IndexNovel遅咲きの恋

5.再会と告白

 帰国して引越し荷物を片付け時差ボケを解消した後、最初の出勤日に俺は緊張感を持って社員食堂に向かった。
 彼女の姿は見えず、外の景色があれこれ変わっているように思えたので、何が変わっているのか確認しながら時間をつぶした。食事をしていてもよかったが、終えてしまうと居る理由がなくなってしまう。冷めていく料理を気にかけつつも手をつける気にはならなかった。
 通常の休憩時間の半分を過ぎても彼女は姿を見せず、かつての反省点をもとに何度も日付を確認しても締め日のように思えず、悪い予感が的中したのかと半ば諦めつつも諦めきれずにその場で座りつづけた。
 待てば待つほど次第に緊張感が抜けていき、倦怠感が身を包んだ。俺の見たことのない顔で彼女が誰かと幸せに暮らしているのかと思えば頭をかきむしりたいような気分になって、努めて気を逸らす。窓の外を見てもう一度かつてとの違いの数を数え、時計に目を落とそうとし、そこで長らく俺の心の中に居座りつづけていた当人がようやく姿を見せたことに気付いた。
 昼食の載ったトレーを、彼女はかつてよく俺と一緒に座った席に置こうとしているところだった。
「畑本ちゃん」
 彼女は俺の存在に気付いた様子がなかったが、俺は構わず呼びかけた。驚いたのかその瞬間トレーがバランスを崩し、テーブルにあたって耳触りな音を立てる。
「わ、うわ、悪い」
 味噌汁がこぼれたのを見て、いきなり声をかけて悪かったと思った。
「あー、いいえ、どういたしまして」
「驚かすつもりはなかったんだけど」
 俺を見る彼女の顔には驚きが満ちていたが、見知らぬ誰かに対するような様子は感じられなくて俺は密かにほっとした。さりげなく彼女の手元を確認すると、細い指を装飾するようなものは一つとしてなく、よしと心の中で気合を入れた。
 そっと視線を戻すと彼女は控えめな笑顔を俺に見せていた。長いこと思い出の中にだけあった、俺の気に入っている表情に胸が震える。
「外を見ているようだったから気付かれるとは思ってなくて、びっくりしました」
「そうか」
 久々だからか彼女の言葉がどこかぎこちない。それでも俺のことをしっかり覚えてくれていたのはうれしかった。それに噂に疎そうな彼女なのに俺がここにいることを不思議に思っていないようだった。帰国を知っていてくれたのは、少しは俺に気があるからじゃないだろうかと自分の都合のいいことを考えてしまう。
「窓に影が映るから気付くさ。相席してかまわない?」
 さりげなさを装って尋ねれば、彼女はあっさりとうなずいてくれる。内心の高揚を抑えつつ、俺は自分のトレーを持ち上げて彼女の真向かいに座った。
「お久しぶりです」
「うん」
 数年の時を経ていても、彼女はちっとも変わっていないように見えた。見る限り他の男の気配はないようだと判断を下して胸を撫で下ろす。安心して再会直後の挨拶もせずに想いを告げてしまいそうになるのを、さすがにそれはないだろうと俺はこらえた。
「――畑本ちゃんは相変わらずこの席が好きなんだね」
 本当に言いたいことは他にあるけれど、俺に再び慣れてもらうためにワンクッション。俺は食事を開始しつつ以前のように世間話をはじめる。会話の内容こそ久々であるが故のものだったが、二人の間に流れる空気は変わっていないように思えた。
 元から真面目で落ちついていた彼女だから、より落ちついているわけでもない。会わなかった間分の年齢を重ねたようにも見えなかった。綺麗になったというような印象がないのは、男が居ないからだろう――結婚して着飾る必要ななくなったのだとは思いたくなかった。
 君が変わっていなくてよかったと本音が口をつきそうになったが、俺は何とかそれをこらえる。
 彼女に告白するとは決めていたが、それが会社の社員食堂というのはいただけない。社食はがら空きだったがそれでも人目が気になるというのもあった。俺が気になるのだから、プライベートの前に一線を引いている彼女が気にしないわけがなかった。
