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彼女と観光
「うー」
目をこすりながら、空はよろよろとバスから降りてきた。
ふわああと、空は年頃のお嬢さんとしてそれはどうよと突っ込みたくなる大胆なあくびをして伸びを一つ。
「ねむーいー」
鷹城駅前からバスに乗り込み、揺られること小一時間。俺と空がやってきたのは自然いっぱいの町。
車に酔うことにかけては自信がある空は家を出る前に酔い止めを飲んできたらしく、車内でずーっとうつらうつらしていた。
かくんと落ちた首がふらふらゆらゆらと揺れ、どうせだから俺の方を枕代わりにしたらいいじゃないかと言うべきなのかどうなのかずっと悩み続けた。
ほらあれだ、空のために枕になるのは大歓迎なんだけども、それじゃああまりにも接近しすぎてやばいというか何というか……なあ?
「ほら起きろ空ー」
彼女の手を引いてバスから離れて、目覚めには自信がない空の肩をゆさゆさと揺する。
うー、とかあー、とかしばらく繰り返すとようやく彼女の目がぱっちりしてきた。
「おはよー、ゆーくん」
「もう昼近いぞ」
空は照れ隠しに笑った。
「いやあ、よく寝たねー」
「よく寝てたな」
「え、ゆーくんずっと起きてた?」
驚いたように空は俺を見上げて、俺はこくりとうなずいた。
悩みすぎて寝るどころじゃありませんでしたとも。
「すごいねえ」
どこがすごいのかよくわからないけれど空は感心してくれたようだった。
「行くぞー」
そんな彼女を促して、俺は地図を手に歩き始めた。
新聞屋さんに券をもらったからと空にリンゴ狩りに誘われたのは先月最後の日曜日。
だから明けて今月初めの土曜日に、俺と空は張り切って家を出てきたわけだ。
券の裏に書いてある地図は微妙にデフォルトされていて、多少戸惑いながらも地図に従って歩く。
バスを降りたところから約十五分。券の裏に書かれていた通り、俺達は無事に観光農園にたどり着いた。
でかい看板の下をくぐり抜けて、りんご狩りコーナーをきょろきょろと探す。程なく見つけた入り口で券を差し出すと、かわりにナイフと袋を手渡された。
「今は真ん中から右側のところが食べ頃だから」
係のおばちゃんの言葉に空は真剣な顔でうなずく。
「皮や芯は適当に捨ててもらっていいからね」
「この袋は?」
ビニールの袋を不思議そうに空は見下ろす。
「お土産がいるならそれにいれればいいよ。ただし、別料金だけどね。量り売りだよ」
おばちゃんはにやっと笑って、奥のテーブルを指さした。テーブルの上にははかりが置いてあって、その上にはA3サイズぐらいの段ボール。裏側からはよく見えないけど、料金表なのかもしれない。
「なるほど」
うまいようにできている。券はただでも、園内で食べる分だけだとは商売上手だな観光農園。いや、ただ券がなければちゃんと入園料払わないといけないんだけど。
変なことに感心しながら二人でりんご園の奥に進む。
当たりはずれの問題かそれとも品種の問題なのか甘いのから酸っぱいの、蜜の有無、堅さまで違うのまで。何品種かのりんごをもいではむいて分けて食べる。
気に入ったヤツはいくつかお土産用に袋に入れた。
広い園内を行ったり来たりで数時間。
「もうはいらなーい」
空が根を上げた頃には俺も同様に限界が来ていた。
いろんな種類をたくさん食べたいって空にりんご半分以上を押しつけられていたから。
「じゃ、帰るか」
だいぶん重くなった袋の中には十個はりんごが詰まっている。その袋をよっと持ち上げて声をかけると空はこくんとうなずいた。
最初よりもゆったりとしたスピードで、ゆるゆると入り口に戻る。
「楽しんだかい?」
「いっぱい食べましたー」
受付のおばちゃんに空が答える横で、収穫したリンゴをテーブルに投げ出す。
「そりゃよかったねえ」
おばちゃんはにこやかに空に応じながらてきぱきとリンゴの重さを量った。
「食べ過ぎで太っちゃうかも」
「ぶっ」
「失礼な彼氏だね」
空の言葉に思わず俺が吹き出すと、おばちゃんは不機嫌に俺をにらんだ。
だって太るかも、なんて空が言う言葉じゃない。
「ひどいよー」
本当にそう思っているか疑わしい調子で空はおばちゃんに同調した。
空の体重なんて知らないけど、身長からしたら平均かそれ以下くらいだと思う。何より、空はそんな小さいことを気にするタイプでもない。
「私だってちょっとは気にするんだから」
ふてくされたように呟いて、空はじーっと俺を見た。
「ごめん、でも気にすることはないと思うな」
空は小柄だし、正直ダイエットなんかされた日には倒れるんじゃないかと心配になる。
「ホントに?」
不安そうな空にうなずいていると、居心地悪そうな顔でおばちゃんが咳払いした。
「どうやってきたんだい?」
話をそらすような問いかけに、空がバスですと答えるとおばちゃんは似合わないウィンクをした。
「腹ごなしに歩いたらどうだい? バス停とは反対側に、十分くらい歩いたらコスモス畑があるから。ちょっと見物だよ」
親切なことにおばちゃんは重いリンゴを預かってくれた。
たんまり胃袋に詰め込んだりんごの存在を後悔しながら俺は空と二人歩く。
食べ過ぎたりんごで腹がちゃぽんちゃぽんと揺れている気がする。
おばちゃんは俺達よりも早足なんだろうか? 普通に歩いてきたってのにコスモス畑が見え始めたのは歩き始めてから十五分は経った頃。
「すごーい」
空は歓声を上げて足を速める。
