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甘いかおり

 入り口の扉が開いて、からりとベルが鳴った。
「いらっしゃーい」
 気乗りしない顔で声を出したのは店のウェイターで。
「こんにちはー」
 それに気にしない風に明るい挨拶をしたのが俺の彼女こと空だった。
 ふわふわの髪は肩の高さくらい。少しだけ茶色がかっているのは「染めているんじゃなくてドライヤーのかけすぎ」らしい。
「お勤めごくろーさまです」
 丁寧にウェイターこと俺の友人、新吾にぴょこんと頭を下げてからこっちにやってくる。
「ごめんね、待った?」
 俺の前に座り込んで下から覗き込むように見上げられて、その言葉を肯定することは出来ない。
「いや別に」
 読み終えてしまった雑誌を隣の席に放り投げながら首を振る。
 待ったって言っても、待ち合わせ時間のかなり前からやってきた俺も悪いんだし。とはいえ約束の時間からもしっかり十五分ほど経過していたけど。
「よかったー」
 満面の笑みで彼女はテーブルの上のメニューを見る。
 図書館前にある小さな喫茶店。メニューに並ぶのは一通りの飲み物と軽食、それからデザートの類。
「何にする?」
「えーっと……マロンパフェ」
 彼女の希望を聞いて、手を上げる。
「新吾ー、マロンパフェとコーヒー」
「おうよー」
 新吾はやる気の全く感じられない返事をこっちに寄こす。さっき店主が出かけたからってそれはないんじゃないかお前。
 突っ込む気も起きずに、彼女に視線を戻す。
 その視線を空は真っ正面から受け止めてにっこりした。
「だいぶん寒くなってきたねー」
「そうだな」
 ついこの間まで暑かったような気がするのに、気付くといつの間にか秋も半ば。
 空は重ね着したシャツの上にデニムのジャケットを羽織っている。と、思ったら空調が効いているからか上着を脱いだ。
 ジャケットの下は半袖。その落差は何だろなあ。一応秋らしく色調はまとめられているけど。
 ジャケットを空いた椅子にかけて空はにこにこしている。
「どうした?」
 空がじっと視線を俺に向けて、長いことにこにこするなんて通常ある事じゃない。
 俺に笑顔を向けるよりはぼーっとしていることの方が多い、それが空だ。冷めてるとか愛がないとかそういう問題じゃなく、それが空なんだからしょうがない。
「んーん」
 俺の問いかけに彼女はふるふる首を振った。ふわふわと髪が揺れる。それでも、そらされない視線が不思議でたまらない。
 些細なことだけど、違和感を覚えて。首をひねってると後ろ頭をはたかれた。
 流行っているんだかいないんだか――後者と見るけど――わからない喫茶店の客は俺と空だけで、他にいるのはウェイターの新吾だけ。
「客に何するんだよ、店員」
「うるせえ。昼間っから見つめ合うな、どつき倒したくなるだろ」
「だからって客をはたくか普通。思ってもぐっとこらえるってのが常識人の行動だ」
「あはは、新吾君おもしろーい」
「そりゃどうも」
 俺と新吾の掛け合いを見て空が笑い声を上げる。苦笑するように苦く口の端を上げながら新吾は軽く肩をすくめた。
「とりあえず水飲んどけ」
 それは客に向けた態度じゃない。乱暴とは言わないまでもそれに限りなく近い動作で新吾が俺達の前に透明なグラスを置いて、紙おしぼりも近くに添える。
「新吾君、そんなんじゃお客さん逃げちゃうよー」
 さすがに目に余ったのか空が突っ込むと、新吾は明らかに苦笑した。
「矢島に突っ込まれるとはな……」
「どういう意味ー?」
 むっと空が顔をしかめる。
 新吾の顔の造りは全体的に鋭い。雑と言うか乱暴な動作と合わされば非常に近寄りがたい男ができあがるという寸法だ。
 空はそんな近寄りがたさをあまり気にしないけど、一般的に女の子は敬遠するタイプ――の、ようだ。
「客商売に向かないんじゃないかお前」
 俺も空に加勢するように言葉を添えた。
「大丈夫だ、他の客にはちゃんとしてるさ」
 にやりと口角を上げて、新吾はあっさりと言い放つ。
 空はそれを半分疑うように新吾をにらみながらちまちまとグラスを傾けた。
「でも、普段からちゃんとしてなかったら、ボロが出ちゃうよ?」
「ご忠告ありがとな」
 しばらくしてグラスを机に置いた空が言うと、新吾はひらりと手を振って厨房に戻っていく。
「真剣に聞いてくれてなーい」
 ぶうと空は頬をふくらませた。
「新吾だから仕方ないだろ」
 頬をふくらませているのもかわいいけれど、俺はまあまあと空をなだめる。彼女の怒りが長続きをしないのはいつものこと。
 すぐにふーっと息を吐いて、ふくらんだ頬が元に戻る。再びグラスを傾けて、気持ちを落ち着けるように水を飲んで。
 視線が再び俺に戻ってきた。
 グラスを置いて視線を上げた空と、ばっちり視線が絡む。
「あー、えーと」
 今日に限って、なんだ?
