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精霊使いと水の乙女

3.水の乙女

 森は暗く静かだ。病んだ空気が雰囲気を重くしていて、元は青々としていたのだろう木々に元気がない。
 そこを歩くのは、なんというか……少し苦痛だ。
 気持ちが重くなり、自然と歩調も緩む。
「大丈夫?」
 呟いたのはレシア。カディの顔を見上げる。
 ふよふよ宙に浮くカディはそもそも整った顔立ちをしていて、ついでに精霊という性質上どうしても透けている。彼女の目にガディがどう映っているのかなんてわからないけれど、あまり健康的には見えないかもしれない。
 病弱で神経質そうな青年。そんな風に見えていてもおかしくないだろう。
『はい、まあ、なんとか』
 そういう割には普段より口数が少ない気がする。
 レシアは「ならいいけど」ともごもご言ってから、正面を見据えた。
「本当に、なにかわからない?」
 俺たちは森に入ってからずっと黙り込んでいた。病んだ空気を吸わないように、無駄に努力したからでもある。
 人間が呼吸をして生きていかなければならない以上、そんなこと無意味だけど。
 歩くごとにつらくなるのは、精霊の数が少ないからだろう。人間は想像以上に精霊の恩恵を受けて生きている。
 ここは精霊の数があまりにも少ない。精霊は世界にあまねく存在するもの――ここは異常だ。
 なにか、精霊が存在できない理由があるはずだ。それが、カディに影響を与えないはずなんてない。どんなに普通とはかけ離れていてもカディも精霊なんだから。
『残念ですが』
 カディはきっぱりと頭を振る。
 自分が指し示した、水の乙女がいる方角を見据える。
『とんでもないことが起こっていることだけは、間違いありませんけれど』
「そりゃ、とんでもないけどなこの状況は」
 吐き気が沸き起こりそうになるのを押し込めて、呟く。
「水の乙女に聞いたら何かわかるかしらね?」
 レシアは俺よりタフなようだ。ちょこんと首をかしげている。
 積極的に口を開く気にはなれないから、俺は肩をすくめた。さあ、なんてもごもごと呟く。聞こえたかどうかはわからない。
 カディはレシアの言葉に気のない素振りでうなずく。
『そうなると、いいのですが』
 なにやら含みのある口調。
「ちょっと、なによそれー」
 レシアが不満そうに漏らす。俺はカディをじーっと観察して、それから聞いた。
「どういう知り合いなんだ?」
 最低限に口を動かして問う。カディはその問いに、少し顔をしかめた。
『ど、どういう、ですか?』
 何故そこで動揺するんだか。カディは珍しく視線をあたふたとめぐらせる。
 森の奥に最終的に目をやって、言いにくそうに口ごもって。
『ええ――と、まあその……同僚、ですかねぇ?』
 逡巡の後にぽそりと言う。
『話しましたよね? 私がソートと一緒にいるのは主が放浪の旅に出たので暇だからと』
「聞いた」
 俺がうなずくのを確認して、カディは続けた。
『彼女をこの地に召喚したのが誰かはわかりませんが、まあ彼女も暇なのは間違いない話です。彼女なら――多少訝しく思われても気にせずにほいほい人前に姿を見せるでしょうねぇ』
 大きくため息。なにやら疲れた調子でカディは額に手を当てる。
「あなたも見せたでしょう? 私に、姿」
 レシアの言葉に『非常事態だからです』とカディはきっぱり言い切る。
『普通、そんなことをすればロクなことになりませんよ』
「貴方の話じゃ、そんなことできる精霊は少ないんでしょ?」
『はい』
 別に自慢する素振りもなくカディはあっさりうなずいた。
『ですから、私の存在を公にしないでくださいね。そんなことないと思うからこそこんなことをしたのですが』
「わかったわ」
 軽い調子でレシア。まったく、よくこんな森の中で会話が出来るよ。魔法使いより精霊使いの方がここに影響受けるってことか?
 俺の内心になど気付かずレシアは感心したようにやたらうなずいている。
 なあ、もしかして今の状況忘れてないか?
 突っ込むのもバカらしくて俺は黙ったまま歩みを続ける。
「でも、ほんと珍しいんでしょうね。貴方みたいな精霊。見たことないから、わかんないけど……精霊に意思があるなんて聞いたことないわ」
 レシアは言って「ね」と同意を求めてくる。
「精霊王と精霊主たちは別でしょうけど――」
 その言葉にカディはあっさりとうなずいた。
『そうですね。私もそれくらいしか知りませんし、私が知らないということはつまりそういうことでしょう』
「はい?」
 レシアが、素っ頓狂な声を上げた。俺もカディを見る。
 なにか、どうも不適当な発言を聞いた様な気がしてならないんだけど、な?
 俺とレシアの探るような眼差しに気付かず、先をふよふよ進んで、カディは振り返ってきた。
『泉、です――澱んでますけど。大丈夫でしょうかねぇ』
 水の乙女のことを心配したのかもしれないが、それどころじゃないんじゃないか?
「カディ、あのさ」
 俺は思わず大声で呼びかける。ぐぐ、思い切り息吸っちまったぃ。気持ち悪さにむせ返りそうになるのをぐっとこらえる。
『大丈夫ですか? ソート』
「ああ。それよりも、さっき、なんて言った?」
『泉ですよ? 澱んでますから、彼女のことが心配で……』
「その前だよ、馬鹿」
 俺の言葉にカディは嫌そうな顔をする。文句を言いはじめる前にレシアが割り込んだ。
「精霊王と精霊主くらいしか――意思がないとかいうよーな感じに言わなかった?」
