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8.白い大きな紙袋

 クラス替えはまずまずの結果といえた。
 親友と同じになれば麻衣子だってうれしい。麻衣子の交友関係は親友が想像するよりも大分狭い。それは中学時代に幼なじみとつるんでいた結果で、片割れと縁遠くなってしまったら会いにくく思う関係なのだ。
「別れたの?」
 なんて聞かれればうっと言葉に詰まってしまう。別れる以前に付き合っていないのだなんてところから説明するのは今の麻衣子には、つらい。
 同じ中学だった生徒もいるかもしれないけれど、少なくとも麻衣子の顔見知りはいなかった。それはありがたいことだ。
 幼なじみの名前をついでに探すと、間に一クラスある。少し近いと言えば近いけど、隣じゃない分ましだろうと諦める。
「今年も一緒だね、麻衣子〜」
 新しい教室にすでにいた親友に声をかけると読んでいた本から顔を上げてにこやかな笑顔。
「またよろしくねー」
 麻衣子も応じてにっこりする。
 黒板に貼られた座席表に従って親友とは少し離れた机に荷物を置く。
 校庭での始業式は身を縮めて幼なじみから逃れることに終始して、無事に終えて教室に戻りホームルームで自己紹介の時間。
 まずまずいいクラスだった。祐司と同じ魔女さんの取り巻きが一人いたのが問題かなと思ったくらいで。
 麻衣子はその生徒のことをよく知っていた。一の一の魔女の取り巻きだった一人で、高校に入った後で祐司と仲良くしている男だ。
 自らの周りを取り巻く人間をえり好みする魔女のことだから、その男も他から一歩抜きんでたところがあった。彼女の隣に並び立っても遜色ない美形。
 顔なじみである幼なじみの親友――魔女の本当の彼氏よりはよほどお似合いの相手には見えた。
 だけど見た目はいいのに中身が変なヤツだと知った時は、見た目じゃなく中身で相手を選んだのだろうと妙に納得したけれど。
 クラスは離れたとはいえ、取り巻きがそう簡単に魔女から距離を置くとは思えない。
 なのによりによって彼は近くの席の親友に目をつけて、しょっちゅう話しかけるようになったから麻衣子はどうしてくれようかと思った。
 まさか怒鳴りつけるわけにもいかないから、慎重に彼から親友を引き離すべく働きかける。親友が変なやつに引っかかるのは許せないことだったというのもある。でも、一番は麻衣子自身が彼の近くにいることによって祐司の目についてしまうのを恐れたからだ。
 親友が彼に引かれつつあるのは、気付いていた。
 保身で人の恋路を邪魔するのはどうかと自分でも思ったけど、自分自身の経験と照らし合わせてみても勝ち目のない勝負に親友が巻き込まれるのは許せないことだった。
 一週間ほどで席替えがあって、机が離れたのは幸いなことだ。
 親友の視線は彼に向かうけど、積極的に話しかけることはない。たまの会話には麻衣子も混ざった。
 祐司に見つかる危険があるとは思ったけど、親友一人を変なヤツに押しつけて変な事態になる前にしっかり確認しておかなければと妙な義務感が胸にあった。
 親友の視線の先にいる彼の視線の先には魔女の姿があって、そうしてその近くには幼なじみの姿があった。
 それを見るたびに感じる、つきりと麻衣子の胸を刺す何かの傷が深くならないうちに親友には諦めてもらいたかったのだ。
 クラスの違った友人には興味がないのか、あるいは恋敵に塩を送る真似をしたくなかったのか祐司が友人に話しに来ることもなく――麻衣子がなんとか祐司のクラスの時間割を手に入れて、会わないように会わないように心がけたということも効果があったのかもしれない。
 祐司が麻衣子の前に現れることなくしばらくは過ぎた。



 注意の集中箇所がいつどう遭遇してしまうかさっぱりわからない学校になってしまうのは致し方ないこと。
 一日を終えるとどっと疲れる。凝った気のする肩をぐるぐるともみほぐしながら家路を急ぐ。
