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第三話 変な人と城上祭

6.気まぐれの代償

 気付いたら朝で。
 自分のベッドで目が覚めた。目が覚めたと言ってもあまり寝た気がしないのは何故だろう。
 優美は重い頭を振った。
 おぼろげな記憶の中、部屋に戻ってベッドに倒れ込んだような気がする。着の身着のまま、風呂にも入っていない。
 目覚まし時計を見て講義まで余裕があるのを確認すると、優美は重い身を何とか起こした。
 ぐわんぐわんと頭を駆けめぐろうとする何かを、何度も頭を振って追い払おうとしながら着替えを用意して部屋を出る。
 考えようとしなくても、すでに夜中に気付いてはいた。
 武正とコナカとやらの共通点。
 相原のコナカ賛美も強烈だったが、武正の自己紹介もそれはそれで強烈だった。
 初めて出会ったその時に優美の名前を聞いて、それを断ると必要もないのにまずは自分からだと自己紹介をしてのけた。
「俺はオノナカ。オノナカタケマサ。小学校の小に真ん中の中、武力の武に正しいと書いて小中武正。よろしくね?」
 普通に名前だけを名乗られていたら、気付かなかっただろう。漢字まで説明されたからこそ気付いた。彼の名字は読み方を変えればコナカだってことに。
 まして優美でも気付くほど声が似ているのだ。
 どんなに馬鹿げた思いつきのように思えても二人が同一人物ではないかと優美は思ってしまう。
 思い返してみればそうであってもおかしくない言動を彼はしている――そんなことにまで気付いてしまって。
「だから、どうしたってわけじゃないけど」
 それは本当にそうだけど、でもなんでかショックだった。
 その理由が何故だかはわからない。
 朝風呂を後ろめたく思いながら、入り口の札を使用中に変えて優美は浴室に入り込む。
 シャワーは心地よく、重い頭は軽くなった気がしたけれど気持ちは晴れない。
 そのことがとても不思議で、でも理由を突き止めようとする気にもなれなくて水気と一緒に思いを振り払うべく頭を何度も振った。



 そんな風に始まった一日は恐ろしいほど長く感じた。
 講義中もちらちらと脳裏に浮かぶ顔に人目を気にせず叫びたい気分になったのは一度や二度じゃない。
 気のせいかもしれないじゃない、顔を見たわけじゃないんだから。そう考える傍ら、眼鏡や麦わらで顔を隠そうとしてたのはそのせいなんじゃないと思う自分がいる。
 落ち着かない嫌な気分だった。
 それでも何とか全ての講義をこなし終えて外に出ると優美はうーんと体を伸ばす。
 会合までまだ時間に余裕がある。いつもの気分なら散歩でもしているところかもしれなかった。
「でも、また会ったら嫌だしね」
 むしろそんなことになったら何を言っていいのかわからない。
 何で彼が数日前にあんな事を言ったのか、今日考えた中にはそれも含まれていたから。
 何度も優美に親しげに声をかけたのには、優美が武正を――というか、コナカタケノジョーとやらを知らなかったからかもしれないな、とか。
 あの悲しげな顔には優美の想像できない何かが隠されているのじゃないかと思うと、下手に会って貴方が有名な人だと知ってしまったなんて言えないものがある。
 もちろん歩いたところで出会わない確率の方が遥かに高いわけだけど。
 散歩以外に有効な暇つぶし方法なんて図書館に行くか絵を描くくらいだ。
「部屋、開いてるかしら」
 ぽつりと独り言をもらして、優美は数日で足慣れた方向に歩き始める。結局真っ白いままの紙を少しでも黒くするために。
 講義がなければ開いている教場に忍び込んで占領してやればいい。
 無心に――できることならば無心で、エンピツを走らせれば気が紛れるはずだ。昨日の段階で衝撃の事実を知る前にそれは無理だったわけだけど。
「でもそれはあくまで過去の私、今とは違うわ」
