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精霊使いと水の乙女

2.森の障壁

 一夜明けて、翌日。
 朝焼けの余韻が残る、静謐な一日の始まり。
 町長宅にして町の役所でもある屋敷で一夜を過ごした俺は、昨日見た「壁」の目前までやってきていた。
 昨日の晩は出された夕食を平らげた後すぐ寝てしまったので、早くに起きても全く平気だった。正確には起こされて、だったんだが、まあそれはどうでもいい。
 俺とカディとレシアと、ここにいるのは俺達三人だけだった。
 マチスは多忙らしい。腐っても町長だなとぽそりというと、レシアは笑ってだから忙しいのよと答えてきた。
 元々つい最近に世代交代したばかりで、仕事に慣れていないところを目付役にして後見役の先代町長――父親に倒れられて大変なのだと。
 この父親というのが最近不調だったところを環境の悪化で追い打ちを食らってしまい、だからこそ余計この事態を放っておけないみたいよと彼女は続けていた。
 壁は半透明で、それなりに分厚いように俺には見える。
 その先の景色は俺の目には水色がかって見えた。壁の影響だ。魔力を感じ取ることのできない相手には案外普通に見えるのかもしれない。
「……壁というよりか、障壁って感じだな」
「なによそれ」
 レシアは顔をしかめる。
『やはり……これは』
 深刻な顔をしてカディは壁に近づいた。
 すらりとした指を壁に伸ばして、すっと降ろす。ぽそぽそと何かを呟く――俺にもよくわからない精霊の言葉で、どこか苛立たしげに。
「何呆けてんのよ?」
 レシアは機嫌が悪いのを隠そうともせず、俺にずいっと顔を近づけてきた。
「どこ見てんの」
「あ、あー……いやうんその、」
 さてさて、どう説明したもんだか。
 俺はレシアから視線をそらしてカディを見た。
 こいつは、精霊の中でもすこぶるつきにおかしい奴なんだ。無論、性格はどちらかと言うと生真面目かつ口うるさい。
 おかしい、というのはその存在。
 はっきりした自我を持つその時点でそれはおかしな話。このことを説明せずにこいつのことを語るのは難しいし、しかし「自我を持っていて……」などと話したところで信じてもらえるのも難しい――と。
 自我を持つ精霊がーなんて話したら馬鹿にされそうな気がする……彼女には。
「何黙ってるの?」
「えーと、どうしたもんかなって」
「この壁?」
 レシアは壁を指差し、「そうねぇ」なんてのんきに腕を組む。
「困ったもんよね」
 ぺしんと手を触れる。恐ろしいことにこの壁は手で触れられる。ただ少し抵抗すればあっさりと壁の中に手を突っ込むことができるが。
「むう」
 通れることは通れるみたいだな。
 壁はまるでゼリーのような手触りだ。全身を通り抜けさせるのは……ちょっと嫌だなー。絶対気持ち悪いって。
「あー」
 カディに視線を向ける。さっきと同じままの姿で、カディは真剣にうなっていた。なぜか額には汗が流れている。
 何でだ。
 突っ込みたいのは山々だけど、だから、それにはレシアに説明しないといけないんだってば!
 説明せずにカディに呼びかけて、変人扱いはされたくない。これまで、気を抜いた時にへまをやって、何度その屈辱に耐えただろう?
 彼女なら、絶対心をえぐる鋭い一言を言ってくんじゃないか?
 偏見かもしれないけど、なんかそんな気がする。
 俺は天を仰いだ。やわらかい朝の光。澄んだ青空。快晴だ。
「通れるのは通れるんだけどさ」
 俺の気も知らずレシアは壁に手を入れたり抜いたりしている。
 彼女もどうやらこの壁に抵抗を感じるようだ。誰しも感じるか彼女も魔力を持っているからかなのかは比較対象がないからわからない。
 俺は壁から手を引き抜く。手は別にぬるりとはしないが、手を洗った後のような感じがした。
「やっぱり、これを作ったのは水の乙女……ってやつなのかな」
 俺が呟くと、真剣な顔で黙り込んでいたカディがそれに反応した。
 ひとつ、深いため息。
『どうやら、そうらしいですよ』
 呆れたような、疲れたようなそんな表情でカディはそう言った。
『なんて言えばいいんでしょう』
 カディは疲れきった表情をより深めながら、壁に手を伸ばす。
 精霊には実体はない。だから何の抵抗もなく壁に手を突っ込んで、頭を振る。今まで、何度となく見たことのある表情――どこか困ったような、呆れたような顔。
「どういうことだよ」
 俺はついそう問い掛けてしまってから、レシアの視線に気付いた。
「う、あ……いやその」
「どうしたの?」
 俺の視線を追ってレシアがカディのいる辺りを見る。瞳を細めても何も見えない――まあ当然だ――ので、俺を見上げて首をかしげる。
