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5.ほわいとでーと5

 それからまったりと二人は食事を楽しんだ。クリスマスと同じ友人に紹介してもらったらしいこの店は、あの日と同じく雰囲気もよく味もいい。
 あれこれ話しながら舌鼓を打つ。過ぎ去るのが惜しくなるような落ち着いた時間は思いの外早く終わってしまった。
 残念に思いながら店を出、春菜は別れを告げようとする。だが、修平は送るぜと先だって歩き始めた。
「ていうか、送らせろ」
「命令形ッ?」
 小さく叫んで、春菜は彼の後を追った。小走りに修平の横につく。来た時のように手を繋ぐほどの勇気もなく、いつかの夜のような距離。
「心配だって言ってんだよ」
「ぬなっ」
「いちいち奇声あげるな」
 ぼふっと修平の手が頭に降ってきた。ぐしゃりとやられて春菜が睨むと、彼は楽しそうな顔で手を引いた。
「や、だって。心配って――別にこれまでも何もなかったし、これからも何もないわよ」
「楽観的だねえお前」
「そんな暇人いないと思うし」
「もうちょっと危機感を持ってくれると俺としてはありがたいなー」
 修平はふわりと春菜の手を包み込んだ。はっとして春菜は繋がれた手を見下ろした。修平の力でその手は持ち上がり、春菜の手の甲に唇が一瞬押し当てられた。
「――な?」
「な、な……なにが、な、よー!」
 彼は楽しげな笑い声を上げた。春菜は真っ赤になりながら手を振って、修平から離れようと努力した。上に振り下に振り、左右にも慌ただしく。押しても引いてもびくともせず、彼は春菜の手を離そうとしない。
「放してよ!」
「駄目だ」
「なんで!」
 叩き付けるように叫びながら春菜はぶんぶん腕を振り回した。
「楽観的なこと言ってられなくなっただろ。危機感持ったか?」
「持ったか、じゃ、ないっ!」
「ここに一人お前が魅力的だと思う俺がいるわけだし、他に誰かいないとも限らないだろ」
 平然と言われて、春菜は絶句する。手を放そうとする努力を続けながら、彼女はますます鋭く修平を睨んだ。
「も――もしかして、あんたが今一番危険なんじゃないの?」
「まあある意味危険かもな」
「こんな路上で、手に――って、何時代の何人っ?」
「現代日本人だよ。何言ってんのお前」
 さらりと呆れたように漏らしてから修平はぱっと手を放した。バランスを崩しかける春菜の腕を今度は掴んで、彼は逆に急接近を果たした。
「いやー、ウブい反応が可愛いなー、お前。顔赤いぞー。おもしれー」
 呆れた顔が一瞬でからかうそれに変化した。むっとして春菜は捕まれた腕の肘を修平に突き出した。狙い違わず、春菜の肘は彼の腹にぶち当たる。
 予想外の行動だったらしく、修平の腕が緩んだ隙に春菜は身を引いた。
「死ね!」
「その発言はしゃれにならねーぞっ」
「黙れこの変態」
「黙れるか! ちょっとしたスキンシップだろうがー?」
「突然変なことするあんたが悪い!」
「宣言してする方が間抜けだろうが。お前聞かれたいか? マジキスはあれだから手にキスしてもいいかとか聞かれたいかー?」
「聞かれたくないに決まってるでしょ馬鹿!」
 叫んでふうっと息を吐く春菜を見据えつつ、修平は一つこくりとうなずいた。
「だったら問題ないだろ」
「あるわよ。心臓に悪い!」
「ほほー」
「ほほーじゃない。寿命が縮んだらあんたのせいよ」
「お前それ、小学生みたいな言いがかりだな」
「ぐっ」
 軽くやりこめられた気がして、春菜は詰まった。調子が出ないのは修平のせいだ。戸惑っている隙に次々ととんでもないことをやらかす彼が、春菜の頭の回転を鈍らせる。
 修平の手が再び春菜の頭に降ってきた。優しい手が数度頭をなでて去っていく。
「多少意識して頂けたなら、思い切った価値はあったな」
 すっと修平は数歩進んだ。唇をかみしめる春菜を振り返り「行くぞ?」とけろりと告げる。
「多少どころじゃないわよ……」
 ぶすっと呟いて、我ながら可愛くない声だと春菜は思った。春菜がついてくると信じて疑っていないらしい背中は、その声が聞こえなかったらしく先に先に進む。
 ――ものすごく、意識した。口から心臓が飛び出そうだった。色めいた前触れもなしにとんでもないことをやらかした当人はすでにそれを忘れたような足取りなのに、やられた春菜はドキドキが未だ収まらない。
 一瞬で起きたことすべてが、妙にはっきりと思い返せて、収まるどころかいつまでも終わりそうにない。
「春菜?」
「……行くわよ。行けばいいんでしょ」
「何でそう反抗的かなーお前」
「あんたが悪い」
 振り返って呼びかける修平に、ため息を漏らして春菜は駆け寄った。少し距離を取ったのは、近づけば心臓の音が聞こえるのではないかと危惧したから。
 それを見てわずかに苦笑した修平は、でも何も言わなかった。
 ひんやりとした空気が支配する中を、黙って並んで歩いた。歩くうちに紅潮した頬は平静を取り戻し、収まりそうになかった心臓も少しずつ落ち着き始める。
 人間は忘却する生き物だと春菜はつくづく思った。冷静になるにつれ、先ほど思い切り拒否したのはもったいなかったんじゃないかと後悔し始めた自分に呆れたりもする。
 春菜はこっそりと修平の顔を見て、恥ずかしくなってそらした。
 いくら人通りがないとはいえ道の真ん中で、あんなことをする程度に、修平は本気で自分のことを思ってくれてるのだろうか?
