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第三話 変な人と城上祭

26.酔っぱらいの証明

「じゃあ、私はこれで」
 打ち上げとボウリングでメンバーの大半が酒気を帯びている。それが十数人集まれば結構な盛り上がりだ。
 素面の優美は幹部連に声をかけて集団からそっと離れ、ふうと息を吐いて歩き始めた。
「送るよ」
 そこで背中に聞き慣れた声がかかったものだから、優美は驚いた。顔半分振り返ると、予想通りそこに武正の姿がある。
 優美の返事も聞かないまま横に並んだ武正も、二次会までお酒を飲んでいた。いつも以上にご機嫌な笑顔で足取りは軽やか、弾むように一歩分優美を追い越し先導する。
「カラオケは行かないの?」
「歌えないしねー」
 問いかけにさらりと答えが返って、優美は言葉に詰まって足を止める。何とも言えず軽やかに進む武正の背中を見ていると、ついてくる気配がないのを悟ったのかきょとんと振り返ってきた。
「優美ちゃん?」
 不思議そうに首を傾げた後で優美が考えそうなことを悟ったのだろう。武正は一瞬眉根を寄せて、優美のそばに戻ってきた。
「気にすることじゃないよー。俺、マイク持つと放したくなくなる人だからカラオケなんかに行った日には非難ごーごー、今後の人間関係に影響するしー」
 ねっと微笑まれて、優美はこくりとうなずいた。
「それに、夜中に一人で帰るなんて危険だよ。物騒な世の中だし」
「大丈夫よ。そんな物好きな人いないわ」
「えっ」
「えって何?」
 目を細めて優美は武正を見る。
「や、別に俺、自分が物好きだと思わないし」
「は?」
「それに優美ちゃんは十分魅力的だと思うよー」
 いつも通りの口ぶりで、さらりとそんなことを言われる。優美は「はあ」と生返事をしながら頭の中で彼の言葉を繰り返した。
 ――ええとそれは、いったいどういう意味?
 考え込む優美の頭に、祭り前に聞いた相原の言葉が不意に蘇り、こんなタイミングで思い出さなくてもと自分の記憶力をののしった。
 優美ちーは、小中好きでしょ? 小中も優美ちーが好きと読んでるんだけどなあ――いやそんな、まさか。
 思い出した言葉に優美は内心突っ込んだ。
 どくりと心臓が波打った気がしたのは、気のせいに違いない。
 あるいは相原が密やかに優美に暗示をかけたのか――なぜだか妙に気恥ずかしくて、優美は武正から目をそらす。そのことがばれないように前方をしっかりと見据えた。
 もうすっかり暗い世界。住宅街に踏み出せば、明かりと言えば街灯がメイン。人影もそう多くないとくれば緊張してしまう。
 考えれば考えるほどドツボにはまりそうな予感がして、優美は意識を逸らそうと努力する。それでも頭の隅っこに疑問が残るのは仕方のない話で、冷え込んできているはずなのに頬が熱いのも気のせいではないようだった。
「えっとあの、本当だからね?」
 黙り込んだ優美に武正は遠慮がちに声をかけてくる。
「少なくとも俺には優美ちゃんはとっても魅力的なので心配なのですよ?」
 全身に熱が伝播したことを自覚しつつ、変に丁寧な口ぶりで言う武正を優美は軽く睨んだ。
「酔ってるの?」
「素面じゃないのは間違いないけど」
「酔ってるのね」
「酔ってるのも間違いないけど」
「けど、何?」
「俺嘘言わないもん」
 武正は唇を尖らせた。そのこと自体が酔っている証明のようなものだ。
「はいはい、わかったわ」
「優美ちゃん信じてないでしょまったく」
「酔っぱらいの言うことを信じるほど愚かじゃありません」
 言い切りながら優美は自分の心に冷水を浴びせた。
 優美がドキドキするのが相原の暗示のせいならば、武正が妙なことを言うのはお酒のせいだ。一時の気の迷いを本気に取るほど愚かなことはない。
「俺お酒に弱くないもん」
「もんとか言われてもねえ」
「ぬう」
 唇を尖らせたまま武正はうなった。
「優美ちゃんは自分の魅力をよくわかってないと思うんだ」
「わかってないも何も、ないし」
「そこがわかってなーい」
 酔っぱらいをまともに相手をする気になれなくて、優美は沈黙を守った。重ねて言うと自分が傷つくだけだ。
 服装からしてきっちりかっちりしていて色気もないし、お近づきになりたいとは間違っても思えないようなかわいげのない女なのだ――魅力があるなんてお世辞でも言えない。
 はああと優美がため息を漏らすのを聞きつけた武正も同じように嘆息した。
「まあ、優美ちゃんがどう思おうといいんだけどねぇ。自己評価と他人の評価が一致しないといけないわけでもないしー」
 二日間の気疲れの反動なのか、武正は先ほどまでずいぶん飲んでいた。酒に弱いわけではないのだろうけど、全く影響のない質ではなかったらしい。うんうんそうだと自分の言葉にうなずく彼はどう見ても酔っぱらいにしか見えない。
