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チョコとバナナの黄金律 2

 ちょいちょいと篠崎が私を呼んだのは、寒空の下での部活を終えて着替えて帰ろうという間際だった。
 二月も半ばを過ぎれば日が多少のびてきた気はするけど、それでもやっぱり夕方になるとすぐに暗くなる。急ぎ足を校門に向けていたけど、篠崎に呼ばれたら仕方ない。暗くなる前に帰りたいんだけどと思いつつ、私は彼の元に向かった。
「どしたの?」
 一番寒い時期なのに、それを増長させる気なのか風がきつい。口の先から出た白い息まですぐに風にさらわれて消えてしまうのを目撃してうんざりしてしまう。コートの襟を立てるようにして身を縮めながら私は首を傾げた。
「いやー」
 篠崎は苦笑がちに言葉を濁す。視線が当てもなく動くのを何となく目で追うけど何をしたいのかさっぱりわからない。
 部室、校門、校舎、私、時計、屋上、校庭、部室――。
 さっぱりわからない上に、やっぱり寒い。
 篠崎の甘い物好きに付き合う名目で何度かゴチになっているから出来る限りご希望に添いたいところだけど、寒いのは頂けない。
 ジャージで外を走り回っていた時から体に寒さが貯まってる気がするのね。早く家に帰ってコタツに潜り込みたいんだけどなあ、すっごく。
「場所移動しない?」
 手をすりあわせるようにしながら言ってみると篠崎はこくりとうなずいた。
 校舎に入ったら風がない分ましだけどもうすぐ下校時刻だ。だから私は彼を先導するようにとりあえず歩き始める。目的地は――そうだなあ、近くのコンビニにしようかな。
 移動してたら寒さもましな気がするし、着いたら肉まんでも買えばかなり温かいだろうし。それまでに話が終われば家に素直に帰るのが一番だけどさ。晩ご飯、おでんなのよね。冬のおでんは最高だし、全種類制覇したい。
 お腹はすいてるけど私も一応年頃の娘だから体重は気になるし、出来れば今日は間食は避けたい。
「で、今日の用件は?」
 いつものお付き合いだったらとっくに篠崎は口にしてるだろうから、私はあえて問いかける。喫茶Milk Cafeは普段なら一人で喫茶店に入れる篠崎が唯一忌避する学校に近い喫茶店で、そこに行きたい時の篠崎は「久々にパフェが食べたい」だの「新作のケーキが出てるらしい」だの言って、いつでも話を切り出すんだ。
 何も言わない今日はなんだろうと横目で彼を伺うけど、すぐには何も言いそうにない。何かを言いかけては止めるみたいな感じで、口を開いては閉じてるんだから。
「あー、えーとな」
 私がどこに行くとも行ってないのにどこに行くのか問うこともしない篠崎が口を開いたのは、コンビニがすぐそこまで迫った時だった。
「うん、何?」
 どうやら意を決したらしく、声はイマイチはっきりしないけど目には力がこもってる。
 篠崎が立ち止まったから私もそれに習った。相変わらずの風がびゅっと吹いて髪を逆立てる。私が何とかそれをとめようと無駄な努力を重ねている間に篠崎はカバンに手を伸ばした。
「これ」
 その中から出てきたのは小振りの包み。教科書の半分くらいの大きさに、倍の厚さくらいかな。差し出されたそれを私は反射的に受け取った。重いと言うよりは軽い、かな。ほんの少し柔らかいその包みの中身はなんだかわからないけど。
「何、これ」
 私が包みを受け取ると篠崎は手を引いたから、これを私に渡すのが今日の彼の目的だったんだろう。でも、彼がこんなものを私に渡す意味がさっぱりわからない。
 少し指を動かすと中でビニールの音がする。一番外の紙袋は少しくたびれてて、もらったのを再利用したのがよくわかる。