 自問に、そうかもしれないと春菜は答えを出した。希望の明かりがぽっと胸に灯ったような感覚。内心を反映して気持ち足取りが軽くなった気がする。心臓が落ち着いたのをいいことに気持ち修平に近づいた。
 アパートまではあと少し。もう五分もかからない。希望の明かりを勇気に変えて、春菜は口を開いた。
「ねえ、修平」
「ん?」
 呼びかけに修平は春菜を見下ろし、軽く首をかしげて不思議そうな顔をする。
「あんたはまだ自信があんの?」
「自信?」
 ストレートに問いかけるには、経験値が足りない。春菜の婉曲な問いかけにますます修平は不思議顔。
「同じこと、言える自信」
「ああ、クリスマスのアレか」
 納得したように呟くと、修平はあっさりとうなずいた。
「当たり前だろ。なけりゃ、今ここにいないぞ」
「ほんとに?」
「嘘ついてどうすんだよ」
 春菜はぎゅっと両手を握りしめた。今こそ、素直に言うべきかもしれない。春菜は口を開きかけては閉じることを繰り返した。いざとなるとなんと言っていいのかさっぱりわからなかった。
 実はあなたが好きでした――それが素直に言えていたら、クリスマスに言っている。
 だからと言って、クリスマスからこっちで好きになったなんて嘘は言えない。
 そう言うなら付き合ってあげるなんて偉そうなことを言って、同情はいいと突っぱねられるのも嫌だ。
 色々な予想が頭を巡って、結果として春菜は何も言えなくなった。
「――もしかして、俺に惚れたか?」
 悩む春菜の百面相を見下ろしていた修平は、ややして静かに聞いてきた。巡る思考に心を飛ばしていた春菜はささやき声に息を飲む。
「あ、や、その、ねえ?」
 春菜自身もわからない意味のない呟きはもちろん修平にだって意味不明だろう。大げさなため息を漏らして、彼は頭を振った。
「いや、何も言うな。お前が口を開くとろくなことがない気がする」
「な……、なんでよ!」
「だから黙れって」
 すっと修平の手が伸びて、春菜の口を塞ぐ。
「何となく感触はいい気はしてたから、多分思った通りでいいんだろ」
 そんな風に納得されると何となく釈然としなくて、口を塞がれたままむーっとうなる春菜に修平はにっと笑いかけた。
「大方、はっきり言うのは悔しいとか思ってんだろ。だから、無理して言葉で聞こうとは思わない」
 ほれ、と修平はジャケットから小さい箱を取り出した。空いた方の手でしっかりと春菜にそれを握らせて、身を引く。
「あんたは、私をなんだと思ってんのよ」
「意地っ張りなのは間違いないな。いいからそれ開けろ」
 うなるのを止めて春菜は渡された箱を見下ろした。青いリボンだけがかかった、シンプルな四角い箱。疎い春菜でも何かのアクセサリーが入ってそうなサイズだと想像できた。
 恐る恐る春菜はリボンを引っ張った。緊張で手が震える。だけどリボンをつまんで引くくらい造作ないことだった。上蓋を取り払うと、青い石がはまった指輪が姿を見せる。
「シルバーだけどな。気持ちはこもってるぞ」
 さらりと修平は告げる。
「俺と付き合っていいって言うなら、今ここではめてくれ。そうじゃないなら、返せ」
 ぶっきらぼうを装った口ぶり。なのに修平の眼差しだけは真剣で、春菜は箱を握る手に力を込めた。
「結論は四月一日じゃなかったの」
 素直じゃない言葉が思わず口から飛び出たが、行動としては大事に箱から指輪を取り上げた。
 口にするのは恥ずかしい。行動するのも同じだが、まだ敷居が低かった。それを見越して修平が指輪を準備していたというなら、先見の明がある。あるいは春菜の性格を理解しきっている、と言えるだろうか。
