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第三話 変な人と城上祭

18.眠れぬ夜の後

 一晩寝て起きて、反射的に優美は携帯を確認した。
 横にあるボタンを一押し、時刻は午前七時十三分。新着メールの表示はない。
 そっとため息を漏らしたのはなぜだろう。
 昨晩帰って後、携帯が一度もメールを受信をしないから。理由は単純で、かつ認めがたい。
 これまで馬鹿みたいにメールを送ってきていた武正が、何もよこさないなんて――それは、どことなく異常に思えて、でも何となく理解できるような気がした。
 彼はきっと、怒ったのだ。優美の目の前で不機嫌になるようなことはしなかったけど、きっと。



 コーヒーショップからの帰り道は、静かなものだった。
 人通りの多い時間でもなかったし、そんな場所でもない。一番しゃべる武正が沈黙を守っていて、それなりに口の回る二宮も口をつぐんでいた。
 優美は自ら振れる話題がなかったから、やはり黙り込んでいた。
 時折ぽつぽつとしゃべったけれど、妙に居心地の悪い時間。その原因はおそらく武正で、彼が黙りを決め込んだそもそもの原因は、間違いなく優美のはずだった。
 どうでもいいことを話し続けられるとどう反応していいのかわからずつっけんどんなことを言ってしまうし、何とか彼の口が止まらないかと考えたことは一度や二度じゃないけど。
 それが止まってしまったらしまったで、なんだか寂しいように感じてしまう。
「じゃあ、あの、ありがと」
「ん」
「お疲れ様。井下さん、またよろしくね」
 寮にたどり着いて交わした挨拶も、二宮はいつも通りだったけれど、武正は彼にしては愛想がなくて。
 それを指摘することも出来なくて、彼らの後ろ姿をなすすべもなく見守った。
 自室に戻りお風呂に入って、寝る支度を調え終えても、家に帰ったはずの武正からメールが一通も来ていない。携帯を確かめること十数回に及び、その間隔も優美にしてはせわしないものとなった。
 そのことに気付いてしまって、ならばいっそのこと、と優美からメールをしてみたのだ。
 そして、今度は返事がいつ来るか気になってなかなか眠れなかった。
 眠い頭を叱咤しながら、よろよろと優美は準備を始める。本日の講義は一時限目から、二度寝をしている暇はない。
 準備の合間にも時折携帯を確認してしまうのは、武正のことが気にかかっているからだ。音沙汰がないのは全く彼らしくない。
 そのらしくなさはそのまま、彼の怒りを象徴しているように思える。
 怒っている、怒っている――そう、きっと、怒っているのだ。
 知り合ってからの時間はもう相当になるが、頻繁に連絡を取り合うような関係になったのはつい先日。その程度の知り合いがするべきでないことを、優美はしてしまったのだ。
 昨日のことを思い返すと、優美は途方に暮れそうになる。夕食をごちそうになったくせに、突っ込まなくていいところに突っ込んで、武正はいったい何だと思ったに違いない。
 返事がないのがその証明。出来ることなら過去に戻って、最初からやり直したいところだ。
 後悔は先に立たず、覆水は盆に返らない。当たり前の事実を当たり前に認識して、残るのは胸にずしんと重いもの。
 友人達に不審がられながら一時限目を終えて、空いた時間をもてあます。
 同じく時間がある友人から街へ出て早めのランチはどうかと誘われたけど、とてもそんな気にはなれなかった。
 暗い気持ちを抱えて、ふらりと外をさまよい始めたのは、偶然武正と出会うことを期待したからだ。
 行動範囲の重なりから、偶然の出会いは幾度にも及んだ。今日それが起きる可能性だって十分にあるだろう。
 問題は、同じことを考えて武正が生活パターンを変えているかもしれないことだけど。
 そもそも彼は授業中かもしれない。
 ほんのわずかな期待を胸に優美は歩き始める。
 日増しに寒さが増しているのか、風が強いのか。吹き付ける風に身を震わせる。手と足の先から少しずつ寒さが迫ってきていた。