 しばらく前まではもう暗くなっていた時間だけど、今はもう明るい。それでもほのかに薄暗くはなっているけれど、真冬に比べれば遥かにましだった。
 空き地にはいつの間にかタンポポが咲いていて、道中の桜は早くも散りかけている。
 集中力がとぎれたのは新年度の生活にも少し慣れ、春の気配に気がゆるんだというのもあるのかもしれない。
 最後の角を曲がったところで幼なじみの姿を発見し、麻衣子は一瞬呆然とした。
 ホワイトデーからは一ヶ月が経過している。刃のように麻衣子の胸を刺した出来事も昔のことに思えてきたところ。とはいえ、面と向かって彼と向き合う勇気は出ないそんな頃合い。
 呆然としたのはほんの一瞬で、次に身を翻そうかと思って――持ち前のプライドがそのみっともない真似を無意識に止めた。
 普段通りの足取りを維持し続けることは困難で、ゆっくりと彼に近付いていく。
 ポーカーフェイスと自らに言い聞かせながら、形として麻衣子は顔をしかめた。
「どうしたのよ、人の家の前で」
 自分の家の前でなく、麻衣子の家の前の塀に腕を組んでもたれかかっていた祐司はその言葉にはっと顔を上げた。
 驚いたような顔なのは近付く気配に気付いていなかったかららしい。珍しいその表情に緩みそうになった顔を麻衣子は引き締めた。
「久々に顔を合わせたってのにたいしたご挨拶だなー」
「言いたくもなるでしょ」
「まあ俺だってそう言うだろうが」
 腕を解いた祐司は壁にもたれるのをやめて肩をすくめた。
「用があるから待ってたに決まってるだろ」
「用?」
 偉そうな言葉を聞いて麻衣子は顔をしかめる。不審そうな麻衣子の眼差しから逃れるように祐司は身をかがめた。ひょいと足下から白い紙袋を取り上げる。
 なめらかな動作で差し出されるそれを麻衣子は唖然と見下ろした。
「な――、ええと、なに?」
 動揺の余りみっともなくどもってしまう。麻衣子が通学用に使っている大きなスポーツバックよりやや小振りではあるけれど、比べる相手が悪いだけで袋はやけに大きい。
 口は閉じられていて中身を知ることはできないし、買った店さえもわからない無印の白い袋。
「春休み、どこか行ったの?」
 問いかけながらそれはないかと麻衣子は自分で思った。
 春休みはもう遠い過去の出来事のようだし、お隣が家族旅行に出た様子はなかった。友達とどこかに行ったにしろ、こんなに大きなお土産を麻衣子に買ってくる理由がない。
「なに馬鹿なこと言ってんだよ」
 案の定祐司は呆れたように言った。
「悪かったわね」
「いや、まあそこまで馬鹿にした話じゃないけど」
「今更フォローはいらないわ。で、なに?」
 むっつり問いかける麻衣子を見て祐司は少し困った様子を見せた。
 そのことも、彼にしては珍しい。不思議に思いながら麻衣子が珍しい様子をじっくりと観察していたら、眉間にしわを寄せて顔をそらされてしまった。
「あー、なんだ」
「なによ」
「ほら、春休みよりももっと前の話だ。バレンタインのお返し、期待してるって言ってただろ」
「……え?」
 言いにくそうに口を開いて、祐司はそう麻衣子に告げた。麻衣子は思わず目をぱちくりとさせて、彼と紙袋を交互に見た。
「私、もうお返しはもらったように思ってたけど」
 どう反応いいかわからなくて可愛いげのない言葉が口をつく。
 そっぽを向いたままの幼なじみの顔は珍しく照れくさそうに見え、そして紙袋は願望でなく麻衣子があの日に目撃した物より大きく思える。
「あれだと、いつも通りだろ」
「にしたって、もうすでにホワイトデーからも一ヶ月は経ってるんだけど」
 うれしくて舞い上がりそうな気持ちを覚えてるくせに、可愛くないことばかり言ってしまう。うれしい反面、頭の端っこに悲しい記憶が残ってるからだった。
「そのことは悪いと思ってる」
「ホントかしら」
「不可抗力だったんだよ。他の義理のお返しで小遣いがなくなって――いや、言い訳なんだけどな」
「わざわざそーやって後回しにされたって言われるとやたらむかつくわねー」
