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四章 1.彼女たちのその後。

「よかった」
 それがその人の一番の言葉だった。
 レスティーは自分を抱きしめるその顔をじっと見上げた。
「ご無事で何よりでしたわ」
 柔らかな抱擁。ふわりと金の髪が舞って、レスティーの肩に落ちてくる。
 とりあえずこくりとうなずいてから、レスティーは首を傾げた。
「どうしてあなたがここにいるんですか?」
 その言葉に彼女は真面目な顔をした。ちょっとエルラを伺うようにしてから――エルラはなんだか機嫌が悪そうだった――口を開く。
「妙な魔力を感じましたから」
「妙な魔力を感じた?」
 返答にエルラは声を上げる。
「ええ」
 生真面目にうなずく彼女にエルラは不審に満ちた視線を向ける。
「貴方が原因じゃないのか?」
 エルラの問いかけに彼女は眉をひそめた。エルラがこの上なく怒っていることがわかったからだ。
 腕の中にいるレスティーが、ぐいっと強引に体の向きを変えてエルラを視界に収めた。
「そういう言い方はないですよエルラぁ」
 あまり緊張感のない声で注意してから、視線だけ彼女に戻してレスティーは続けた。
「ね、竜さん」
「………は?」
 返答は間の抜けたものとなった。
 惚けたような顔をして、その発言をしたレスティーを見下ろす。その瞳に写った顔を見て、彼女は大きく目を見開いた。
「うきゃあ!」
 それはらしくない悲鳴だった。
 落ち着いて余裕のある女性のものでもなかったし、ましてや偉大なる竜の出す声とも思えない。
 レスティーから飛ぶように離れると彼女は自分の姿を見下ろした。
 つま先から視線を徐々に上に向け、すぐにそのことには気付いた。スカートの丈が短くなっている。
 ――身長が伸びたのだとすぐに悟った。着替えもしないのに自然にスカートは短くなったりしない。
 髪を掻き上げて、一つまばたき。その間に考える。
 嘘はつけない。レスティーの純真な瞳に見据えられて、嘘を言い募る度胸は彼女にはない。
「ゆっくりと話しましょう。時間もかかりますから」
 深呼吸をして、覚悟を決める。
「場所を移しましょう――異常な魔力の原因を探りに誰かがこないとも限りませんわ」
 彼女が視線に力を込めると、エルラもそれも道理と思ったのだろう、こくりとうなずいた。
 誰にも見られず寝殿を出て、彼女を先頭に歩き始める。
「妙な魔力、とは……何かを貴方は感じたのだろうか?」
 エルラは女性の背中に声をかける。なんとなく先導する彼女におとなしくついていっているのは、彼女が竜の化身だと知っているからでもあるし、進んでいるのが慣れ親しんだ方角だとわかったからでもある。
 光を凝縮したかのような金の髪が揺れるのを何とはなしに眺める。きれいな容貌は変わらないけれど、身を包むものだけが変わっている。
 ふわりとしたスカート、清潔な白いエプロン――エルムスランド宮の、侍女の制服だった。
 デザインはいいのだが、残念ながら成熟した豪奢な女性に似合う服装ではない。寸法があっていないようだから余計にそう思うのかもしれない。
 魔法か何かで調達したとしたら、寸法があってないのもおかしい話だし、実物をどうにか手に入れたのだろう。それを身につけるのに、気位の高そうな彼女はためらわなかったのだろうか。
「感じなければ寝殿には向かいませんでしたわ」
「私たちが寝殿に戻るとわかっていたから?」
 無言で歩いているのも手持ちぶさたで、エルラは次々に問いかける。
「答えはノーですわね」
 沈黙が苦痛ではなかったのだろう。返答はぴしゃりとしたものだった。次に問いかけるのをためらう強い言い方での返事にエルラは深く突っ込むのはやめた。移動したら尋ねたらいいのだから。
 しばらくまた無言が続く。
 話しづらい空気を悟ったのか、レスティーもひどくおとなしくついてきている。
「ところで」
 再びエルラは口を開いた。
「この方向は……」
「人払いできた方がいいでしょう」
 エルラの呟きに女性は返答をよこした。
 女性の向かう先はよく知った場所――レスティーの部屋の方向。エルラはそれも道理と思うが、疑問を感じずにはいられなかった。
「なぜ、王宮内に詳しいのだ?」
「性急ですわね。すぐわかりますわ」
 それだけを言って彼女は足を早めた。
 途中の警備兵がいぶかしむかと思ったが、姫とその護衛がいるからか、すんなりと通り抜けてしまう。
 詮索されなかったのはありがたいが、職務的にどうなのだろう。あまりにものんびりしすぎてやしないかとエルラが気を回し始めたときようやく目的地に到着した。
 間違いなく、姫君の居室前。
 立ち止まって一歩その前から移動したのは、先に入れという意思表示なのだろう。
 エルラはノブに手を伸ばして、扉を開けた。
「姫様」
 主を促してから、そのあとに客人を招き入れる。最後に自分が入り込むとエルラは静かに扉を閉めた。
