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夏の約束 1・明塚佐知

 小さい頃は、同じような毎日が永遠に続くのだと信じていた。
 箱庭のように作り出された町は、小さい私にとっては大きくて。住んでいた町が私を構成するほとんど全てだった。
 学校の勉強で、町以上の市を、市以上の県を、県以上の地方や国を知っても、ずっとずっと同じ町で過ごしていくのだと信じていた。
 時折休みの日に連れ出された街中は異世界のようなところだと思っていたから。
 日常に満足していた私の世界を覆したのは、マイホームを夢に見た両親だった。休日ごとに繰り返される、土地探しと住宅展示場巡りもまた異世界の出来事。それはそれで面白かった記憶がある。
 ヒーローショーや移動動物園、他にもたくさんエトセトラ。展示場で毎週のように行われているイベントは子供心にも面白くて。馬鹿みたいに大きなモデルハウスのお姫様のような部屋にあこがれて。
 だけどその行動が何をもたらすのか、ちっとも理解していなかった。それが小さい世界から飛び出す儀式のようなものだったと知ったのは、間の抜けたことに我が家が完成して引っ越すとはっきり悟った時だった。
 小学校四年生、夏休みに入った直後。
 思い返すに、私は間の抜けた子供だった。小さい世界で生きていて、何もかもよくわかっていなかった。
 前年の冬から始まった工事、徐々に組み上がる家を見学に行っていたのに。夏休み前の終業式、最後の終わりの会。「夏の間に引っ越します」なんて、親に言われたとおりに挨拶をしたのに。
 中身はちっとも理解していなかった。
 もちろん、引っ越しの結果小学校を変わるのだなんて思い至っているはずもない。
 だから、今でも後悔が残っている。知っていたのに理解していなくて、結果として残った悔いだ。そんな些細なことをと人は笑うかもしれない。でも、私にとって――小さい私にとって、それはとても大事なことだった。

 今思えばちゃちで子供だましで小さい、町の自治会が主催していたような――だと思う――夏祭りの約束を、すっぽかしてしまったこと。

 町の真ん中にある公園にたくさんのテントを立てて、例えば焼きそば、お好み焼き、おにぎり、それにアイスやわたあめのような食べ物屋。ヨーヨーつりにスーパーボールすくい。輪投げなどなど遊ぶところ。
 一日限りの露店が並び、住人達が集うお祭り。それは小さい世界には大きなイベントで、物心着いた頃から楽しみにしていた。
 そこに、一緒に行こうねって約束した男の子がいたのだ。女の子達は私を含めて恋に恋する時期だった。誰は誰が好きだとか、占いで一喜一憂したりだとか無邪気に楽しんでいた気がする。
 一番仲がいい男の子と首尾良く約束を取り付けた私は、みんなの羨望の眼差しを集めたものだ。単に仲が良かっただけで正確に言うと恋ではなかったけど、でも仲がいい子と一緒にお祭りに行けることはうれしかったしとてもとても楽しみにしていた。
「じゃあ、夏祭りの日。お昼過ぎに時計台で」
 終業式の日に約束して、指切りげんまんした。
 引っ越す、引っ越した後は会えない。そう知った後に連絡できれば良かったけど出来なかった。
 小さい頃のことだ。当然その頃は携帯電話なんて持ってなかったし、相手が夏祭りの前まで里帰りすることは聞かされていたから連絡網も役に立たなかった。
 祭りの当日に連絡しようにも、引っ越しの荷物のどこかに連絡網が紛れてどうしようもなかった。
 約束を破ってしまうことになって、どうしようかと考えはした。連れて行ってもらうにも車で何分もかかるし、運転手である父はその日仕事に出掛けていた。何より両親付きで行っても意味がない。かといって一人で行くには当時あまりにも遠かったし、どうやって行けばいいのかさえよくわかっていなかった。
 だから私に出来たのは、暑い時期だというのに布団の中に引きこもって、ごめんごめんと遠い彼に向けて謝ることだけ。
 マンガの主人公みたいに超能力があって、テレパシーで通じたらいいと祈りながら。奇跡のように瞬間移動が出来たらいいのにと願いながら。
 当然そのどちらも叶わなかったはずだ。超能力なんて存在しないからテレパシーなんて無理だろうし、奇跡なんてものも起きなかった。
 その後、友達に彼の連絡先を聞くとかしてどうにかして連絡する手段は残されていたと気付いたけど、気付いた時には今更過ぎて怖くて何も出来なかった。
 夏が過ぎて新しい学校に転校しても、後悔は終わらなかった。約束を破ってしまった事実だけが胸の奥にトゲのよう残った。