 何かを貸したこともないし、何かを借りる予定もないし。何かをもらう義理もない。
 誕生日でもなければクリスマスでもない。考えつく何かをもらう儀式と言えば――そうだな、バレンタインデーは先週だったしそれだと私が篠崎に渡す方だし。ホワイトデーにはまだ早いし、っていうか渡すには渡したけど陸上部女子有志の連名でしか渡してないわけで篠崎がわざわざ前倒しで私に個人的に渡す必要なんか全くないわけで。
 包みをかさりと揺らして聞いてみると、篠崎はカバンのファスナーを閉めながらはにかむように笑った。
「ケーキだ」
「ケーキ?」
 続いた短い返答を私はオウム返しして、それに目を落とす。篠崎が言うようにケーキが入っているとは思えない簡単な包装だから、本当なのかとちょっと疑ってマジマジと見る。
 ケーキだったらもうちょっとちゃんとした箱に入ってるんじゃないだろうか。それもあるけど、何で篠崎が私にケーキなんだか。
「何で?」
 考えてみたところでわからないから、聞いてみることにする。すると篠崎の表情にはまた迷いが表れる。
「――先週、ニュースでさ」
 今度の迷いはそう長く続かなかったようで、彼はすぐに口を開く。
「ニュース……?」
 でも、ニュースとケーキはちっともイコールで結ばれない。
「バレンタイン特集でさ。最近は逆チョコなるものが流行ってるって」
「あー。私も何か聞いたかも」
「で、これ」
 男の子から女の子にチョコを渡すってのが最近されだしてるってのは、私も何かで知った。ニュースだったか、誰かの噂話だったか、それは思い出せないけど。だから篠崎の言う逆チョコの情報は私も知ってるけど、でもそこから何で私にケーキなのかつながらない。
 大体もうとっくにバレンタインは終わってるし。
「浅本に、渡そうと思って」
「はあ」
 とつとつと篠崎の言葉は続く。言葉の途中で彼は私の表情を見て、ちっとも理解していないことに気付いたらしく軽く息を吐いた。
 そんな呆れたようにされても困るんだけどなー。だって、さっぱり意味不明でしょ。逆チョコでケーキ。しかもバレンタイン過ぎてケーキ。
「……うん、まあ、予想の範囲だけどな。だって浅本だもんな」
「なんか失礼な納得されてる気がするわ」
 思わず包みを握りしめそうになって、中身のことを思い出してそれを止める。その間に篠崎は大きく頭を振った。
「言わなきゃ気付いてもらえそうにないから、自分で動こうと思ってさ」
「どういうこと?」
「浅本個人からチョコが欲しかったって、はっきり言わなきゃわからないだろ?」
「あー、ごめん」
 言われて私は反省した。
 篠崎はもてるしたくさんもらうだろうから、あんまり増えすぎるのもなと思ったのと、バレンタイン資金として部で徴収された金額が結構痛かったから彼に個人的に渡すのは止めておいたんだけど――やっぱり何度もゴチになってるし、渡した方が良かった……よねえ。
 お世話になっただけ返そうと思うと何を渡していいのかわからなかったのも渡せなかった理由の一つだけど、ないよりは何かやった方が良かったか。うん、まあそりゃそうだ。篠崎はそもそも甘い物好きだから、たくさんもらえた方が良かったんだろう。
「篠崎がそれほどチョコ好きとは思わなかったわ。いや知ってたけど、たくさんもらうだろうからあんまり増えるのもなって思って」
 私の反応に篠崎は処置なしって顔で天を仰いだ。
「もう時期が外れたけど、ちゃんと渡すわ。そうだよね、冬は一番チョコレートがおいしい季節だもんね。篠崎は口溶けのいいチョコが好き? それともカチカチのをカリッとするのが好き?」
