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13.ごく自然で必要不可欠な

 キッチンはたくさんの食材で大変なことになっていた。
 麻衣子はまだ日も昇らないうちから起き出すと腕まくりして作業に乗り出した。
 卵を割り甘めに味付けするとフライパンに流し込みくるりと巻いて卵焼きを作り、ソーセージも焼いた。豚肉とニラとほうれん草を合わせて炒め、オイスターソースと塩胡椒で味付けする。
 ちくわの真ん中に細く切ったキュウリやチーズを詰めて小さく切り、いくつかの総菜をレンジで温めた。
 それらと昨日の晩の残りのきんぴらごぼう、塩、梅、鮭、おかか、わかめやゆかりで味付けした俵型のおむすびを重箱のような弁当箱に詰め、鮮やかなプチトマトを彩りに添える。
「よし、まあこんなもんよね」
 腰に手を当てて出来映えを確認すると麻衣子は一つ満足げにうなずいた。
 それなりに見えるお弁当だった。少し手抜きはしたけどそれなりに愛情がこもっている。
 朝ご飯をすませて身支度を調え、弁当を包んで荷物をまとめる。待ち合わせの五分前に麻衣子は勢いよく玄関から飛び出した。
 デートの約束はゴールデンウィークの初日。五月三日は朝からよく晴れていて、綺麗な青が空に広がっている。惜しむらくは所々に散っている雲。
 快晴とまでは言い切れないが、日差しも気になり始めるところ。麻衣子はジーンズにキャミソールを重ね着して、その上から薄手のカーディガンを羽織っている。夜間は冷え込むけれど、日中は暑い。少しくらい暑くなっても冷え込んでも大丈夫なくらいの服装に、頭には帆布のハンチング帽。
 身の回りの物を入れたバッグとお弁当を入れた紙袋を手に玄関扉を出るとすでに祐司が待っていた。
 ジーンズなのは彼も一緒で、上がTシャツと薄手のジャケットなところが違う。帽子も被ってない。
「今日暑くなりそうね」
 簡単な挨拶を交わして麻衣子が祐司の頭を気にしていると、それに気付いたのか彼は片眉を軽く上げる。
「日射病にはならないだろ、さすがに。まだ五月だ」
 歩き出すタイミングは二人同時だった。
「一緒にお出かけなんて久しぶりね」
「そうだな」
 最後に一緒に出たのはいつだろうか?
 麻衣子は思い出そうとしてみた。学校への登下校を除いて二人で出かけたことだってたくさんある。
 お小遣いを握りしめて一緒にスーパーにお菓子を買いに行ったことも、記憶の引き出しの中でほこりを被りはっきりとは思い出せないけれどおぼろげに覚えている。
 写真のように所々切り取ったようなイメージ。はっきりと思い出せないのは他にもたくさん思い出があるからに違いない。
 記憶の底から思い出を呼び覚ましていくうちに、二人きりで遠出なんて初めてかもしれないという事実に思い当たった。
 友達とグループで、なら何度かある。そうでないとしたら、近所の散歩に毛が生えたくらいに近場にしか遊びに出ていないんじゃないだろうか。
「遠出は初めてだね」
「デートもな」
 しれっとした一言に呆然としたのは一瞬のことだったのに、その間に祐司はさっと麻衣子の手から荷物を一つ奪った。
「なっ」
 それはすぐに逆の手に持ち替えられ、空いた麻衣子の手には自分の手を押しつけてくる。
「ななっ」
「デートだからな」
 手をつなぐ、なんて小学校低学年以来だ。
 麻衣子は唖然と祐司の顔を見つめる。あんまりにも彼が平然とした顔をしているもんだから、焦るのがばからしくなって握り返してやる。
 冷静になるように努めたけれど、顔がほてってくるのが自分でよくわかった。
 なんだかやたらと悔しくて平然としている祐司の横顔を張り飛ばしてやりたいような気もした。ほんの少しだけ。
 本当は以前と同じように――いや、以前よりほんの少し近い位置に、ごく当たり前の顔をして存在している幼なじみの存在がうれしくて、浮かれた気分。
 ごく自然に隣にいる大事な人。想いが通じてうれしくないわけがなかった。