 何でもないように言い返せたけれど麻衣子はショックだった。今更ではあるけれど大きなお返しに舞い上がりかけたところであえなく叩き落とされた気分だ。
 大きさで全てが計れるわけじゃないけれど、それでも特別なものを感じそうになったのに。
 その特別が遅れたお詫びがわりだと言い聞かされたような気がした。ぶつぶつ軽く文句を言いながら、目を伏せる。きゅっと一度まぶたを閉じて、開いて。
「ま、いいけどね」
 努めて何でもないふりをして、遠慮なく手を伸ばす。
「いや」
 だというのに祐司の方は逆に手を引いた。すっと紙袋が遠ざかり、麻衣子の手は空を切った。
「後回しにしたんじゃなく、中途半端なことがしたくなかっただけだ」
「……中途半端?」
 目的を果たせなかった手を遊ばせながら馬鹿みたいに麻衣子はオウム返しをした。
「そう。どうせなら心底驚かせてみたい――だろ?」
 こちらの反応を伺う視線。麻衣子は目をぱちくりとさせて、それからうなずいた。
 幼き日から、高校に入る直後まで。二人はいかに相手を驚かせるか、たまに馬鹿な思いつきをしては試しあってきたものだった。
 幼なじみを驚かせるために驚異的なスピードで宿題を終わらせてみたり、密かに一輪車の特訓をしてみたり。
 それは成功したりしなかったりしたけれど、とても楽しい時間だった。
「期待を裏切ったかと思いきや後出しなんて、確かに驚きよね。しかも遅すぎるわ」
「っても、終業式前からぜんっぜん会わなかっただろ。軍資金ができたのは今月に入ってからだけど、新学期になってもちっとも会いやしねえ」
「――タイミングって、なかなかむずかしーわよね」
 祐司のぼやきに麻衣子はしれっと言ってのける。気持ち視線をそらしたのはわずかな後ろめたさが原因だ。
「だから仕込んで待ってたんだよ」
「仕込む?」
 懐かしいことを思い出したせいで落ち込みからは回復した。問い返しながら首を傾げて、祐司が再び差し出した紙袋を受け取る。
 白いガムテープで留められているから、中身はさっぱりわからない。中からはかさかさとわずかな音がした。
「中から何かが飛び出してきたら怒るわよ」
「そういう仕込みじゃないから。いいものだから」
「ホントかしら」
「信じろ」
 力強く断言されたから、麻衣子はわかったわと素直にうなずいた。
「ありがと。悔しいけどすごく驚いたわ」
「そいつはよかった。早いとこ期待に添えなくて悪かったな」
「あー、ええと。それは私が勝手にケーキ押しつけて期待してるって言ったわけだから、悪くないし」
「ん」
 持つと妙にバランスの悪い紙袋の中身はいったい何なんだろうと頭の隅で考えながら麻衣子は慌てて言ってみせる。
 それを見て緩やかにうなずいた祐司はにやりとする。
「期待に添えなくてお怒りなのかと思ってたんだ。避けられてるのかと」
「なっ、なんでよ」
 冗談めかした口調に動揺しながら言い返す。明らかに面白がってる顔で「いやあなんとなく」だなんて言われて余計に焦る。
「……隣に住んでたって学校が同じだって、会う時は会うし会わないときは会わないもんよ」
「そうだな。クラスが離れたのが大きいよなー」
「そーね」
 言い訳に同意をもらってほっとした麻衣子はこくりとうなずく。
「それ、生ものだから部屋に帰ってすぐに確認しろよ。じゃあな」
 麻衣子の動揺に気付いた様子もなく祐司は紙袋を指差すと、麻衣子が返事をするのも待たずあっさりと身を翻す。
「あ、あ――ありがと」
「おうよ」
 何かを言いたいと思って、でも何も思いつかなくて。きゅっと紙袋を持つ手に力を込めて麻衣子がそれだけ口にすると、祐司は振り返りもせず手をひらっと振って応えた。

2006.04.19 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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