 天を仰いでいた篠崎は、今度は大げさに頭を振った。
「もう一歩踏み込んで直接的に言うのは俺も抵抗があるんだけど――浅本だから仕方ない、か。さすがに予想外だけど」
「どういう意味?」
 問う私にぐっと近付いて、篠崎はさっきの包みをひょいと持ち上げる。私に見えるように彼はその中身を取り出した。
 アルミホイルの上にラップで包まれた――言うならご近所さんのお裾分け的な物体がその中身。さらに開かれたそこにはチョコレート色のケーキ。
 一口大に切られたものが六つずつ二段。一つ一つの表面にはカットされたバナナが顔を覗かせていて、見た感じがおしゃれで可愛らしい。
 ハンカチで手をぬぐった篠崎は開いたアルミホイルの中から一つをつまみ上げ、私に差し出してくる。ほら、と言うから遠慮なくぱくついた。
 チョコとバナナがほどよく同居している甘みの抑えられたケーキをもぐもぐ噛んで飲み下すと、ちょっとだけ飲み物が欲しくなる。
「いい加減気付いてくれて良さそうなもんだけどなー」
「なにが?」
 篠崎は丁寧な手つきで包みを元のように戻しながら、はあと息を吐いた。
「これ、俺の手作りなんだ」
 再び私の手に包みを落としつつ、篠崎は驚くべきことを言ってのける。
「うっそ、ホント? ただの甘い物好きかと思いきや作ったりもするなんてやるわね篠崎」
「あんまり声高に言える趣味でもないけどなー」
 私の賞賛に彼はわずかに苦笑した。
「まあそれはいいとして」
 篠崎は表情を改めて、真顔で包みを指さす。
「ちょっと遅れたけど、一応バレンタインのつもりで手作りのものを浅本に渡したい、とね。浅本が当日に何か一つでもアクションしてくれてたら、もう少し気長に行くつもりだったけど」
 何もなしだもんなあ、このままだと残り一年も何もないままだって予測できたし――続く篠崎の言葉を私は呆然と聞いた。
 ええと、つまりこれは。
 ……一般的には告白って呼ばれる?
 のどが渇いた気がするのは、さっきのケーキだけが原因じゃない。予想外の篠崎の言葉が、その最たるもの。
 無理矢理息を飲んで、私は何度も包みを篠崎の顔を見比べながら彼の言葉を反芻する。
「浅本の鈍さを考えると、恥ずかしいなんて言ってる暇があったら積極的にするべきだと思ってさ」
「はあ」
「実際色々行動に出てるはずなんだけど、ちっとも気付かないし。普通高二の男が何とも思ってない女に道の往来で手作りのケーキを手ずから食わせたりしないもんなんだよ。わかるか? いや思ってても普通はしないと思うけどな」
「そ、そうだねぇ」
 勢いある篠崎の言葉に私はゆっくり同意する。
 確かにさっきのは、普通あり得ないよねえ。うん。誰かのそんな姿を目撃したらどういうことだと思うわ、私。
「馬鹿にせずに反応してくれるから期待はしてるんだけど、どうなんだ?」
 おもむろにどうなんだとか、聞かれても。
 篠崎がぐっと顔をこちらに近づけるもんだから、反射的に身を引いてしまう。
「えっと、考えたこともなかった、というか」
 たどたどしく答えると、ハッとした顔で彼は身を引く。少し開いた私たちの間を相変わらずの風がびゅっと吹き抜ける。そのあとで篠崎はそうか、と呟いた。
 何かを言いたげに口が何度か開きかけたけど、彼は結局何も言わない。私も何と言っていいものか悩んだ。
「篠崎がそういう対象で私を見てるとはちっとも思ってなくて」
 だって、最初に付き合えって言った時には誤解しかけたけど、そのあとに喫茶店に付き合えって事だって判明してから、それっぽいことは何一つとしてなかった――よねえ?
