IndexNovelお子様は突き進む!

第四話 お子様とにーちゃん

 一夜明けて。翌七月十四日も晴れだった。
 空には雲一つなく、熱気が地面からはい上がる。
 先週で期末が終わってしまったから、夏休みまでの残り期間は俺にとってはもはやおまけのようなものだ。
 答案の返却なんて騒ぐ程のことじゃない。今更騒いだところで点が跳ね上がるわけがないからな。
 赤点を免れていることさえ確認すれば、適当に解答を合わせて、目指す照準は夏休みのみ、だ。
 休みまでのカウントダウンが後ろの黒板にでかでかと書いてある。クラスの連中の士気も相当低いようだった。



 昨日は最後には「一緒にタイムカプセルを探すこと」を約束させられた。
 最初は断っていたんだ。
 だけど遅くなったから送っていくという運転手だかメイドさんだかよくわからない女性と、お子様と一緒に再びリムジンに乗り込んで帰る途中のこと。
 延々と続く説得工作、最後は涙目で訴えられたらうなずかざるを得なかった。
 俺にしては道子に対して強情を張ったんだ。言葉を左から右に素通りさせながら、何でまた再び運転手のおねーさんはメイドから転身を果たしているのだと別のことで気を紛らわせる。着替えるの、面倒くさいと思うんだけど――真面目そうに見えるけど、案外形から入る人なのかもしれない。
 実際に理由を尋ねてみたいところだったが、様々な理由からはばかられた。運転席と後部座席を区切る仕切りもその一つだし、残りにして最大の理由が隣に座る道子の生まれ変わりなるお子様なのは言うまでもない。
 頭の中で別のことを考えているくらいなら誤魔化しが効くが、自分を無視して運転席に声をかけたりしたらさすがに怒るだろう。お子様の怒りなんて怖くないと理性は言っていたが、本能には道子に対する恐怖心に似たものが刷り込まれている。
 これ以上イレギュラーな事態に巻き込まれないように無視を続けていると、やがてお子様がとった手段は泣き落としだったのだ。
 よく子供がやるわんわん泣くようなアレじゃない。
 女の計算が混じっているような、涙目。本当に計算が入っているのか、俺の前で泣くなんて耐えられないと我慢した結果なのか傍目から見てわからなかった。
 内面はどうあれ、現実に目の前には涙目のお子様。
 ――あれは、でもやっぱり計算が絶対入ってたな。
 慣れない事態に無視を続けることができずに、結果としてヤツの思惑にうなずく羽目になった。
 おかげで夜、夢にうなされたね。非常に苦々しく痛々しい、過去夢に。
 眠りもだから浅かったんだろうし、ちっとも寝た気がしない。
 午前中だけの授業の大半を俺は夢うつつの中で過ごした。待ちに待った放課後もなかなか起きあがる気になれず、机にへばりついたままうだうだと時間を過ごす。
「おぅ、田端ー」
「何用だ」
 惰眠をむさぼりたい俺に声をかけてきたのは、一つ前の席の神崎だった。
「お前帰ったんじゃなかったのか?」
「帰りたかったんだけどな」
 十分ほど前には教室を出ていたハズの神崎は、いつの間にか俺の近くまで戻ってきている。
 つかみ所のない表情で窓の外を見る神崎の視線を俺も追った。
「委員長待ちか?」
「や、あの人は帰った。放課後用事がないとマッハだしなー」
 神崎の想い人は我がクラスの委員殿だ。今度ははっきりと苦笑じみた顔が俺を見る。
「ま、そんなこたーいいんだ」
「いいのかよ」
「いやよくはないが。追ってってストーカー呼ばわりされたらヘコむでしょ」
「そん時は思い切り後ろ指さしてやるから遠慮せずにいけ」
「人事だと思って……」
 神崎は顔をしかめて呟いた後で、雰囲気をがらりと変化させた。
「俺がストーカーと言われるよりも、お前がロリコンだって全校に知れ渡る方が早いと思うけどな」
「っはあ?」
 にやりとした笑みに俺は目を見開く。真意を測るべく見上げた神崎は再び視線を窓の外に向けている。
 意味ありげな眼差しに引かれて身を乗り出す。見下ろす窓の下は真上にある太陽に熱され暑そうだった。
 開け放たれた窓から吹き込む風だって熱気にまみれている。外の暑さは推して知るべし。
「ほれ、あそこ」
 神崎はやる気のない動きで手を伸ばした。指の先にこの暑い中それなりの人だかりが見える。
「田端修介の名を呼ばわるちびっ子が」
「なっ」
 さらりと告げられた事実に反射的に声が出たのに、その意味がしっかり理解できたのは立ち上がった後だった。
「なんでだー!」
 なんて叫んだけど、何となく犯人も原因も推察できた。
 帰る準備を整える手の動きももどかしく、俺は荷物をまとめようとする。弾みで飛んだペンケースを拾い上げながら神崎はやたら楽しげな顔をしていた。
「悪い」
「どういたしまして」
