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精霊使いと国境越え

 レシアは扉を押し開けた。からりら、とベルが鳴る。
 澄んだその音が終わる前に彼女は口を開いた。
「こんにちはー」
「よぉ、らっしゃい――どうした? レシア」
 たくさんのテーブルが並ぶ、食堂めいた店だった。店構えからすれば、二階が宿なんだろう。食堂+宿屋。まあ、わりとよくあるタイプの店だ。
 カウンターの奥にいた男はわずかに驚きで目を見張って、レシアを凝視した。
「なにかあったか?」
「なにか、じゃないわよ」
 レシアはその言葉に憤然として、腰に手を当てた。
「何が迷うわけないよ。迷っちゃったじゃない」
「……はあ?」
 店の親父は間の抜けた声をあげる。
「何馬鹿なこと言ってんだ」
「馬鹿なことじゃないわよ」
「――本気か?」
 訝しげに目を細める。そりゃそうだろう。あの道を間違えるのには相当な才能がいるだろう。
 方向音痴という才能が。
「本気よ」
「……」
 なんとも言いがたい顔で親父は黙りこんだ。いや、俺の方見られても。
「本気らしい――信じられないことに」
 親父は呆れたようにレシアを見た。気持ちはよーくわかる。
「どうやったら迷えるんだ? むしろ」
「さあ」
「何でそんな信じられないって顔するのよー」
 レシアはぶうぶう言うが信じられないのは間違いない。
「おじさんが言うの信用したのにっ」
「で、文句付けに来たわけか?」
 親父の言葉にレシアは首を横に振った。俺達を手で指し示して、続ける。
「お客さん連れてきたのよ。えーと、ソートとチークさんはおなじ部屋でいい?」
 う。
 俺はゆっくりと後ろを降り返った。チークは不思議そうに首をかしげる。
 精霊主と一緒の部屋……いや、まあカディもそうなんだけどさ。
 俺はため息とともにうなずいた。どうだっていいや。
「じゃ、二人部屋と一人部屋の二つ」
 レシアはピースサインをして、
「食事もお願い」
 と続ける。
 食事。そう、食事だ食事っ!
 思い出すと腹が鳴るような気がする。
「食事、か」
 なにやら親父は苦りきった顔だ。
「おじさんのシチュー、も一度食べたかったのよ」
 レシアはにこやかにうなずいた。
 親父は苦い顔を崩さない。
「それはありがたいんだが」
「なにかある?」
 奥歯に物が挟まったような親父の言葉にレシアがきょとんとした。
 親父はふう、とため息を漏らす。
「まあ、出すのは構わないが……」
 構わないという割には嫌そうな顔つきで、肩をすくめる。
「おすすめはできんな」
「なんでよ? おいしいのにおじさんのシチュー」
「まあ、食うか?」
「そりゃもちろんよ。シチューは外せないわよ? 私はあとパンが欲しいな」
 それからレシアは俺に視線でどうする、と問いかける。
「あー、じゃあそのおすすめのシチューとやらと」
 俺はテーブルに近寄って、メニューを手に取った。親父の書いたらしい豪快な文字を見つめる。
「……あと肉が食いたい」
「チークさんは?」
 黙ってチークは首を横に振る。いらないということだろう。
「そぅお?」
 レシアは首を傾げたが、「じゃあ、お水でも」とあっさり親父に注文する。
 親父は「おう」とうなずいて奥の厨房に姿を消し、俺達は適当にテーブルについた。
 客の数は、夕飯も近い頃だって言うのに全くいなくて、俺としてはちょっと不安なところだ。「おすすめはできん」などと当人が言ったくらいだ。
 シチューがおいいいというレシアの味覚が狂ってないことを祈りながら、俺は食事の気配に活発になってきた腹の虫をなだめるように腹に手を当てた。

※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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