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精霊使いと魔法国家
7章 7.そして、黒幕は
神の世界のものだっていうその言葉が聞こえた瞬間に、カディ達が動いた。
ひらりと身を翻すようにこっちに近付いてくる。
彼らが窓をひらりと乗り越えたのとほぼ同時に、そこに小さな火が現れて瞬く間に大きくなった。風が火を煽り、ごく間近から覆い被さるように襲いかかってくる。
「うわっ」
突然のことに何も反応が出来なかったのに、火とそれを煽る風は俺が何をすることもないうちにすぐに消え去った。まるで幻だったかのように、瞬時に。
聞き覚えのある声が苛立ったように言葉を続ける。それに反応するように火と風は連続して起こり、そして消えていった。
「無駄だ、無駄」
オーガスさんが掃いて捨てるような声を出すその間も、火と風の攻勢は終わらない。
カディと俺たちの間にはスィエンとチークがいる。二人が特に何をしたわけでもないようなのに火と風が消えるのは、あらかじめそれが神の定めだって聞いてても不思議だ。
「何故――何故だ!」
俺にも分かる言葉でバーズナが苛立ち混じりに叫ぶ。火も風もそれに応じてピタリと止まった。
「……何故、何故なのですか!」
嘆くような叫び声が語調を変えて、すがるようなそれになる。違和感に振り返ると、バーズナがこっちを全く見ていなかった。
部屋の奥――セルクさんとオーガスさんのすぐそばにいるボルドではなく、室内にいた最後の一人。
「精霊主の力をも操る言葉を貴方は教えてくださった。なのに何故、その力が消されるのです」
沈黙を守っている男に向けて、バーズナが言いつのる。違和感を感じて俺は男とバーズナを見比べた。それがなんなのか思い至る前に、違和感の原因はうめくようなバーズナの口から告げられた。
「我が神よ……」
しんと静まった室内に、さして大きくもない声は良く響いた。
「はぁ?」
間の抜けた声をまず上げたのはセルクさん。
「あぁー?」
オーガスさんが続いてガラの悪い反応をする。
俺はと言えば言葉もなく呆然と、バーズナの視線の先を見るしかない。沈黙を未だ守ったままの、どこをどう見たって神々しさの欠片もない人間にしか見えない男を。
精霊主や精霊王が思っていたほど神聖な存在でないと望まないのに知ってしまった俺でも、神の神聖さは信じたい。
信じたくても信じ切れないようなことをさっきオーガスさんに言われたような気がするけど、それでもだ。
神様は偉大でものすごいんだから、人間の格好で目の前に現れてもらっちゃ困るんだよ。俺の中で最後の砦が崩れるだろ。
百歩譲ってそれはありとしても――その神様って人が精霊を操ろうだなんておかしいだろ。ありえねえ。
『神……?』
ぼそりとしたチークの声には意外そうな響きが籠もっている気がしたから、俺は何となくほっとした。
つまり、チークは男を神だとは思っていないってことだろ。
沈黙を守り続けていた男は、そこでようやく反応を見せた。部屋の中を――というよりは俺たちを順繰りに見回し、一歩前に出る。
本当に、どう見ても、人間のようにしか見えない男だった。立ち振る舞いが優雅な気もするけど、立ち振る舞いならグラウトだってレイドルさんだって十二分に優雅だから人間だって十分出来ることだ。
ただ、髪と目が黒い色なのが不吉な予感を感じさせないでもなかった。この色の組み合わせの人間はたくさんいるから何の問題もない――でも、それを神に限れば。
どちらか一方が黒い神はいくらかいらっしゃる。例えば神の中の神、もっとも偉大なる至高神様の瞳の色は黒いと伝えられる。でも黒い髪と瞳の両方を持つと伝えられるのは破壊神だけ。
一致する不吉な組み合わせに俺は身震いする。
だけど、前にちらりと聞いたことを思い出したから、その疑惑はすぐに消えた。バーズナとはじめて対決した後だったか――神の力を借りたって聞いた俺がその名を口にした時に、他ならぬカディとスィエンがそれをあっさりと否定したんだから。
それはあり得ない。破壊神が本気なら精霊に害をなすよりも自分で直接的に世界を破壊するだろうから。それに、破壊神にも逆らえない相手がいるからそうなることはないとか、どうとか。
敵には厳しいカディが破壊神を語る口ぶりはどちらかと言えば丁寧だったから本当に敵対関係にはないんだろう。スィエンだって面識があるようだったから、本当にその男が破壊神ならとっくに騒いでいるはずだ。
「魔族……とか?」
俺は破壊神のくだりの関連で思い出した存在の名を思わず口にした。
遠く伝承のみに伝えられる魔族――あの時、そう口にしたレシアに確かカディはそれもあり得るようなことを言っていた。
魔族は神の敵の一部として語られる。この世界が生まれるずっと前にはじまりの世界があり、そこでは様々な種族が神を囲み幸せに過ごしていた。なのにある時、神の忠実なる僕であるはずの黄金竜の一部が神を裏切って暗黒竜となり神と敵対した。世界を呪う暗黒竜の力が生み出したのが人に似た魔族、神獣に似通った魔獣、動物に似た魔物で、彼らももれなく神と敵対している。
伝承は伝承で実在は確認されていないけど、精霊主や精霊王と知り合った俺が正気を疑われるのが怖くて声高にそれを言えないことを思えば、魔族に会ったことがある誰かさんも同じように口をつぐんだんじゃないか?
