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ラジオでコナカがフジツボの話

 優美がベッドの下に眠っていた古いラジカセを引っ張り出したのは、なんだか寂しくなってきたからだ。
 こごえる冬の夜、足下にヒーター。
 深夜。閉め切った窓の外で風が吹き荒れている。
 本当は寂しいより怖いのかもしれない。
 布団に潜り込んで寝てしまえばきっと幸せなのだろう。
 それでもそれをしないのは、今日のノルマを達成していないから――いや、もう昨日のノルマ、か。
 勉強の能率が思ったように上がらなくてイライラして、それでまた能率が悪くなって。
 夜が深まって、家族が寝付き、周囲が静かになって。
 それで、無性に寂しくなったのだ。

 だから記憶を頼りに安いパイプベッドに乗った布団を折って板を取り外し、その下のラジカセを引っ張り出した。
 それは父がどこかからもらってきた、今時売っているのかどうかすら分からない小さなラジカセ。
 音楽に興味がないものだから、こんなものでさえしまい込んだまま使っていなかったものだ。
 うっすら埃が付いているのを、ティッシュでぐいとぬぐう。とりあえず学習机の上に置いて、黒いコンセントを刺した。

 ――聞こえるかしら。
 疑いながら、電源を入れる。
 当然、聴くカセットなんてないわけで。
 カセットではなくラジオにボタンをあわせる。
 ざあざあと砂嵐のような音が響いたので、慌ててボリュームを下げた。耳を澄ます――幸いにも家族が起きた気配がないので、優美は胸をなで下ろした。

 ボリュームは落としたまま、少しずつラジカセの横のつまみを回す。
 とりあえず何か聞きたい――人の声を感じるだけで寂しさは和らぐだろう。
 もちろんラジオの周波数なんて知っているわけがない。適当にゆっくり回したらいつか何か音を拾うだろう。
 じりじりと慎重につまみを回す。砂嵐が大きくなり小さくなり、外国のものらしい音を拾い。
 諦めずにじりじりとゆっくりつまみを回していたら、突然明瞭な音が飛び込んできた。
『ーってまいりましたー』
 明るく、軽快なノリの若い男の声。
『今夜も楽しくやっていきましょー。今日の司会ももちろんいつもの俺、コナカタケノジョー』
 軽いノリのまま男は続ける。そのバックではやっぱり軽い楽しい音楽が男の声を消さない程度に流れている。
 ――悪くない。

 彼女は満足げにうなずいた。理想を言えばクラシックみたいな落ち着いた勉強しやすそうな曲が流れていればと思っていたけれど、でもまあ明るいのは悪くない。
 冬だからまずないだろうが、怪談とかだとしゃれにならない。怖さが増す。
 ちゃちゃちゃ、ちゃっちゃちゃちゃー。
 男の声をかき消して音楽のボリュームが上がった。テーマ曲なのかもしれない。男の軽い声に似合いの、明るい曲だ。
 明るい曲も嫌いじゃない。
 音を出来るだけ絞って、手を伸ばしてラジカセを本棚の上に置いて、彼女は勉強を再開しようと参考書に手を伸ばした。

