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その翌日

 ホワイトデーの翌日、つまりは三月十五日。
 春菜はもう二年ほどの付き合いになる友人に連れられて昼にランチへ繰り出した。
「で、どうなったのか教えてくれるんでしょーね?」
 注文を終えてしばらく経って智香はおもむろに問いかけてきた。にっこり微笑んではいるものの目には有無を言わせない光が宿っていて、春菜はごくりと息を飲んだ。
 すっと近付いてくる顔が笑顔なのに何故か怖い。
「どうなったのかって――何が?」
「何が?」
 裏返った声が智香の口から飛び出る。
「何がって、それを言う? 昨日の今日で?」
 智香は信じられないとばかりに声を上げて春菜の顔をまじまじと観察する。居心地が悪くなって身じろぎをする春菜に向けて無遠慮に「正気?」とまで尋ねてきた。
「正気って何だ、正気って」
「昨日! あんなにおしゃれしてうきうきと誰とデートしたのかって話よ」
 智香の声は遠慮なく辺りに響いた。
 お昼時のレストラン。無機質なオフィス街にわずかに彩りを添えるおしゃれな店内。隠れ家のような落ち着いた雰囲気が気に入ってるのよねと春菜を引っ張ってきた張本人が肝心の空気を台無しにしている。
 そう広くない店内のテーブルは満席で、客のほぼ全員から興味深そうな視線を受けた春菜は慌てて智香の口を塞いだ。
「――お客様」
「すみませんすみません、うるさくしませんから」
 女性スタッフがそっと近付いてきたので、慌てて春菜は頭を下げる。気をつけてくださいねと苦笑しつつスタッフが立ち去って胸をなで下ろした。
「頼むからもう少し静かにしてくれない?」
 智香はそもそも地声が大きい。だから無理かもと半ば諦めつつ春菜は声をかける。
「ごめんごめん、つい興奮して。でも春菜も悪いんだから」
 それでも多少はトーンダウンした智香が片手をひょいっと顔の前に持ち上げる。
「悪いって言われてもねえ」
 ため息を漏らして、春菜は呟いた。
「うまくいったんでしょ、昨日」
「どうして断定するわけ?」
 何で昨日智香に見つかったんだろうと春菜は考える。
 よりによって着替え終わった後にくるっと回転したのを目撃されるなんて――普段は絶対そんなことしないし、人がいると分かっていればしたはずなかったのに。
 どれだけ後悔しようと、時計の針は元に戻らない。
 もう少し早めに更衣室に行って着替えるか、智香の存在に気付いているか、それとも遅めに行けばどうにかなったのかもしれないけど、考えるだけ無駄だ。
 考え込む春菜に構わず、智香はにんまりとした笑みを浮かべた。
「乙女の勘?」
「はあ? 二十歳過ぎた女が乙女ってどうなの、それ」
「女は永遠に乙女なのヨ?」
 冗談めかして智香はウィンク一つ寄越す。春菜は呆れて息を吐いた。
「智香がそう信じてるなら信じ続ければいいけど」
「冷たいなー、春菜は」
 注文していたランチが届いたので会話が中断し、春菜はいそいそとフォークを手に取る。
「――で、相手はどんな人なの?」
 智香は料理に手をつけようともせず興味津々な顔で平然と話を続けようとするので、春菜の手はピタリと止まった。
「どんな、って……」
 それが簡単に言える相手ならば――智香の知らない相手ならば――春菜だって昨日のことを友人に伝えても良かった。
「話すって言ったわよね?」
「うまくいったらそのうち、って言わなかった?」
「うまくはいったんでしょ。昨日より機嫌が好さそうって証言もあるのよ」
 さあ吐け、と智香は身を乗り出す。春菜は眉間にしわを寄せてそんな彼女をにらんだ。
「誰だ、そんな証言をした奴は」
「情報提供者のことを軽々しく口にすると信用をなくすわ」
「ジャーナリストでもあるまいし……っ」
 ギリギリ歯をかみしめても、答えは出てきそうにない。朝から昼までオフィスにいた春菜の様子を窺えて、智香に連絡できるような相手は絞ろうと思えば絞れるが。
「ま、いいわ」
 問い詰めても楽しいわけでもない。いらだち紛れにフォークをサラダに突きつけて、春菜は気を静める。
「ま、黙っててもそのうちわかるんだろうし」
 智香の彼と修平にも交友があるのだ。春菜が黙っていてもそっち方面から話が流れる可能性は十分あり得る。
「観念した?」
「そーね」
 気のないそぶりで応じて見せつつ、春菜はウーロン茶でのどを潤した。
「修平よ、修平」
「へ?」
 緊張が突き抜けて、そっけない口調になった。だからか智香はぽかんと口を開ける。
「修平って、三元のことだよね?」
「そう」
「うそー」
 目をぱちくりさせて智香は真意を疑うようにまじまじと春菜を見た。
「嘘じゃないわよ」
「本気で? 嘘、えー」
 聞き出しておいてその反応は何だと春菜は仏頂面になる。そんなことにも気付かずに智香は呟きながら指を折った。
「五年? いや六年?」
「何の話」
「いや、長いよねと思って。粘り勝ちかな。ようやく報われたか」
「ど……どういうこと」
 よく考えればかなり正確に春菜と修平が知り合ってからの時間を智香は計算している。
 片想いを知られていたのかと、顔に朱が差した。隠していたのにとこっそり唇をかむ。
 うんやっぱり六年近いねと結論を出したらしい智香が顔を上げる。
「あんなナリなのに意外と一途よねえ、三元」
「え――は?」
 そしてけろっと告げられた盤面をひっくり返すような言葉に、春菜は呆然とした。
