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番外編 小悪魔と悪魔

 夏休み、普段なら絶対起きないラジオ体操タイムに起きてしまえば日中眠くなるのは当たり前の話で、バイトもなく家にいる日なら日中寝てしまうことだってもちろんある。
 昼ご飯を食べた後にごろっと雑誌を読んでいたら、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
「んあ」
 はっと目が覚めて、俺は身を起こした。かさりと腕の下で音がする。
「うっわ」
 読んでいたコミック雑誌が数ページにかけて折れていた。慌てて雑誌を閉じて、腕を見ると肘のところでインクが黒く擦れていた。
 あー、まあ、服じゃなかっただけましじゃああるんだろう。
 口を拭いながら立ち上がり、部屋を出る。顔でも洗ったら頭がすっきりするだろう。一段一段踏みしめるように階段を下りて、洗面所で顔と腕を洗う。さっぱりついでに麦茶でも飲もう。
「ああらあああ」
 と、やけに甲高いかーさんの声が聞こえてきた。ぎょっとして、リビングに向かう足が止まる。
「そうなのーそうなのねー」
 何も考えてない相づちのようだ。人前へ出られる格好か一度洗面台に戻って鏡で確認し、再びリビングへ。客になんぞは興味はないし、挨拶する気も全くない。それでもリビングから台所は丸見えだ。多少よれたシャツではあるが、一瞬見られる程度なら平気だろう。
 気をつけて扉を開いても多少の音がするのは仕方のない話。せいぜい話の邪魔をしないよう気をつけて、冷蔵庫にある茶を飲むだけのつもりだった。
 目論見をあえなく阻んだのは、コメントに困った無意味な相づちを飽きもせず繰り返していたかーさんだ。
「しゅー」
「なに?」
 そう答えた時までは余裕があった。冷蔵庫に向かう足を止めて、カウンター越しにリビングを見る。二人掛けのソファから手招きされて、近づくにつれて余裕が無くなった。
「なッ」
 なんでここに、そう叫ばなかったのは我ながら自制が効いていた――と、思う。
 だが、叫ばないまでも妙な声を上げたことに対して、明らかにかーさんは不機嫌になった。三人掛けのソファの方、ちょうど死角になっていたところに何食わぬ顔で座っていたのは見覚えのある二人組だった。
 グラスに刺さったストローから口を離して、声を上げたのはそのうちの小さい方。
「しゅー!」
「なんでここに!」
 呼ばれた瞬間思わず叫んでしまった。
 我が忌まわしき幼なじみ――道子の生まれ変わりとそのにーちゃんが、そこに座っていた。白昼夢と思いたいが、さりげなく腕をつまんでみたら痛かった。現実だ。
「……知り合い?」
「いや、知り合いと言えば知り合いというか」
 不審そうなかーさんの声に明確に答える言葉は持てない。このお子様は中里道子の生まれ変わりだ、なんて言った日には俺の正気が疑われる。
 道子の命日に出会って色々あったんだなんてますます言えない。
「先日、下見の時に出会いまして」
「あら、そんなこと何も言っていなかったじゃない、しゅー」
「少し離れたところでしたから。まさか君がお隣になるなんてねえ」
「……は?」
  しれっとにーちゃんが言う。かーさんがこっちを向いたタイミングでウィンク一つ。そういうことにしておけ、ってことだろうな。確かに本当のことを全部言うよりは自然だ。
「ああ、そうなんだ。まさか隣になるなんて――はあっ? 隣っ?」
「言ったでしょ」
 にーちゃんがあまりにもあっさり言ったもんだから、認識するまでにやたら時間がかかった。適当に相づちを打つ途中で思わず裏返った声を上げてしまう。
 目を細めて不審顔のかーさんより、「そうだよ」なんてけろりというにーちゃんの方が問題だ。
「ちょ、ちょっと待て、ちょっと待て?」
「息子さんにうちの娘はずいぶん懐いたようなんですよ。隣だなんて心強いなあ」
「あらまあ、そうなのー」
「俺を無視しないでくれよ」
 現状を理解しきれないうちに、たたみかけるように会話が続く。主張しても、こっちを一瞬たりとて見てくれない。
「しかもなんだ。今、さらに何気なくすごいこと言わなかったか?」
「すごいこと?」
 かーさんとにーちゃんは俺なんか無視して大人トークだ。ずびずびっとグラスの中身を飲み干したお子様だけが俺のことを見上げてくる。
「……」
「すごいことってなに、しゅー?」
「や、いや……」
 それをお前に聞きたくはない、とはまさか言えない。俺を見上げるお子様としばしの見つめ合い。
 先に飽きたのはもちろんこらえ性なんて全くないお子様の方だ。ひょいっと立ち上がって、俺のシャツの裾をくいっと引く。
「つまんない。しゅー、あそぼ」
「ぅえっ」
「あらあら、本当に気に入られてるのねー」
 のんきなことを言うかーさんは、息子が小悪魔の毒牙にかかったなんて考えてもいないだろう。
「しゅー、あんた上で面倒見てあげてなさい」
「はっ? 何で俺が!」
 言うに事欠いて、このお子様と一対一で遊べと?
 見た目は違うが中身は道子だぞ。結果がろくでもないことになるのは目に見えている、目に見えている――が。
「いやなの?」
 凶悪にお子様の瞳が細められた。背筋に嫌な予感が走る。
「い、いや、嫌と言うより何というか」
「ぱぱー、しゅーがいじめるううう」
「ちょっ?」
 ちょっと待て、色々待て。お前ら兄妹じゃなかったのかというか、父娘なのか?
 いや違うそれよりも! それもさっきから聞きたいことじゃあったけど……!
「いじめてなんかないッ!」
「修介! あんた何なかしてんの! 小鳩ちゃん、ごめんね」
 叫んだ俺に向けて怒声を響かせるかーさんよりも、お子様に泣きつかれたにーちゃんの冷たい眼差しがなぜか何倍も怖い。
 だいたい、お前自分の妹――じゃないのか――娘が嘘泣きしてるくらいわかってるんだろうが!
 なのになぜ俺を睨むッ?
 状況は明らかに一対三。一が俺、味方なし。
 悪知恵の働く道子らしい鮮やかな行動だ。それを理解しているだろうにこっちを睨むにーちゃんは、兄馬鹿ならぬ親馬鹿だ。お子様の意志に背いた俺を怒っている。
 ――分が悪い。
 俺は渋々白旗を揚げて、お子様を引き取った。もちろん嘘泣きだから、お子様はけろりと笑顔を見せたね。
 かーさんはお子様の頭を笑顔でなでて、一転鋭く俺を睨んだ。
「もう泣かせるんじゃないわよ、しゅー」
「わかってるよ」
 むしろ俺が泣きそうだっちゅーの。
「ほれ、行くぞ小鳩」
 一対三は分が悪すぎる。せめてこの場を離れて一対一には持って行くべきだと思う。それでも勝てる気はしないんだけど、なぜか。
 半ば悟りつつも、俺は前向きにお子様を部屋に連れて行き――そして案の定激しくやりこめられることになった。
「引っ越してきたら、小鳩のことよろしくね」
 帰る間際、明らかに疲労困憊の俺を見ながら言ったにーちゃんは悪魔だ。小悪魔を抱えてさわやかな笑顔。
 ころっとだまされたかーさんは「もちろんですともー」と安請け合い。
 俺が答えられないでいるうちに、悪魔父娘は去っていく。我に返った俺が見ることが出来たのは建築途中の布をかぶった一軒家だけだった。

END
2006.11.15 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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