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5.ほわいとでーと4

 ぐるりと近くを散策してから待ち合わせ場所に向かったのは、時間があったからだ。時々振り返ってみたのは、暇をもてあました智香が追ってきているんじゃないかと馬鹿な想像をしたから。
 あんなことを言われた上に、修平と二人でいるところを目撃されたら――恥ずかしくてしばらく彼女とまともに顔を合わせられないに違いない。
 彼からの連絡を待つ彼女はそこまで暇じゃないだろうけどと、振り返るたびに春菜は自嘲した。気にしすぎなことは自覚している。でも、どうしたってうまくいかなかった時のことを考えずにはいられなかった。
 待ち合わせまでの残り時間と、場所までの距離を測って、五分前につく計算で春菜は郵便局に向かう。オフィス街の町並みは彩りに欠けている。足早に進む人間が多いのは待ち合わせなのか、家に急ぐのか――慌ただしい人並みの中で一人春菜はゆっくり進む。
 角を曲がって郵便局が姿を現すと、一ヶ月前と同じポストのところにすでに修平が立っているのが見えた。スーツにジャケット。左手にカバンと紙袋。右手で携帯をいじっていた。慌てて春菜が駆け寄ると修平は気付いて携帯をしまい込んだ。
「よしよし」
「何がよしよしよ」
「ちゃんと指令通りにしてきたな」
 馬鹿にしたような口ぶりだと睨みつけた修平は、一人満足げにうなずいている。虚を突かれた春菜は一瞬何も言えなくなった。
「――私だって、おしゃれの一つや二つするんだからね」
 気を取り直しての言葉に修平が目尻を下げている気がするのは気のせいだろうか。迫ってきた暗闇の効果かもしれない。緊張するのを和らげるために、春菜は気のせいだと思うことにした。
「俺だけのためにって事実が重要だな、今日の場合は」
「はぁっ?」
「その意味で今日は上出来だ。おまえそんな服持ってたの?」
 さらりと修平は妙なことを言わなかったか――?
 ぼそりと聞こえた言葉ははっきりしていなくて、思わず春菜は修平を見る。それをかわして修平は軽く首をかしげた。
「私だって可愛い服の一つや二つくらい持ってるわよ。着ないだけ」
「着ないのに何で持ってんだよ」
「衝動買いよ。悪い?」
「いやまったく」
「何か馬鹿にしてるわね……? 似合わなくても黙ってるのが男の度量ってもんよ」
 にやにやする修平に春菜は指を突きつけた。
「いいじゃない、バーゲンで時季外れだったし、だからなの。一度着ればもうお蔵入りでいいわよ安かったし!」
「はいはい」
「真剣に聞けっ!」
「聞いてるって」
 真剣に聞いているとも思えないにんまりとした笑みに、春菜は突きつけた指を握りしめて軽くごつりと修平の胸元を叩いた。
「真剣に聞いてたらそんな顔しないわよ。鏡見てきたら?」
「脂下がってる自信はあるなー。メール効果とはいえ俺のために春菜が着飾ってくれるとは。お、そうだ。記念写真を撮っておくか」
「は? な、え――修平?」
 しまい込んだはずの携帯を取り出した修平は、驚いて身を引きかける春菜の手首をつかんだ。カシャッと歯切れのよいシャッター音。満足げに修平は一つうなずいた。
「ほら、よく撮れてるだろ」
 画面いっぱいのバストアップ画像。春菜が文句を言う前に修平は携帯をしまい込んだ。
「あんた、それ、盗撮よ……?」
「仮にも一応今のところ彼氏に盗撮疑惑をかけるのは止めろ」
「だって」
「別におまえ写真嫌いじゃないだろ。今更撮らなくてもうちにはたくさんおまえの写真データはあるし、少しくらい増えても平気だろー?」
「そ、それはそうだけど」
 修平の言うとおりだ。春菜は反論を素直に諦めた。別にやましいような写真でもない、そのまま修平の携帯に残っていたところで誰も気にしないだろう。
 当たり前のことにすぐ気付かなかったのは、修平が未だ手首を掴んだままだからだ。そのことを思い出して手をひねると修平は逆に力を込めてきた。
「跡がつくじゃない」
「おー、悪いな」
 悪いと思っていない顔で修平はぱっと春菜の手首を解放した。ほっとしたのもつかの間、今度は手を繋いできたのだからたまらない。
「修平ッ?」
「叫ぶな。目立つ」
 動揺はたやすく収まってくれそうになかった。
 修平が何を考えているのか読めない。春菜の手を握りしめる彼の手は温かく、そして優しかった。頬が紅潮するのがわかってそっぽを向く春菜を見て、修平はくつくつ笑う。
「何が楽しいのよ!」
「じゃ、行くか」
 かみつく春菜の言葉を聞き流して、修平は歩き出した。握られたままの手に戸惑いを覚える春菜に気付いていないような横顔で、修平はどこか急いでいるように見える。
「――どこ、行くの」
 気恥ずかしくて手を振り払いたい。だけど本物の恋人のような行為なんて、この先あるかどうかわからない。小学生の子供が遠足で手を繋ぐような代物でも、春菜にはいっぱいいっぱい。握りかえすほどの勇気はなくて、そっと添えるだけ。高鳴る胸の鼓動を意識しながら修平について行く。
「晩飯食いに行くんだよ」
「どこ?」
 修平は笑うだけで答えない。
 オフィス街を挟んで正反対に二人の家はある。バスに乗って少し行った方が店の数はあるけど、明日も仕事なのだから帰る手間を思えば近場ですませる方が効率的だ。バス停の前を通り過ぎ、修平は歩き慣れた様子で次々に角を折れる。
 日頃家と会社の往復、遊ぶときはバスで出る春菜では見当もつかない方向に、彼はどんどんと進んでいく。
