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精霊使いと国境越え
どうにかしませんと、と言われても。
男はまだなにやらぶつぶつと言っているけど、周りの精霊はもう聞く耳を持たないで男の事を無視している。
それは鮮やかかつ急激な変化で、思考がついていかない。
こんな風に簡単に状況が覆るのなら、最初からそうすれば良かったんじゃないか?
『さあ』
カディが促してくる。それに押されるように一歩踏み出したものの、どうしていいか分からなくてすぐに立ち止まる。
精霊使いは相争わないことを原則にしているんだ。今のこの状況はどう考えたって俺が有利な感じで、つまりもう戦う必要はないんじゃないかと思える。
『また、何かしないとも限りません』
「それはあり得る話だけどな」
だからって何かしそうだからその前に何かするってのは違うんじゃないかな。
俺が動かないのを見て、カディは嘆息。
呆れたと言うよりは、諦めたような雰囲気。ゆっくり彼は頭を振りながら、肩をすくめた。
「なんだよ」
その態度に不満を漏らすと、彼は口の端を持ち上げる。
『まあつまり、そうだからこうなんでしょうね』
返答はわけわからないし。
「どういう意味だよ?」
その問いかけの答えは、何もなかった。
カディが口を開くよりも早く、レシアがやらかしたからだ。
「いけー!」
勢いのある叫び声と一緒に男には氷の矢が降り注ぐ。
どこかで見たような――というかつい数日前に確かにあった光景の再現のように見える。
違うのはレシアが独力で創りあげたその氷の矢の量が前とは違って少ないこと。
「……なんでそんな妙にえげつない攻撃なんだろうな」
彼女に聞こえないようにこっそり呟いて、男の様子を確認する。
レシアの攻撃はあまりにも突然でしかも誰も彼女に注意を払っていなかったから、男だって予期せぬその攻撃をまともに食らっているようだ。
どさりと、その体が倒れる。
そこでもうネタは尽きたらしい。氷の矢の落下が無くなったのを確認して、とりあえず俺は男に駆け寄った。
『どうですか?』
「どうってな……」
血の臭いに自然と顔が歪ませ、男に手を伸ばす。
「触るな!」
「うお」
動かなくなったもんだから意識を失っているかと思いきや、強い調子で手を振り払われてしまう。
半歩退いて、男の様子を観察。
男は身を起こし、肩で息をしているけど、命に別状はないだろう。軽傷でもないように見えるけど。
男は鋭く俺を睨み付ける。視線に籠もるのは、変わらず背筋が凍りそうな何か。
「貴様、何をした?」
その口が呟くのは俺に分かる言葉で、またあの言葉が漏れるんじゃないかと密かに恐れていた胸をなで下ろす。
今は完璧に精霊たちに無視を食らっているとはいえ、いつまた状況が変わるか分からないから。
「何ってなんだ?」
その発言の意図が分からない。
男を見下ろす俺の視線はやけに偉そうに見えるかも知れない。座っているか、立っているかただそれだけの差だけど。
男は追いつめられた気になっているだろう――見下ろす視線にその気分を増して、やけになって襲いかかってくるかもしれない。
牽制する意味を込めて剣に手を伸ばす。逆に追いつめそうな気もするけど。
俺を睨んでいた視線がその様子を観察し、そして皮肉げに顔を歪ませた。
「精霊すべてを配下に置き換えて、そのようなことを抜かすか」
「はぁ?」
その言葉は俺にとって意外なものだったから、思わず力の抜けた声を漏らして。それから俺は男を見返した。
「精霊使いが精霊を支配下に置いたりしないもんだってことは、常識じゃないか?」
そう口にしながら疑問が頭をもたげる。
そのことは俺達精霊使いにとってはごく当たり前のことだっていうのに、何でそんなことをわざわざ口にするんだ?