 経済学部のメインエリア付近を優美は散策する。いつものようにごく自然にと言い聞かせながら、そのくせ視線は武正を捜して。
 そして一時間半ほど時間が過ぎたのだと、建物の中から人が幾人も出てくるところを見て悟る。時間を確認すると、十二時を少し過ぎていた。
「そりゃ、寒くもなるはずだわ」
 自嘲して優美はきびすを返した。お昼時だ。いつまでもふらふらしているわけにはいかない。二時限目は空いていたが、三時限目には授業がある。
 軽く何か食べながら、体を温めたい気分になった。
「優美ちー?」
 そこで聞こえてきたのが相原の声だった。離れたところからの呼びかけに優美がぎょっとして振り返ると、相原は周囲の友人に断りを入れて近づいてきた。
「どしたの? こんな時間に」
 不思議そうな顔で相原は口を開く。
 答えにくい問いかけに口籠もる優美を見て相原は首を傾げる。
「んんー」
 眉間にしわを寄せて、相原は優美に顔を近づけてきた。
「あ……あの……?」
「んー、まあいいや。優美ちーご飯は?」
「まだですけど」
 戸惑うばかりの優美に構わず、相原は身を引いた。明るい笑顔の簡単な問いかけには、素直に答えることが出来た。
「よし、そんじゃあ食べに行くわよー!」
「え」
 くるりと身を翻して優美の腕を抱える相原の行動に優美は戸惑うばかりだ。
「あの、相原さん、お友達は――」
「ちゃんと断り入れてきたもの。その辺抜かりはないわ」
「でも」
「なに? 優美ちーは私とランチは気が進まない?」
 強引な誘いが憎めないのは相原のキャラクター故だろう。んんんーっと凄むフリをする相原に優美は苦笑してうなずいた。
「よっし、じゃあ、いっくわよー」
 優美の腕を掴んだまま相原は張り切って歩き始める。優美はそれに歩調を合わせた。
 歩く距離はそう長くはない。道中余計な口をきかなかったのは、話のキリが悪くなるとでも思ったからだろうか。珍しく黙っていた相原が「ここよ」とだけ告げたのは、一番手近なカフェの前だった。
 城上大の構内にはそれなりの数の食堂がある。昔ながらの趣をとどめるところもあれば、最近入ったようなフランチャイズのところもある。値段はピンからキリまで、相原が優美を連れてきたのは昔ながらのカフェ。地元の――城上の、という意味だけど――チェーン店で、優美も学外の店には行ったことがある。
 時間がお昼時だからか、それなりに人がいた。店に入り込んだ相原はきょろきょろと視線を店内に向けて、目敏く空いた一席に優美を伴う。
「はい、優美ちー」
「え、あ」
 メニューを手にした相原は、それをすぐに優美に差し出してくる。戸惑う優美に笑いかけて、彼女は「私はパスタランチにするから」と告げた。
「よく来るんですか?」
「うん。単品メニューもあるけど、お昼時は日替わりのランチかパスタがおすすめ。考えなくても頼めるし、料理が出てくるのも早いから」
 今日のメニューは……、呟きながら相原は店内に視線を巡らせた。追った視線の先に小さな黒板があって、本日の日替わりメニューが書いてある。
 ポークピカタと、牡蠣クリームパスタ。
 優美は日替わりランチを選んだ。
 店員を呼んで手早く注文を済ませると、相原は机に頬杖をついて軽く身を乗り出した。
「さて、おねーさんが話を聞きましょうか」
「……え?」
「真剣な顔で何を探してたのかしら?」
 冗談めかした口ぶりなのに、眼差しはなぜか真剣で。優美は困惑して相原を見つめた。
「途方に暮れたような顔、してたわよ」
「そうですか?」
「なーんとなく、だけどね」
 茶目っ気を取り戻して、相原はぺろりと舌を出した。
「優美ちーはね、なんてのかなあ。うまく言えないけど」
 思案深げに相原は空を睨んだ。
「背中に真っ直ぐな棒が一本刺さってる感じなのよね」
「は?」
「信念とか言えばいいのかしら。筋が通ってるような感じがするの」
「そんなこと、ないですけど」
「そお? 私はそんな風に思うんだけど」
 訝しげに眉根を寄せる優美に構わず、相原は首を傾げてから、「でもね」と続けた。
「今日は棒がふんにゃり曲がってる気がしたわけよ」
「はあ」
