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四章 10.衝撃へのカウントダウン

 窓から見える太陽が真上にやってきた頃、時告げの高らかな鐘の音が響いてきた。
 朝と、昼と、夕方と。
 鐘は大きく高らかな音を響かせる。
 王宮内には一つ、王宮の周りに広がる王都内には八方向にそれぞれ一つ。
 都中に響き渡るように鐘は鳴らされて、その中心たる王宮内には全部の鐘の音が大きく小さく競い合うように聞こえてくる。
 レスティーははっとして顔を上げた。
 いつの間にこんなに時間が過ぎたんだろう。お昼の時間だ。
 お迎えはまだかなあ。
 レスティーがそう思うのと、扉が壊れそうな勢いでばたんと開くのはほとんど同時だった。
 あまりの勢いだったのでレスティーは目を見開こうとする――その途中で、扉を開けた張本人が口を開いた。
「時間です博士!」
「あ、あぁ……」
 その勢いに押されて、ウォークフィードはかくりとうなずく。
「姫様、戻りましょう」
「はーい」
 レスティーは一も二もなくうなずいて立ち上がる。その様子にウィークフィードは一瞬悲しげな顔をした。
 だがほんの少しの間だったので、のんびりレスティーも気付かなかったし、飛び込んできたエルラも気付かなかった。
「ではでは。先生。ありがとうございました」
 いつもの挨拶をして、いつものようにレスティーはゆっくり頭を下げる。
 姫君は護衛と一緒に歩き出し、次いで扉が閉じられた。その姿を見送って、ウォークフィードは今度はため息を一つ。
「今日も失敗、か」
 心のメモに一つ×印をつけて、エルムスランド一の博士は顔をしかめた。



「早かった、ですねぇ」
 ごいんごいんと鳴る鐘がぴたりと止んでから、帰る道を歩いているレスティーはエルラに声をかけた。
 いつも以上に真剣な顔をして歩いているエルラは、足を緩めることなくうなずく。
「もうちょっとゆっくり行かないですか?」
 レスティーの半歩前を、すたすたエルラは歩いている。それに遅れないようにするのは、レスティーには大変な労力だった。 
 あんまり運動は得意でないレスティーが、体力勝負な職に就くエルラに対抗して勝てるはずもない。
「あ……申し訳ありません」
 言われてようやくエルラは少しだけ足を緩めた。
 レスティーはちょっとほっとした。それでもまだレスティーにとっては早足だったけれど、改善されただけましと思うべきだろう。
 下手をすると息が切れそうだった。
「どうかしたの?」
 少しだけできた余裕で、エルラの横に並ぶ。
 彼女の顔をのぞき込むように尋ねると、エルラは驚いて足を止めた。
「どうしたというのは何でしょうか」
「なにかあったの?」
 レスティーの言葉に対するエルラの反応は見物だった。
 限界近くまで目を見開いて、口がちょっと半開きになる。呼吸の仕方まで忘れたように、数回息を吸いそびれた。
「なぜそう思われます?」
 それでもすぐに気を取り直して、さらに問いかけで返答をよこす。レスティーは困った顔になる。
「なんだかそんな気がしました」
 理由になっていない理由にエルラは瞬き一つして、それから視線をあちこちにやる。
「えーと」
 それからレスティーを再び見つめて、彼女は声を潜めた。
「なんといいますか、ちょっと困ったことになりそうというかなっていて、一刻も早くフィニーに相談したいのです」
「困ったこと?」
「はい――誰かに聞かれても困りますから、戻ってからご説明してもよろしいですか?」
「内緒の話ですか?」
「はい」
 エルラがうなずくので、レスティーは自分速度で歩き始めた。
 気持ち早足――その速度は先ほどに比べると明らかに遅いけれど、エルラはなにも言わずにそれに従った。
 廊下を曲がって、階段を上がって、歩いて曲がって歩いて歩いて。
 お互いに口は開かなかった。
 勉強部屋から自室までそう離れていないとはいえ十分ほどはかかる。
 最後の角を曲がると同時にレスティーは久しぶりに口を開けた。
「あれ?」
 間の抜けた声を出して首を傾げる。目をしぱしぱさせて、正面にある姿を見つめた。
