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四章 2.寝殿の王と王妃
王がほとんどの執務を放り出し、可能な限り素早く寝殿に向かってくれたことは、自分たちの進言は無駄ではなかったとラインワークたちが思うのには充分な理由になった。
とはいえ、二度の異常な魔力の発生からだいぶん時間がかかってしまったことには不満が残る。
「難しい顔をしていますねぇ」
寝殿に向かう途中にのんびりと呟いたのは、サナヴァの愛妻、ルディア王妃だった。
のんびりとした気質の美しい女性。王女も成長したらこのようになるのだろうと、たやすく想像できるほどよく似ている。
「そうもなります」
ラインワークはぴしゃりと言った。
冷たい言い方だけど、王妃は気にした様子もない。
「心配のしすぎは体の毒ですよ?」
そうかわいらしく首を傾げてさえ見せた。そろそろ年頃になろうかという娘がいる人とも思えない、やけに子供らしい動作だ。それが似合ってしまうのは彼女がやわらかい空気をまとっているからだろう。見た目が若いものだから、どうにも年齢不詳の印象を拭えない。
「妃殿下はあの魔力を感じなかったのですか?」
探るようにラインワークは王妃を見た。
王妃は、市井出身の魔法使いだ。王が世界中を回り、帰ってきたときにはちょこんとその隣に落ち着いていた。今とほとんど変わらない姿で。
いかにのんきなエルムスランドの人だってそれには驚いたものだったけれど、王は――そのころは王子だったが――みんなが呆気にとられているうちにあっさり彼女と婚約した。
年頃の貴族の娘たちは、そのことに大変落胆したし、それよりももっと落ち込んだのは年頃の娘を持つ貴族たちだった。
市井出身の王妃に不満だったのは、貴族のほとんどだったけれど。
それでも当時の王はその婚約を認め、祝福してやったものだから、表だって不満を出すものはいない。王妃は何事も控えめで、出しゃばったところがないから、いまでは裏でも出すものは少ない。
ラインワークは今でも王妃に不満を持つ数少ない一人だった。
「感じましたよ」
ルディアはあっさりとうなずいた。
「本当に?」
問いただすように言ってしまったのは、彼女の言葉が余りにもあっさりしていたからだった。
王妃の魔法の腕を知るのは王ただ一人くらいだろう。エルムスランドにやってきてから、彼女が使った魔法と言えば簡単なものくらいだ。
国に仕える魔法使いでも、ほんの一握りしか先ほどの異常な魔力を感じ取れなかった。簡単な魔法しかこの十数年使っていない王妃に、それが感じ取れたのか疑問に思うのは、嫌みでもなんでもない。
彼女は足を止め、ラインワークをじっと見た。ふわりと微笑む。
「嘘を言うのはいけないことだ、と教え込まれましたから。人を守るためのそれならいいけれど、そうでないのなら本当のことをいうべきですよ」
「……失礼いたしました」
ラインワークは軽く頭を下げた。
「ならば、そのことを妃殿下はどのようにお考えなのでしょう」
「心配することはないと思いますよ、よからぬ力じゃあありませんから」
「なぜそんなことが断言できるのですかっ」
思わず強く言ってしまうラインワークにルディアは大きく目を見開いた。
「えーと」
困ったように彼女は視線をさまよわせる。
「ディア、調べもせずに言っても納得できないだろう」
苦笑して言ったのは彼らの少し前を歩いていた王だった。なにやら歩きながら仕事の話をしていたようだったが、終わったらしい。
足をゆるめて妻の横を歩き始めると、そうだろう? と言いたげな顔でラインワークを見つめる。
「そうですねぇ」
ラインワークの反応を待たず、ルディアはうなずいた。
寝殿の前にたどり着くと、王はまず傍らの妻を呼んだ。
「ディア」
「はい」
呼びかけに応じて、彼女は柔らかい声で呪文を歌いはじめる。
何をするのかと見ていたら、さほど時間もかけずに寝殿の扉を覆う結界が現れた。薄いヴェールのような、光の膜だ。
「誰かに見られる愚を犯す必要はないからね」
サナヴァはにこりと笑った。
あらかじめ打ち合わせていたのだろう、にこにこしながらルディアはそれにうなずいてみせる。
「は」
答えながらラインワークは扉と彼らとを同時に覆う結界を内心舌を巻きながら見た。
