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番外編 悪夢の合間

 早く寝たはずなのに眠いのは眠りが浅かったからで、眠りが浅かった原因は夢見が悪かったからだった。悪夢から目覚めてすぐに身支度を調えたのは、二度寝をする気にもなれないからどこかに出かけようと思ったから。
 夏休み中のバイトは先週で終わってるので外に何の用事もないが、とにかく家にはいたくない。
 だというのに。
「にんげんのげんかいをとっぱしてみたいとおもうの」
 俺が家を出ようとするのを見計らっていたように外で仁王立ちしていたお子様は、人の顔を見るなりそう言って俺の足を止めさせた。
 端から見ると天使のように愛らしいお子様ではあるが、残念ながら中身は小悪魔。予測のつかない言動で常に俺をぶんまわすそのお子様の名前は管浦小鳩という。
 いつも通りにブランドものではないかと思われる小洒落た服は、昨日のふりふりとは趣を変えたボーイッシュなもの。同じくブランドものらしき帽子は野球帽をおしゃれにしたような感じだ。最近流行ってるらしく、何度か名前を耳にしたことがあるんだが、どうも名前がわからん。あー、なんだ、キャップ……違うなそれこそ野球帽みたいだ、キャ何とかだと思うんだが……キャル、キャス……あー、キャスケット?
「……ねー、きいてる?」
 軽く現実逃避をしていた俺を現実に引き戻したのは、仁王立ちになって俺を睨み上げてくるお子様だった。愛らしい見かけだから怖くはない、けっして怖くはないが――心情的には大変恐ろしい。この微妙な心理は俺以外には理解できないものと思う。
 誰にどう説明してもわかってもらえないんだが、条件反射というか、身に付いた性というか……とにかくどうあがこうとも俺はこのお子様には逆らえないわけだ。時折抵抗しても無駄無駄無駄、途中で断念するしかない。徒手空拳の俺に対して頻繁に奥義嘘泣きを発動させるのは卑怯だと思うが、それをいくら(中略)仕方ない。
 完璧な外面で俺以外の大半に愛嬌を振りまく小悪魔っぷりなんだからな――たまには俺にも優しくしろっつーの。
 それは逆にむしろ怖いが。
「きけ、しゅー!」
「ぐあっ」
 お子様は頬をふくらませて、俺の右足に全体重をかけてきた。再び現実逃避をしていたもんだから予想外で、もろに食らう。
 子どもの体重なんてしれたものだが本気で片足に全体重をかけた上にその勢いで腹に頭突きをしてきたもんだから、受け止めそびれて扉で背中を打ったぞ!
「いきなり何すんだ小鳩ー!」
「ひとのはなしをきかなきゃいけないって、ならった!」
「それを言うならむやみに人に手を挙げたらいけないって習ったろが」
「あしだもん!」
「手でも足でも頭でもむやみに人を傷つけるなってことだよ」
「きいてないしゅーがわるい」
 お子様が不機嫌の度合いを増し、ますます頬をふくらませる。騒ぎに気付いたかーさんが顔を出し口を挟むことで俺の負けが確定、すごすごと部屋に舞い戻ってお子様と対面することになる。
 つい先日隣の家に越してきた小鳩の存在で、俺の城であるこの部屋は安住の地ではなくなった。隣家の建築中から頻繁に遊びに来ていたから徐々に平穏が失われつつあったんだが、実際越してからはその比じゃない。夏休みであることをいいことに、朝から晩まで居着くのは止めて欲しい。
 おかげで今朝の終わらない穴掘りの悪夢だ。胃に穴が空いたら損害賠償を請求できるか、ふと真剣に考えてしまう。
 夏休み寸前に汗だくになりながら我が母校の地面をひたすら延々と掘り返したことはまだ記憶に新しい。日を改めて隣接する総合グラウンドや中央公園も掘り返して、着実に嫌な思い出を積み重ねていっているしな……。脱水症になるかと思ったぜ。
 誰も正確な場所を覚えていないタイムカプセルを求めて無意味に穴を掘った末にそれは笑えない。俺は何度も日陰に涼を求め、喉を潤した。このお子様はそんな俺を労ることもせず「はやくほってしゅー!」とすぐにけしかけるもんだから、ほとんど休みなしだったと言っても過言じゃないけど。
 今、満足げにオレンジジュースをストローですするお子様はそんなことをしそうな顔には見えないが、忌まわしいことにそれがこのお子様の本性だ。
 出来れば永遠に口をつぐんでいて欲しいところだが、ジュースを飲み干すとふうと息を吐いて小鳩はぐっとこちらに身を乗り出す。大きな瞳が顔を逸らすなとばかりに俺を睨み付け、俺は倒されないように自分のグラスをテーブルの端に寄せた。
「あー、で、なんだ人間の限界って」
 出来ることならばこのお子様の言葉は一言たりとも聞きたくなかったが、最終的に聞かざるを得ないなら抗うだけ無駄だった。適当に付き合っていればそのうち疲れて寝るのも経験済みであることだし。
 渋々口にしたってのにお子様のご機嫌メーターは急上昇、わかればいいのとばかりにちょっとだけ身を引いてにっこりする。
「にんげんのげんかいにちょうせんするの」
「挑戦したかったら一人ですればいいだろ」
「しゅーがするの!」
「なっっ、お前はまたそんな無茶をッ」