 昨日の悩みをむしろ懐かしく思いながら優美は歩く。
 その二つがうまいこと頭の中で打ち消しあってくれたら言うことないんだけど、残念ながら一方がむくむくとふくらんでいく。
 歩みを進める中で優美は何度もため息をついてしまった。
「どしたのー?」
 その時だ。後ろからそんな声がかかったのは。
 息を飲んで優美は気付かなかったように足を速めた。
「うわ、ねえちょっと、逃げるのってしつれーじゃなーい?」
 声が驚いたように自分を追ってくるのが足音でわかった。
「優美ちゃん」
 決定的な一言に何故か泣きたい気分で優美は振り返る。
 この大学で優美を親しげに呼ぶ人間はそう多くない。その中で男はたった一人だ。
「――あー」
 なんと言うべきか迷いに迷って。
「……ストーカー?」
「え、いや違うよ!」
 結局は馬鹿な疑問を発してしまう。
 振り返った先で慌てたように主張するのは優美をさんざん悩ませている張本人、小中武正だ。
 夏に考えたことが頭の片隅にでも残っていたらしい。正面から貴方は芸能人なのと聞かないだけましだったと優美は自分をフォローしたが、すぐさま面と向かって言うにはあまりに失礼な言葉だと気付いてしまう。
「まさか、声をかけられるとは思わなかったわ」
「別に優美ちゃんのこと追っかけ回してるわけじゃないよ?」
「そんな暇人はいないと思うけど」
「なんだ、シャレにならない冗談はやめてよー。警察さんに訴えられたらどうしようかと思ったじゃない」
 ほっと安心したようにつぶやく武正は、どこから見てもごく普通の大学生に見える。中身は少々特殊だと優美は思うけど、よく考えたら自分だって人のことは言えないので目をつぶることにして。
「でも私にわざわざ声をかけるなんて、暇なの?」
 最初に出会ったときも、確かそんなことを聞いた。
「暇そうに見える?」
 はっきりと優美はその時の返答を覚えているわけじゃないけど、武正の答えは同じような気がする。
 眼鏡の奥の瞳を少し見開いて、口の端を楽しげに持ち上げて。
「私に何度も声をかけているその事実が証明してるわ」
「え、俺が暇だって?」
 もちろんだと優美がきっぱりうなずくと、ますます楽しそうに武正は笑った。
 会ったらどうしようと考えていたのに、いざ会ってしまったらどうということもない。ちょっとした顔見知りとして、何気ない会話がこなせてしまったので優美は拍子抜けした。
 緊張を肩から下ろして優美も笑った。
「何か悩み事? ため息ついてたけど」
 ストーカー疑惑から解放された武正が首を傾げた。
「え」
「聞こえちゃった」
 冗談めかして武正はぺろりと舌を出した。
 貴方が原因です、なんて。優美には言えなかった。言葉に詰まった優美を気遣ったつもりなのか、武正は優美を追い越すように数歩進む。
「一人で悩むと、行き詰まるよ?」
「はあ」
「お節介かもしれないけど――」
 この間愚痴ったことを気にしてくれているのかもしれない、そう気付いた。
「この間のことなら、私の勘違いだったみたい」
「あ、そうなの?」
「ごめんなさい。心配してくれたんだ」
 振り返った武正は静かな微笑みを浮かべる。
「ため息ついてたから、ね。ほんとに大丈夫?」
 本当を言えば、ため息の理由についてはあまり大丈夫じゃない気がする。優美は再びため息を漏らしそうになって慌てて逆に息を吸った。
 急に動作をかえたものだからわざとらしくなってしまったけど、うっすら微笑んでうなずく真似をしたら武正は深く聞いては来なかった。
「そっかあ、ならいいんだけど」
 武正がゆっくりと、ごく自然に歩き始めるのを思わず優美は追ってしまう。
「俺は悩み始めるとけっこー行き詰まるから、どうかなーって思ってたんだ」
「そうなの」
「うん。悩み多きお年頃なのですよ」
 にやっと笑って振り返る、その顔は本当のことを言っているのかどうかよくわからない。