 見間違いかと思う――が。
「やあ、おかえり」 
 レスティーはこんなところで見るとは思わなかった姿がひょいと手を挙げて挨拶したものだから、気付くと止めていた足を前に出した。
 廊下の端と端でお互いの姿を確認してから、その中央、ちょうどレスティーの部屋の前で対面する。
「お父様っ! どうしたんですかー?」
「まあ、私のことは無視かしら」
 レスティーの問いかけに最初に答えたのは呼ばれもしない王妃の方。
「だって、お父様はお仕事があるはずなのに」
 ばつが悪そうに言い訳を口にする娘に王妃はいじけたふりをして見せる。
「今日は天気がいいものだから、ピクニックにでも行こうかなって」
「ピクニック?」
 レスティーはびっくりして、思わず父の姿を見た。
 服装はいつもと変わらないように見える。他国の王のそれに比べたら身軽に過ぎると臣下には不評の、それでも王自身は華美すぎると嫌っている衣装。
 それなりに手をかけられたごってりとした袖から出ている手が、しっかりとバスケットを握っているのには違和感を覚えた。
「それで待ってたんですよ〜」
 いじけたふりをやめた王妃がにこにこしながら続けた。
 そこでようやく驚愕から立ち直ったエルラが慌てて駆け寄る。
「な、な、な……何をお考えなのですか陛下っ」
 どもって裏返った声は動揺の現れなのだろう。
 言われた王の方は妻によく似た種類の笑みを浮かべて、目を細める。
「君は父君にそっくりだねぇ――同じことを言われたよ」
「その父に賊の話を聞きました。ピクニックだなどと……」
「うん、だから同じことはレッツィに言われた。いい天気だからピクニック、と思ったんだけど仕方ないので諦めたよ」
 優しい言い方だけれど、ひょいと抱えるバスケットを見せつけるその瞳は「ピクニックは諦めたけれどここで昼食だ」と意思表示している。
 エルラはその問題発言に頭がくらくらした。
 何がどうあってもそれだけは阻止しなくてはならない――だって中には「金髪で不審な侍女」がいるんだから。
 そりゃあ場合によってはフィニーのことを報告せねばならないと思った。思ったけれど、それは今この場で鉢合わせになるのを見過ごす理由にはならない。
「ええとですがそのそういう状況ではないような気がするのですがどうなんでしょうか違いますか違わないとおもうのですが」
「うん?」
 混乱したまま告げる言葉に面白そうに王は首を傾げる。
「そのつまり」
「食事を終えるまで仕事には戻らないよ」
 そしてあっさりとエルラの言葉を封じた。
 エルラは父親ほどは強く出られずにぐぬうと内心唇を噛む。
 国王を言い負かす自信もないし、そんな行動に出られるわけもない。
「まあまあ、そんなにエルラちゃんをいじめちゃ駄目ですよ?」
 王妃はにこにこと口を挟んだけれど、それはこの場から立ち去ろうという意図ではないととれた。
「いじめは駄目ですよー」
 レスティーも母に従って父を軽く睨む。
 ――エルラは姫様が何とかして国王夫妻に食事を諦めさせて、自分の心に平穏を取り戻して欲しいと切に願う。
 だけど残念ながらレスティーは部屋の中に両親を入れてしまったら大変なことになるという事実にまだ気付いていないようだった。
 エルラは自分が疲れ切った顔になったのを確信する。
 妻と娘に「いじめてはないよ」と言い訳した王は、エルラを見ると笑みを深めた。
「よいかな?」
 その言葉に抵抗できるならどんなによかっただろう。
「わかりました――」
 エルラは渋々うなずいた。やんわりとしたものであっても、国王の命令に逆らえるわけがない。娘と食事することを王は何よりも楽しみにしているのだ――滅多にない昼食の機会をとめることなんてできないだろう。
 それをして、ご不興を買うのも怖い。
「少しお待ちいただけますか?」
 それでもせめてもの抵抗に呟いて、返事も聞かないままエルラは逃げるように扉をくぐった。
 王がどう返答するかわからなかったけれど、駄目と言われたらフィニーに忠告すらできない。
 扉を閉めて、中のもう一つの扉を開ける。
「おかえりなさいませ――あら、エルラ? 姫様はどうなさいましたの?」
