IndexNovel夏の約束

夏の約束 4・高坂幸広

 何一つ隠し事をせず一直線に目標に向かう菅谷は、目に眩しい。お前ポーカーフェイスの一つもできなくてどうするんだと思わず問いたくなりもするし、俺が失ってしまった物を大事に抱えているヤツを見ると時々なにやらもどかしい気分にかられたりもする。
 うらやましいというか、きまりが悪いというか。その気分には一言で名前を付けられない。
 最後にはうんまあ、うまくいくといいなと弟でも見守っているような気持ちで落ち着くのは、昔の俺を見ている気になるからだろうか。
 夏休みの少し前、本人にとっては大きな約束を取り付けた菅谷は本当に目に見えて機嫌が良くなった。悩みに悩んでいたビフォーに比べて、気付くと鼻歌でも歌い出しそうなアフター。
 あからさまな態度に気付かない馬鹿はいない。
「菅谷に協力してるんだって?」
 だからこそなのか、俺にそういって声をかけてくるヤツがいた。
「まあな」
 俺が応じると、目の前の顔はきゅっと歪む。心配性なクラスメイトにして古なじみの修介はひどく苦い顔で周囲を見回した。
「嘘だな。何か企んでるだろ、絶対に」
 修介は短く断じて、目の前に座った。
「心外だな」
「俺の幼なじみのゆっきーはお前のように何考えているかよくわからないヤツじゃなかったはずなんだけどな」
「しばらく会わないうちに大人になったんだよ」
 小学校の途中で引っ越していったこいつに再会するまで数年のブランクがある。俺がしれっと言ってのけると修介はますます渋面を作る。
 浮かれ果てた菅谷から、大方の事情を聞いたんだろう。聞き流しておけばいいものを、こいつは余計なことに気を回しているに違いない。
「ゆっきー」
「その呼び方も止めてもらえるとうれしいんだけどな。小学生でもあるまいし、ゆっきーはないだろ。お前も言ってて恥ずかしくないか?」
 話を逸らされたと思ったのか修介は渋面になる。あるいは、自分でもそうとは思っているのか。
 頑強に過去に取りすがっていてもはじまらない。大体、こいつが転校して親交が途絶えてから再会するまでに何年経っていると思っているんだ。少なくとも中学の三年はお互いに中身が変化するのに十分な時間だ。
「なあ、そうだろ? 修介――お前だって俺にしゅーしゅー連呼されたくないだろ?」
 修介は非常に嫌な顔になって、渋々うなずいた。
「そう、だな」
「だろ? いい加減ゆっきーはやめて幸広って呼べ」
「努力する」
「じゃあ話は終わりだ」
 俺は満足して修介の前から去ることにする。押しの弱い修介はうまいこと話に乗ってごまかされてくれたが、我に返ってすぐに話題を戻そうとするのは目に見えている。
 何か企んでいるだなんて勘ぐられるのは非常に心外だった。確かに作戦を練ったのは事実だが――うまくいくかは薄氷を踏むかのような分の悪い賭で、今は第一段階がクリアできただけに過ぎない。
 だからこそ、修介は心配しているんだろうが。
 俺は昔とは違うんだ。以前と同じ轍を踏まないよう、慎重に行動する知恵ぐらいついている。



