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2.
担任の中村が入ってきてもざわざわしていた教室内は、中村の後ろからついてきた見慣れないヤツのせいで一瞬静かになった。
本当に一瞬だけ。
そのあとはそれまで以上に騒がしくなった。
見慣れない顔、見慣れない制服。
「羽黒陽一です、どうぞよろしく」
見た目だけで言えば利春に勝るとも劣らない転校生だ。
ざわめきの大半は女子の黄色い声。残りは男子の嘆きの声だ。どうせなら女の子がよかったと思うのは男子全員の総意だと思うね。
「お前の席はそこの――篠津」
「え――お?」
名指しされて何となく手を挙げると中村は満足げにうなずいた。
「あいつの後ろだ」
転校生――羽黒がこくりとうなずいた。
あ、道理で休み前はなかった机が増えてると思ったよ。まさか高一の夏休み明けに転校生が来るとは思わなかった。
「ども」
教室中の視線を集めながらやってきた羽黒に軽く頭を下げる。ヤツは口の端を持ち上げて笑った。
うっわ、何かいけすかねえヤツ。
羽黒が席に着いたのを確認して中村が話しはじめた。
中村が話しはじめてからちくちくと教室中の注目を感じた。もちろん俺の後ろの羽黒への、だけど。その前の席である俺も落ち着かない。
あまりに落ち着かないもんだから、いつもは軽く聞き流す中村の話を真剣に聞こうと思ったくらいだ。
だけど志半ばでそれは諦めた。
俺だけ真面目に聞いてるのもばからしいよなって自分に言い訳して、逆に羽黒を観察するのには前の席は不利で。
なんとなく教室内を観察していたら自然と窓際の席の小坂に視線が落ち着いた。
涼しげな横顔。中村に向いて微動だにしない視線。真剣に聞いている態度は教室内で一番だろう。
ただどうしても彼女はペンをくるくる回すのがやめられないらしい。授業中もノートを取っていないときは常にペンを回している小坂は、ノートなんて必要ない今だってわざわざペンを取り出して回しまくってるらしい。
すんげえクセだよなーと、見るたびに思う。俺が同じようにしようったってそうはいかないくらいに手慣れた回しっぷり。
くるりくるり。くるくるくる。
ペンを回している小坂は一度たりとも中村から視線を動かさない。
「九時半から始業式だから、それまでに講堂に移動しろよ」
小坂を見ていたら、中村の話はすぐに終わったように思う。
俺達に指示を出して、中村は教室を出て行った。
がたがたと椅子や机の動く音がして、みんなが動き始める。
時計を確認するとまだ始業式まで三十分くらいある。だからみんなまだ移動しようとはぜずに何人かのグループで集まって話すようだ。
俺もと腰を浮かしかけて、その途中でこっちにやってくる祐司の姿に気付く。
「よーう、新。しばらくぶりだなー」
「おう、祐司」
原口祐司は中学の時からの友人だ。夏休み中さんざん遊んだけど、最近はご無沙汰だった。
「課題は終わったかお前」
「答えは埋めたぜ」
「休み明けが楽しみだなー」
にやっと祐司は笑う。
「テストか! あー、どうしようかな。また徹夜しなきゃやばいか?」
「徹夜なんかして、集中力がとぎれない?」
祐司の逆側から利春がやってきた。
「新の場合やってもやらなくても同じだと思じじゃないか?」
「うわははは、祐司厳しー」
「人をネタに笑うなよ!」
くそうどっちも俺より成績いいからって言いたい放題言いやがって。どうせ俺はぎりぎりの成績でここに入ったさ!
他愛もない話をしてるけど、祐司も利春も興味の行き先は羽黒らしい。
見ればクラスのほとんどの奴らがホームルーム中と同じように羽黒に注目している。例外はやっぱり小坂くらいだ。
彼女は窓際の席に一人、やっぱりペンをもてあそびながら外を見ている。
小坂の交友関係は限りなく狭い。俺がもっとも親しい友人に位置されそうなくらいに。
人形のような整った顔で落ち着いた物腰の小坂は、人に近寄りにくい印象を与える。それが原因だと思う。
二言三言交わす仲になれば小坂はつきあいやすい女の子なんだけど、彼女自身が人と距離を置きたがっているのにそんなことを吹聴できない。
何気なく小坂に働きかけはしたけど、彼女も自分から率先して誰かに話そうという気はないようだった。
残念だなって思う気持ちが半分。残りの半分は俺だけが彼女と親しくしている優越感。それにしたって世間話レベルじゃ、それ以上の期待なんてとうてい無理だけど。
俺がぼうっと小坂を見ていると後ろの羽黒が動いた。
おそらくは小坂と似た理由で近寄りがたい転校生は立ち上がり、事もあろうに小坂の方に歩き始めた。
「目敏いねぇ」
「何がだよ、祐司」
祐司はちょいとかすかにあごで陽一を指した。
「あんな短時間で小坂に目をつけるなんて、な」
「そうだな」
確かに小坂は教室内で浮いている。いじめられているわけでもなく、無視されているわけでもない。ただ静かにそこにいる、そういう存在が小坂。
一人でいるのは彼女くらいだから、逆に話しやすそうに見えたのか?
