衣子のメイン活動は料理で、自慢ではないが裁縫や編み物は得意でない。
じっと見た毛糸もモヘアくらいしか名前がわからない。もう一つの糸はなんと言うんだろう? 毛糸とは思えない面白い糸だった。
「いいですねー」
「でしょ? 里中さんもやってみる?」
「無理! 無理ですって先輩」
「裁縫よりずっと簡単なんだから。あのね、編み物のいいところは多少間違ってもやり直しがきくところよ」
「そうですかぁ〜?」
麻衣子は信じられないとばかりにまじまじと先輩の手元を見る。編みかけのマフラーは紺に近い青と黒の組み合わせ。完成したらお店で売ってそうなものになるだろうと、できあがった部分を見て想像した。
「とてもそうは思えないですよ」
「やる前から諦めてちゃ駄目よ?」
言葉はほんのりと耳に痛い。
「私に言える事じゃないけど、ね」
「どーしたんですか?」
語調の変化に麻衣子は問いかけて、窓にそらされた横顔を見る。
「手編みのマフラーは重いかと思って、完成を諦めて長い間放っておいたから」
「――えと、バレンタイン、ですか?」
「そういうことね」
言うまでもなく今日はホワイトデー。まだ数十センチのマフラーは完成にはほど遠い。
当日はどうしたんですかなんて無遠慮なこと、さすがの麻衣子だって聞けなかった。自分だって後ろ向きなバレンタインを送ったのだから人にあれこれ言う資格もない。
あーあ、また思い出しちゃったわと麻衣子はこっそり嘆息した。
「――あら」
再び先輩の口ぶりが変化して、麻衣子は身を乗り出した彼女の視線を追った。
「一の一の魔女さんね」
さらりと告げられた言葉に麻衣子は密やかに息を飲んだ。すぐに彼女の言う魔女さんを見つけ、そして――。
血の気の引いた顔で後ずさった。心の中で幼なじみの名を叫んで、目を伏せる。
「さすが校内一の美少女、ホワイトデーもすごいお返しねえ」
のんきな先輩の言葉は耳に入ってこなかった。
校内一と噂される美少女の姿は四階にある家庭科室からもすぐ認められた。さらさらの長いストレート、染めたこともなさそうな真っ黒の髪は特徴的で見ただけで彼女だとわかる。
校舎から突き出した屋根に半分隠れた幼なじみの姿も麻衣子にはすぐわかった。
大きな箱を彼女に渡している姿を確認したところで後ずさってしまったけれど、見間違えるはずがない。
かつての麻衣子がそうだったように、祐司のそばにいつもいる女の子。そのそばにいるよく似た姿は幼なじみに違いない。
「いくらウチが寛容だって言っても、あの大きさのお返しは目立つわね? ……どうしたの、里中さん」
「なんでも、ないです」
怪訝そうな問いかけに麻衣子はぎこちなく微笑みを返した。
弱みを見せるのは主義じゃない。
「美人さんは違いますねえ」
努めて何でもないように麻衣子が言うので不思議そうにではあったけれど先輩はうなずいた。
「さすが魔性の女ってところかしら――彼氏がいてもあれだけのお返しかあ」
それはそれで色々苦労がありそうだけどねえと漏れた言葉は呆れ半分さげすみ半分。
一年一組の魔女は校内一の有名人なのだ。その美貌を鼻にかけて、レベルの高い男をよりどりみどり――その中の一人とひっついたと噂されるけど、取り巻く者は未だ多い。
その中にプライドの高い祐司が混じっている事実は嘘のようで、麻衣子にはどうしても信じられなかった。
噂でも何度も聞いたし、実際に彼女と一緒に行動しているのも見たことがある。それでもどこかで冷めた目をしていたから、何となく違うんじゃないかと思って。でも、本当にそうだったら怖いから思い切ったことができなくて。
バレンタインでことさら義理を装ったのは頭の片隅でそのことが頭に引っかかっていたからでもあった。
目にしてしまったら、認めざるを得ない。一応彼氏がいる以上魔女さんが祐司に渡したのは義理チョコのハズで、なのにそのお返しは麻衣子がこれまで見た事のない大きさ。
遠目で見てもわかるくらいにはっきりと、大きかったんだから。
「勝ち目無いなあ」
弱気な言葉を口にすると目の前の先輩が目を見開いた。
「彼女に勝とうと思うのはやめておきなさい。敵を作るだけよ」
そういうわけじゃないんだけどとも言えずに麻衣子は曖昧に笑って軽く肩をすくめた。
2006.03.17 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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