Index>Novel>彼女は天然>
帰り道
六時間目が終わった後に進路指導の時間とかいって、体育館でみっちり先生達に発破をかけられた。
普段より遅めの帰り道。六時を少し過ぎただけだっていうのに、もう辺りは薄暗い。
受験まであと半年を切っている。のんびりしている暇はないぞって散々せき立てられた進路指導。家路を急ぐのは、なんとなく焦った気持ちだからだろう。
まあ他にも、いつもより遅い時間だってのもあるんだけど。
でもそれよりもまだ俺たちが半袖だからってのが大きいか。
ついこの間まで夏真っ盛り、暑くてたまらなかったはずなのに、十月を目前に早くも肌寒くなってきた。
衣替えは十月から。暑かろうが涼しくなりすぎようが生徒は半袖が義務づけられている。俺の予想だと、来月になった途端にほぼ全員が長袖になると思うね。去年がどうだったかいまいち思い出せないけど、今年は朝夕が特に冷え込んで寒い。
日中暑ければ袖を折ればいいだけの話だしな。
「最近は朝夕冷えるってわかってるんだから、長袖くらい認めてくれてもいいと思わないかー?」
夏服と冬服はブレザー以外だとシャツの袖の長さくらいしか違わない。ブレザーはまだ暑いだろうけど、長袖シャツくらい認めてもらっても罰は当たらないと思うな。
俺は後ろを歩いているはずの幼なじみを振り返って、――立ち止まった。
空は幼稚園から小中と一緒の仲だ。っていうと、少し嘘になるか。生まれたときから家が隣同士なんだから。
「空?」
振り返った先、すぐ後ろにいると思った幼なじみ――空は、思ったよりもずっと後方で立ち止まっていた。
「どうした?」
とにかく肌寒いし、ついでに腹も空いている。だから早く家にたどり着きたいと思ってるのは、俺だけじゃなかったはずだ。
さっきまでは俺と同じように急ぎ足だったのに、何故か立ち止まった彼女は動きそうな気配がない。俺は仕方なく彼女のところまで戻った。
「寒いだろ? 早く帰ろう」
こういう時の空が何か妙なことを言い出すことは予想できた。生まれた頃からの付き合いだ。似たような経験は両手両足を使っても数え切れない。
それを言わせないように、口早に言ったのは何より寒いからだ。
今だって空気にさらされた二の腕に鳥肌が立っている。今日は風があるもんだから、余計に寒く感じるんだろうな。
どこか遠くを見ていたような空は、進むことを促す俺に視線を移した。
そしてくいっ、と。
先を急ごうとする俺のシャツの端っこを空の手がつかんだ。
「……空?」
「ゆーくん」
「なんだ? 話ならまた後でもいいだろ」
せめて風の吹かない玄関先くらいにまではたどり着きたい。団地内に入ったから、あと五分もせずに家には着くはずだ。
何か言いたげだったけど、空がシャツを離してくれたから歩き出す。気持ちさっきより歩くスピードが落ちたのは、何か言いたげな空の様子が引っかかったからだ。
しゃべりながら帰るっていうのも悪くない選択肢に思える。
空はしゃべりたいときにしゃべるし、しゃべらないときは本気で何も言わない。
五分が十分――いや、七分くらいには伸びるかな、なんて思いながら歩いていると、後ろから空の声が聞こえた。
「夕焼けって、赤いと思ってたんだけど」
それが切り出し。
「は?」
思わず俺は振り返ってしまった。空はじっとこっちを見てる。
「えーっと、夕焼けは赤いと思うけど」
またなんか突拍子のないこと言いはじめた。俺は思わず呟きながら空の真意を探る。
「でも、下の方黄色く見えるよ」
「……は?」
彼女はすっと手を伸ばした。指先をたどって振り返る。
区画整理がされた団地内。指の先は家と家に挟まれた道路を突っ切って、行き着くところは遠くの山。
空の色を見てみると、確かに。
「ほんとだ」
見上げた空は頭上から地平線に向かって紺から水色のグラデーション。まっすぐ見た先は空が言うとおりに黄色がかって見える。
そのさらに下、山と空との境目にほのかに赤い色が見える気がする。とすると黄色は去りゆく太陽の残り香か。
「でしょー?」
にっこり笑って空は胸を張ってきた。
「よくまあ、気付いたもんだ」
半分呆れたように俺は呟く。残りの半分は、何かって言われたら――咄嗟にうまいこと言えない。
不思議だねえ。何で黄色なんだろうねえ。
そんな風にのんきに呟く空は、いつもと同じ口調。
「なんでだろうなぁ」
口ではそんな風に呟きながら、俺は足を緩めて彼女の隣に並んだ。まるで冷水を浴びせられたかのように、我に返った心地。横目で見た彼女は、まだ一心に遠い空を見つめている。
きっと空には他意がない。でも、焦ることはないんだと諭された気分だった。
ほんの少しの時間で、山際の赤い色はすっかり消え去って、空が闇色に染まろうとしている。
空の色と言えば水色に赤に黒。青空と夕焼けと星空しか思い浮かべないもんだと思うけど、その合間合間でさっきと同じようにきれいな色を見せてるんだろう――俺たちが意識していないだけで。
横に並ぶと、何となくほんわかとした気分。気の持ちようなのか、近づいた空の体温を感じたのかはわからない。
肌寒さも気にならなくなって、二人して黙ってゆっくりと歩く。
いつも見慣れた風景だと思っていても、改めてじっくりと見ると不思議と新鮮に思う。
思った以上に時間を費やして、ようやく家の前までたどり着いた。もう焦る気持ちは嘘のように消えている。
その気持ちの変化の犯人である自覚のない空は、ひょいっといつものように玄関に手をかけた。
「じゃ、ゆーくんまたねー」
にこにこと反対側の手を振って、あっさり空は家の中。
なぜだか離れがたかった気持ちを振り払って、俺も隣の我が家へ向かった。
2006.09.24 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
感想がありましたらご利用下さい。