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ペンと魔法

 大風美亜さんは、うちのクラスの委員をしている。
 大風さんは日本人離れした美貌を持つ、きれいな人だ。
 目と鼻と口が絶妙なバランスで小さな顔に収まっていて、肌なんか透けそうなくらい白くて、すらりとした体型。
 瞳は黒でなくてよく見たら濃い青なんだという噂があるくらいだから、生粋の日本人ではないのかもしれない。
 残念ながら、俺にその瞳をじっくり見つめる根性はなかった。
 飛び抜けた美貌と、はきはきとした言動で我が聖華学園高等部2年3組を率いる、それが大風さんの重要な任務。
 体育祭まであと一ヶ月、大風さんはご愛用の黒いペンをくるくる回しながら教壇の前に立っている。

 教室の中は雑然としていた。
 並ぶ机はバラバラで、窓は全開。教壇から正面を見ると、間に38個の机を挟んで奥にはがらがらの本棚。
 本棚に残っているのは、学業とは全く関係のなさそうな古びたマンガだ。先輩から代々受け継がれた学級マンガ文庫。みんながいらないものを持ち寄るから、そのコレクションは実に多岐にわたりそして微妙。でも暇つぶしにもってこいだから活用だけはされている。
 まだ夏でもないっていうのにここのところ暑い日が続いているから、机にだらりと座るクラスの面々は一様にやる気に欠けて見える。
 あろうことか、マンガを読んでいるヤツまでいる。放課後、居残ってクラス会だなんて俺だって、副委員の役を振られてなければやる気なくだらりとしてたはずだ。

 教壇の上に置いてある大風さんお手製のメモを確認しながら黒板に写し終えて、俺はチョークを置いて手を払った。
 ちょっとだけ黒板から離れて確認すると、多少左下がりに見えるけど、まあまあいい感じに書けている。
「大風さん」
 呼びかけると、ペンをくるくる回していた大風さんははっと顔を上げた。
 ちらりと黒板を確認して、よしとばかりにうなずく。
「ありがと」
「いえどういたしまして」
 副委員は貴方の部下ですから。
 そんな言葉を飲み込んだとは思ってもない大風さんはペンを回すのはやめて姿勢を正した。

 黒がポイントの、安いということ以外には取り柄のなさそうな愛想のないペンは、シンプルすぎて俺なんかが持っていたらだっせーとか言われそうだけど、大風さんが持っていると特別な代物に見える。
 そのシンプルさが、かえってシャープな印象を与えるんだろう。大風さんはそのペンがお気に入りのようで、思い返してみるといつも片手に玩んでいる。
 暇つぶしの道具にしていたペンを、今度は指揮棒でも持つかのように構えて大風さんはすぅっと息を飲んだ。
「はい、皆さん注目」
 低い落ち着いた声はそう大きいものではない。
 言うと同時に空いた左手で教壇を軽く叩いただけで、教室中の視線を大風さんは手に入れた。
 誰しもが手を止めて、その様子に大風さんは満足そうにうなずいた。
「みんなも放課後は満喫したいでしょう? だからさくさく意見は出してね」
 みんな一斉にうなずいた。息を飲んだ野郎もいる――あー、くそ今極上の笑顔だったんだろうそうだろう。
 斜め後ろからは大風さんの顔はほとんどうかがえない。

「さてじゃあ、まずは応援団員の選出。何するかは去年見たから割愛ね。定員は男女3名、やる気がある人は手を上げて」
 大風さんははきはきと言いながら、左手をひらりとあげた。
 注目は得たものの、クラスメイトのやる気までは上がっていない。
「去年見たろ〜。もてるぞ、応援団」
 少しでも早く帰りたいのは俺も一緒だったのでそう口添えをした。
「じゃあお前がやれよ、神崎ー」
「いえ俺は副委員長の仕事で手一杯ですから。ねー、大風さん」
「あら、フォローはするわよ?」
「え」
 そんな野次を検討しないで下さい大風さん。
 俺の内心に気付かないで、大風さんはぴたりとペン先を俺に向けた。
 至近距離、じっくりと大風さんは俺のことを見つめて。
「似合うでしょ?」
 殺し文句だろうそれは。
 俺の方が若干背が高いから、自然と見上げる、上目遣い。
「でもほら、クラスまとめるお手伝いをするのも役目だし?」
 その魔力にやられそうになりながらも、何とか口にする。
 大風さんはふっと笑った。
「私のことなら心配いらないわ」
 あっさりそう口にする大風さんは、本気でそう思っていることがありありと分かって何となく落ち込む。
 そりゃ俺がいようがいまいが優秀な貴方は大して困らないだろうけど――落ち込む。
 俺の気持ちも知らず、大風さんはペンをくるり回して微笑んだ。
「去年してたでしょう。似合ってたと思うけど」
 ねえ大風さん、何で違うクラスだったのに覚えてるんですか? その頃知り合ってもいないんですよ俺は貴方のこと既に知ってたけど。
 俺ちょっと期待しちゃっていいですか?
 それともちょっとでも早く帰るために一人でも落としておこうってハラですか……?
 返答に詰まって黙り込む俺を、時間の無駄とでも思ったのかあっさり大風さんは切り捨てた。
 ちくしょー、そのこだわらない所も嫌いじゃないぜー。