 考えても思い当たる節が全くない。
 ああ、でも――毎回パフェなりケーキなりのお裾分けを餌付けされてたのは……そういう意思表示だったのかな、篠崎的には。
 ようやく思い当たると次々に思い出されて、今更ながら恥ずかしくなってきた。篠崎のMilk Cafe通いに付き合った数だけ、その経験があるわけで。分けてもらえてラッキーとばかりに単純においしく頂いてたけど、傍目から見ると、あれなんだ。
 あれは無駄にいちゃつくカップルの「あーん」な感じだったとか?
 さっきのもそういうノリだったと。
 うわどうしよう、ヤバイ恥ずかしい。
「――自覚してもらえたかな」
 うめいて頭を抱える私に篠崎が静かに声をかけてくる。頭を抱えたままこくりとうなずくと「それはなにより」と彼は続けた。
「篠崎がいつでも普通に差し出してくるから、そういうものだと思ってたんだけど。そういうもんでもない、の、よねえ?」
 聞こうと思ったけど、妙に篠崎の顔が怖くて聞けない。いつでも冷静で甘いものへの好意と賛辞を殊更にアピールして熱く語ってた篠崎が私のことを……その、好きっぽいなんてまったく予想外なんだけど。
 最初の時から普通にパフェを差し出してくれたから、つまり最初からそうだった、ってこと?
 意外というか信じられないというか。
「Milk Cafeは口実だったのね……」
「一人で行きづらいってのも全くの嘘じゃないけどな。まさか本気で信じて、半年以上経ってもなんの疑問も抱いてもらえないとは思ってなかった」
「うう。鈍くって悪かったわね」
 さっきはっきり鈍いと言われたもんだから、篠崎が鈍感と続けたいのがわかった。
「男ならびしっと言ってくれたらいいのに」
 けんか腰で続けたものの、実際そうされた今は動揺しまくって声が揺れてるのがわかる。
「それはそれで気恥ずかしいだろ」
 確かにそうだと納得してしまった私は口ごもる。
「男にもバレンタインがあったらきっかけになるなと思ってたら、逆チョコなるものの存在を知ってさ。当日だったからちょっと遅れてになったけど」
 手作りにしなければ当日でもチョコは売ってたと思うけど――手作りの方がいいと篠崎は思ったってこと、なのかな。まあ、バレンタイン当日に男の子がチョコを買うのはどうだろうって感じもするからそれでかもだけど。
「今すぐ結論を出してもらえるなんて期待してないから、しばらく考えてみてよ」
「考えて、って」
「こうやって放課後にどこか行ったりとかだけじゃなくてさ、休みの日に一日過ごしてもいいなって思って欲しい――要するに、付き合って欲しいって事だけど」
 篠崎の説明はわかりやすいしデートって言葉も意味も知ってるつもりだけど、今まで体験したことのないことだから現実味が全くない。
 惚けたような顔をしているだろう私に、篠崎はまたしても「浅本相手にすぐにどうこうとは思ってないけど」なんて失礼な言葉を付け加える。
「――篠崎、実は私のことが嫌いなんじゃない?」
「何でそうなるよ?」
「さりげなく失礼なこと言ったりするし」
「何でこんなにわかってもらえないのかと考えると、嫌みの一つでも言いたくなるだろ」
 篠崎は溜息混じりに言って、大げさに頭を振った。
「好きだってアピールしてるんだけどな、俺」
 わかるかと聞かれたから、仕方なくうなずいた。
 失礼なことを言われたけど、篠崎が私を好きだって事は間違いないような気がしたから。
「それならよかった。うん、じゃあまあ、そういうことで、検討よろしく」
 篠崎はそう言い残すとくるりと方向転換した。
「また明日なー」
 鮮やかな去りっぷりを私は呆然と見送る。
 ほんの数分間の現実味にかける出来事は、篠崎が去ってしまうと夢の中の出来事だったように思える。もらった包みを握りしめながら意識を飛ばしていた私は、首筋に忍び込んできた冷たい風に我に返って、目的地を我が家に定めてとりあえず歩くことにした。

2008.02.22 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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