羽黒が少しずつ小坂に近づく。教室に緊張感が満ちたことに本人たちが気付いているかはわからない。
「小坂ちゃんは渡さないよーぅ」
利春がささやき声で馬鹿なことを言い出した。
「お前のじゃないから」
俺と祐司は冷静な声で同時に突っ込んだ。利春は不満そうな顔で二人をにらみつける。
「あと二人そろえば四季カルテットになるんだから」
「何の話だ」
「利春とあきほで、春と秋だからあとは夏と冬がっ」
訳のわからない事を言う利春の頭を祐司は軽くこづいた。ぎゃーすと馬鹿なことを言いながら利春は机に突っ伏す。
「お前そんなこと考えて、小坂に電波を発信してたのか?」
利春とは入学して以来のつきあいだ。四月から約半年、それでも飽きないヤツだし馬鹿ばっかりしてるから体感的にはもう一年くらい過ぎているような気はする。
そのつきあいの中で初めて知った事実に俺は少なからず驚いた。
「もちろーん」
「そこまでお前が電波だったとは」
はっきりとした返答に呆れる前に少し感心してしまう。
「だから勝手に人を電波に……」
「お、積極的だな」
いじけるような利春の言葉が祐司の声で遮られる。
羽黒が小坂に声をかけ、彼女が顔を上げる。一言二言、羽黒の言葉を聞いて小坂は顔をしかめた。
「手がはえーなあ」
祐司は感心したように息を吐いた。
さらに羽黒が言葉を続け、小坂は眉を寄せる。
「嫌われた、かなー?」
珍しい小坂の反応に勝手な推測をして、いつの間にか利春は面白がっている。
「無神経なこと、言わないで」
小坂の涼やかな声は教室内に響いた。決して大声を出したわけではない。ただいつもより大きな声が思いの外響いてしまった。
クールビューティのらしくない怒声に、教室内がしんと静まりかえってしまう。
彼女ははっと周囲を見回して、表情を改める。落ち着いた無表情を取り戻して、羽黒を見上げた。
「話すことは何もないわ」
断言だった。
きっぱりとした物言いに周囲の沈黙がより深くなる。
「あきちゃん」
だが続く羽黒の呼びかけに、再び周囲はざわめきを取り戻した。
「あきちゃんだああ?」
利春がさすがに顔をしかめた。
「何それ、転校生小坂ちゃんの知り合い?」
ひどく面白くなさそうに呟く利春の推測は十中八九当たっているだろう。
俺もそう思ってため息を漏らした。美男美女、お似合いじゃないか――自分で思って、嫌になる。
世間話友達の俺よりも羽黒は何歩も先を行っていそうだった。
「何も知らないのに、偉そうなこと言わないで」
話す事なんて何もないわ、小坂は固い声で羽黒に言い放った。
半ば呆然としている彼にかまわず彼女は立ち上がり、話がないことをアピールするように羽黒の隣をすり抜け、彼が次の言葉を探している間に教室を出て行った。
「さすが、小坂」
祐司の言葉は半分悪意が混じっていた。
あの態度はないんじゃないの? そう言いたそうな顔をしている。
「らしくないと思うけどな」
俺は小坂が去った扉から呆然としたままの羽黒へと視線を移した。
「小坂は普通あんなこと言わないと思う」
「お前は多少小坂と話してるようだけど、世間話程度だろうが」
馬鹿にしたような祐司の言葉は痛いところをついている。
「一言も交わさないよりは、ましだろが」
「転校生に対しては感情むき出しだから、新は負けてると思うけどー?」
痛いところを利春がさらにえぐった。
当たり障りのないことを二言三言交わすよりも、感情のこもったやりとりの方が――良きにせよ悪きにせよ心に響く。
世間話レベルの俺よりも古くからの知り合いらしい羽黒の方が確かに小坂に近い位置にいるのだろう。
理由はわからないけれど転校生は小坂を怒らせたのだ――俺は自分をなぐさめた。
一連の出来事を誰もが気にしていたにも関わらず、羽黒に話しかけるクラスメイトは一人としてでなかった。
ただでさえ話しかけにくそうだったのに、クールビューティを怒らせたのだ。
小坂が教室を去ったのは正解だった。彼女が残ったままだったら、転校生よりもよほど人目を引いただろう。
小坂あきほは常に冷静沈着な美少女であるはずだった。そのイメージは羽黒の出現でやや揺らいだ。いれば好奇心旺盛なクラスメイトたちの注目を集めたはずだった。
代わりに注目を集めたのは、そもそも本日一番の注目を集めていた当事者の一人、羽黒。
呆然とした顔でたたずんでいた彼はしばらくしてうかがうような周囲の視線に気付いた。
バツの悪そうな顔をしたのは一瞬。すぐさま何事もなかったかのように表情を切り替えて、小坂を追うように教室を出て行った。
「嫌がっている相手にしつこくするのもどうかと思わないか?」
「そら、そうだけどな」
祐司が苦笑する。
「まあがんばれ? がんばってどうなるとも思えないけど」
「何を頑張るんだよ」
言ってる意味は何となくわかったけど、とりあえず突っ込み返しておいた。
にやっと笑うだけで祐司は何も言わない。
「追いかけてどうにかなるもんだと思うか?」
「多少何か変わるんじゃない?」
俺が問いかけた祐司じゃなくて、利春が答えをよこした。
「新まで嫌われるかもだけどね」
「逆に強烈にアピールできるかも知れないけどな」
お前たちは俺を勇気づけたいのか落ち込ませたいのかどっちだ。
「行ってくる」
時間は九時十五分。微妙なところだ。下手に二人にかまっていると始業式が始まってしまう。
「おう」
「当たって砕けろー」
「お前が俺に悪意を持ってることだけはよくわかったぜ、春!」
捨て台詞を一つ残して俺も小坂たちの後を追った。
2006.08.30 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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