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佐津子さんのある休日

 佐津子さんは二十代も半ば。OL生活数年目のお姉さん。
 女らしい装いって奴がとにかく苦手で、だからして化粧も嫌い。洗顔に化粧水乳液、ファンデーションと気持ちだけの口紅。
 アイシャドウ? チーク?
 彼女に聞いたら、きっとなんですかそれと言うだろう。
 だからして彼女が身につけるのは女らしさのかけらもないものばかり。色気に欠ける下着、ジーンズにTシャツ。鞄だって見た目より実用性を兼ねた大きなもの。
 だって、たくさん入った方がいいでしょ? 尋ねたらきっと彼女はそう答える。
 何でそんな風になったのかって聞かれても、佐津子さんには答えられない。だって気付いたらそうだったんだもの。
 おしゃれなお店なんて気後れするだけ。色気も女らしさもない姿だったらそれもうなずけるんだけど、だからかわいくしたいだなんて思えないわけで。
 かわいらしい服も、きれいな色のコスメも、おしゃれな美容室も、彼女にとっては心ときめく場所じゃない。
 だったら休日にどこに行くのと聞かれたら、まず本屋、次に文房具屋、それから電気屋。
 たくさんの本に囲まれるとときめきでくらくらするし、文具だったらかわいいのだってそろえている。佐津子さんの興味のベクトルは電気屋でもっとも傾く。
 ひらひらした服よりも、家電の方がよっぽど興味があるのだ。
 一つ一つ丁寧に、じいっとみつめる。見るだけじゃ飽きたらずにカタログにだって手を伸ばす。
 もちろん家電となると高いものが多いから簡単に買うわけには行かないのだけど、それはもう真剣な顔をしてカタログに見入る。
 商品のデザインとか、消費電力とか、どんなことができるかとか。
 冷蔵庫のコーナーでは一つ一つ引き出しを開けたては感心し、皿洗いのコーナーでは実演をじっくりと見た。
 取り付け手数料が今なら半額なんですって! しかも水道代も手洗いよりお得なんですって!
 そんな宣伝文句を見てしまうと、カタログを握る手に力が入ってしまう。
 さらに巡ってオーブンコーナー。ますます真剣に商品に見入る。
 最近流行の水蒸気のなんて、カタログと比較しながら十分くらいは目の前にいた。石釜が何とかって言うのを見る目は真剣そのもので、もしかしてこのまま商品カードを持ってレジまで行くんじゃないかという勢い。
 だけどカタログをコレクションしたまま、佐津子さんはあっさりキッチン家電コーナーから撤退した。
 機械なんてそう滅多に買い換える代物じゃない。ふうと息を吐いて、彼女はエスカレーターで移動した。
 ハイビジョンテレビにもDVDにも等しく熱い眼差しを注いで、CDプレイヤーからMP3プレイヤーにまで触手を伸ばす。最近は小さいプレイヤーが出てていいなあなんて思うけれどもちろん買わない。
 一通り見て回って満足したら、最後はマッサージコーナーだ。
 一日の疲れをいやすべく、マッサージ機の体験コーナーに突き進む。 
「接客用の製品ですので、休憩の方はご遠慮下さい」
 張り付けてあるPOPにちょっとだけ良心を痛めながら、佐津子さんは一つの機械に座り込んだ。
 もちろん脇にあるカタログだって手にして、優雅な気持ちで腰掛ける。大きなリモコンの自動コースを一つピッと選択して、背中を椅子に押しつける。
 静かに機械が動き出す。首を伸ばした彼女はうっとりと目を閉じた。
 体の構造を探るようにソファの中の丸い玉が動いたあと、少しずつその玉に力が加わっていく。肩、腰――果ては足まで。叩いたりもみほぐしたり。
 こんな機械を思いついて、発展させていった人間はすごい。佐津子さんが人間の偉大さを思うのはまさにこんな時だ。
 しばらく目を閉じてそんなことを思ってから、おもむろにパンフレットを開く。佐津子さんのことだからもちろんただめくるなんてしない。最初のページから丹念に隅から隅まで、それはもう熱心に見つめる。
 マッサージ機は意外と長いこと動くのでいい時間つぶしにもなるし、それに何よりただの休憩じゃないんだぞってこれで無言のアピールをしているつもり。
「何かご説明いたしましょうか?」
 真剣にパンフレットを見ていた佐津子さんはその声にびくりとなった。
「え、えっ、ああ――」
 顔を上げると笑顔の店員さん。予想外の出来事に佐津子さんは目をただぱちくり。そして我に返ってからパンフレットと店員さんとを慌てて見比べた。
「えっと、あの、その」
 無言のアピールが通用しない猛者は、動揺した佐津子さんを見ても笑顔をぴくりとも動かさない。
 どうしようもしかしてばれてるのかしら。とんでもないことをやらかしてしまった気分になりながら佐津子さんは必死に考えた。
「父の日のプレゼントで、ボーナスがええと」
「お父様にボーナスでプレゼントされるのですか?」
「ええ、ええと。しようかなあ、と思うんですけど。高いですよねえ」
 伺うような上目遣い。一口にマッサージ機と言ってもピンからキリまである。安いのだったら頑張れば買えなくもない。ただし今佐津子さんの使っているもののお値段は、少なくともボーナスで買えるようなものじゃなかったのだけれども。
「高機能なものほど確かにお高くなりますね」
 店員さんがゆっくりと同意を返してくれたので佐津子さんはほっとした。
「ですよねえ」
 微かに慣れない愛想笑い。
「ご予算をお聞かせいただければ最適なものをお選びできますが」
 佐津子さんの微笑みは敵には全く効果がなかった。笑顔の店員さんは真摯な眼差しを彼女に向ける。
 押しつけがましくはなかった。でもなぜか逆らいがたい力が篭もっていた。
 心の中で冷や汗をたらり。佐津子さんは考えた。手に持ったカタログと、店員さんを交互に見据えながら。
「えっと、色々見てみて、妹と相談しなければならないですから」
 視線は泳がないように。声はどもらないように。気をつけていったから、嘘だとばれてないと信じたい。
 佐津子さんの言葉に店員さんはますますにこりと笑う。
「そうですか。何かご用がございましたらこちらまでどうぞ」
 ご質問には何でもお答えしますから、そつなく店員さんは自分の名刺を佐津子さんに差し出した。
 軽く頭を下げながら彼女はそれを受け取った。どうやら本気で検討してくれると思ってくれたようで、だからこそ顧客を手に入れようと名刺を差し出してくれたらしい。
「あ、どーも」
 良心の痛みから佐津子さんは無駄にぺこぺこ頭を下げる。店員さんは「ゆっくりご検討下さい」と明るい笑顔を残して去っていった。
 やがてぐぃんぐぃんと動いていたマッサージ機が決められたコースを終えてぴたりと止まる。佐津子さんはカタログと名刺を大事にカバンにしまい込んで立ち上がった。
 父の日なんて何かをした記憶がほとんどないけれど、店員さんの誠意に申し訳ないから今年は何かしてみようかなあなんて思いながら。さすがにマッサージ機なんて買えないけれど。

2006.06.15 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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