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四章 12.その呼び名が

「ありがとう」
 平然と王妃の差し出したカップに手を伸ばしたのは王だけだった。
「……ありがとうございます」
 少しためらってから手を出すのは侍女。
 姫様と護衛はまだショックが抜けきらない様子で、手を出す素振りもなかった。
 王妃は室内の微妙な空気に気付いているのかいないのか、バスケットを開けて中身を取り出す。
「お手製ですよー」
 にこにこ言いながら見せたのは、四角い籐のかごにきっちりと詰め込んだサンドウィッチ。それを人数分取り出して配り、次に出たのはサラダの盛られた大きな皿。皿を中央に置いて、さらに小皿まで中からとりだした。
 木製のふた付きの筒を取り出して「ドレッシングです」と大皿の脇に置いて、それからまたバスケットに手を突っ込んだあと、しばらくして何も持たずに手を引いた。
「任されよう」
 その様子を見守っていた王はかすかに笑って立ち上がると王妃の代わりにバスケットから鍋を取り出す。
 大きなバスケットの中にはそんなものまではいっていたらしい。
「レディア、スープ用のお皿はあるかしら」
「よくこぼさずもってこれましたわねえ」
 感心したように王に声をかけていたフィニーは王妃の言葉に「ございますわ」と答えて、奥のキッチンへと引っ込んでいく。
「お母様」
「貴方の好きなスープですよ」
 フィニーの後ろ姿を目で追いながら呟く娘の言葉に、王妃はにっこりそう告げる。
 レスティーはふるふる首を横に振った。
「……好きじゃなかったかしら」
 とたんに悲しそうな顔をする母を見て、慌ててレスティーはさらに激しく首を振る。
「好きですっ。大好きです!」
 レスティーはあまりに悲しそうな顔の母に慌てて主張した。王妃はその言葉ですぐに笑顔を取り戻す。
「よかった」
「スープは好きです。そうじゃなくて、なんでレディア、なんですか?」
 その名前にはもちろん聞き覚えがあるし、それがきっとフィニーの本当の名前だってこともわかるけど。
 レスティーはじいっと母を見つめた。
 でも、その本当の名前を何で母は知っているんだろう。その視線にはそんな意味が篭もっている。
「あらぁ」
 王妃は目をぱちくりさせた。娘を驚いたように見つめて、それから夫に視線を移す。王は困ったように微笑んでいた。
「えええと。だって、ええと」
 助けを求めるのは諦めて、意味のないことをぶつぶつ。
 そうしているうちに人数分の皿を手にフィニーが舞い戻って来たので、王妃は勢いよく彼女に声をかけた。
「レディアー!」
「……はい?」
 その勢いに不思議そうな顔をして、フィニーは首を傾げる。
「どうなさいました?」
 皿を机に置きながら首を傾げる侍女に早足で歩み寄ると、王妃は彼女の両手を持ってぐっと握りしめた。親愛の情を示すように、期待の篭もった瞳で彼女を見つめて。
「説明は任せるわ。うん。口を滑らせるのは貴方の役目」
「……どういう意味ですか……」
 意味が分からなくて友人に視線を移したフィニーは、困ったようなふりをしながら楽しんでいる様子の彼を見て不機嫌に顔を歪める。
「口を滑らせたのは君じゃないか、ディア」
「だってー」
「何をおっしゃったんですか?」
 楽しそうに肩を揺らしながら突っ込む夫に王妃は子供のように呟く。フィニーは不思議そうに彼女に問いかけた。
「レディアって呼ぶのはまずかったですね?」
「なぜ疑問形ですの」
 言われてとりあえずフィニーは突っ込んでみた。それから自分と母親とをじっと見ている姫様に視線を移してとりあえずにっこり微笑んでみせる。
 しっかり理由を聞くまで諦めませんよとその視線が語っている。
「説明して、かまいませんの?」
 視線は吸い付いたようにレスティーからそらせない。レスティーは迷いなくうなずいて――フィニーが本来問いかけようと思っていた相手である王妃もうなずく。
「大丈夫ですよ。もうこの子も十六才ですから」
「そういう問題ですかしら」
「はい。我が家の脈々と続く伝統ですもの」
「伝統、ですか……」
 力強く言い切る王妃に対してフィニーは困り顔を作る。
 姫様の珍しくとても真剣な表情と、同僚の苦い顔を見比べて。フィニーは大きく息を吐いた。
「……まあ、今のうちにすべて言っておいた方が、よいかもしれませんわね」
 呟くフィニーの顔もどこか苦々しい。
「だね」
「ナーインアクダ、人事のような顔をするのは卑怯ですわよ」
「うっわ、その名前で呼ぶかなぁ……」
「私にとって、貴方の名はナーインアクダですもの」
 ようやく自分の娘の視線から逃れてにっこりと微笑み自分を見る友人の瞳に密やかで静かな悪意を感じ取って、英雄王の生まれ変わりは大きくため息。
「それとも、陛下とお呼びしましょうか?」
 その言葉は自分が陥った苦境へのささやかな意趣返しのつもりらしい。
「その姿でそう呼ばれるのはご遠慮したいね」
 王は片頬をぴくりとつり上げた。浮かんだ笑みは余裕の感じられないひきつったもので、視線を迷わせたあとに再び友人を見る。
「サナヴァ、と呼んでもらった方がうれしいな」
 その言葉に、フィニーは笑みで返答を返した。
「お時間はよろしいの? サナヴァ」
「あんまりよろしくないねぇ。妙な魔力だとか怪しい侍女の話で、皆ばたばたしているからね。僕だけ遊んでいるわけにもいかない」
「では、お食事をしながらお話ししましょうか」

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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