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先に進むための作戦

 ついやり過ぎたことを修平は既に猛省していた。深く深く、とても深く。
「邪魔だから向こう行って」
 そう言ったきり、先ほどから春菜は一言も口にしない。調子に乗りすぎたと反省して、身を翻した彼女に向けて後ろから謝罪を口にしてもすげなく振り払われすごすごとテーブルの前に座ってから、十分はとうに過ぎている。
 和解のきっかけを探しても、沈黙しか返ってこなかった。いや、ただの沈黙ならまだいいだろう――修平はこっそりと春菜の後ろ姿を見る。彼女は何も言わないし、修平が口を閉じた後に残るのは彼女の動きに付随する音だけだった。
 ダンダ、ダンダン、ダンダダン。
 リズミカルとは言い難い包丁さばき。時々シンクに何かを置く大きな音。
 彼女の行動の何もかもが、大きな音を立てている。修平がやりすぎる前はもう少し静かだったから、苛立ちで増幅された音であることは間違いない。
 言葉を口にするごとに高まる音の激しさに、怒りで勢い余って手でも切られたら困ると諦めて口をつぐんで五分ほどか。
 ため息を漏らすことさえはばかられて、修平は気をつけてゆっくりと息を吐いた。余計に気が滅入る。
 正式に付き合いはじめてまだ三ヶ月にも満たない。その間に残念ながら修平が期待するほど二人の関係は変わっていない。
 付き合いはじめたばかりといえ、気心は十分知れている。これまでお互い素のままで過ごしていたんだから、二人の間の距離を詰めるのに時間はかからないと思いはする。するのだが。
 長年の友人関係をそう簡単に崩すことができるような柔軟な思考を春菜は持ち合わせていないらしい。頑なで意地っ張りで素直じゃないのが彼女なのだから仕方ないと言えばないのだろう。
 休みに気軽に一緒に過ごすことが出来ることは変わったと言えば変わったのだが、それしか変わらないのはどうなのだろう。
 答えのない問いを自分の中でいくら繰り返したところで相手が相手だからしょうがないとしか答えが出なくて、修平はもう一度ゆっくり息を吐き出した。
 春菜の性格を利用し、自尊心をうまく刺激して手料理を作ってもらえるように持って行けたところまでは良かったのだ。
「お前料理作れるのか?」
「一人暮らししてるんだし、少しは出来るわよ」
 ふとした会話の拍子に切り出すと彼女は割合あっさりとうなずいたので、その時修平は内心ガッツポーズをした。
「本当かー?」
 そんな内心を表に出さずにからかうように言葉を返せば、春菜はがっと食いついてくる。本当よ、何よその目は。疑ってるわね? だったら食べてみなさいよ。
 話をうまく誘導すれば、さらりと彼女は修平を自宅に招くことに決める。
「そんなに言うんだったら、作るところから確認すればいいじゃない。いいわよ家に来なさいよ。下ごしらえから目の前でやってやるわよ」
 その場で約束の日を決め、やってきた今日。初めて自分一人のためだけに開かれた春菜の家の扉を見て、修平は期待に胸を膨らませた。
 なのに、なのにだ。そこで関係を悪化させてどうする。
 期待しすぎて暴走しすぎたか――?
 修平は自らの行動を振り返り、そこまででもなかったと結論づける。
 一人暮らしの部屋に修平を招く。うまく話に乗せた上のことではあっても、かつて警戒されていたことを考えるとそれは格段の進化で、これが彼氏待遇なのかと修平の期待感は倍増した。
 だが、春菜が考えているのは、いかにして馬鹿にするような言動をとった修平を見返すかだけだったのだろう。
 服装は色気のない長袖のシャツにジーンズ。せめて彩りを添えそうなエプロンなんてオプションさえ身につけていなかった。そんな春菜がシャツを腕まくりする時点で、彼女の唯一の目的について気付けば良かった。
 だけど期待に目がくらんでいた修平はそんな些細なことは気にならなかった。
 自分のために料理をしようとする彼女の後ろ姿に吸い寄せられるように近付いて後ろから覆い被さるように手元を見たまでは幸せだった。プロ並みの手腕ではもちろんないが、見ていて不安になるような手つきでもなく、修平が後ろから覗いたところで春菜が行動を誤るとはとても思えなかった。だから安心して愛しい彼女の作業をのぞき込んだのだが、そこから一気に不幸になった。
 それほど激しいスキンシップでは、決してない。そもそも包丁を握る彼女を驚かせないように充分気を遣って抱きしめると言うよりはふわりと覆い被さった程度。
 だから激しい抗議を受ける謂われはないはずなのに、春菜の反応は激しかった。包丁だけは慎重にまな板に置き、彼女は続けて修平に肘鉄を食らわせた。
 あまりに予想外の衝撃だったからもろに食らって咳き込む修平は腹を抱え、何とか持ち直して春菜を見ると彼女は怒りも露わに目を細めていた。
 いつの間にか握り直した包丁を目の前に掲げ一言発した後に、沈黙したままひたすら料理を続けている。
 何を言っても無駄であれば、何も言えないし、できない。まさかないとは思うが、何かした結果に次に包丁が飛んできたら命が危険だ。
「どこで間違ったかなー」
 春菜には聞こえないようにぼやいても、答えは見えない。あえて言うならば、好みじゃないタイプに惹かれてしまった最初が間違いか。
 好みじゃない――そう、好みじゃない。そうだったはずなのだが、強気な性格の裏に時折見えるギャップが心を捕らえて仕方なかった。
 今だって多分、春菜は恥ずかしがっているのだと修平は自分に言い聞かせた。
 強気なように見える彼女だけど、その実恋愛関係に及び腰なのは短くない付き合いでよく知っている。普段は男女分け隔てなく楽しく騒ぐことは好きなのに、男と二人きりかそれに類する状況になった途端にピンと背中を伸ばして警戒するヤツなのだ。それがネックとなって、修平と知り合って以後誰とも付き合った形跡がない。
 それ以前についてはあえて聞いたことはないが、元からこんな風なのだったらそれが原因で別れたのかもしれない。
「まあ、原因としてわかる気はするが……」
 もう痛みはない腹を押さえて、修平はため息を漏らす。過剰反応を思い起こすと、何度でもため息が出そうだ。
 恥ずかしがったのだと内心フォローしきれない勢いで、それから一言も発しないと来れば途方に暮れるしかない。
 元々友人関係から発展したものだからかえって先に進みがたく、手にキスへの反応も激しかったことを思うと道ばたで何かすることもためらわれて、これまでのデートは健全そのもの。
 状況打破を兼ねての今回の作戦だったのだが――。
 約束した時の勢いをそのまま維持して、春菜がちっとも修平の裏を読まないとは予想外だった。
 ――わかってた、わかってた。春菜が女らしさやかわいげなんて持ち合わせてないことは充分わかってた。
 もう一度修平は密やかな息を漏らしてから、春菜の背中を見て、心の中だけで呟いた。
 だけど期待するだろう付き合ってるんなら――むくりとわき上がる本音を押さえ込んで、修平は腹をくくる。
「遠回しに行ってもわかってもらえないことも、わかってたわけだしな」
 家に招かれただけで今回はよしとして、とりあえず機嫌を直してもらうことに専念しよう。修平は心を決めて反省の意図を込めて正座する。
 そしてそれから、春菜が調理を終えて振り返るのをただ待った。

2009.05.23 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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