 将来というものをおぼろげにしか想像できなかった中三の俺が進学する高校を選んだのには、もちろん特に深い事情なんて存在しない。だから、そこで予想外の再会が転がっているなんて思っていなかった。
 その一人目は、修介だった。俺が住んでいるのは市の北部にある今では古ぼけた感のあるニュータウン。修介は公営のそこから脱出して、マイホームを建てた組のヤツだ。
 いつまでもずるずると公営住宅に住んでいるのは、金のないヤツか、思い切りのつかないヤツが大半。そんなわけだから、かつては多数いた俺の同級生仲間はいまでは近所にほどんどいない。
 入学当初、クラスでの自己紹介で聞き覚えのある名前を耳にして、顔に残る面影に昔馴染みと確信した。向こうは向こうで、同じように俺のことを覚えていたらしい。
「懐かしいなあ」
 久々でも気恥ずかしさも何もなく、修介はひょいひょいと俺に近づいてきた。
 数年間のブランクを感じさせないような親しみを、修介は惜しむことなくこっちに向ける。菅谷と同じく、目に眩しいヤツだった。
 そんな修介が、二人目の懐かしい名前を出したのは、再会してしばらく経ってからのことだった。
「そうだ、ゆっきーはさっちゃんは会ったか?」
「さっちゃん?」
「そう。さっちゃん」
 修介の告げた名前を反芻して、俺は首をひねる。今では年齢層が様々な鷹北ニュータウンは、当時はまだ若い家族がたくさん住んでいた。当然子供もたくさんいて、さっちゃんがどのさっちゃんを指しているのかとっさに分からない。
 修介と俺の共通の知り合いのさっちゃん――?
 なかなか出ない答えに眉根を寄せると、修介はしばらくして解答を教えてくれた。
「明塚佐知。ほら……ゆっきーの初恋の――忘れたのか?」
 あまりにも意外な言葉に俺は声を失った。
 忘れたと言うよりは、忘れたかったことだ。古傷をえぐるようなことを平然と言う修介は、俺の思いをすべて知らない。
 俺の初恋の顛末を知る前に、修介は越していったから。
「あの、さっちゃんか」
「そのさっちゃんだよ」
 修介は無邪気に笑って、彼女のことを話す。
「今の俺んち、彼女の家とけっこー近くてさ」
「は? そうなのか?」
「ああ。歩いて五分くらいかな。で、小中一緒だったわけだけど」
 忘れたいことだったけど、不完全燃焼のまま終わった淡い恋の相手のその後に興味を引かれた。
「ずっとクラスが違ったし小学校高学年なんて微妙な年だったから、特に交流はないんだけどな」
 修介は苦笑がちに俺を見た。
「多少ブランクがあるとはいえ、さっちゃん俺のこと全然覚えてなさそうだったんだけどひどいと思わね?」
「そーなのか?」
「ま、さっちゃんだからしょうがないけど。そんなだから、会って覚えられてなくってもめげるなよ」
 めげるななんて言われても困ると思ったのは聞いたその時だけだった。特に気にしていたつもりもなかったのに、そのうち俺は彼女を発見した。
 同じ中学の女の中には化粧を始めてがらっと印象を変えた奴もいるけど、彼女は全くそんな気配がなかった。
 年を経ただけ印象を変えているけど、基本は昔のままのさっちゃんなのだと思う。俺は向こうに気付いたけれど、修介の言うとおり向こうはこっちに気付いていない。
 さっちゃん――明塚佐知は、俺にとって人生で初めて気になった女の子だ。だから何かと気にかけて、しょっちゅう近くにいることにしていた。まだ男女が一緒に集まって遊ぶことに抵抗のない頃だった。
 好きな子をいじめるようなアホウもいたが、俺はそんな事をするガキじゃあなかった。さっちゃんはどこかぼうっとした女の子で、いじめるよりは何かと世話を焼いていた記憶がある。
 一緒に歩いていてもふと気付くとはぐれそうな子、それがさっちゃんだった。
 好意を抱いていても、小学生だ。特になにをするでなく、日々はただ過ぎていった。
 だが、小学時代も半ばを過ぎると、男女混ぜこぜで遊んでいた状態に少しずつ変化が訪れる。俺達男はカードゲームで燃え上がっていたし、女子は女子でなにやら盛り上がることが少しずつ増えてきた。
 そしてある時、転機は訪れた。
 小四の七月。俺はさっちゃんと二人きりで夏祭りに行く約束を取り付けることに成功した。
 ガキのくせに生意気だなんて批判は、町内会のちゃちい祭りだと知ればすぐに消えると思う。のほほんとしているさっちゃんが俺と二人きりを狙った理由は、当時女の子たちが「誰が誰を好きか」なんて話で盛り上がっていたからだけだ。
 他の女子がどれだけ誰を好きだったかなんて知らないけど、さっちゃんが俺を好きだったその好きのレベルはなんとなく想像できている。
 俺と一番仲が良かったからで、その好きはそんなに大きくなかったんだろうなって。
 それでもうまく約束を取り付けられた俺達は幸せだったんだろう。好きと好きのベクトルがうまく一致することは、なかなかない。
 好きな子をいじめていたアホウは意中のあの子が別のヤツ誘ったことにショックを受け、だけどその誘われたヤツが好きなのは別の子といった具合。
 仲間内で俺は羨望の眼差しを受けることになった。二人は夫婦だなんて馬鹿げたからかいにもむしろ鼻高々だった。
 そのことについて特にさっちゃんはコメントしなかったので、悪くはないと思っていると思っていたがそうじゃなかったんじゃないかと気付いたのは、すべてが終わってしばらくしてだった。
 約束の日、夏休み入ってすぐに帰省をしていた俺は久々に彼女と会えるのを楽しみに家を飛び出した。待ち合わせの時計台の下で、俺は炎天下の中延々と待ち続けた。暇で暇でズボンのポケットに大事にしまい込んだ小銭を何度も数えたり、どこに行こうかあれこれ計画したり待っているのも案外楽しかった。だけど、待てども待てども彼女はやってこなかった。
 さっちゃんのことだからうっかり遅れているのかもしれないとそのうちに思い、俺は道中すれ違わないように周りを見回しながら彼女の家へ向かった。そして、そこで彼女が引っ越したと知った。
 ロクな連絡手段もなかった時代だ。小学生の俺達に電話なんてハードルが高かった。だけど、なにか一言でも欲しかった。
 何も言わずに引っ越し、約束を破るなんてひどいと俺ははじめ彼女を恨んで荒れた。そりゃあこっちも祭りの前日まで家にいなかったから仕方ないけど、伝言とかそういうことくらいしてくれてもよかったじゃないか。
 夏休みの半分くらいを腐って過ごした俺は、その後に気付いた。
 何も言わずに去ったさっちゃんは、実はからかわれるのが嫌だったんじゃないかって。