「いつからそんな風になったのよ。バレンタイン……なんてないわよね。告白はやっぱり三元から?」
「ど、どういうこと。何の話をしてるの」
「どういうことって、何が?」
「修平が一途って何」
 呆然としたまま春菜が呟くと、ああと智香は口の端を上げる。
「うん、まあ春菜は知らないよね」
「何を」
「恋に及び腰の春菜を、三元が結構長いこと想ってるってこと?」
「はぁ?」
 呆れかえった声が自分の口から出たのが春菜には分った。
「何その間抜けな顔」
 智香は春菜を見て軽く吹き出す。
「だって、何馬鹿なこと言ってるのかって思うでしょ!」
「馬鹿なんてしつれーねえ。言っとくけど、ホントの話だからね」
 唇を尖らせて智香は春菜を軽くにらんだ。
「三元は春菜のことが好きなんだって、有名な話よ」
「何それ」
 聞かされた言葉が信じ切れず、春菜はまじまじと智香を見る。嘘を言っているようには思えない真剣な瞳に動揺した。
「いつからよ」
「さあ、そこまでは。でもかなり長いらしいよ」
 動揺のあまりパスタを取りこぼした春菜を智香は笑う。機械的におしぼりでテーブルを拭いても、動揺は収まらない。
「春菜、騒ぐのは好きだけど別に男は欲しがってなかったじゃない?」
「あー、うん、まあ」
「しかも下手に近づくと、ほら、毛を逆立てた猫のように警戒するからさ」
「――そういう例えはやめてほしいけど」
「事実じゃん」
 くすっと笑みをこぼして智香は何かを思い起こすように目線をどこかに向ける。
「だからそーとー苦労して春菜に一番近い男友達の位置をキープしてたみたいだけど。そーか、とうとう三元にも春が来たかー」
「それはどこまで本当の話なわけ」
 突然明かされた真実めいた話を、どこまで信じていいのか春菜には分からない。きゅっと唇を結ぶ春菜に視線を戻した智香は「全部よ」と言い切った。
「苦節六年だから、達成感もひとしおよね。どこまで行ったの?」
「な、何の話を!」
「あっらー、顔を真っ赤にしちゃって」
「誰が!」
「春菜が」
 ぐっと言葉に詰まって春菜は智香から眼をそらした。まともにキスもしたことがないと言えば、何を言われるかわかったものじゃない。
 下手に口を開けばボロが出そうなので春菜は食事に集中することにする。
「昔何があったか知らないけどさ、三元は長い間あたたかーく見守ってきてくれたんだから、大事にしてあげなさいよー」
「――智香、それ何の話」
「三元に出会う前に大失恋をしたから恋愛に及び腰だったんでしょ?」
 だけど聞こえてきた言葉にどうしても反応しないわけにはいかなかった。フォークをぐっと握りしめ、春菜は低くうなる。
「修平め……」
 誤情報が飛び交っている事実に気が遠くなりそうだった。勘違いの挙句にそれをペラペラ話すとは何事か。
「何怒ってるの。三元はねえ、そんな春菜を六年も暖かーく見守った根気強い人なんだから、怒っちゃダメだって」
 訳知り顔で言ってくる智香は、誤認の事実を全く知らない。詳しい事情を説明しても信じてもらえないだろうな、と経験で悟った春菜はこっそりとため息を漏らした。
 「花粉症を誤解? 何言ってんの春菜。恥ずかしいからって盛大な作り話をするわねー」大方そんな反応が返ってくるだろう。それを修正するような気力は、今の春菜にはなかった。
 ううと唸って、春菜はちらりと智香を見る。
「すると、修平は、結構オープンにその、私に片想いをしているとか、思われてたわけ?」
「思われてるも何も、春菜がいないとこじゃあ堂々と言ってたし、知らない人いないんじゃないかなあ」
「……恥ずかしすぎて死ねる」
「愛されてるってことじゃない」
「アイツの好みは飲み会の片隅でひっそりといるような、なんてーの、おしとやかーでかわいータイプなんじゃなかったの?」
 ちっち、と智香は指を左右に振った。
「そうだったらしいけど、なぜか春菜に転んだんだって」
「なんで?」
「私に聞かれても。本人に聞けば?」
「聞けないわよ!」
「いーじゃない、うまくいったんでしょ? ラブラブなんでしょー?」
 そういう恥ずかしいことを言うなと春菜が文句をつけると、智香は余裕の笑みで可愛いやつめと笑う。
「三元のことは三元本人に聞けばいーじゃない。それよりも、私は春菜のことが聞きたいなあ。あんなにかたくなだったのに、何で三元に転んだの?」
「そ――そんなこと、言えるわけ、ないでしょ!」
 事実かどうかはともかく、智香は修平が春菜を長年想ってきたのだと思っている。そんな彼女に真実などとても言えそうにない。春菜が修平に片思いしてきたのだと言えば、智香なら絶対盛大に笑う。
 かみつくような言葉に智香は「やっぱり猫みたい」などと感想をもらし、まあいいわと引いた。
「昼休憩は有限だもんね」
 時計を見ると、一時まで残り二十分を切っている。会計を済ませて社に戻ることを考えると、滞在時間は長く取れない。
 智香の言葉でそれに気付いた春菜は食事に意識を戻す。新たな情報に頭がパンクしそうな状況で食事に集中した春菜は、だから気付かなかった。
「――ゆっくり時間をとって、お酒入りで聞いた方が面白そうだし」
 なんて呟いて、智香がこっそり笑ったことに。

2009.03.18 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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