 記憶をどれだけ必死にひっくり返しても彼女と外で会ったことはないが、なんとかして外で会いたい。名残惜しいのは山々だったが休憩時間が終わるのをきっかけに別れを告げて、俺はどうすべきか考えつつ席を立った。
 配属されたのは古巣の営業部で、メンバーは入れ替わりもあったが半数は変わらない。他の支社に栄転する前任者も顔見知りで、引継ぐ得意先のいくつかは以前の受け持ちだった。本来一人でやる仕事を引継ぎがてら二人でやるのは効率的なのか非効率的なのか。時間を持て余しがちだから、不謹慎だが彼女のことを考えることもできる。
 俺のことに気付いていなかった時の、仕事モードの真面目な横顔。声をかけたときの驚いた顔。控えめに浮かべた笑顔、俺の言葉に興味津々に身を乗り出す行動。
 どこまでも変わっていなくて、他の男に見せたら危険ではないかと思うほど無防備で、そして愛らしかった。あんなに可愛い人がお局だなんて呼ばれて人に敬遠されているのが信じられない。長い努力の結果慣れてくれて、俺にだけそんな顔を見せてくれるのが可愛かったから、きっと長年忘れることが出来なかったんだろうけど。
 誰にだってそんな顔を見せていれば、すでに彼女はこの会社に居なかったかもしれない。彼女にとってはどうだか知らないが、俺にとってはそのガードの堅さはありがたいことだった。だからこそ他の人間に誤解されていて、まだ希望を捨てないでいられるから。
 半分余計なことを考えていても仕事量がそれほどでもなかったので定時に終わり、俺はいそいそと荷物をまとめた。彼女の連絡先なんて昔も今も知らない。内線をかければいくらでも連絡が取れるが、真面目な彼女は私用電話に眉をしかめそうだ。ストーカーのようで気が咎めるが、俺はロビーで彼女が出てくるのを待った。
 時間を置けば置くほど、彼女に想いを告げるのが困難になる予感がしていた。そんなものを求めているわけではないのに、彼女の近くにただいることが出来たらそれだけで安心してしまいそうだった。長い間持て余しつづけた想いはそうなる前、再会直後の勢いのあるうちに告げるのがベストだろう。
 俺は彼女とランチ仲間の関係であることを求めているわけじゃない。想いを告げてもいないし、噂はどうあれ一度もつきあっていない状態だけど、これからの未来を彼女と共に過ごすことが一番の目的だった。これだけ長いこと想いつづけていたんだから、もう少し彼女のプライベートに足を踏み込んで色々なことを知り、それがどれだけ俺の主義に反しても、幻滅することはないと思ったことだし。
 彼女にとってはいきなりの言葉だし驚きもするだろうし、想いを告げた結果として距離を取られるかもしれない恐れはその時もまだ持っていた。だけど以前にはない余裕が持てたのは、男の気配のない彼女が結婚願望を持っているなら年齢的にも焦っているんじゃないかなという推測だった。
 働き振りを見ると結婚願望がなくてもおかしくない様子だが、素の彼女はそれとは全く違うからごく普通の幸せを求めているんじゃないだろうか。
 俺は楽観的に構えつつ、彼女が通りすぎるのを待ち偶然を装って後ろから声をかけた。一瞬びくりとして恐る恐るそうっと彼女が振り返る仕草が愛らしく思えた。そんな様子を見せられたものだから何気ない振りをしていたけど緊張していて、誘い文句は少しもスマートじゃなかったにもかかわらず彼女は最終的にうなずいてくれた。
 少し手違いはあったけれど彼女と夕食を共に出来て、俺は浮かれた。彼女はアルコールが得意でないのかソフトドリンクで、俺はそういうわけじゃなかったがアルコールを避けた。酒の勢いで思ってもいないことを言ったと彼女に判断されたら困るからだ。
 酒がなくても十分に楽しい時間だったし、浮かれてあれこれとしゃべったような気がする。間の抜けた失敗談をすると彼女が楽しそうに笑ってくれたので、当時は落ち込んだ失敗もしたかいがあったというものだ。楽しい時間はすぐに過ぎようとして、すぐにデザートが出てきてしまったが。
