IndexNovel遅咲きの恋

2.引き抜きと異動

 三枝さんは出来る営業マンで、本社勤務も一年くらいの短い間だった。
「地方ローリングで修行を積んで、次は海の外だよ」
 ある日のお昼に、さらりと三枝さんは私に告げた。
「海の外?」
「そう。海外支社」
 ふうんと私はうなずくしかなかった。
 偽りの公認カップルの私と三枝さんが会話をするのは、ほとんどが社員食堂。見晴らしのいい窓際の席よりも、奥まった席がいいというのが私と彼との一致した意見だったから、その日もお決まりの奥の席で、私は日替わりランチを食べていた。
「海外事業部じゃ、ないのに?」
「あそこはたまによそから人材引っ張るんだ。現地のモノを見れば、よそに営業するのも楽だろってうちの部長がね」
 海外事業部はうちの社内でも花形の部署だ。優秀な三枝さんを営業部から引き抜くのは大変だと思うんだけど、あっさり出来るだけの社内権力を持っているらしい。
 私は再びふうんとうなずいた。
「三枝さんって英語は出来るの?」
「そんなに得意だった記憶はない、かな。まあ、慣れれば、なんとか?」
 笑顔と苦笑の真ん中の、困った時の三枝さんのお決まりの顔。本当に自信がなさそうに呟きながら、彼は月見うどんをずるずるとすする。
「地方周りで方言にも慣れたし、慣れればどうにかなると思うんだけどなあ」
「方言は日本語だと思うけど」
「うん、まあ。そうだけどな」
 添えられた柔らかいかまぼこまで丁寧に咀嚼しつつ、三枝さんはどこか遠くを見るようにした。
「さすがにそれは無理と断ろうと思ったけど、それも修行だって部長がね。ま、そんな長い間じゃないだろうし、軽く知識をさらってすぐ帰るつもりじゃあるけど」
 すぐ帰るなんて三枝さんは言ったけど、有能な営業マンで部長に目をかけられている出世頭の三枝さんとはいえ、あくまでも一社員。課長クラスになれば融通は利きそうだけど、主任クラスでは人事を動かせないと思うけど。
「……どうなるんだろうねえ」
 私と同じ危惧を持っているのか、のらくらとした様子を装って三枝さんはうどんをずるり。
「ところで畑本ちゃんは英語は得意じゃないかな? 得意だったら、しばらく昼に英語オンリーの会話をお願いしたいんだけど」
「片言も危ういかなあ」
「残念」
 本当に残念そうな顔をしてから、三枝さんはうどんを食べ終えてきびきびと立ち上がった。
「時間を無駄にせず練習できたらいいなあという目論見が」
 すっとトレーを持ち上げて、三枝さんは「お先に」って去っていった。まともに長く会話したのはその昼が最後だった。
 海外勤務に向けての準備とこれまでの仕事の引き継ぎで彼は忙しくなって、時間が合わなくなったから。
 忙しいんだなあと余裕を持っていたのは最初だけで、なんとなく寂しくなって、でもお昼を一緒にする以上の接点がなかった私が三枝さんに連絡する理由はなくて。
 三枝さんは相変わらず経理に顔を出しに来たけど、すぐに去っていってしまうくらい忙しい様子だからビジネスライクな会話しかできなくて。
 バタバタバタっと忙しくしていたはずの三枝さんは、気付いたら遠い空の下。緩やかに彼に恋をしていたのだとそこで遅ればせながら気付いたけれど、後の祭り。
 我ながら鈍感だなあとひどく落ち込む私は、周囲から三枝さんに置いていかれたかわいそうな女として扱われた。
 それはもう遠い過去のような話で、今では気にする人もいないだろうけど。私の中で遅咲きの恋は見込みがないのに未だにくすぶり続けているから質が悪い。
 三枝さんはずっと帰ってこない。きっと出来る人だから英語もマスターして、現地でばりばりと働いているんだろう。
 ニューヨーク支社だなんて久々に聞いたものだから感傷的な気分になってしまった。物思いにふけっていたらお茶がすっかりぬるくなってしまっている。
 彼女たちのことばかり悪く言えない。時間を無駄にしてしまった。深呼吸して気持ちを入れ替えると私は気を取り直して給湯室を出た。

2008.02.04 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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