男の視線にさらに力が籠もる。気詰まりになって、向き合うのを止めたくなるけど――視線を逸らすのも危険だろう。ぐっとこらえる。
「はん」
吐き捨てるような声。
「貴様らは精霊に命じ、精霊はそれに応える。それが支配下に置くということだろう」
「違う」
「事実だ」
断じる口調。
なぜだか息苦しくなって、否定する言葉が思いつかない。
『違いますよ』
その様子を見て取ったのか、カディが俺と男の間に割り込む。
彼の体はうっすら透けているから男の視線はまだ見えるけど、その視線は和らいだように思う。
胸の奥が、もぞもぞとする。それを落ち着かせるために深呼吸。
『私たちは精霊使いに必ずしも従うわけではありませんよ』
男の顔の歪みが広がり、視線が俺からカディに移る。
「だが事実、この場の精霊はその小僧の支配下に下った。私の言葉には従わずに」
支配下――重い響きの言葉に違和感が広がる。
カディが身じろぎした。
『何を馬鹿な』
どうやら呆れたジェスチャーだったらしい。呟いた声は小さくて、男には聞こえなかったようだ。
「……何?」
『別に、彼の命令に絶対服従なんてしませんよ、私たちは。ただ――』
カディはちらりと俺を見た。俺が不審に思ったのを感じ取ったのか、その顔に笑みを乗せる。
『ただ、その言葉に信頼を寄せただけです。信頼を寄せた相手の願いには出来うる限り応じる、それが私たちの性ですから』
『それで調子に乗っていたら足下をすくうだわよ? 信頼に値しない人間に力を貸す義理はないのだから』
ひらりとやってきたスィエンが、さらりと怖い事を言う。
そしてこっちを見てにこっと笑った。何だその笑顔はっ。微妙に怖いんだけど!
『貴方の言葉より、信頼の方が重かった、というわけですよ――さて。貴方にあの言葉を教え込んだのは誰です?』
カディの言葉は、先ほどの男の自信に対する嫌みがふんだんに込められている。
「我が偉大なる神だ」
ひゅん、とかまいたちが飛んで男の頬を切り裂く。
『ならば何という神ですか?』
「答えると、思うか?」
明確なカディの脅し。頬の傷どころか、全身傷ついているはずなのに男の言葉は強い。
『自分が不利だってことは、おわかりですよね?』
カディの言葉は脅し以外の何者でもない。
「いや?」
男はゆっくり頭を振る。
『誰ももう貴方の言葉には従わないと思いますが』
「残念ながら、それは確かだな――その原因は究明せねばなるまい」
一つため息を漏らし、男は呟く。
『そんな暇はありませんよ』
「無ければ、作るまでだ」
『なんですって?』
男の言葉のあまりの力強さにカディが驚いたような声を出した。
その間に男は立ち上がると、後方に向かって素早く跳んだ。
剣を抜きそびれちまった。
「誰か――」
変わりに精霊たちに呼びかける。
意図をくみ取ってくれた精霊たちがどっと男に押し寄せ――。
「無駄だ」
男が口の端を持ち上げる。見れば、いつの間にかさっきの頬の傷が消えている。
そのことに気付くと同時に、男に向かった精霊が残らずはじき飛ばされて。
俺達は同時に息を飲んだ。
「魔法ですって!」
「使えない、と言った記憶はない――」
レシアの声に強気で応じて、男は俺達を睥睨した。
「この場は引こう――」
だんっと男は地面を踏みしめ、空に飛び上がる。軽やかな動作――怪我を感じさせない動きはしゃべっている間に傷を癒したというわけだろうか。
『逃がすと思ってるだわッ?』
スィエンが叫んで怒り任せに振るう力を、宙に浮かんだ男は身軽に避けた。
「このような場所で、思わぬ苦汁をなめた――次は、このようなことはないと思え?」
「カディ!」
男の言葉に耳を貸さずに、カディの名を叫ぶ。
もちろん、とばかりに彼はまっすぐに男に向かった。
「また会えばの話だが、な?」
一直線に男に向かって突き進んだカディは、文字通り風だった。男を貫かんばかりの勢いの突進は目的を果たすことなく終了する。
不敵な言葉と笑みを残して、宙に浮かんだ男がそのままそこから姿を消したから。
勢いを殺しきれなかったのかそのまままっすぐ進んだカディが呆然と動きを止める。
「消えた……だって?」
「嘘でしょ?」
俺の呟きにかすれた声を出したのはレシアで、彼女は目を限界まで見開いて男がいた空間をまじまじと見ていた。
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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