さほど大きいものではない、七人の人間をぎりぎり息苦しくない程度に覆う程度の大きさしかない。それでも、それは驚嘆に値した。結界というものは、そもそも多くの時間と多くの魔力を割いて初めて作りうるものだ。
魔物対策の一環として、それを短時間で成し得る術を研究するものも多くいるが、はっきり結果が出たという情報はこれまでない。
魔法使いたちが驚いていることを悟ったのだろう、王妃は困ったように笑った。
「あまり長持ちしませんよ。耐久性もありません。目隠し程度の意味しかありませんから」
「それですら、我々はその術をこの手にしていない」
「あまり簡単にやってのけたと思わないで下さいね?」
ますます困ったような顔で彼女は言う。
「こつがいるんですよ。うまく説明できれば、あなた達のお役に立てるんだけれど」
「論理的な説明は苦手かい?」
くすくす笑って夫が言うのに、彼女はこくりとうなずいた。
「誰にでも得手不得手はあるからね。まあ、そういう話は後にしよう――行くよ、ディア」
「はい」
サナヴァの言葉に、ゆっくりとルディアは首肯した。
サナヴァはゆっくりと扉に手をかける。
わずかな魔力の気配。
「寝殿は、良心によって閉じられているけれど、それだけでは不足と思ったんだろう。王族のみに反応するよう扉に魔法がかけられている――大した効力はないけれど。悪意を持って手をかける者には抗し、魔力を持って対処しようとすればそれをあまねく知らせるだろう」
扉を開きながら、サナヴァは説明する。不思議そうな顔をした臣下に気付いたのかも知れない。
「すると、先ほどのあれは……」
「どうだろうねぇ」
ラインワークの言葉に肩をすくめる。
「まあ、埃が」
そんな問答をよそに、ルディアは寝殿の中を覗き込みのんびり呟くと、魔法で風を呼んで寝殿に放つ。
「こほこほ……余計に埃が……」
「何やってるんだい」
「ええと、埃が積もっていたから片付けようと〜」
「妃殿下、侵入者がいたのならば痕跡が残っていたのかも知れませんが」
「あらあら」
ラインワークの突っ込みに、ルディアは目を見開いた。
「どうしましょう」
のんびりと呟くのは、そこまで重要だと思っていないのかもしれない。
「落ち着きなさい、ラインワーク。足跡の一つもなかったから――よほど間の抜けた侵入者でもない限り、足跡を残す愚なんて犯さないだろう」
ラインワークが嫌みを言い出す前に、にっこりとサナヴァは言った。
ちらと後ろを振り返り、目を細めて竜達を見る。
「少なくとも以前見たときと何か変わったようには見えないね」
言って、扉を閉じる。
「陛下、まだ調査が全く終わってません」
「どうだい? ディア」
「なんにも変な力は感じませんでしたよ」
王とその妻はどこかのんびりと言い合った。
「ですが――扉に魔法がかけられていて、それが侵入者に抗したというのなら」
「二度それを感じたのならば、もはやいないと見る方が正解だろう。君たちは王宮内を捜しなさい――異常な魔力の痕跡を持つ者を」
いいね、と王は魔法使い達を見回した。
「私たちは中をじっくり見てみるとしよう」
「はい」
ラインワークはうなずいた。部下に指示をして、自分も走りはじめる。
それを見送ってから、王はため息をついて再び扉を開いた。
「ここは苦手なんだけどね」
中に入り込むと、かつんと靴が音を鳴らす。埃が掃除されて、石の床材が見えた。
「まあまあ」
笑いながら王妃はその後に続いたあと、王は再びため息を漏らしながら扉を閉めた。
「この扉の重さも、人がここに入るまいと思う理由だと思うんだけど」
「開けたことがある人は少ないんじゃないかしら」
扉が閉まると薄闇が辺りを支配する。高い位置にとられた明かり窓が光源のすべてで、その光は竜の体が遮っているからだ。
ルディアはさっと手を振って、周囲を光で満たした。壁に取り付けられた魔力灯が煌々と光り始めて薄闇を一掃すると、サナヴァは竜達を見上げた。
「家捜しでもするかい?」
茶目っ気たっぷりのその言い方に王妃は笑いながらうなずいた。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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