 わざとらしく恭しい口ぶりがむかつくが、軽く頭を下げて教室を飛び出す。
「なかなか可愛い子だったけど、手を出すのは頂けないなあ」
「ついてくんなよっ?」
「帰り道だし」
「走る必要はないだろうがッ!」
「廊下を走るのは禁止だぞ、田端君」
「お前も同罪だろうが、クラス副委員のくせにー!」
 上がる息の合間に応酬を交わして、校舎を飛び出す。
 教室の中から見下ろして、その姿がはっきり見えたわけじゃあない。俺をフルネームで呼ばわるようなちびっ子とやらの正体なんて昨日の今日だからはっきりしている。
 人だかりと言ったって、帰宅途中の生徒が歩きながら遠巻きにしている程度のもんだった。
「たばたしゅーすけーっ」
 聞き覚えのある声が叫んでいて、思わず足が鈍る。衆人環視の中突き進んで行けと言いますか、あのお子様は。
 昨日と同じチェックのスカートに白いブラウス。髪型も然り。斜めがけした通園カバンを背に、仁王立ち。
「でてこーいっ」
「ほら、そろそろ泣くんじゃないか?」
「泣かねえよアイツは」
 神崎に背を押されてしぶしぶ進む。
 背中がすっと涼しくなったのは神崎の野郎は俺を遠目で見て笑うつもりだからに違いない。暇人め。
 気持ち小走りで駆け寄ると、俺は軽くお子様のことをこづいてやった。
「公衆の面前で人の名前を連呼するな」
「しゅーがすぐ出てこないのが悪い」
「高校生には高校生なりの忙しい事情があるんだよ」
 しらっとホラを吹いておく。あえて周囲に目はやらなかったが、視線はばりばりと感じたね。
「行くぞ、みち――」
「こ・ば・と!」
「はいはい、小鳩ちゃん」
 可能ならば抱え上げて走って人前から逃げたいところだったが、あとで神崎に「誘拐犯みたいだった」などと吹聴されたらかなわない。
 うまくいっている自信はなかったが笑顔を浮かべて小鳩の手を握りしめ、足早に進むのがせいぜい。
 校門を通りすぎそのまま真っ直ぐに道を進んだ。しばらくして人の目も散じた頃にようやく立ち止まる。
「妙な噂でも立ったらどうするんだよ」
「みょうってなに?」
「いや――まあ、その、妙なことだよ」
 ロリコン疑惑から誘拐犯呼ばわりまで、神崎が言い出しそうなバリエーションは豊かだ。悪のりしそうな顔がちらほら浮かんでうんざりとする。
 夏休みが近いのが救いか。長期休暇に入ってしまえばくだらない疑惑なんてあっさり忘れ去られるだろうし。
「なんなの?」
「――それよりもお前が何なんだよ。いきなり人の学校の中でフルネーム叫ぶな。つーかなんで俺の学校を知ってるんだよ」
「せいふく」
 お子様は俺の制服を指差す。確かに昨日も制服ではあった。
「冬服ならともかく、夏服は個性がないと思うんだが」
「はなさんはせいふくおたくだから」
「はなさん?」
 誰だ、それは。
 馬鹿みたいにオウム返しする俺の後ろでじゃらりとアスファルトがこすれる音がした。
 お子様を道の端に寄せながら何気なく振り返ると、そこには見間違えようもないリムジンの姿があった。わずかに進んで停車すると、昨日と同じ運転手の女性が降りてくる。
「はなさん」
 お子様は一歩前に出て、運転手を手で示した。
「はい、どうかなさいまして? お嬢様」
 眼鏡の奥を細めて彼女は首を傾げる。
 ――なるほど、制服好きだからいちいち着替えているってわけか。
 疑問に答えをもらって妙に納得する。
 納得する俺の前できょとんとしていた女性は、お子様から返答がないのを悟ったらしい。彼女は昨日と同じくリムジンの扉を開けて、すっと身を引いた。
「どうぞ」
 まるきり昨日と同じ状況のようだったけど、実は違う。
 車内にいた人物が笑顔で手を挙げて、彼女と同じく「どうぞ」とこちらに声を投げかけたのだ。
 素直にそれに従ったのは、我が強いはずのお子様だ。その人物――俺よりは二つ三つ年上に見えるにーちゃんの横に座り込んで俺が乗り込むのを疑ってない顔で手招き。
「どうぞ、お入り下さい」
 重ねて告げた女性の顔には「他の車に迷惑ですので」と書いてある気がする。
 仕方なく車内に入り込んで、居心地悪く身を縮めた。
 気詰まりなのは見知らぬ男の存在。楽しげな笑みを顔に乗せて、俺のことを観察する視線だ。
 すっと車が動き始める。
「……どこに行くんだ?」
 緩やかにスピードを上げるリムジンの中、観察されることにうんざりして口を開く。
「がっこー」
 まず答えたのはお子様だ。
「鷹北東小学校、鷹北ニュータウンのほぼ中心に位置する小学校だね。現在は一学年三クラス、全校生徒は四月末尾付けで六百五十三名。八年前のおよそ半分。ニュータウンの四割ほどを占める比較的初期入居の住民の子供が高校生になってるくらいだから、小学生の数が減っているのも致し方ないかな」
