IndexNovel精霊使いと…

それは日常のヒトコマ。

 見上げた空は暗く深い。
 森の中、枝を張る木々のわずかな隙間から見えるのは深い闇と瞬く星。月の姿は見えない。
 月のない夜はとりわけ静かに感じる。実際は静寂などからほど遠くても。
「よっし、いっただっきまーす」
 満面の笑みでソートは手をたたき合わせた。短く神への祈りを捧げる。
 ソート・ユーコックという少年がもっとも大事に思っていることはほぼ間違いなく食事だろう。
 食事中に一番嬉々としている。これはおそらく彼を見た人間の大多数が同意することであろうと思われる。
 私が見た中で食事に文句を言ったことなど数えるほどしかない。
 よほどのことがない限り文句を言わない人間なのだろう。それは野宿で自ら作った夕食を食べようとする今も楽しそうな様子からわかる。
 近くの川で釣った魚を枝に刺して焼いたもの、野草のスープ、旅の携帯に向いた堅パン。
 慣れた動作で手際よく準備し終えたそれらを目を輝かせて頬張る。
 年の頃は十七、八といったところだが、食べている姿はそれより数歳幼く見えた。
「うまい」
 香辛料をふっただけの魚に皮ごとかぶりついて、パンをスープに浸して咀嚼。
 料理なぞしたことなさそうな少年だというのに、スープの作り方を見るにその腕はなかなかのものだろうと見た。
 それとも手料理は味が違うように感じるのだろうか? 検証のためにスープを一口頂きたいところだが、必要もないのに拝借するのは気が引ける。
 そもそも私に味の善し悪しがわかるのかという問題がある。何度か感じた誘惑を振り払う。
 それにしてもソートはよく食べる。
 彼にとって本日の食事はやや少なめなのではないだろうか。三匹の焼き魚、小鍋に九分目のスープ。パンは一つだけ。
 魚はたくさん捕れなかったようだし、彼が携帯している鍋はそう大きくない。堅パンはいつ何時食べるのに困るかわからないから一つだけにしておけとカディが何度も繰り返した。
 我が同僚殿は心配性過ぎていけない。過保護すぎるのも考え物だと思うのだが。
 ソートの食事の音以外は静かなものだ。人里離れた森の中、木々のざわめきや動物の遠吠えのほか騒々しい要素がほとんどない。
 唯一心配するべきはもう一人の同僚殿だろうが、彼女はふらりと散策に出た。
 自然は我らが力の源泉だ。いかに他の同族より力を得ている我々精霊主であろうとも折を見て自然より力を得なくてはならない。
 水はいかなるところにも染み渡っているが、より多く集まっている方が彼女もやりやすいだろう。
「ごちそうさまっと」
 ソートはやや少ないと思える量の食事をいつもより時間をかけて食べ終えた。両手を後ろについてしばらく休んだ後、鍋とスープを注ぎ分けていたカップを手に立ち上がる。木の枝に火を灯してたいまつの代わりにし、そのまま川のある方向へ去っていった。
 おそらく川で鍋とカップとを洗ったのだろう。しばらくして、鍋に水を満たして戻ってきた。
 スープを作ったのと同じ要領で鍋を火にくべる。その間に彼は荷物をひっくり返した。
 沸騰した鍋に取り出した乾いた香草を入れる。自らが摘んで適当に乾かして取っておいた香草だ。鍋から香りが漂い始めたところで火から下ろして、カップに鍋の中身を半分ほど注いだ。
 茶を淹れるにしてはあまりに乱暴なやり方だ。それでも満足げに彼は香りを楽しむ。
 そのまま飲むにはまだ熱いのだろう、とりあえずカップを火のそばに置いて彼は今度は荷物から薄い敷布を取り出した。少し離れた木のそばにそれを敷いて火のそばに戻り、カップを手にとる。
 木を背にして座り込むと一つ息を吐いて、両手でカップを包み込んだ。
「あー、落ち着くよなあ」
 火傷しないのを確かめるようにカップの中身をちびりちびり。ソートは湯気立つカップを手につぶやいた。
 たき火の他にほとんど明かりはない。炎に照らされた顔はいつもよりもすこし陰影が濃い。
『貴方ほど落ち着きのない人はいないと思いますけどね、ソート』
「うわ、なんだよそれ」
『そのお茶の淹れ方! もうちょっとどうにかなりませんか』
「細かいこと言うよなぁ」
 カディの指摘にソートは顔をしかめる。
「飲めればいいんだよ、飲めれば。それにうまいぞー?」
『そんな淹れ方でおいしいはずがないでしょう』
「一度でも飲んでから言って欲しいな、それ」
 私としても一度飲んでみたい代物ではある。
 彼の師という人は何でもこなす人だったらしい。道中に見かけた香草をソートは時折摘んで乾かしたりしているのも師の行動を見て覚えたことだという。
 カディは何度も最初行き倒れかけていた彼のことを語ったが、そう簡単に行き倒れるとは思えないくらいに食べられるものに関して嗅覚が効く少年だ。
 カディに出会ってから数ヶ月しか経っていないようだが、その時のことはソート自身は若気の至りだとか言っているらしい。旅に出たばかりで勝手がつかめてなかったのだと。