 ジャーン。
 テーマ曲の終わりにこれまでない強い調子で音が響いたので、思わず手を止める。
 男の声はすぐ戻ってこない。彼女はその間に気を取り直した。
 ぱらぱらと参考書をめくり――
『さて、今日はみんなのことをフジツボと呼ぼう!』
 再び聞こえた声を聞いて、目を見開いて動きを止める。
 明るく何かとんでもないことを言われた気がした。
「はぁ?」
 思わず呟く。参考書を思わず閉じてしまった。
 そんな彼女の反応など、もちろんラジオの先の男は知るよしもない。
『では最初のフジツボのみんなからのお便りを紹介しよう!』
 明るい声でが続いている。
 どうやらリスナーのことをフジツボと呼ぶ、ということらしい。
 ――フジツボ?
『コナカさんこんばんわー。はいこんばんわー。いつも楽しく聞いています。おー、どうもありがとねー』
 明るいノリで二役をこなすコナカ氏の声を右から左に聞き流しつつ、彼女は眉を寄せて首をひねる。
 ……フジツボ?
 フジツボ、ってなんだったろう。何となく思い浮かぶことはあるが、あまりの衝撃に記憶の引き出しから出てきそうにない。
 仕方ないので辞書を引っ張り出し、引いてみる。
「……載ってないし……」
 なんだか無性に悔しくて、思わず舌打ち。
 そんな優美にかまわず、ラジオの中のコナカ氏はやけに明るいノリで恋愛相談のはがきに適当に答えている。
『バレンタインに手作りチョコ! いいじゃない、愛が感じられていいと思うな、俺は〜。……いいねえ、俺も欲しいねえ』
 それよりも何故フジツボか答えて欲しい。
『さてそれでは曲いってみましょー。フジツボネーム、ハンドクリームラブさんのリクエストッ』
 だからフジツボネームって何ですか。
 彼女が呆然と見つめるその先で、ラジオがさわやかに曲名を告げる。
『曲はこの俺、コナカタケノジョーの新曲、It thinks of you in spring. ではどうぞー』
 明るいその声が消えて、流れてきたのは落ち着いた曲。
 呆然と見開いたままの目に、我知らず力が入り――目が乾いて、慌てて閉じる。
 同じ人物が歌っているとは思えない、きれいで透明で静かな歌声。思わず聞き入ってしまう。
 目を閉じたまま机に肘をついて手のひらに顔を乗せる。



冷たい季節が 過ぎ去り
柔らかな風が 吹き始めた

見上げる空は 遠く高く
澄んだ色が 心に染みる

暖かい季節が 舞い降り
まぶしい日射しが 降り注ぐ

見渡す大地は 遠く広く
優しい色が 瞳を癒す

過ぎ去った季節が 落とした影を
僕はけして忘れたわけではない

It passes away in winter.
静かな その時間の先

It thinks of you in spring.
ずっと 変わらない想いを誓う



 歌声は優しく切なく、その余韻をうっとり楽しんで――。
「――ちょっとねーちゃーん」
「……う?」
「あ、起きた。寝てたら風邪引くよ」
 はっと優美は身を起こした。心配そうに言う妹の姿を認めて、時計を探す。
 三時。
 いつの間に寝ていたんだろう。
「何でこんな時間に起きてるの、あんた」
「それねーちゃんに言われたくないなー」
「私はお子様じゃないからいいの」
 高圧的に言ってしまったのは、六つも下の妹に居眠りを発見された恥ずかしさをごまかすためだった。
「むー。トイレに起きたら電気ついてるから見たのに。受験前に風邪引いちゃ駄目でしょ?」
「……ありがと」
 もっともな発言に反論するのは大人げないと思って、素直に礼を言う。
「無理しないで寝た方がいいよ?」
「そうね……疲れてるのかも」
 いきなりラジカセを探し出して、そこからフジツボとかなんとか流れてくるなんて――夢に違いない。
 妹の言うとおりにしようとうなずくと、安心したように妹はあくび混じりに部屋を出て行った。
「おやすみ」
「うん、おやすみー」
 扉が閉まる音を聞きながら、伸びをしてヒーターの電源を落とす。
 立ち上がって背後のベッドを振り返る。と、ベッドがすぐに寝れる状態ではなくて、彼女は目を見張った。慌てて本棚を見るとラジカセ。
 電源は――入っていない。
「……みーこが消したのかしら」
 わざわざ部屋を覗いてくれた気が利く妹ならありそうな話だった。
 はずされたままの板を戻して、布団を整える。少なくともラジカセを探したのは事実のようだ。
「フジツボ……」
 苦々しく呟きながら、布団に潜り込む。
 上下に毛布二枚を挟んでいるけれど、入った瞬間が足に冷たい。
 フジツボの前に何かを聞いた記憶はない。すると常識的に言ってフジツボは夢としか思えなくて。
 きっと選局中にいつの間にか寝てしまったのだろうと結論づける。
 ――すると、あのきれいな曲も夢なわけで。
 あの曲だけは夢にするのはもったいないなーと思いながら再び優美は眠りに落ちた。

 そして翌朝、起きて机の上を見た優美が英語の参考書に混じって国語辞典があるのに気付き、呆然とするのはまた別の話。

2005.02.06 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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