 解説を加えたのは俺をじっと観察していたにーちゃんだ。
 ラフなシャツにジーンズ、人のことは言えないがリムジンの後部座席に普通に乗っていることに違和感のあるような男だ。まあ、整った顔をしてると思う。よく口の回る優男、そんな感じか?
 こんな昼間っから暇をしてるってことは大学生なんだろう。
 少し年は離れているが、お子様と顔つきが微妙に似通っているから兄妹、だろうか?
 しっかし何でそんなに無駄に詳しい解説を入れるんだこのにーちゃんは。
「タイムカプセルさがしにいくってゆったでしょ?」
「――そりゃ、そうなんだが」
 反応の鈍い俺を見上げてお子様は平然と口にする。戸惑い混じりにうなずく俺を見て、くすくす笑うのは小鳩の兄(仮)だ。
 物言いたげに俺を見るが何も言わず、しばらく肩を揺らす。
 お子様――というか、にーちゃんが言ったとおりリムジンが向かう方向は北東、我が懐かしの鷹北ニュータウン。
 運転手の女性までは理解するとして、このにーちゃんは何なんだ。俺が戸惑っている様子を見てにーちゃんはますます楽しそうなことに苛立つ。
 車内には昨日と同じく沈黙が満ちる。昨日よりも居心地が悪いのは楽しげに俺を見る存在が原因だ。
 お子様の頭越しにちらちらと観察する俺に対して、向こうには遠慮がない。
「僕は管浦大鷲。大きな鷲って書くんだよ」
「あ、田端修介です」
 居心地の悪い時間を過ごしていると、唐突な自己紹介だ。人好きのする笑みでもって「よろしく」と一言。
 俺も反射的に頭を下げた。
「名前の響きが少し似ているね。僕のことは気軽に大鷲さんかおにーさんと呼んでくれ」
「は?」
「僕は弟が欲しくってねえ」
 妹の目の前であっさりそんなこと言っていいのかよ。
 しみじみと腕を組むにーちゃんを案の定お子様は見上げた。まあ、中身が道子ならそんな些細なことは気にしないだろうけど。
「それはじめてきいた」
「そりゃ、言ってないし」
 平然と問いかけるお子様もお子様だが、あっさり答えるにーちゃんもただ者じゃない。
 へろりと笑うとこっちを見て「そういうわけだからくれぐれもよろしくね」なんて言ってのける。
「はあ」
「事情は心得てるから、遠慮はしなくていいよ」
「なっ、それって……」
 続く言葉の見つからない俺を見るにーちゃんの顔はやっぱり笑顔だ。小鳩の頭をポンポンと叩きながら口の端を上げる。
「小鳩はオープンな娘だからね」
「そーゆー問題か?」
 俺はにーちゃんの真意を測った。
 いきなり妹が「私は中里道子の生まれ変わりなの」って言い始めたら正気を普通疑うだろうが。
 前世の幼なじみなんかを見つけ出し妹が前世で埋めたタイムカプセルを捜しはじめたら、止めるだろ普通。変なヤツ引っかけてきたらどうするんだよそれで。
「僕にとってはね。信じられないような話だけど、主張するなら証明しなさい、僕が小鳩に要求したのはそれだけ」
「わざわざ証明させる必要があるのか……?」
「幸いにして小鳩が元いたという鷹北は同じ市内だ。ならばそこまで難しい話じゃないと思うけれど?」
「難しいとか難しくないの問題か?」
 それに対する返答は「僕にとってはね」だった。
「昨日は時間が取れなかったけれど、今日はたっぷり時間がある。タイムカプセルがうまいこと見つかればいいね」
 自分の目の前で見つけろってことか。
「みつけるのっ」
 ぎゅっと拳を握ってお子様は自己主張した。その様子に目を細め、にーちゃんは相好を崩す。
「やる気なのは結構なことだ。わがまま娘だけどこらえてやってくれね――小鳩の言い分を聞く限り、君はこの子のことをよく知っているんだろうけど」
「残念ながらな」
「ならば今更言う必要もなかったか」
 それきり目的地に着くまでにーちゃんは口を閉ざした。
 なんて言うかよくわからない人だ。ただはっきりしているのは、馬鹿げた妹の主張を信じてついてくる程度には変わり者なのか、あるいはシスコンだってことだけだ。

2006.06.30 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

←BACK  INDEX NEXT→

感想がありましたらご利用下さい。

お名前:   ※ 簡易感想のみの送信も可能です。
簡易感想: おもしろい
まあまあ
いまいち
つまらない
よくわからない
好みだった
好みじゃない
件名:
コメント:
   ご送信ありがとうございますv

 IndexNovelお子様は突き進む!
Copyright 2001-2009 空想家の世界. 弥月未知夜  All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.