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四章 20.フィニーのお話3
レスティーは息を飲んでフィニーを見た。
神に最も近い生き物であるはずの竜の化身であるところのフィニーが、はっきりと後ろ暗い感情を持っているなんて言うものだから。ただ、驚いて。
もしかして何か、ひどい勘違いをしているのではないかとさえ思う。
後ろ暗いの言葉の意味を何度か頭の中で思い浮かべて、いい意味が思いつかなくてじっとフィニーの次の言葉を待つ。
「だって」
呟いたフィニーの言葉は彼女らしくない子供じみたもの。
「だって?」
レスティーが聞き返すと、フィニーはどこか困ったような笑みを浮かべた。
「姫様に何かあれば、私は他の何を犠牲にしても姫様の元にはせ参じようと思いますもの」
そしてためらったあとにそう口にした。
呼ばれ方に抗議するより前に、先にレスティーは内容に意識を向けた。
「えーっと。何かってなんですか?」
「さあ」
問いかけの返答はどこかごまかすような響きを持っていた。レスティーはむっと眉間にしわを寄せて、軽くフィニーをにらむ。
「私の優先順位の中で、姫様は一番ですから」
まずいと思ったのかフィニーは諭すような口調で言う。
レスティーは目をぱちくりさせた。不思議そうに首をかしげて続きをうながす。
と、茶目っ気を瞳の中に覗かせて、フィニーはレスティーに微笑みかけた。
「ですから――たとえば誰か一人しか助けられない状況で、誰を選ぶかと問われれば私は姫様を迷いなくお選びします」
ためらいなく口にされて、レスティーは困惑した。
やがて頭の中にフィニーの言葉が浸透して、
「えええええっ」
驚いたような声を出す。
「もちろん、そんなことをしなくて済むように最大限の努力はしますけれど。最終的な局面では利己的なものを選ぶと思いますから」
フィニーはそう言って、一息置いた。
「そんなものも、負の感情に含まれる――と思いますわ。彼らが何に力を得るかは詳しくは知りませんけれど」
わかったようなわからないような気分で、何となくレスティーはうなずく。
どちらかというと分からない。
それから二人とも口を閉じたので、静寂が二人の間に満ちた。
しばらくして沈黙に耐えかねたのか、フィニーが口を開く。
「他に、何か質問はございませんか?」
聞かれたレスティーは困ってしまう。
まだまだ聞きたいことはあるけれど、これ以上聞いたらまずます混乱しそうで。
「……また今度、じゃ、駄目ですか?」
だから恐る恐る問い掛けた。今日、今というタイミングを逃せばもうフィニーは何も語ってくれないんじゃないかと漠然と思いながら。
フィニーは大きく息を吐いた。それは緊張が和らいだ時のような安堵のため息に聞こえて、やっぱりもう駄目なのかとこっそり落胆する。
「姫様もお疲れでしょうから、今日はこのくらいにしましょうか」
「レスティー、です」
「あ」
フィニーはしまった、と顔に書いたあとでそれを苦い笑みに変える。
「申し訳ありません、言い慣れているものですから。レスティー様もお疲れでしょうから、ほどほどで切り上げてくださいませね」
名前が言い直されたので一応満足しながらレスティーはうなずく。聞きたくて聞けないことがあったのは、仕方ないだろう。
これ以上聞いて理解しきる自信もないんだから、今は聞けない。
「では私は別の仕事をしておりますので、何かあればお呼びください」
「はい」
「また日を改めてお話しましょう」
言い残してフィニーは扉を閉めた。
扉が閉まる音が静寂を乱した後で、レスティーは大きく目を見開いた。
「えええええっ」
思わず声を張り上げて、扉を思い切り開いた。
「フィニー!」
呼び声にフィニーはゆっくり振り返った。
「はい、なんでしょう?」
フィニーが浮かべる笑みは、どこか楽しげだった。
何か面白がっている、そんな印象。それはレスティーのよく知っていたフィニーのものではないように思える。
「姫様?」
一瞬戸惑ったレスティーが何も言えなかったのでフィニーが反射的に呼びかける。
「竜さんみたいな顔で、そう呼ぶのってずるい気がします」
レスティーはいじけたように呟いた。
「そ、そういわれましても同一人物ですし」
