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番外編 夢見る彼女

「ねえ、悲しまないで」
 直接は聞かされなかった言葉を、画面の中から彼女は告げる。眉間にしわを寄せる彼女の方がよほど悲しげだった。



 彼女は――妻は、昔から周囲に儚げな印象を与える人だった。
 外で遊びまわるよりも、家で大人しくしている子供。甘いあまい砂糖菓子のような物語が好きで、夢見がちな少女。
 滅多に運動しないためか時折風邪を引くとひどく長引くことがあるくらいで、まったくの健康体。あまり外出をしないためか昔から肌が透けるように白く、病弱で儚げな印象をずっと周囲は抱いていたようだったけれど。
 そんな妻は、僕にとっては眩しい人だった。
 愚かしいほどに純真で真っ直ぐ。だから世渡り下手で目が離せない。彼女の言葉は綺麗ごとだと思ってやまないのに、馬鹿なことをと心の底では思ってしまうのに――なのに彼女の信じる世界を守りたいと思ってしまった僕は彼女以上の愚か者だ。
 彼女に惹かれたのは眩しい光に憧れたのか、僕がどこかに捨て去った純真さを持ち続ける彼女への嫉妬が変化したのか。我が心ながら真実はまるでわからない。確かに言えることは、僕が彼女を愛しているということだ。これまでも彼女を守ってきたし、これからも永遠に守り続ける、はずだった。
 彼女が病に冒され、あっという間に逝ってしまうまでは。
 闘病生活は半年にも満たなかった。医者は最初から難しい顔で僕に余命を告げてきた。
 もっておそらく半年でしょう。もしかすると一年程度ならば、進行を食い止められるかもしれません。奥さまがまだお若いのが災いしました。若いので進行が早くて。もう少し発見が早ければ対処のしようがあったのですが。
 こんな医師に任せておけないと病院を転々とした。だが希望を求めていくら診断を仰いでも、どの医師の診断も大きく変わることはなく、僕の胸の内は絶望で埋め尽くされることとなり、夢見がちでのんびりとした気性の妻も自分の体について悟った。
「たくさんのお医者さんが駄目だと言ったのなら、本当に駄目なのよ」
 ある日そういった彼女は反論する僕に向け首を振って言葉を制した。
「残り少ないと言うのなら、それを病院で費やすのは、嫌。私は家が好きなの。残りを貴方と娘のために使うのは、駄目?」
 彼女の珍しい自己主張。否と幾度唱えても、決意は変わらなかった。
 入院していた方がいい。治ると言ってくれる医師が必ずどこかにいると言っても、彼女は帰りたいと言った。
 僕たちの娘はまだ幼く、言葉もまだ存分に話せない。妻が闘病のためにいなくなってから、おぼろげに何かを悟っているのか、健気にも寂しさをこらえているようだった。
 闘病のためとは言っても、実際は完治のための治療でなく、延命のためのそれ。時は引き伸ばされても、妻が不在であれば僕も娘も寂しかった。いつか別れが来るのならば、一緒に過ごしたい……何度もそう告げる彼女の希望を叶えないなんて選択は、僕にはできなかった。
 薄氷を踏むような日々は、だけど緩やかに穏やかに過ぎて行った。
 彼女は痩せたものの、中身はちっとも変らなかった。迫り来る死を意識していないような穏やかさだった。彼女の愛する家で型作る幸せな家族のかたち。
 成長する娘の姿を記録するために手に入れたビデオカメラは、いなくなる彼女との幸せな時間を残すためのものと変わった。痩せて本当に儚げになった彼女は、それでも微笑みを絶やさなかった。それだけが僕の救いだった。
 やがて永遠に来てほしくなかった別れが訪れ、彼女は僕と娘を残し一人旅立った。



 最後まで穏やかで幸せそうな表情を僕たちに見せて――ずっとそうだったのに。撮りためた映像の中に直接は見せなかった悲しげな顔を密かに残していた。
 彼女だって、きっと無念で、悲しくて、寂しかったのだ。幸せな時間に水を差すのが怖くて、それを見せなかっただけで。
「私は、幸せだった」
 ぐっと唇をかみしめた後の、重い一言。だけどそれから彼女はふわりと笑う。
「後を追うなんて駄目よ。そんなことしないと思うけど。私は希望を持っているの」
 僕はその言葉に薄く笑った。本当に、馬鹿みたいなことを彼女は言う。医者に見放されて余命を宣告されて、実際もうこの世にはすでにおらず、映像の中にしかいないのに、何が希望だ。
「馬鹿なことをと思ってるでしょう? でも、そんなことないわ。私はすぐに生まれ変わって、貴方に会いに行くつもりなの。だから、私の後を追っても無駄だからね」
 さっきまでの悲しそうな顔が嘘のような、まさに夢見る少女の顔。
 いつか王子様が来るのより、なお夢を見すぎている。生まれ変わって会いに来るだなんて……そんなの、あるわけ、ないじゃないか。
 だけど、僕は彼女の信じる世界を守ると誓っている。
「待っている」
 ここにはいない彼女に僕は告げる。それを待っていたかのように彼女は満面の笑みを浮かべて、消えた。
「絶対だから」
 最後にそう残して。

END
2009.08.06 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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