「さあ男子諸君は日の照る下、学ランに身を包んで光る汗を流してみない?」
「そのあおり文句はいただけないよ、大風さん……」
 ちなみにうちの制服はブレザーだ。体育祭の時だけ何故か特製の学ランが応援団員に支給される。
 体育祭は5月終わり、その陽気と言ったら夏に引けをとらない。うんざりする暑さの中、学ランに身を包み各色応援する応援団は女子にとって魅力的らしい。
 それくらいの役得がなければ、応援団に入ろうなんて人間はそうそういないから、世の中うまくできてるのかもしれない。
 実際、去年の体育祭前後に俺にもモテ期がやってきたくらいだ――すぐさま去ったけど。

「女の子達もどう? ふりふりのスカートを身につけてボンボン持って踊るの、魅力的だと思うわよ?」
 ――大風さんそれは男にとって魅力的なだけじゃないですか。
 あーあ、大風さんがやれば激きれーなんだろうになー。さすがに副のつかないクラス委員はイベント時期は忙しい。
「どっちももてるらしいからね」
 大風さんは手書きのメモをめくった。何枚かめくった先に目的の物を見つけたのか、手を止めて顔を上げる。
「体育祭後の応援団構成員の恋人発生率は60%。昨年度、2年有志の無記名アンケートの結果よ。ちなみに構成員外の発生率は5%。愛ある学生生活を求めているならば、やってみる価値はあると思うけど」
 淡々と告げる内容は、感情がこもってないから余計に違和感がある。
「ねえ、大風さん何その数字」
 というか恋人は発生するものなのかー?
「現3年生有志が去年とったアンケートの結果だそうだけど?」
「……愛ある学生生活ってのもどうかと思う」
「そこは私のオリジナル」
 なんて言っていいもんだか、とっさに思いつかない。
 その間に大風さんは再びクラスメイトに向き直った。
「どう? 誰かやる人はいない?」
 微妙な宣伝文句が引かせたのか、やっぱり誰も手を上げる素振りがない。

「あーあ」
 これじゃあすぐに帰れそうもない。まだ各競技の代表者を決めなきゃいけないってのに。
 授業時間じゃなく、放課後に決めろっていうのも横暴だ。
 チョークを手にとって、俺はさらさらと自分の名を書いた。
 応援団・男子 神崎均。
「さあ誰か俺と一緒に熱い友情を育もうぜ」
 大風さんが似合うって言ったんだ、勇気ある犠牲者になろうじゃないかここは。
「いらねー」
「それきもいから神崎」
「はーい、2名様確定」
 野次を飛ばした友人どもの名前を書き加える。
「強引ねぇ」
 大風さんはこっちをちらりと見て、苦笑した。でも、さらにひどくなる野次は、きっぱりと無視。

「残り女子はどう?」
 笑いの混じる声で尋ねると、ようやく女子もぱらぱら手を上げる。
 決まらなければ先に進まないから、本当は嫌々なのかも知れない。それでも手が上がった先から俺はためらいなく黒板に名前を書いた。
「はい、じゃあ次は――クラス対抗リレー、これは足の速い人にお願いしたいけど……」
 黒板に俺が名前を書き込む後ろで、大風さんは淡々と話を進めている。
 一番大変なのは応援団だから、後はすぐに決まるだろう。
 あーあ、体育祭の準備にかこつけて大風さんと一緒にいられると思ったのに――よりによって汗くさく男臭い応援団再び。
 大風さんは俺がそんなことを思ってると知ってか知らずか、さくさく出場者を決めていく。
 その後ろ姿をちらりと確認して、俺は心の中で大きく息を吐いた。
 仕方ねえ。60%に入るべく頑張ろうじゃないか――去年は知り合ってもいなかったけど、今年は同じクラスで委員と副委員だ。

 頑張れば……そう、頑張れば。
 もしかするともしかするじゃないか。
 そう言い聞かせて、チョークを操り続ける。大風さんは振り返らずに着実にクラス会を進行している。
 そういう淡々としてしっかりしたところも好きですともえぇ。
 改めて感じながら次々名前を書き連ねる。
 微妙に焚きつけてくれたからには、体育祭の後で「きゃー、神崎君かっこいー」って言ってもらうぞ、大風美亜。

 ――いや性格的に言いそうにないけど。
 夢見るのはタダだよな。恋人発生率60%だし!

2005.05.03 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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