「そうやってフィニーみたいな顔で言うのもずるいです」
心底困ったような顔でフィニーは言葉に詰まった。
それはもうレスティーのよく知るフィニーそのもので。
「あと、姫様はやめて下さいって言いました」
「……慣れるまで、多少時間がかかるかと思いますわ」
「早く慣れてほしーです」
希望を口にしてから、そうじゃなかったとレスティーは頭を振った。
「えっと、また聞いていいんですか? 色々なことを」
そして問いかけると、フィニーはあっさりとうなずく。
「レスティー様がお聞きになりたいのでしたら、いくらでも。私がお話しできることでしたら」
「いいんですか?」
「お話しできないことでしたら、一言たりとも口に致しませんけれど――まだまだ、何かお聞きになりたいのでしょう?」
こくんとレスティーはうなずいた。
「聞きたいですけど、無理だったら言って下さい」
「はい」
「じゃあ、またあとで」
言ってレスティーはぱたんと扉を押し閉じた。
そして「フィニーってもしかして心の中が読めるのかしら?」とちょっと思う。
悩んで、まさかそれはないだろうと結論づけて、ふっと視線をベッドに向ける。
レスティーは目を見開いた。
「エルラ!」
大きな声で呼んでから、ばたばた駆け寄った。
エルラが起きていたのだ。彼女はちょっと気まずそうにレスティーを見る。
「大丈夫ですか?」
「……はい」
こくりとエルラはうなずいた。
「よかった」
じいっとエルラを見て、顔色は悪くなさそうだとレスティーは思う。気まずそうなままなのは、突然倒れたことを気にしているからだろうか? でも、それは別に気にするほどのことではないんだし。
「本当によかった。たくさんいろんなことを聞いたから、びっくりしちゃいましたね」
「――夢だったらよかったんですが」
にっこり笑うレスティーとは対照的に、エルラは苦い顔。
「夢じゃないみたいですよ?」
茶目っ気たっぷりにレスティーが言うと、エルラは大きく息を吐いた。
エルラは何も言わなくて、レスティーも何を言うべきか迷ってしばらく二人黙り込む。
「夢ではないなら、受け入れるしかないですか」
再びため息のあとにエルラが口を開く。
「納得いかない点はありますが――」
またため息。
受け入れ難いんだろう、エルラの声にそんな響きを感じる。
「お父様はお父様で、お母様はお母様で、フィニーはフィニーですよ」
あえてなんでもないようにレスティーは呟いた。
「違う何かを知って、少し違うように見えたって、中身は変わってないって、そう思いたいです」
自信がなさそうに付け加えたのはフィニーがちょっと変わったように見えたりしたからで。
「……私もそう思いたいです」
エルラがそううなずいてくれたので、レスティーは満面の笑みを彼女に向けた。
「その変わってしまったのだって、多分そう悪いことじゃないです」
半分自分に言い聞かせるようにレスティーは続けた。
「だって、フィニーは私を名前で呼んでくれましたし」
ねっ、とエルラを見ると、彼女は目をぱちくりさせた。
今にも「そんな問題ですか?」と言いそうに見える。
「それに私、竜さんも嫌いじゃないですから。竜さんみたいなフィニーも、嫌いじゃないです」
実際口にされる前に続けると、エルラは何とも言い難い半笑い。
「嫌いじゃない、という言い方は好きではないと言っているようにとれます」
それは苦笑なのだろう。
レスティーはそうかもしれないと思って、でも、と首を振る。
「フィニーは好きですし、竜さんも好きです。ただ、竜さんとフィニーが同じ人だっていうのにすごーくびっくりしただけで」
その違和感に慣れないってことなのかも知れないな、なんて思う。
「私も驚きました」
エルラは重苦しくゆっくりうなずいた。
「驚き仲間ですね」
にっこりと言うレスティーにエルラはようやく普通に笑った。
「そうですね」
「驚き仲間同士、一緒にフィニーを問いつめましょう」
レスティーは両手をぐっと握りしめる。エルラはそれに目を細めて、素直にうなずきを返した。
2005.04.15 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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