 室内にはやはり、丈のあっていない制服に身を包んだ金髪の侍女がいる。一人入ってきたエルラにフィニーは不思議そうに問いかける。
「手短に言うぞ」
 すたすた彼女に近づいて、エルラは声を落として呟いた。
「ええ」
「その姿が目撃された。寝殿の異常と関連づけて捜査されている」
「まあ――警備兵には幻覚の魔法でごまかしたんですけど」
「……そういえば道中にすれ違ったな。そんなことをしていたのか?」
 エルラは言われて今更、先ほど一緒に歩いていたときに警備兵とすれ違ったことを思い出した。何の咎め立てもなく、父の耳にもそのことは入っていないらしいのだからフィニーのその試みは成功したのだろう。
「他に見ていた人がいましたか」
「侍女の誰かが見たと言っていた」
「――あら。そういえば行きしなに声をかけられましたわね……あのときからもうこうだったのかしら」
 フィニーは顔をしかめて、眉根を寄せるとぶつぶつ呟く。
「いつ見られたかは今は問題ではない。ともかく元の姿に戻れない以上、何か理由を付けて姿を隠してもらわなければならない」
「ええ、まあ明日には大丈夫と思いますわ」
「それはありがたいことだが――ここが一番の問題だ。今、部屋の外に陛下がいらっしゃる。姫様とこの部屋でお食事をしたいとのことで」
 フィニーは言われて、扉の方に視線を移した。目を凝らすようにしてもそれが透けて見えることは――いくら彼女が竜だとしても――ないとエルラは思う。
「寝殿の魔力も怪しい私の姿も、知っていながらそれでもここにくるなんて、暇な訳じゃないでしょうに」
 フィニーは扉から顔を逸らしてため息一つ。エルラに視線を戻してどこか皮肉げに呟く。
「感想は聞いていない。何とかごまかすから、部屋で待機していてくれないか? そうだ。それか、さっき言った幻覚の魔法とやらでどうにかならないだろうか?」
「無駄なことをするのは主義じゃありませんわ」
「無駄、って」
 さらりと言い切るフィニーの言葉にエルラは反論しようとした。しようとしたが、視線でもってその反論を封じてフィニーは再び口を開く。
「貴方は嘘が苦手でしょう。うまく言ったとしても、百戦錬磨の国王はそれを見抜くと思いますわね」
「う、それは、なんとか、うまく……」
「無駄なことをするのは主義じゃないと言いましたわよ。幻覚の魔法を食事中維持するくらいは今の私でもできますわ――ただし、それを誰にも見抜けないようにすることは難しいですわね。……王妃様が魔法をたしなまれているのはご存じでしょう?」
「話には聞いたことがあるが――だが実力のほどは」
「侮ってかかって、足下をすくわれたら世話がありませんわね」
 きっぱりと切り捨てられて、エルラは憮然とした顔になる。
「ではどうしろというんだ」
「私のことは気にせず、入れて下さってかまいませんわ」
「だがそれでは」
 フィニーは再びエルラの反論を封じた。
「貴方はとてもいい人ね。私は貴方のこともとてもとても大事に思ってますわ」
 柔らかく微笑んで、そんなことを言う。
「話を逸らすな!」
 エルラの激高した声。フィニーは微笑みを変化させた――それは今日何度か見たことのある種類の、何かをとても面白がっている表情。
「大事に思っているから、こう言ってますの――かまわないから入れて差し上げて、と」
 ひたとエルラを見つめるその瞳だけは真剣なものだったので、エルラは大きく息を吐いた。
「本当にいいんだな?」
 仕方ないから従うのだと言わんばかりの態度でエルラはきびすを返して、先ほど入ってきた扉に手をかける。
「ええ」
 振り返ったエルラにフィニーはうなずいた。
 もう一度大きく息を吐いて気の乗らない様子でエルラは扉を開く。
「――怒らないで下さいね?」
「は?」
 聞こえた声に振り返ると、フィニーはにこにこしながらさっさと行けと手を振った。

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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