 入ってすぐにある扉を自分で開けてレスティーはその奥に進んでいる。
「フィニー、お客様ですよー」
 大きな声を上げたあと、返答がないのでレスティーは振り返った。
「まだ打ち合わせ中かなぁ」
「いや、部屋に戻ると言っていましたが……」
 エルラは不思議そうな顔をした。姫様に呼ばれても返事の一つもよこさないなんて彼女らしくない。
 エルラはレスティーのあとに続くと室内を見渡した。
「キッチンか?」
 何かに夢中になっているとしたら、返事をしないこともあり得る。
 彼女のことだから、お茶の一つでも準備しているのかもしれない。お菓子を作り始めたりしたら、上の空になっている可能性が高い。
 エルラはすたすたとそちらに向かう。どちらにしろお茶の一杯でも飲んで、心を落ち着けたい気分だ。
 彼女に過去に行ったの竜だの説明するわけにもいかないから、なんとか言って席を外してもらわないとならないことを考えるとお茶だけ入れてもらうのも心苦しいが。
「あの」
「ああ、入っておいて下さい」
 戸惑った声を投げよこす女性に、エルラはそう答えた。その言葉に従ったのだろう、後ろでばたんと扉が閉まる音がした。
 エルラはキッチンに続く扉を開き、そして絶句した。
「どうしたんだこれは」
 誰の姿もないばかりか、お茶の用意が途中のまま放置されている。そればかりか、ポットが床に落ちて割れたままだ。そんなものを放置してどこかに行くようなフィニーではない。
「あぁ」
 エルラが呆然と呟くすぐ後ろで、女性の声がした。
「片づけが先ですわね。お茶はあとでお持ちしますわ」
「は? 貴方がそんなことをする必要は……」
「ありますわよ? 服装を見ればわかるでしょう」
 当たり前のように言って、彼女は陶器のかけらを拾いはじめる。
「フィニーが準備してたのかなぁ」
 首を傾げながらレスティーがキッチンをのぞき込んだ。
「どこいったのかな?」
 陶器のかけらを拾い上げて、女性が顔を上げた。
「あの魔力を感じれば、何かあると思って調べに行ってもおかしくない、と思いますわね」
「フィニーが魔法を使えるのを知っているのか?」
「その事実はなぜかあまり知られていませんけどね」
 皮肉な口振りで彼女は言った。
 かけらを拾うのを手伝おうとしたレスティーを危険だからと制して、拾ったものをとりあえず隅へと追いやる。
「どういう意味ですか?」
 エルラが不審そうな顔になって問いかけると、彼女は困ったような顔になってエルラとレスティーを交互に見た。
「つまり、ですね」
 言いかけて、口ごもる。
「つまり?」
 下を向いてしまう彼女に近寄って、レスティーはじーっとその顔を見上げた。
 身長差があるし、身をかがめてのぞき込んだら視線がばっちりとあった。
(さっきと何か違う)
 というのがレスティーの抱いた感想だった。
 なんというか、印象が変わってしまったのだ。
(ええっと、ご先祖様が竜さんと戦ったのは何年前だったかしら)
 自分がものすごく昔に行ったらしいその場から、ものすごく時間が経っているんだからその間に何か変わってしまったのかもしれない。
(丸くなった?)
 いい言葉を思いついて、レスティーは満足した。
 じーっと顔を見つめて考えているうちに、その顔はさらに困ったようなものになっていたから、思わず笑ってしまう。
「な、何か顔についています?」
 問いかけにレスティーはふるふる首を振った。
 驚いた顔をする彼女にますますレスティーは笑みを深める。見上げるのをやめて、くるりとレスティーはきびすを返した。
「びっくりした顔がフィニーみたい」
「そうですか?」
「フィニーはねぇ、私が何かするとたまにそういうびっくりした顔するの」
 顔を上げた女性はその言葉に目を見開いて、次いで笑った。
「それはたまに貴女が驚くようなことをされるからですわ」
 何かを吹っ切ったように晴れ晴れと彼女は言う。
「う?」
 レスティーがその言葉にびっくりして首をひねると、あの昔の世界のように自信満々に竜の化身は胸を張った。
「驚く準備はよろしいかしら」
「私はいっぱいびっくりしてますよー? だって竜さんが竜さんで竜さんですもの」
「これ以上何に驚けばいいというんだ」
 レスティーは要領の得ないことを言いながら胸を張って、エルラは何か腑に落ちない顔をしながら答える。
「まず、きちんと名乗りますわね。私はレディア・ファスディ。黄金竜の長を父に持つだけで、力は未熟なひよっこですわ」
 皮肉の効いた口調で言ってから、彼女は一呼吸入れる。
「そして」
 言いながら一瞬目を伏せ、見開いたあとはレスティーとエルラの二人をその視界に半々に入れた。
「――そして、またの名をフィニー・トライアル。これに関しては説明は不用ですわね」

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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