 そんなことを想像させない現在、唯一私が彼に忠告するとすればもう少し様々なものの名称を覚えろということだろうか。
 食用か否かの判断には目を見張るが、その名前を全く言えないのはどうかと思う。一つ一つ教授したいところだが、未だその機会がないのが残念なこと。
 ともあれ、ソートが適当に乾かして乱暴に淹れた茶の味が気になるのは私だけではあるまい。
 カディなどは端からその味を疑ってかかっている。
 ソートの持つカップに向ける眼差しもその色が濃い。
「俺がおいしいと思えばいいんだよ」
 ふんとソートは鼻を鳴らした。
『そんながさつなことでどうするんですか』
「うるさいなー。いいだろ、いざとなったらちゃーんと本式の淹れ方だってできるんだからな」
『いざというときに普段の行動が現れるんですよ』
 ねぇ、などと同意を求めるようにカディは私を見る。
 うむ――どちらの言い分にも一理あると思う。
 確かに先ほどのソートの動作はがさつで乱暴だった。もし何かの機会に――そんな機会があるのかはわからないが――そのような淹れ方をすれば周囲の失笑は免れまい。
 形にこだわるのはそれなりに重要ではある。
 だが、普段から形式張るのは疲れるのではないだろうか。時と場合によって人が装いを変えるように茶の淹れ方を変えることもありではないか?
 自分で淹れて自分が満足したら、多少のことには目をつぶってもよいように思う。
「まずそんな状況がありえないだろ」
 さてと口を開きかけた矢先にソートが言った。
『全くないとは言い切れませんよ』
 それにカディがすぐさま応じる。
 ……機会を逃したか。そういうこともあるだろう。そもそも本人達が協議するべきこと、私が口を挟む問題でもない。
 にわかに火の周りが騒がしくなった印象。
 カディの小言をのらりくらりとソートがかわす。カディの小言は半分クセのようなものだし、それをかわすソートの方もわかっているのか諦めているのか半分聞き流している様子。
 ちびりちびりとカップを傾けながらの生返事。ちゃんと聞きなさいとまではカディは言わない。
 そのうちカップの中を空けたソートは鍋の残りの茶をおかわりした。
『いい香りだーわねー』
「お、スィエンお帰り」
 ソートが火の勢いを弱めているとスィエンが戻ってきた。にっと笑ったソートが持っていた木の枝をひらりと振る。
「だろ? うまそうだろ?」
 我が意を得たりといったうれしそうな顔で問いかけるとスィエンも笑顔でうなずく。
「カディにはこの良さがわからないって言うんだぜ、ひどいだろー?」
『ありゃ、何でだわカディ?』
 不思議そうにスィエンが見た先でカディは何とも言えない表情。
『淹れ方ががさつなんですよ』
『うにゅ』
 スィエンはソートとカップとカディを順繰りに見て首を傾げた。
『そこまでこだわらなくてもいいんじゃないだわかしら』
『普段を適当に流しているといざというときにソートが困るんですよ?』
「だからー、いざって時はちゃーんとするって。むしろよそで茶を淹れることが将来あるのかどうかさえわからないし」
 それぞれにやり方があるのだからお互いに尊重すればよいというのに。
『まあまあ、落ち着くのだわよカディ』
 スィエンがふっとカディの前に躍り出る。
『一度痛い目を見なきゃソートだって納得できないだわよ』
『痛い目に遭わないように忠告しているんでしょう』
『過度の干渉は自立を妨げるだわよ?』
 珍しいスィエンの正論にカディは沈黙した。
「ぶはっ」
 二人の様子を見ていたソートが思い切り茶を吹き出し、呆然とスィエンを見上げる。
「な、いや、いまのなんだそれ」
 おどおどとしている彼はどうやらスィエンの言葉にひどく驚いたらしい。
 その驚き方にスィエンは大げさなほど胸を張った。たまには真面目なことも言うのだと言わんばかりのその仕草にカディは力なく笑う。
 カディはスィエンには弱い。何も言う気をなくしたのは真面目な発言に驚いたからではないだろう。
『前向きですねえ、貴方は』
『そこがスィエンのいいところなのだわよ』
「いまの、前向きだったのか……?」
 力ないソートの突っ込みに二人は同時にうなずく。
 唖然とするソートがなんとなく納得してなさそうだったので、私はゆるりと彼に近付いた。
『気にせず、自らの道を進むがいい……』
 何故かソートは驚きに目を見張って私を見上げる。彼を勇気づけるように私は一つうなずいてやった。
「自らの道ってなんなんだそれ……」
 真面目な少年は早速真剣に検討を始めている。自らの道は自分で探すもの、私がこれ以上忠告することではあるまい。
 カディとスィエンは妙な緊張感を持って対峙し、ソートは自らの思索にふけり始める。
 私はそっとその場を離れて静かな夜を楽しむことにした。

2005.12.24 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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