人間にしか見えないんだから、あれは魔族じゃない人間だとその誰かさんが自分に言い聞かせたってこともあり得る。
あの男が魔族なら、神の世界の言葉を知っていても不思議じゃない――と思う。魔族の上に立つ暗黒竜は元々神に従っていたんだから神の言葉を間違いなく知っているだろうし。
カディやスィエン、チークに、精霊王だっていうオーガスさんと知り合ってしまった俺は、そんなわけがあるか人間にしか見えないから人間だと自分に言い聞かせることもできなかった。
思わず呟いたのはそう大きくない声だったのに、反応はそれなりにあった。ボルドは顔をしかめ、振り返ったバーズナは忌々しそうに俺を睨み、当の本人は眉間にしわを寄せる。
バシッと何かを叩く音が聞こえたのはバーズナが苛立ち紛れに口を開こうとした瞬間だった。
「魔族、魔族ね――。魔族か!」
オーガスさんが自分の太ももを叩きながら楽しそうに笑う。
「――失礼なことを言うな、若造め!」
バーズナが怒りの矛先をオーガスさんに変えて怒鳴りつける。オーガスさんはますます楽しそうに肩を振るわせた。誰が若造だってなんて突っ込む小さい呟きまで聞こえる。
「おめでたい頭だな、アンタ」
怒りで肩を振るわせるバーズナは発作のような笑いをようやくおさめたオーガスさんをずっと睨み続けている。
「なんで精霊の上に立つ神が人間を通じて精霊を操ろうとするんだ? おかしくねえか?」
『そーだわそーだわ!』
一理ある言葉にスィエンが勢い込んで同意する。
そうだよな、神が精霊に悪いことをするはずがない。一部例外っぽい神様はいるけど少数派だし、カディが前に行ったとおり強い力を持ってるんだからわざわざ人間の力を借りて何かすることはないはずだ。
俺は大いに納得した。精霊王と精霊主がそう認めてるんだから間違いない。
「――ボルド殿」
さすがに呆然としていたようなセルクさんも、ようやく我に返ったらしい。ゆるゆると首を振った後で、彼は静かに屋敷の主を呼んだ。
「貴方まで、あの男を神だとお思いなのですか?」
丁寧な言葉。問われたボルドは何も言わない。
「――思っているのでしょうね」
「私はその証を見せて頂いた」
緩やかな断定にボルドはようやく応じた。首を傾げるセルクさんに続けた証の内容は「私には見ることが出来ない精霊の姿を見ることが出来た」ということだった。
それで男が神だと思うのは……あり、かな。実際当人が神と名乗り、黒髪に黒い瞳となれば破壊神だろうと思うかもしれない。
俺がそれを否定できたのはこっちの精霊主や精霊王が否定しているってことと、神の力を借りなくても精霊主が人に姿を見せることが出来るのを知っているからってだけだし。
「あー、そうなのでー」
セルクさん自身、それを男を否定する根拠にしているに違いない。応じる声は素に近い半分呆れたような軽い声。困ったような様子で顔をあちこちに向けている。
「正直なところ、その男の正体なんて私にはどーでもいいわけですよ。神だろうが魔族だろうが、あるいは他の何かだろうが」
悩んだような後に続いたのはそんな言葉だ。
「大事なのは、貴方がたがこれまで何をしたかと、これから何をするかでしょう? ボルド殿――兵舎を炎上させた人間を貴方が匿っていることは明らかな問題です」
断固としてセルクさんは言い放った。うまいこと言うなとオーガスさんが呟く。
「うるさいぞアートレス!」
ぐっと一瞬詰まった後でボルドは叫んだ。苛立った素振りを隠そうともせず、セルクさんに肉薄する。たたき付けられた手のひらをセルクさんは余裕で受け止めた。
「証拠もないのに馬鹿げたことを! 我が屋敷に侵入したことを誤魔化すつもりか?」
「誤魔化しているのはそちらだと思いますが」
耳の痛いことを突きつけられてもセルクさんは冷静だ。掴んでいる手を引っ張って、セルクさんはボルドの膝を床に落とし、悔しげなうなり声に構わず押さえつける。
「愚かな」
初めて聞く声が、そこで響いた。
捕らえるつもりか荷物から再びロープを取り出しかけていたセルクさんが一瞬動きを止め、次いで部屋の一番奥にいた男が腕を振った。
その手から炎が放たれるのを見て、セルクさんは後ろに飛び離れる。直後セルクさんが寸前までいたところに炎が当たり何故かボールのように跳ねる。その炎はボルドに向かい――そこで思わず俺は目を逸らした。ボルドの片腕が一瞬で焼け焦げたのが残像のように目の内に残る。
「避けたか」
男が口にした頃には肉の焼ける臭いがほのかに漂ってきた。普段は香ばしいと表現するようなにおいでも、人の焼けた臭いだと思うとぞっとする。
平然とした男の顔には何の感情も浮かばない。無表情ならチークもそうだが、何かが決定的に違っていた。
ボルドの体がどうっと倒れる。何も声を上げないのが嫌な予感を煽った。もしかして死んだんじゃないかって。
「何てことを!」
セルクさんが裏返った声で叫び、オーガスさんが舌打ちした。
「くっそ……」
俺は男から目を逸らせない。次にこっちに炎が来るかもと考えたら、逸らせるわけがない。
「スィエン!」
『はいだわよ』
オーガスさんが動いて、スィエンを呼ぶ。恐る恐る一瞬だけ目を向けると、彼らはボルドに駆け寄っていた。
「このまま逝かれると寝覚めが悪いぜ」
『応急処置しかできないだわよ?』
「ないよりましだ」
スィエンが力を振るうってことは、ボルドは死んではいないらしい。少しだけほっとしたが、まだ気は抜けない。
俺はごくりと息を飲んだ。
2008.07.08 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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