「それにそうだよ、優美ちゃん!」
「えっ?」
 生暖かい眼差しで武正を見守っているつもりだった優美は、突然彼が勢い込んで自分の手を掴むものだから驚いた。びっくりしてその手を見下ろす優美にかまわずに武正は掴んだ手をぶんぶん振りはじめる。
「そうだよ」
「なにがよ?」
「こういう時ってこう言うんじゃないっけ」
 武正がぐいっと顔を近づけてきた。アルコールの香りがふわりと漂ってきて優美は顔をしかめる。
「こうって?」
 質問を質問で返すのは芸がないと思いつつ、にんまりしてすぐ答えない彼が先ほど近づいた分だけ優美は遠ざかった。
「優美ちゃんの魅力は俺だけがわかってればいい話なんだよ、って。うわ俺今すごいいいこと言った」
 一瞬どくりとこれまでになく心臓が跳ねた。先ほどの比じゃないくらいのドキドキは、一瞬にして去ったけれど。寒さを吹き飛ばすような体温の上昇だって一瞬で冷める。
「どこがいいことよ」
「え、よくない? ちょっとオリジナリティーに欠けるけども」
「黙りなさい酔っぱらい。家に帰って酔いを覚ますといいわ」
「酔っぱらってないし、って待ってよ優美ちゃんー!」
 勢いよく手を振り回して優美は武正を振り切った。歩幅を広げて歩くスピードを上げる。
 情けない声を上げて追いすがってくる武正はすぐに優美に追いついた。リーチの違いは大きい。優美は女らしくない舌打ちを漏らした。
「夜道は危険だって言ったでしょ」
「だから大丈夫だって言ってるでしょ」
「危険だってば!」
 再び掴まれた手首をぐいと引かれて優美はみっともなくたたらを踏んだ。よろけた拍子にもう一度手を引かれ、気付いた時には一瞬で武正に抱き止められている。
「んなっ」
 慌てて逃れようとしても、がっちりと掴まれていてままならない。
「例外はあるだろうけど、まあおおむね男の力は強いわけで、ね?」
 焦る優美が恐怖を覚えない程度に力の差を見せつけて、ぱっと武正は彼女を解放した。
「何するのよ!」
「優美ちゃんに現実を認識していただこうかと?」
「かと、じゃ、ない!」
 焦りと緊張と、その他の何かで優美はパニック寸前だった。途切れ途切れの抗議に武正は素直に「ごめんね」と謝ってくるものだから調子が狂う。
「万が一があったら困るでしょ。俺もそう強くはないから絶対守るなんて偉そうに言うのは無理だけど、優美ちゃんが一人で帰るよりは安全だよー?」
「別の意味で危険を感じたんだけど!」
 優美の叩き付けるような返答に、武正はうっと詰まって視線を逸らす。
「えーと、ごめん。悪気はないです」
「ほんとに?」
 目線を落として見るからにしゅんとする彼を優美はじっと見る。視線を感じてか、すぐに顔を上げた武正はこくこくと素早く何度もうなずいた。
「その動きむしろ怪しいんだけど」
「えっ」
「酔っぱらいに言っても無駄よねぇ」
 優美は追求するのを諦めて息を吐いた。武正は神妙な顔でうーとうなる。
「うーっと、悪気じゃなくて好意なんですよ」
「はいはい」
「うわ優美ちゃん信じてなーい」
「酔っぱらいの言うことはまともに取り合うだけ馬鹿らしいです」
「だから酔っぱらってないってばー」
 帰りを急ぐように早足になる優美を追いながら、武正は間延びした抗議の声を上げる。
「酔ってる」
「酔ってるけど正気だもん」
 最終的にその言い合いだけで帰り道の大半を優美は過ごした。見慣れた道に少し足を緩めて武正の横に並ぶ。ちらりと横目で見た武正が頬を緩めた。
「酔ってないよー。わかってくれた?」
 優美のことをのぞき込むように言う彼は喜色満面。何がそんなにうれしいんだかと優美は内心ごちた。
「もう着くわ」
「え、あ……あ、ホントだ。もう寮かあ。あっという間だったね」
 楽しい時間ってすぐに過ぎるよねえと武正はぽつりと続けた。
 優美はそれを咄嗟に否定できず、そのことに呆然とする。馬鹿な言い合いでも楽しかった、その事実は衝撃に値した。
「えっと、あの、ありがと」
「どういたしまして。こっちこそありがと。楽しかったよ」
「わざわざごめんね。早く家に帰ってしっかり寝て、酔いを覚まして」
「だからそんなに酔ってないんだけど――まあ、ありがと」
 早口の優美に武正は苦笑する。とうとう寮の玄関前に着いて、彼は優美を見送るようにそこで立ち止まった。
「じゃあまたね、優美ちゃん」
「ええ、また」
 短い挨拶を交わしてから、優美は寮の門扉に手をかけた。

2007.05.28 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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