 時折未だ冷たい風がひゅっと二人の間を通りすぎた。寒いのだと言い訳を作って、手を繋いでいるのをいいことに少しずつ距離を詰める。そんな春菜に気付いているのかいないのか、やがて足を止めて彼女を見下ろした修平は少なくとも全く気にしていないようだった。
「ここだな」
 ごく普通に見えるビルの前に、チョークに彩られた黒板が立てかけられている。ライトに照らされた黒板に視線を落とした春菜を軽く引っ張って、修平はビルの中へと進む。
 幅の狭い廊下の奥のエレベータに乗り、しばし。開いた自動扉のすぐ前は、すでに黒を基調とした落ち着いた店内だった。
「いらっしゃいませー。ご予約でしょうか?」
「七時に予約の三元だけど」
「こちらどうぞー」
 店員に導かれたのはほどよく仕切られたテーブル席。上着を店員に預けて座り込む。
「予約してたの?」
「おうよ」
「それなら早めに連絡してくるべきじゃない?」
 修平は答えずに、メニューを広げた。
「まずはビールかな。お前は?」
「朝イチで連絡とかあんた私をなんだと思ってるの?」
「富岡春菜」
「そういう意味じゃなくて!」
 騒ぐ春菜を押しとどめながら店員を呼んだ修平は、勝手にビール二杯にサラダ、おつまみ系の物をいくつか頼んでしまう。
「あのさあ。朝に突然言うのはどーなのよあんた。先約があったらどうする気なわけ」
「ホワイトデーだろ今日。俺はチョコもらったろ。それをすっかり忘れて先約が入ってたら、とりあえずへこむな」
「へこむってあんた……」
「当たり前だろ」
 さらっと言うと、修平は春菜を流し見た。言葉に詰まる春菜を見てきゅっと目を細める。
「先月と同じ手で行こうかと思ってたんだけどな。どうせなら、多少は着飾って欲しいかなと」
「いつもそれなりに飾ってるつもりだけど?」
「最近色味が少ない」
「は?」
「バレンタイン、葬式のような色だったろ」
「葬式って……」
「白と黒だった」
「シンプルでいいじゃない」
 修平は呆れたように大げさにため息をついた。理由を問いただそうとした春菜だが、ビールと突き出しが来たのでタイミングを逃した。グラスを軽く合わせて、不満げにビールをすする春菜を見て修平は頭を振る。
「バレンタイン、期待してたんだぜ俺。なのに連絡があったと思えば今日暇かと来た、チョコを催促してやってきたお前の格好は葬式のような色」
「葬式葬式連呼しないでよ」
「だって白と黒だったろ。お前は俺のことを何とも思ってないのかよと本気で落ち込みかけたんだからな」
「落ち込むってあんた」
 あの日も確か修平は電話先でそんなことを言っていた。それでも春菜は信じられなくて、まじまじと修平を見つめた。
「見た感じチョコはあらかじめ準備してたみたいで、多少浮上したけどなー。でも葬式カラーはないだろ。そんな鬱々とした気分で俺に付き合ってんのかと思ったぜ」
 なんと答えていいものか、迷ってしまう。鬱々とじゃないと言えばいいのか、嫌々じゃないと言うべきなのか――あるいはこの機会に素直に好きですと言うべきなのか。
「で、朝突然言ってみて、どうなるか様子見したわけだ」
「様子見ぃー?」
 結局春菜は言うタイミングを逃して、続く言葉に疑惑の声を上げただけだった。
「ちゃんとおしゃれしてきてくれたら、多少は見込みがあるって思えるだろ?」
「見込みって――あんた、私に言ったことをまだ後悔してないの?」
「いつか後悔すると思ってるような言い方はやめろ、頼むから」
「だってさ」
 春菜は唇をとがらせて、ビールをあおった。
「クリスマスにあんなこと言われて、それからほっとんどなにもないじゃない」
「ちゃんとイベントごとは押さえてるつもりだけど。俺の希望としては一緒に年越しも捨てがたかったんだけどなー」
「はあっ?」
「ほら、絶対お前引くだろ。遠慮してんだよ」
 サラダをつつきながら修平は呟く。
「あんまりしつこくしすぎて引かれたら、それこそ後悔だ」
「はあ」
「誘うタイミングも計りかねてんの。お前の反応はだいたい想像できるけど、たまに予想外の方向に向くからなー」
「別に遠慮することないのに」
「よく言うよ」
 修平もごくりとビールをあおった。ぷはーっと息を吐いて鋭く春菜を見据える。
「最初の頃、俺のこと嫌がってたろ」
「昔の話を出すわねえ。嫌がってたって言うか、軽そうな男だから警戒してたの」
「本人目の前にしてよく言えるよな。だいたい俺のどこが軽いっつんだ」
「軽いでしょ。初対面の私を軽く誘ったくらいに。その場限りで終わるかと思ったら、何度も何度も現れて声かけてくし」
「それはお前を心配したからだろー?」
 うわあ信じられねえお前。俺の思いやりをなんだと思ってんだ。
 ぼやいた修平はビールのおかわりを注文する。
「まあ、そんな過去の話はどうでもいいんだ。問題は未来だろ」
 修平はいすに置いていた紙袋を春菜に差し出した。
「ほれ。これはお返し」
「あー、えっと、ありがと。三倍どころか十倍くらいありそうだけど――よかったの?」
 紙袋の中身は漫画雑誌数冊分の厚みがある。中身はわからないけれど、体積的に相当大きい。
「おうよ。気に入って使ってくれたら問題ない」
「使う?」
「食べてなくなったら面白くないからな」
「なるほど。ありがと。帰って楽しみに開けるわ」
「おう」
 にやりと修平はうなずいた。

2007.03.14 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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