 カディはちょっと首をかしげる。不思議そうに、
『言いましたけど?』
 なんてけろりと言ってのける。
「それって、つまり、どういうことだ?」
 我ながら声はかすれていたと思う。もう、空気が気持ち悪いなんて言ってる場合でなくて――。
「今の言い方だと」
『言ったでしょう? 私はそう簡単に消えませんって』
 何食わず顔でカディは言う。
『一応、精霊主の一人……風主を任されているからには、まあ簡単に消滅することは沽券に関わりますし』
 あっさり言うことじゃ、それは絶対無い。
 俺はまじまじとカディを見た。
 風の精霊を統べる精霊主の一、風主――世界創世の時分より生きているそれは神にも近しい存在の、そのはずだ。
『彼女――水主も、弱っているもののそう簡単に消滅はしないでしょうし。そんなことになれば主が悲しむでしょうから、ええ』
 やけに人間くさい仕草でカディはうんうんうなずいている。そして、唇に人差し指を当て、俺とレシアを交互に見やった。
『これも、けして公にしないでくださいね。精霊主がこんなのだと知れたら、世界は大騒ぎでしょう。私は、まあともかく、彼女は……ちょっと刺激が強すぎます』
「ちょっと待て、おまえ本気かそれ? 気でも違ったのか?」
 俺は叫んだ。
『まったくだわ』
 声はカディの後ろ、泉の方から聞こえた。カディが慌てて振り返る、その目前に一人の女性が現れた。
 今にも消えそうなくらい存在感のない、女性――いや、見た目はレシアとそう変わらないから、少女なのか?
『私のどこが刺激が強いのだわ? カディ』
 カディは少女の質問に静かな声で答えた。
『その妙なしゃべり方は少なくとも人がイメージする水主のものではないと思いますよ』
『何を言うのだわ』
 俺の耳にもどう考えても妙に思える口調でもって、水の乙女は憤慨した。
『このしゃべり方は今巷で大人気なのだわ。トレンディーなのだわ』
『どんな巷ですか。しかもトレンディーって……その言い方が古いです』
『な、なにがだわ? どこがだわ?』
 これが、自称精霊主の会話なんだろうか?
 何かが違う。絶対違う。そんな事実がありえるとしたら――ある意味とても恐ろしいってば。
『なにもかもです――相変わらずですね、スィエン。真面目に結界を張っているなんて、仕事熱心になったかと少し期待してましたけど』
 世界の破滅の前触れとか言ってなかったか? お前。
 って、それも違うっての。
「ちょっと、なに言ってるのよ?」
 俺が何とかカディたちの会話に割り込もうとしていると口を開きかけたら、レシアが言った。
 不思議そうにカディを見て、呟く。
「精霊?」
 俺は慌てて水の乙女を見た。
 「水」というイメージから想像する青い色彩は少ない。薄い、薄いその姿――存在感も、希薄だ。
 言動の変さはともかく、こんなところにいたのだから相当消耗したんだろう。まして、あの結界を張ったんだとしたら。
「水の乙女、らしい」
「見えないんだけど」
 俺は水の乙女を指し示したが、レシアは即座に断言する。
「水の乙女は見えるはず――でしょ?」
 彼女は大分それに期待していたらしいから、その言葉にはなんだか迫力がある。
「カディより薄いからな」
 精霊の気配はそのまま力に比例する。今のカディは普段に比べて大分その存在感が強い。この空気が悪い中、気を張っているんだろう。
 普通の精霊の気配の……何十倍は軽く上を行くんじゃないかと思う。つまり、それだけの力が必要なわけだ――姿を現そうとなると。
 俺はそのことをレシアに説明して、彼女の仏頂面を手に入れた。
「ずっるい、それ! 水の乙女よ? 町の救世主よ?」
 そんなこと言われたって知るか。
 俺はまだのんきに掛け合いを続けているカディと乙女を見た。
 ――見てもいいものだと思えない、のは俺だけじゃあない気が。
『だいたい、いっつも小うるさいのだわカディ。若白髪になっても知らないのだわ!』
 ……若いのかカディ? 精霊主なら数千歳越してんじゃないのか?
『うるささに関してはスィエンに言われたくないですよ』
『むぅ。失礼なのだわ』
 ――精霊主?
 後ろに自称とつけて、ついでにもう関わらないようにした方がいいような気がしてくる。
 そんなわけにもいかないけど。少なくとも、この森をどうにかしない限り。
「カディ!」
 俺はぶつぶつ言ってるレシアをきっぱり無視して、大きく呼びかけた。
 久々に大きく息吸ったもんだから、吐き気が戻ってくる。まずいまずい。多少は慣れたようだけど、気をつけなきゃひどい目にあいそうだ。
 カディは掛け合いを止めた。
『ああ、ソート。どうしました?』
「どうしました、じゃなくて。言い合いしてる場合か?」
『再会の挨拶ですけど』
「……独創的な挨拶だな」
 とりあえず突っ込む。
『親睦を深めるのが目的ですが――そうも言ってられませんね』
「すぐ気づけよ」
『スィエン』
『なんなのだわ?』
 興味深そうな顔をして俺たちを見ながら水の乙女がカディに答えた。
『それで、何があったんです?』
 水の乙女は、はじめて真剣な顔をした。
 透ける体を抱きしめるようにして、彼女は口を開く。
『それが……よくわからないのだわ』
 本気でじゃれてる場合じゃなかったろうが! 自称精霊主ども!!

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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