 雨は嫌いではないが、降ると面倒なので天気予報を確認すると悪くない予報だった。祐司は浮かれた気分で家を出る。
 先行きを祝福するかのような晴天。
 少し早めに待ちかまえると、待ち合わせの五分前に麻衣子が飛び出してきた。
 日中動き回ることを考えてか、スカートでなかったのを残念に思う。行き先の選択を誤ったかと考えたけど、事態がこんな方向に転がるなんて予想外だったのだ。
 自然に彼女を誘おうと思ったら、優待券があったからとこじつけるのがベストだった。ちょうどうまく券があったのだ。使わない手はない。
 券があったから、他のやつを誘おうにもちょうどいい相手がいないから。野郎と二人きりで遊園地なんて虚しいだろ?
 仮に断られたとしてもどうにか誘い出す口実は準備していた。
 何度思い返してもどうして話がとんとん拍子に進んだか、よくわからない。
 自分のことを全く意識しない彼女に苛立って、ついうっかり口を滑らせてしまったことが直接の原因ではある。
 ヤバイと思って逃げを打った祐司に、追いついた麻衣子があんな事を言うなんて想像できなかった。
 あんな事を言う、とは言ってもはっきりと口にされたわけではないけれど。
 祐司のことは全然何にも意識してません、と顔に書いていたはずの彼女が自分のことが好きだと主張するとは。あまりにも予想外で、意外だった。
 いつからだと聞きたくても下手に問いかけると彼女の機嫌を損ねる。だからはっきりと聞くわけにはいかないけれど、推測するところバレンタインにはすでに祐司を意識していたのではないかと思われる。
 それより以前は遠ざかりすぎていて推測できる余地がない。
 隣に住んでいるくせにあまりにも遠ざかりすぎたのを嫌って、彼女はバレンタインに行動を起こしたのだ。
 ことさらに義理を装ったのは祐司と同じように本心がばれてかえって遠ざかるなんて結果を招きたくなかったから。
 読めなかった彼女の本心を知ってしまえば、様々な行動に意味を見いだすのは祐司にとっては容易なことだ。
 一年間は長かった。祐司にとっては非情に長かった。
 それでも麻衣子の気持ちを手にできただけ、その長い一年間も意味のある時間だった。
 ――そう思わなければ救いようがない、というのが本音ではあったが。
 ふと気がつけば考え込んでいる自分に苦笑しつつ、祐司はそつなく麻衣子との会話をこなす。自然に彼女との距離を詰めて、おそらくは手作りの弁当が収められているだろう紙袋を奪い取る。
「なっ」
 なにするのよ、と言いたいのは充分わかった。荷物を逆の手に持ち替えると祐司は口止めも兼ねて彼女の空いた手を握りしめた。
「ななっ」
「デートだからな」
 さらなる文句を封じるための一言の効果はてきめんだ。
 こんな一言でも自分にダメージを食らったが、仕掛けた分ポーカーフェイスするのに苦労はない。仕掛けられた側である麻衣子は顔を赤らめて動揺している。
 過去を振り返る必要はないじゃないか、祐司はそう自分に言い聞かせる。
 手の内に祐司にとって必要不可欠な麻衣子がいて、滅多にない動揺した姿をさらしている。ただの幼なじみでなく――はっきりと言い交わしたわけではないけれど「彼女」となった麻衣子が。
 これまでのあれこれにどれだけもしもを付け足しても、今と同じになったとは限らない。
 まだ最初の難関をクリアしただけだ。見るべきはだから過去でなく未来。あれから何度も繰り返した呪文を唱えたあとで祐司は今日の予定を確認する。
 まずは最寄りのバス停まで十二分。バスで南に二十五分。乗り換えて東に一時間強で目的地にたどり着く。
 玄関ゲートで場内案内図を手に入れて、それから――。
 とりあえず、帰るくらいまでには恋人つなぎに昇格したいななんて微妙に前向きな予定を立てながら祐司はほんの少しつなぐ手に力を込めた。

-END-
2006.05.15 up
あとがき
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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