 言いたいことがあるなら問答無用で言うのが空で、こんなに意味ありげに彼女に見つめられた経験なんてこれまでの人生で――ないんじゃないか?
 幼なじみだからこそかもしれないけど、会話にしなくても何となく思っていることが伝わるって事はある。
 もちろんそうじゃないときもあるけど、そういうときの空はたいてい視線はどこか遠くにやっていて何か考えているだけだ。そしてその考えた結果をすぐに誰かに言いたがるのも空。
「どうした?」
 だから何も言わずにじっと見つめられると、困る。
 慣れないものだから妙に胸が高鳴ってきて、コーヒーはまだなのかと視線を巡らせるととても面白がっている新吾の顔に行き当たる。
 なんだその顔はッ。そのまま新吾を見ていたところであとでからかわれるだけだろう。
 コーヒー入れる気配さえないのは店主待ちなんだろうか。
 新吾を見ているよりも空の視線を受け止める方がよっぽどかいい。救いを求めるのを諦めて、未だ注がれる彼女の眼差しを受け止める。
 ただただ、まっすぐなその視線。
「なにかあったのか?」
 こんなに珍しいことがあるなんて、明日は雪でも降るんじゃないだろうか。
 問いかけに、やはり空の返答はない。
 ただ――何かに期待する眼差しだけを向けられて、ひどく混乱はした。
 かわいいかわいい彼女に見つめられて、変な期待をするなって方が無茶ではある。だけど相手は空。予想もつかない方向から最終的に妙なことを言い出す空だ。
 深呼吸をして気持ちを落ち着ける。
 水を飲むふりをしてしばらく視線をそらしてみる。
「なあ空、黙ってたら何もわかんないんだけど」
「わからない?」
 空はようやく口を開いた。細めた瞳はどこかしら悲しげで、期待に添えなかったから申し訳ないと思うけどわからないものはわからない。
「ごめん」
 何がどうごめんなのかわからないまま口にして、空の行動を見守る。
 空はようやく俺から視線を離して、携帯ケースを取り出した。
 それまさか、こっそり携帯を機種変とか、言わないよな?
 ケースに入ってたらわからないだろってその場合は突っ込むべきなんだろう。そんな風に一瞬のうちに考えてみる。
 空はケースから中身を取り出すことなく、ぐっと前にそれをつきだした。
 パステルピンクの、フェルトのケース。アクセントに花の刺繍。それに茶色いベルトがついている。
 このケースは前に俺が買った物だから言われるまでもなく知っている。手にとって、一通り確認はしてみた。使い込んだだけあって汚れているものの、壊れたようなところはない。
 空が俺をじっと見る理由にも、悲しそうに目を伏せる理由にも思えない。
「中身、出してみて」
 やっぱり機種変とか言っちゃうのか?
 俺はベルトをピンとはじいて、ケースの中に手を突っ込んだ。
 空の携帯はパステルローズ色とやら。パステルという響きは空にぴったりだけど、ローズという響きは彼女にそぐわない。ただ、色だけを見たならば空にぴったりで。
 「ひーとーめーぼーれー。びびっときたの!」見つけた瞬間に空はその携帯を手に入れることを決めていた。彼女の性格から言ってそんなにすぐ次にびびっときて一目惚れの携帯が現れるとは思えないんだけど。
「んん?」
 手に届いたのは携帯の堅い感触じゃなくて、どこか柔らかかった。
 違和感を持って、ケースを持ち上げて中をのぞく。
 きれいに折りたたまれたティッシュペーパー。
 視線を上げると、なぜか空の期待に満ちた視線。
「なんだこれ」
 言いながら俺はそれを取り出した。
「わからない?」
 空はちょんと小首をかしげた。やけに丁寧に折りたたまれたティッシュは、その割にわさわさしている。まるで中に何かが入っているように。
 視線で許可を得て、ゆっくりとそれを開く。
「お」
 その中にはオレンジの小さい花。
「なんだっけ」
 えーっと、これってほら。
「キンモクセイ」
 俺が名前を思い出そうとしていると、空が呟くように教えてくれた。
「ああ、そんな名前だった」
 ふわりとどこか甘い香りが漂ってくる。
「もしかしてこのにおいに気付いて欲しかったのか?」
「そう」
 空は迷いなくきっぱりうなずいた。
「香水つけてる気分になるでしょー?」
 そして首を傾げて、可愛らしくにこりと笑う。
「そ――そうかもな」
 わずかの間、どう答えるべきか迷った。
「昔もそんなこと言ってたな」
 空の家の庭に確か、キンモクセイがあるんだった。まさしく今と同じように大事に花をくるんで、「大人になったみたいだねえ」とかなんとかいって喜んだ時が。
 あれはもう――十年くらい前の話になるんじゃないだろうか。
「うん」
 懐かしそうに目を細めて空はこくんとうなずく。