 言いかけた文句を途中で飲み込んでも、一瞬で急降下したご機嫌メーターは少しも振れなかった。キッと俺を睨み上げ、お子様は「しゅーのくせに!」とか何とか言い始める。
 幼い言葉を常識で言いくるめることが出来るなら、俺は一夏で何度も穴掘りなんてしていない。一人で勝手に限界に挑戦でもしてりゃいいのに、何で勝手に人をチャレンジャーにしようとたくらむかなこいつは。
 先日まで一緒にバイトしていた神崎は、お子様に振り回される俺の愚痴を聞いて「ロリコンだ」と騒いだが、俺の立場を身をもって体験すれば認識を改めるだろう。
 大体、人間の限界に挑戦って何だよ。
 お子様の考えだからと甘く見たらいけない。小悪魔の後ろには悪魔が控えている。お子様の思いつきに同調し入れ知恵をする悪魔――お子様の父親が。
 人間の限界に挑戦なんて小鳩の口からすぐ出てくるわけがない。お子様の裏で糸を引く悪魔の笑みが簡単に想像できた。娘の思いつきを嫌な方向に補完したに違いない。
 聞きたくない、最初から少しも聞きたくない。聞きたくないが――悪魔が関わっている話ならば、余計に聞いておかなければ後が怖い気がする。
 いい大人だから直接何かしてくるってわけじゃないんだが、あのにーちゃんは一見さわやかな笑顔で心臓にえぐり込むような精神的攻撃を加えてくるんだ。そして、その攻撃に俺は弱い。
 精神的に弱いとか言うな。こう、それこそ条件反射とか身に付いた性なんだ。この悪魔父子以外にはそれなりに強いんだ。いやマジで、マジでマジで。
 渋々聞いたお子様の語る人間の限界に挑戦の内容は、たどたどしくてわかりづらかった。
「テレビみたの」
 という切り出しから、いつどこでどんなテレビを見て何をどうしたいのか割り出すまで三十分。
 同じ説明を聞いたであろう父親であるにーちゃんは娘への愛故か嬉々としてそれを聞き、理解し、さらに入れ知恵したんだろう。その労力を少し他に裂いて欲しいと思う。例えば、娘と二人で一年くらい悠々とバカンスするとか。俺は悪魔親子がいなければ幸せな日々がやってくるし、にーちゃんは愛娘と二人で楽しい。いいアイデアだと思うんだけどな。
 三度現実逃避もしつつ説明を嫌々聞いた俺は、この夏で習慣付いた深いため息を漏らしながら頭を抱えるしかなかった。
 要約するとこうだ。
 テレビで芸人が世界最速の男なるネタを披露していたんだと。それを見てこの小悪魔は世界最速という響きがいたくお気に召したらしい。理由は「なんかすごいから」。理由になってないが、お子様の中ではありなんだろう。
 面倒なことにその芸人はテレビの中で必死にトレーニングをするふりをしていたらしい。
「あきらめるな、せかいさいそくのゆめをはたすそのひまで! はい、わかりましたこーち! っていってた」
 熱心に真似をするお子様は端から見たら微笑ましかったが、それを実際に俺にしろと求めている事実を認識すると、そんな風にはとても見えないし微笑むなんて無理だ。
 思いつきを俺にやって欲しいと望む娘に「どうせ世界最速を目指すなら、音速くらい超えるべきじゃないか」と入れ知恵をした父親の前世は間違いなく悪魔に違いない。
「おんそくってなに?」
 説明を終えた後にお子様が聞いてくる。意味もわからないのに人間の限界を超えろと要求するのはどうなんだ!
 足が特別速いわけでもない俺に期待する方が間違ってる。というか無理、音速無理だから。人が出来もしないことを、音速の意味もわかってないお子様に期待されるのは納得いかない。
 言葉の響きが気に入って言っているだけで小鳩が意味を知らないのは救いなのかどうなのか。多少賢しいお子様とはいえ所詮は子ども、そこそこのスピードで走るのを見せて口先で丸め込んで満足させることは不可能じゃないだろうが……あの悪魔が逃げ道を残していること自体が怖い。
 「君、小鳩を騙そうとしているの?」なんて切り出しから、柔らかい笑顔と口調でネチネチ色々言われるに違いない。
「音速ってのは……音の速さ、だな」
「はやい?」
「たぶんな」
 想像すると言い逃れ方を思いつくことさえ怖くて、素直にわかってることだけを説明し……。



 かくして、八月下旬のある一日。
 音速が人間には到達できない領域だと説明しきれなかった俺はお子様が疲れて寝るまで「にんげんのげんかいにちょうせんだ、しゅー」、「おんそくのゆめにむかってはしれー」、「へんじは、はいわかりましたこーちだよしゅー」、「あしをとめるな、やすむのはまだはやいぞ」などというげんなりする励ましじみたしごきの声を延々と聞きながら、炎天下の住宅街を無駄にひたすら十メートルダッシュし続け――翌日また種類の違う悪夢から逃げるように目覚め、入れ替わりに激しい筋肉痛に見舞われることになったのだった。

 物書き交流同盟 様の夏祭り2007に参加した作品です。

END
2007.10.13 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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