 たとえ話なのだろうか……? 優美は内心首をひねりながら、曖昧な相づちでお茶を濁す。
 相原が口を閉じると、会話はぴたりと止まる。気を悪くしてしまったのかと不安に思ったけど、優美は相原の言葉の意味を聞くのも怖かった。
 ますます意味不明になる気がしたのだ。
 おしぼりで手を拭いたり、グラスの水を飲んだり、そんなことで間を持たせていると、目の前にいる相原がふーっと息を吐く。
「基本的に真面目よね、優美ちーって」
「……よく言われます」
「もうちょーっと肩の力抜いても、罰は当たらないと思うわよ。その真面目なところが優美ちーの面白いところなんだけど」
「面白いと言われたことは、今までない気がします」
 真剣に言ったのに、相原は何故か笑った。心底面白そうに肩を揺らして細めた瞳で優美を見る。
「何を真剣に悩んでるかわからないけど、ずーっと考えてたら行き詰まっちゃうんじゃない?」
 優美は言葉に詰まった。
 冗談みたいな言葉のあとに、さらりと真面目な言葉が続く。
 相原はよっぽど観察眼があるらしい。どぎまぎと見た相原は優美をにっこり見返してくる。
「何の解決にもならないかもしれないけど、人に話すだけで結構すっきりするもんよ」
「そう、ですか?」
「そうよ。人それぞれかもしれないけどね。あ! そうだ、癒しになりそうな曲貸そうか?」
「え、いや……」
 コナカはいい曲ばっかりだからねー、といつもの調子で続いたので優美は慌ててぶんぶんと首を振った。
「それはいいです。大体借りても聞く物がないですし!」
 大慌てて言ってみせると一瞬相原は残念そうな顔をした。
「そうおー?」
「そうですよ」
「プレイヤーごと貸そうか?」
「不要です」
「……全力で否定された気分だわ」
 悲しげに呟く相原に、まずはパスタランチが届いた。次いで優美のランチが届いて、二人そろっていただきますをする。
「ま、でも、優美ちーが元気になって良かったわ」
「いや、元気とは違うと思いますけど」
「そんなことないわよー」
 相原はフォークにパスタを巻き付けながらきっぱりと言い切った。
「気晴らしにはなったでしょ。多少元気そうに見えるようになったわ」
「そうですか?」
 相原は力強くうなずいて、幸せそうな顔でパスタを口にする。
「うん、いけるわー。そっちはどう?」
「おいしいですよ」
 お互いに料理を交換して感想を言い合ったり、サークルのことを話したり。
 ゆったりとしたランチタイムが過ぎる。
「相原さん」
 ランチタイムの終了間際、再び熱烈なコナカトークを開始しようとした相原に、優美は呼びかけた。今はとてもコナカ――武正のことを聞く気にはなれない。
「ん。なになにー?」
 優美の真剣な眼差しに感じるところでもあったのか、予想外にあっさりと相原は言葉を止めた。その上、何かを聞こうとする体勢。
「え、あ、その……珍しいですね」
「なにが?」
「相原さんがコナカの話を中断するなんて」
「そうでもないわよ?」
 相原は眉間にしわを寄せて「二宮が突っ込んでくるからね」と続ける。
 それは事実だけど、自分の言葉で話を止めるなんてそうあることではないと優美は思う。
「大体優美ちーが何かを話してくれる気になってるのに、いつでも出来る話を続けるのはもったいないわ」
 別にそういうわけでは、と口を開く途中で優美は気を変えた。
 だったら何で話を止めたのが聞かれても、答える自信がなかったからだ。
「ありがとうございます?」
「何でそんなに不思議そうに言うのかしら」
 苦笑する相原に苦笑を返し、優美は深呼吸を一つ。ぐっとお腹に力を込めて、少しだけ身を乗り出した。
「あの、だったら、少しだけ相談に乗ってもらっていいですか?」
「もちろんよ」
 相原は鮮やかな笑顔を見せ、そして手を挙げて食後のコーヒーを注文した。

2006.12.08 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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