IndexNovelうそつきでーと

4.ばれんたでーと3

 バレンタイン当日。
 いつもより気合いを入れて仕事を終えた春菜は、いつもよりも多少めかし込んだ姿で会社を出た。お気に入りのコートの下は、やはりお気に入りのものだ。
 柔らかく揺れるアシンメトリーのフレアスカートは膝上丈。黒い光沢のある素材だ。その上には白いセーターを合わせた。
 全体的に地味な色合いだが、モノクロが今年の春菜のテーマだ。
 いつものカバンと一緒に紙袋を持って、やや早足で春菜は進んだ。修平の勤める会社まで、そう距離はない。終業時刻が同じなのだから、終わってすぐに駆けつけても下手をすれば捕まらないかもしれない。
 歩きながら春菜は慣れた手つきで携帯をカバンから取りだした。すっと手袋を外して、メール画面を起動する。素早く打ち込んだ文面は、歩きながらだからいつも以上に素っ気なかった。
「今日の予定はないわよね?」
 えいと送信ボタンを押し込んで携帯をしまい込むと、春菜はさらにスピードを上げた。
 これで今日は予定があると返事があったら、落ち込む自信がある。不安を覚える暇を与えないように、右に左に勢いよく足を出す。
 携帯が音楽を奏で始めたのは、道半ばに到達した頃だった。再び携帯を取り出すと、小さな液晶画面は修平からの着信を告げている。
「お、つながった――」
「何よ、修平」
 思わず春菜は足を止めた。
 バレンタインの夜だからだろうか、誰もがいつもより足早に歩いている気がする。邪魔そうに睨まれたのを感じて、慌てて春菜は道の脇に退く。
「何よとはご挨拶だな」
「こんばんわ?」
 満足げに修平が笑った気配がする。雑音がひどいのは、どこか外からかけているからだろうか。携帯を耳に押しつけながら、さらに春菜は脇道に逸れた。
「で、あんた、今日暇?」
「いや」
 素っ気なさを装った問いかけの返事は短くて、おまけにため息が続いた。一瞬で春菜の体から緊張が逃げ去る。背筋をひやりとしたものが撫でた。
「そういう聞き方はないと思うなー。俺のスケジュールはずっと前から真っ黒だ」
「そう」
「おう」
 くっくっくと含み笑いが続くのが、どこか遠いことのように聞こえる。実際手から力が抜けて、携帯が耳から離れてしまった。
「お前は俺と付き合ってることになってるんだろうが。チョコの一つくらい渡してくれるつもりがあるんだろ? 連絡を入れてきたってことは」
 声が聞こえるギリギリのところで、修平はそう続けてきた。手に再び力を込めて、春菜は耳に携帯を押しつける。
「は、え?」
「間抜けな声出すなよ。……お前もしかして、今日がバレンタインとも気付かず連絡してきたのか?」
 春菜はもごもごと口ごもって、呆けたような顔で携帯を持った手を見る。
「マジか? おいおいー」
 携帯から聞こえる修平の声から力が抜けていく。あからさまなため息の後で「期待して損した」と続いた。
「期待って、あんた」
「普通するだろ。小学生でも色気づいてチョコを学校に持って行く時代だぞ――いや、本当にそうかよくわからないけど」
「期待、してたの?」
「悪いか。一応仮にも付き合ってることにしてるんだから、バレンタインくらい外してくれるなよ。落ち込むだろー?」
 ぽかんと間抜けに口を開けた自分に気付いて、春菜は慌てて周囲を見回す。人通りはそれなりだけど、誰もが忙しそうに歩き去っていく。幸い、誰にも間抜けな姿を目撃されなかったようだった。
「落ち込むって……」
 ほっとしつつ春菜は携帯に呟いた。
「意外そうな声を出すな。もういいから何も言うな。期待した俺が馬鹿だったから、黙って電話を切ってコンビニに駆け込め。で、何でもいいからチョコを買ってこい」
「え、いや、あの」
「待ち合わせ場所は、そうだな。郵便局の前くらいで。ポストの横な。わかったか?」
 たたみかけるように言い放つと、返事を待たずに修平は通話を終了させた。右耳から左耳に駆け抜けていった言葉を思い返しつつ、春菜は携帯を見下ろした。
「私こそ、期待してもいいのかしら」
 カバンの中に携帯を滑り込ませて、春菜は独りごちる。きゅっと紙袋を握る手に力を込めた。
 「修平の今日の予定」はどうやら春菜のために埋めてあったものらしい。春菜はくるりと反転して、修平が指定した郵便局に向けて軽い足取りで歩き始める。
 今日だけはほんの少し素直に修平にチョコを手渡そうなんて思いながら。

2007.02.14 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

←BACK  INDEX NEXT→

感想がありましたらご利用下さい。

お名前:   ※ 簡易感想のみの送信も可能です。
簡易感想: おもしろい
まあまあ
いまいち
つまらない
よくわからない
好みだった
好みじゃない
件名:
コメント:
   ご送信ありがとうございますv

 IndexNovelうそつきでーと
Copyright 2001-2009 空想家の世界. 弥月未知夜  All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.