 浮かれるばかりで好きな子の気持ちを全く考えなかった過去は、できれば忘れていたいことだった。
 箱にしまい込んで厳重に鍵を掛けて、同じ愚を犯さないように自分に言い聞かせて。
 だけどしまい込んだはずのそれは、望んでもないのに俺の目の前に飛び出してきた。修介の言葉で彼女が同じ学校だと知ってから、彼女の存在を認識するまですぐだった。
 忘れていたかったのに、思い出してしまえば遠い日に置き去りにしてきたはずの想いが再燃するまでほんのわずか。
 だけど、積極的な行動を取るには接点がなさ過ぎた。
 幼馴染の忠告通りに、彼女はこっちを覚えている気配もない。いきなり俺を覚えているかなんて、当然聞けなかった。あれやこれやを語ると、結局あの約束の日のことを話さざるを得ない。
 俺にとって忘れ難いあの日が、彼女にとっても忘れ難い忌々しい日と記憶されていたら――この気持ちは行き場をなくすに違いない。
 慎重に慎重に俺は機会を窺い、そして好機のしっぽを友人を通して掴んだ。
 菅谷の視線の先の彼女の近くには大抵さっちゃんがいて、彼女たちのグループで彼氏がいない子はそう多くない。
 グループ交際を申し出ればさっちゃんが釣れるかもと申し出れば、案の定だ。
 あまりにあっけなく希望通りに事が運んだから拍子抜けしたくらいだ。うまくいかなければ、そこでできた縁をたどって、なんて思っていたんだが。
「まだかなー」
 待ち合わせは祭りの会場、御津賀神社の鳥居の下。場所こそ違うが、夏の約束。さっきからきょろきょろと周囲を見回してばかりいる菅谷と同様、平静を装っている俺も内心緊張していた。
 俺もそれとなしに視線をあちこちに向ける。
 こちらにやってくる人ごみの中から思い人を発見できたのはどうやら俺だけのようで、菅谷は声をかけられて初めて気付いたようだった。
 二人とも祭りとあってか浴衣姿だ。俺の視線は自然とさっちゃんに吸い込まれる。
「お、来たか北西」
「うん。ごめん、待った?」
「少しだけな」
 菅谷が緊張のためかやけに早口だ。去年同じクラスだったと言うさっちゃんに菅谷は続けて声をかける。
「久しぶりだな、明塚」
「お久しぶり」
 久々に聞くさっちゃんの声は記憶にあるよりもぐんと大人びている。
「今日はよろしくねー」
 にっこり笑う菅谷の思い人北西は、面白いくらいに菅谷しか見ていない。
「北西、こいつは俺のクラスの高坂。高坂、この子が北西で、そっちが明塚だ」
 菅谷の方も北西に満面の笑みを向けながら、紹介役を務める。
 若干のぎこちなさを交えながら俺達はあいさつを交わした。菅谷と北西はどこまでもにこやかだが、さっちゃんはどこか緊張した面持ち。俺の方も、緊張していることを否定できない。
「よろしく」
「おう、よろしくな」
 かつて修介が予想していた通り、面と向かってもさっちゃんは案の定俺のことに気付いた素振りもなかった。わかっていても落胆してなんとかしたくなったが、あの日のことを彼女がどう記憶しているのかわからなければ下手にアクションを起こせない。
 俺は無難な言葉を口にして、浮かれかける自分の心に釘を刺す。
 そしてガキの頃に果たすことのできなかった二人きりの夏祭りを目指して、一歩足を踏み出した。



―――――――――

 さて、同じ場に集った彼らの思惑はそれぞれ異なっている。
 誰が自身の思惑を果たすことができるのか、まだ誰も知らない。

−END−
2009.04.22 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

←BACK INDEX NEXT→

感想がありましたらご利用下さい。

お名前:   ※ 簡易感想のみの送信も可能です。
簡易感想: おもしろい
まあまあ
いまいち
つまらない
よくわからない
好みだった
好みじゃない
件名:
コメント:
   ご送信ありがとうございますv

 IndexNovel夏の約束
Copyright 2001-2009 空想家の世界. 弥月未知夜  All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.