「ああ、そう。そーなんだうん」
 何を慌ててるんだ俺は。
 馬鹿みたいにこくこくうなずいて見せて、俺はどう説明したもんかもう一度考える。
 その間にレシアはもう一度カディの辺りをにらみつけるようにする。目をぱちくりとさせて、視線が戻ってくる。
「局地的に、確かに力、強いみたいねー。なんでだろ。他はどっこも弱いのに。何か理由があるのかしら? じゃ、その理由がわかれば解決するって訳?」
「それは無理だと思う」
「なんでよ?」
 ぶつぶつ呪文を唱え始めていたレシアは俺の言葉に不満げな顔になった。
「なんでって……えーと、だから〜」
 言いよどむ俺にレシアはぐぐいっと顔を近づけてきた。
 至近距離。慌てて飛び離れる俺にレシアは不審感をあらわにする。
「ソート、あなたもしかして何か隠してる?」
 否定はできない。カディのことは隠している。
「もしかして、あなたが犯人――」
『それは違います』
 俺は思わずこくこくうなずいたが……カディの声は彼女には聞こえないから、レシアは目を吊り上げた。
「だましたのね?」
「違うそれはごかっ」
 俺が言い切る前にレシアはこっちに火の玉を投げつけてきた。
「ちょ、待てっ。いきなり危ないだろそれっ!」
「問答無用! 自らの罪を死して償うがいいわ」
「殺す気かっ?」
 答えはない――が、目がマジだ。
『なにじゃれてんですか、ソート』
「半分以上お前が悪いんだろ?」
 呆れたように口をはさむカディを俺は睨んでやった。涼しげな顔で無視するなよ、オイ。
「なっにをごちゃごちゃ…」
 レシアが呪文を唱えて練り上げた光球を掲げて叫ぶ。
「言ってんのっ!」
 光球は彼女の手を離れて、俺に向かって突き進んできた。本気で殺す気か?
「カディ!」
 光球の進路から慌てて横にダイブ。同時に叫んだ声にカディは無言で応じてくれた。
 右手を一振り。 光球が地面に衝突して、衝撃が襲ってくる。その衝撃波はカディが俺の周りに張り巡らせた風の結界に阻まれた。
『男の子なら、今のくらい自力で何とかするべきじゃないですか?』
「うっさい」
 大体お前が余計なところで口をはさんだせいだろが。
 俺は身を起こして、再び何かぶつぶつ言っているレシアに慌てて駆け寄った。
「ちょっと待て。誤解なんだから!」
 睨み上げてくる視線は鋭い。俺は彼女の腕を掴んで、空いた左手でカディを指差した。
「あそこ! いるんだよすこぶるつきにおかしい精霊が!」
『人を変わり者みたいに言わないでください。大体私が真面目に話をしようとしていたのに、あっさり無視するのは失礼ですよ』
「ごちゃごちゃ口うるさいヤツが一匹」
『口うるさいのは性分です』
「君には見えないかもしれないけど!」
 レシアは敵意を含んだ表情を変えない。
「見えないものを信じろなんて虫のいい話と思わない?」
「君が精霊使いじゃないんだから仕方なかろーがそれはっ! いるもんはいるし、そいつがなんかこの壁を作ったのは水の乙女らしいって言ってんだよ!」
 レシアは目をぱちくりとさせた。あっさりと敵意を無くすと「本当に?」と俺の指差した方を見る。
「そこは納得できるポイントなのか?」
「私、水の乙女の話気に入ったのよね。話を聞く価値はあるわ」
「……なんだかなー」
 ついぼやいてしまうが、いい事にしてしまおう。
 レシアは嬉々として俺を見上げて、
「でも、言い逃れるための嘘だったりしたら承知しないからね」
 などと釘を刺してくるけど、まあいい。嘘じゃないんだし。
「カディ、で、どういうことなんだ?」
「カディってのがその精霊の名前なの? 風の精霊? さっきそんな気配が……」
「頼むからちょっと黙ってくれないかな」
 レシアはぺろりと舌を出して肩をすくめる。それをくすくす笑って見ていたカディは俺の視線を受けて表情を改めた。
『これは間違いなく彼女の仕業です』
 真剣な顔でそう切り出す。
『おそらく、水の乙女と呼ばれているのは彼女でしょう。人に姿を現せる精霊は、そう多くはありませんから』
「知り合いなのか?その水の乙女と」
『私の思う彼女が、水の乙女と呼ばれる存在なら、ですが』
 慎重な言い方でカディが首肯する。
『彼女がこんなことをするなんて……』
 カディは悲壮感の漂う面持ちで続けた。
『世界の崩壊の前触れかもしれない――』
 それは冗談なのか? それとももしかして本気なのか?

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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