 冗談めかしたその言葉に優美は思わず吹き出してしまった。
「あ、信じてないなー? 俺は傷つきやすいガラス製ノミの心臓の持ち主なのに」
「そんな言葉、はじめて聞いたわよ」
「そりゃ今適当に言いましたケドねー」
 半歩先ゆく武正の口ぶりはどこまでも軽く、明るすぎる。
 何か裏があるんじゃないかと考えながらも優美は思わずくすくすと肩を揺らした。
 再び振り返った武正は満面の笑顔。
「はじめて優美ちゃんにうけた」
「なっ」
 それで突然そんなことを言うものだから、驚いて優美は笑みを凍らせた。
「それってどういう意味よ」
 すっと目を細めて優美は武正を睨んだ。彼はくしゃりと顔を笑みの形に歪めてさてねーなんて歌うように言う。
「馬鹿にされた気がするんだけど」
「気のせい、気のせい」
 馬鹿にされてないと言い切るなら、面白がられていると言い替えてもいい。
 優美は不満げに武正を睨みつけたところで余計面白がられるだけだと悟る。呆れたように一息ついた。
 ちょっと拍子抜けしたような節のある武正を苦々しく観察すると、武正は今度は不思議そうに首を傾げた。
「ねえ」
 優美にしてみれば、どこからどう見ても少し変わったところはあるけれど普通のお兄ちゃんにしか見えない。
 そんな自分の判断に勇気づけられて、優美は口を開いた。
「ん、なに?」
「貴方って、お兄さんとか弟さんがいる?」
 余裕を持っていた武正が、目を大きく見開く様は見物だった。
「え、あ、えーと」
 慌てたように口ごもって、平静を取り戻したらしい。
「可愛い妹が一人おりますが」
 落ち着いている様子をアピールするかのような馬鹿丁寧な口調。
「そう」
 コナカ氏に兄弟がいるとしたら声が似ていてもおかしくないと思ったんだけど違うのか――優美は武正の答えに少し落胆して軽くうなずく。
 その様子をじっと観察したあとで、武正はちょっときょろきょろした。
「ねえ、優美ちゃん。それってもしかして、何か見た?」
 歩みを緩めて優美にすすっと近付き、ささやくように問いかける。
「何か、って?」
 その何かが何のことなのかは、すぐにわかった。だけどごまかすように問いかけると、武正は渋い顔をする。
 眉間にしわを寄せてさらに注意深く辺りをうかがって、それでようやく彼は口を開いた。
「あの、その――ほら、テレビ?」
 ためらった末にそういう武正は、きっと端から見たら挙動不審だ。
 優美が決定的な一言を言えないように、武正も言えないらしい。
 そう気付くとなぜだか優美は笑いたい気分になった。
「正確に言うと聴いた、かしら?」
 実際くすくす笑いながらそう言うと、武正は眉間のしわを消して驚いた様子。
「きいた?」
「この間貴方が言ったことに似た内容を、貴方にそっくりな声で歌う歌を聴いたの。コマーシャルの」
 優美は目を細めて一気に言ってしまうと、武正の反応を待った。
「あ、あー。あああああ」
 そんな風に口にしながら武正は何度もこくこくとうなずく。
「それってもしかして、俺自爆した?」
「それってつまり、そういうこと?」
 質問に優美は質問で返す。
「……完璧に自爆したね?」
「なのかもね」
 次の問いかけには容赦なくうなずいてやった。
「あーあ、しまったなー」
 だというのに武正の反応はしまったという割には軽い。
 あまりに軽いものだから、悩んでいたのが無駄だったんじゃないかと一瞬思ってしまった。優美はどこか悔しがっている武正をじっと観察した。
 芸能人なんて言葉が似合わない、ごく普通の大学生にしか見えないその人を。

2005.12.07 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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