一面の花畑。離れていく空の後ろ姿を眺めながらどれくらいの広さがあるのか、なんて考える。
ぱっと見た感じ、体育館くらいはありそうだ。
最後には駆け足になった空が花畑の端っこで足を止める。振り返ることもなく、感動したかのように彼女はじっと色とりどりのコスモスを見つめる。
「すごいな」
遅れることしばし。俺は追いついた空の背中に声をかける。返事は返ってこなかった。それはよくあることではある。
少し前進して空の顔を遠目で見ると、例によってやけに真剣な表情。
今はなんて話しかけたところで反応はないだろう。長年の経験で判断してから、空の横に並んで俺もコスモスを眺めた。
白や赤、ピンク、紫――果ては黄色まで。
一口にコスモスといってもいろんな色があるもんだ。どれもひょろりと背が高く、かすかな風を受けてのことかゆらゆらと揺れている。
花を愛でる趣味を持っていなくても、ちょっとした見物だった。
隣で空がほうと息をもらす。
「すごいねえ……」
俺に言ったというよりは、つい口にしてしまったような響きの言葉。
「だな」
コスモスから空に視線を移す。彼女はまだ真面目な顔でコスモスを見ていたけど、ようやく俺の眼差しに気付いたのか少し目を見開いて顔半分をこちらに向けた。
「生きてるみたい」
俺とコスモスとを半々に見ながらのつぶやき。
「――は?」
思わず間の抜けた声を出してしまった。
「そりゃ、生きてるだろ。これだけ造花を地面に埋め込む意味がないし」
そう言うと空はさらに目を見開く。
数秒俺を見つめ、眉間にしわを寄せて空はあごに手を当てた。考えるポーズでさらに数秒うなる。
「そう言われてみると生きてるかも……?」
やがて口にした言葉には驚きの響きがこもっている。しかもなぜか疑問形。
「んん?」
その意味を知りたくて首をかしげると、空は俺とコスモスとを交互に見やりながらおずおずと口を開いた。
「えーと、コスモスは生きてるだろうけどそーじゃなくって」
落ち着きなく動いていた顔がコスモスを向いてぴたりと止まる。それから彼女はゆるりと右手をあげた。人差し指で一面のコスモス畑を指さす。
「ねえ、だって、見て?」
言いながら空の顔が再び動いて俺を見つめた。
やんわりとしたお願い口調。断る要素が何もなくて、俺は言われたとおり空が指さすコスモス畑を見る。特に彼女の指先の落ち着く先を見てみたけど、特別な何かを感じるかと言われれば――なにも、感じない。
あえて違う点を見いだそうと思えば、そうだな。
他よりちょっとピンクの花が多いような気はする。でも目を移せば同じようなところもあるだろうし、そこだけを注目したら頭がくらくらしてきた。
コスモスは風の影響でふらふら不規則に揺れているから。
諦めて空に視線を戻す。
「ごめん、よくわからなかった」
いつだって空の言うことは予想がつかない。素直に告げてみる。
「だって、生きてるみたいでしょ」
空は困ったような顔で、それ以外に説明の言葉はないとばかりに言うともう一度コスモス畑を指さした。さっきとは多少位置がずれている。
ってことは、別に位置は関係はないってことか。
俺はそれでも一応空の指さす先を注視した。じっと見て、じっと見て。
頭がくらくらする前にふと思いついた。
「なあ、それって揺れてるからなのか?」
そう問いかけた直後の空の顔は見物だった。困ったような顔が一瞬にして笑顔に切り替わる。
ぱあっと、花が咲くかのように。
満面の笑みでこくこくこくっと強くうなずいた。
「そう、そーなの!」
弾むように空は言って、持て余した喜びを俺の手を握って振ることで表現する。
「ふよんふよん虫みたいに動いて、じっと見てるとちょっと気持ち悪いよね?」
確かに頭がくらっとはしたけど、気持ち悪いって表現はどうなんだ。
「気持ち悪いって言う割に楽しそうだな」
「うん。だって、こんなにいっぱいのコスモス見るなんて滅多にないよ。写真に撮りたいね」
空は握ったままだった手を離してくるりとコスモスに向いた。
今度は両手をぐいっと突き出して、親指と人差し指で四角い枠を作る。
「撮るか?」
「んー」
ファインダーをのぞくように真剣な顔で枠をのぞき込んでいた空は何度か首をひねったあとに両手を下ろす。
「でも、写真だとこのふよんふよんはわからないし、いいや」
言うなり満足したのか空はコスモス畑に背を向ける。
「気持ち悪いって言ったのに、それを思い出に残したいのか?」
俺も彼女に従って、来た道を戻り始める。
「面白いし、土産話になるかなーって」
面白いかどうかは微妙だけど、話したら喜びそうな顔は一つ思い浮かぶ。
「やめとけやめとけ」
何も休みの日までネタを提供することはないから。そんな言葉を飲み込んで俺はひらひら手を振った。
「土産ならリンゴの一つも押しつけとけば充分だろ」
「押しつけって言い方はよくないよ」
「進呈すればいいだろ?」
「うん、それならいいかなー」
満足げにうなずいた空がどのりんごがいいかなあとお土産に買ったりんごに思いをはせている。
実は携帯で動画が撮れるらしいぞって事実は胸の奥にしまっておくことにした。使ったことがないからどうなるかわからないし――な。
2005.10.03 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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