 どんな顔をして修平が買ったのか想像できない、かわいらしい指輪だ。疎い春菜は何という石が嵌っているのかわからない。どの指にするべきなのかもさっぱりで、指輪を持ったまま春菜は固まった。
「薬指にしてもらえるとありがたいな」
「本気でいってんの?」
 目を見開く春菜にあっさりと修平はうなずいた。小さな箱を取り上げてさあ、と促す。何なら俺が嵌めようかと手を差し出されて、春菜は身を引いた。
「自分でするわよ!」
 左手にする勇気はない。右手の薬指では関節のところで止まってしまった。小指ではぶかぶか。
「左手だろ、そこは」
「本気で?」
「おう。何かよく知らないけど、右より左の方が指が細いらしいし、入るだろ」
 入る入らないの問題ではないのに、修平の口ぶりは左手の薬指の特別さを感じていないような軽いもの。
 自分だけ気にしているのが馬鹿らしくなって、春菜はえいっと指定の指に指輪を嵌めた。多少の引っかかりを覚えたものの、修平の指摘通りにちゃんと指輪は春菜の薬指できらりと光る。
 それを見て、修平はひどく満足そうに一つうなずいた。
「お試し期間は今日で終了ってことで――いいよな?」
「よくなかったら、とっくにこれ突き返してるわよ」
 春菜が口にした瞬間に後悔した素直じゃない言葉を、修平は笑顔で受け止めた。
「やっぱりやめたはなしにしろよ?」
「もちろんよ」
 負けん気を刺激する一言は、朝のメールと同じ。力強く言い切って、春菜はふとそのことに気付いた。
「あんたもしかして、私をいいように操ってない……?」
「お前だって俺をいいように振り回してるんだからおあいこだな」
「振り回してないわよ」
「いーや振り回してる」
 修平は言い聞かせるように言いながら、春菜の鼻面に指を突きつけた。文句を言う前にすっと下に降りた指が、すっと春菜の唇をなでて去っていく。
 春菜は息を飲んで、呆然とその指を見送った。
「このよき日に喧嘩はなしにしようぜ。せっかくの余韻が消えるだろうが」
「修平、あんた、いま、なに……」
「まあ落ち着け」
 ぽんと肩を叩かれて春菜はぴくりと肩を震わせた。それを見て修平は軽く肩をすくめて、手を引っ込める。
「うん、まあ。とりあえず今日は帰る。明日も仕事だしな。ほれ帰れ」
 促されて素直に春菜が従ったのは動揺が抜けきっていなかったからだ。アパートの階段を上り、扉の鍵を開けて少し振り返る。修平が小さく手を振って身を翻した。
 気持ちを落ち着けるようにゆっくりと部屋に入り、春菜は扉を閉めた。もちろんそんなことで動揺が収まるわけもなく、力なく玄関にへたり込む。
「嘘みたい」
 呟いて、ゆるゆると左手を持ち上げ、現実を確認する。つややかなシルバーにきらめく青い石。春菜が贈ったバレンタインチョコに見合わない本気を感じさせる一品。春菜は右手で左手を大事に握りしめた。
 バレンタインのお返しは他にもらっているのだから、修平は別口で準備していたのだろう。
 自信のなさからくる疑いを彼はきれいに晴らしてしまった。それは多分喜ばしいこと。
「なんとなく、悔しいけど――ね」
 男慣れしていない春菜に対して、修平は女慣れしている。そういうことだろう。むくりと嫉妬が芽生えるのを春菜は慌てて払った。修平じゃないけれど、このよき日にくだらないことを考えるのは止めよう。
 大事なのは過去でなく未来。今修平が思っているのは、自分なのだ――信じがたいことに、本気で思ってくれてるのだ!
 浮き上がる思いを自由に羽ばたかせて、春菜はにんまりと笑った。

END
2007.03.15 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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