 酒の勢いを借りれないのは、彼女の誤解を避けるためとはいえつらかった。予測していたようにもう安心感が忍び寄っていて、臆病な俺がもう少し時間を置いてもと言い始めていた。戸惑いつつもあっさり俺の誘いに乗ったからにはやはり男はいないのだろうという確信に満ちた推測が、安心感を煽っていた。これではいけないと意を決し、俺は彼女の様子を伺いつつなんとか告白することに成功した。
 かつても俺の気持ちにまったくといって気付いていなかった彼女はどれだけ水を向けても俺の想いを悟ってくれはしなかった。じらすわけでなく、本当に本気で。
 馬鹿みたいにストレートに好きだと口にして初めてようやく反応するなんて、予想以上に鈍い。
「うそ」
 目をいっぱいに見開いて彼女は口にする。
「嘘じゃないよ。それが本当だから、口実をつけて食事に誘ったんだから」
 冗談を言ったのだと思われたくなくて、俺はすぐさま告げる。真剣に言ったけど、声に不機嫌さはにじみ出た。最初の反応が「うそ」とは俺の想いも報われない。
 だけど俺の不満はすぐさま霧散した。信じられないと顔に書いたまま、現実とは思いがたかったのか彼女は自分のほっぺたを引っ張ったのだ。何度も確認するように力をこめて。現実にほっぺたを引っ張って夢か現実かを確認するなんていい大人の行動じゃないが、仕事中の様子とのギャップが大きくてやはり可愛く見えてしまう。これが惚れた弱みってヤツなんだろうな。
 痛いんじゃないだろうかと思いつつその様子を堪能していると、やがて手を顔から離した彼女は痛みを感じていないかのように真剣な顔で口を開いた。
「本当なの?」
 俺の言葉を疑わしいと思っているよりは、自分がまさか告白されると思っていなかったので信じられないといった様子だろうか。俺はすぐさまうなずいて彼女に応えた。
 いい返事がもらえるにしろ、そうでないにしろ、つもりに積もった想いをこの際少しでも伝えようと熱に浮かされたように俺は言葉を続ける。否定も肯定もせずに相槌を打つ彼女は少し戸惑っているようで、俺はそのうち我に返る。俺の気持ちを予測していなかった彼女からすぐさま返事がもらえるとも思えない。せっかくそう悪い反応ではなさそうなのに、まくしたてるようにどれだけ想ってきたのか伝えると逆に引かれるのではないかと俺は言葉をしまおうとした。
 突然ごめん、久々に会えてうれしかったから。できれば少し考えて欲しい。昼だけでなく、夜も時々こうやって会うことが出来たらうれしいんだけど――次に持っていくための言葉をあれこれ考えながら一瞬目を閉じて彼女の姿を視界から排除し、冷静さを取り繕う。
 諦めつつも描いた俺の今後のプランを、彼女がうれしい誤算で破ってくれたのは俺が話しはじめてすぐだった。
「そう言ってもらえて、うれしい」
 悪くない感触の言葉に作りかけていたシナリオが一気に霧散する。
「私も、その。あの、三枝さんのことが、好きです」
 恥ずかしそうに、彼女は口にする。夢じゃないかと思って、俺の方がほっぺたをつねりたくなってしまい、その代わりに強く握りこんだ拳が痛みで現実だと知らせてくれた。 
「ずっと前、三枝さんと一緒に過ごすのが、楽しかったんです」
 一つ一つ、彼女は言葉を探すようにしていた。俺はゆっくりと相槌を打つ。
「ずっと続けばいいとどこかで思ってて。だけどその時はそんなことに気付いてなくて、三枝さんが目の前からいなくなって、初めて気付きました。私、そういうのには疎くて。会えなくなって初めて、ああ恋してたんだって気付いてしまって」
 その時彼女が初めて俺に見せたのは、その言葉を信じるに足るほんのりと色づいた顔。二人きりだったら、きっと手が出ていたと思う。得意先の店だというストッパーがなければ、二人きりでなくてもやばかったかもしれない。
「だからその……うれしかったです、とても」
 彼女に気付かれないように俺は自分を取り繕った。
 取り繕いきれなくて、告白どころでなく結婚前提の交際まで取りつけたのは怪我の功名だ。

2008.11.04 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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