 俺は再び目線を落とした。確かにこの小さなオレンジの花は、いかにも空らしい。
 でも、なあ。
 さすがに、なあ。
 大人みたいに香水つけてる気分になるでしょって言う空は、端から見たら一見大人の部類に入る。実際はまだ十九だけど、香水つけたってたぶんそんなにおかしい年齢じゃないはずだ。
 大学にいたら時折うんざりするくらいすんげえにおいのヤツいるから。
 小学生じゃないんだから、キンモクセイで香水気分を味わうのはもう卒業した方がいいんじゃないかな……。
 花を丁寧に包み直して、空の手に乗せる。
「なあ、空」
「なあに? キンモクセイ、ゆーくんも好きだったよね?」
 何か言いたそうな俺を察したのか不思議そうに心配そうに聞いてくる空に思ったことすべて言ってしまう事は、少なくとも俺にはできない。
「確かに香りは好きだけど。昔、すぐに枯れて悲しい思いしたんじゃなかったっけ」
 キンモクセイは枯れたらパステルオレンジから色を変える。
「あ」
 そこまでは覚えていなかったのか思い出したくなかったのか、指摘して初めて空は気付いたような声を出す。
「いい香りだし、今しか楽しめないけど。どうせだから枝ごと切って花瓶に挿して部屋に飾った方がいいんじゃないか? その方が長持ちしそうだし」
「んんん」
 真剣な顔で空は手の中の包みと俺の顔とを見比べた。
「でもゆーくん、香水の香り好きじゃないの?」
「は?」
 やがてぽそっと空が呟いたのは、いつもとは違う意味で意味不明の一言。
「いや、むしろどっちかって言うと嫌いだけど――どうしたんだ?」
「こないだ、ぷんぷん匂いした人、目で追ってた」
 一言一言区切るように空は言って、言い終えると俺の言葉を聞き逃さないとでも言うように彼女は俺のことをじーっと見る。
「え」
 少し頬をふくらませた上目遣い。
「それともキレーな人だったから見てたの?」
「いやちょっと待て?」
 慌てて俺は空の言葉を制した。
 いやほんとに。ちょっと待て?
 これは予想もしない出来事。空が言うのはほら、あれか、なあ。俗に言う嫉妬ってヤツか?
 まさか空に嫉妬心を抱いてもらえる日が来るとは思わなかった。そんなくだらないことを考えるよりは空はもっと別のことを考えている方がいいし。
「ゆーくんが思い出し笑いしてるー」
 嫉妬してもらえるなんて、愛されてる証拠じゃないか。思わず顔に笑みを浮かべてしまった俺に対する空の反応はいじけるようなひとにらみ。
「ちがっ」
 そう口にして、次にどう言えばいいのか思いつかない俺の後ろからくくく、と押し殺した笑いが響いた。
 ばっと振り返ると、もちろんのことウェイター姿の新吾。店には俺達三人しかいないんだから、消去法で答えは分かり切っている。
 トレーの上にコーヒーとパフェをのせて、かしこまった態度で顔だけ笑みをこらえているように。
 何でこのタイミングで持ってくるのか。というか店主は関係なかったのか!
「あ、パフェー」
 空は顔を上げて、一転笑顔になった。
「マロンパフェでございます」
 先ほどの忠告の成果かもしれないけど、どう見たってわざとらしい丁寧さで新吾は空の前にパフェを置く。
 タイミング狙ってやがったなコイツ。
「まろんまろんまろーん」
「よそじゃそんな歌、歌うなよ、矢島」
「え、なんで?」
「一緒にいる祐介が困るだろ。ほれコーヒーだ」
 結局丁寧なのは長続きしない。いつもの態度で俺にコーヒーを差し出して、新吾はにんまり笑った。
 助かっただろ、とでも言いたそうな顔。
 お返しに人をネタにしてするんじゃねえってにらみ付けてやった。
「空、さっきの話だけど」
 悪い感情は長続きしない。気持ちを切り替えて空に目を移すと、彼女はもうすでにパフェに夢中で新吾の忠告も聞いているのかどうかわからないくらい。
 それでもちゃんと聞いていたのか、呼びかけるとこっちを向いた。
「誤解だぞ」
 言い訳くさくならないように、短く言い放って。
「でも」
 言いかける空を手で制した。
「あんまりきついにおいだからなんだこの女って思っただけだよ。空はそんなこと、気にしなくていいの」
 このバカップルめが、口だけそう動かして複雑な顔で新吾が去っていく。
 新吾が充分俺達から離れたのを確認して、俺はヤツに気付かれないように心持ち空に顔を近づけた。
「俺が好きなのは空だけなんだから」
「ほんと?」
 目をいっぱいに見開く空に、一つだけうなずいてみせる。
 空は顔いっぱいに笑みを広げてこくんとうなずいた。

2005.10.21 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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