 私はストローで目の前の飲み物の氷をかき混ぜて、ため息を一つ。過去への思いを振り切り、顔を上げる。
 目の前では、高校からの比較的新しい友達である利香が顔をしかめて私を見ていた。
「もう、聞いてる?」
 彼女はさっきから、隣のクラスの菅谷君とその友達と一緒にお祭りに行こうなんて私を誘おうとしていた。菅谷君は彼女の好きな人だ。彼女は菅谷君とペアを組みたいだろうし、残る一人と私をくっつけたい思惑が透けて見える。
 途中から昔を思い出していたから全部は聞いていないけど、たぶん間違いない。再び落ちそうになったため息をかみ殺して、私は一つうなずくとストローから離した手をひらりと振った。
「私そういうのパスなの。せっかくの夏休みだから恋しようなんてパス」
「えー、何でもったいない!」
「何がよ」
 うろんな眼差しを向ける私の視線を気にせず、彼女はもったいないもったいないと繰り返す。
「何でそんなに消極的かなあ。さっちゃんかわいーのに。楽しめるのは今だけだよ?」
「パスパス」
「安くてもかわいー浴衣買ってさ。さっちゃん髪長いから高い位置でまとめてくるくるっとして、かんざしでとめたらすんごいかわいーと思うんだけど。絶対モテるよ」
「必要ない」
 唇を尖らせて私をにらむ、彼女の顔の方がよほど可愛い。そんな顔でかわいーかわいーなんて連呼されても信用がおけない。
「かわいーのに絶対」
「誘うならもっと可愛くて乗り気な子を誘えばいいのに」
「さっちゃんがいいの!」
「なんで」
「それは……えーと、なんでも!」
 嘘がつけない彼女の目が泳いで、何となく理解することはある。
 恋を忌避する私を気にかけて、何とかしようというのが一つ。私なら菅谷君をかっさらうようなことをしないという安心感が一つ。
「なんでもなんて理由じゃうなずけないなー」
「一緒にお祭り行くだけなのを、予定もないのに断られるのは私だって納得いかないよ」
「予定がないと言ったつもりはないけど」
「ないよね?」
 彼女は嘘がつけない。でも、私も嘘がつけない――つきたくない。苦い記憶があるからこそ、それは出来ない。だからはっきりと問われて否とは言えず、私は苦笑してうなずいた。
 彼女はにんまりと身を乗り出した。
「じゃあ行こうよ、お祭り。無理に恋しろなんて言わないし、普通にグループで神社に行って露店見て回るだけだから」
「でもなあ」
 夏休み前、お祭りに行く約束。古傷をえぐるキーワードに私は渋るしかない。
 もう引っ越す予定もないし、祭りの時期は予定もない。仮に行けなくなったにしても、今は携帯電話という便利な代物があるんだから、連絡だって簡単だ。
 理屈でわかっていても、理屈以外のところが納得しない。
「何でそんなに嫌なの? 何か昔、嫌なことでもあった?」
 心配そうに彼女は言う。嘘がつけない私でも、それには素直にうなずけなかった。
 優しい彼女は深く問うようなことはしないと思う。
 だけど、もし聞かれたら。くだらない記憶に捕らわれているなんて思われたら。
 そんなことになったら、新たな傷を抱えてしまいそうだ。
「別に」
 そうなのとでも問いたそうに彼女は首を軽く傾げる。私ははっきりとため息を漏らして、両手を上げた。
「わかった、行く。行くわ」
「いいの?」
 深く問われたりはしないと思う。だけど、その恐怖におびえるのは嫌だった。



 苦い記憶の残る夏休み前の約束を首尾良くこなせたら、傷も多少は治るかもしれない。もしかすると傷が深くなるだけかもしれないけど、そう前向きに考えることにして。
 いきなりの方針転換に驚く彼女に、私は深々とうなずいてみせる。
 そして遠い記憶の彼にごめんと謝って、この夏過去と決別しようと胸に誓った。

2008.08.02 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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