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願うのは恋心

 夢見は最悪だった。
 ふと気付くと、炎の中。背中に火がつきそうになって、あわてて走り始める。
 思うように足が動かない。
 運動神経に自信があっても、さすがは夢だった。頭の片隅ではそう理解しているのに、必死になって俺は両足を前へ前へと出す。
 真っ白い広い部屋だ。家具も何もなく、あえて言うならばその白を炎の赤が染めている。
 やばい、やばいやばい。
 もどかしい足取りで炎から逃れるべく前に進む。白一色の部屋は見回しても扉の位置がわからない。とりあえず前に向かっても、どこが出口かわからない。
 途方に暮れかけたとき、かすかな音を感じた。
 トントン――あるいはコンコンという扉を叩くような音の発生源はすぐ近くだった。
 炎の気配に焦りながらほんの少し移動する。
 扉もやはり真っ白だった。よく見ると縦に五十センチほどの取っ手がついている。鍵がついている様子もないのに、押しても引いてもびくともしない。
「春日井ー」
 いっそ体当たりでもしようかと思ったときに扉の先から声が聞こえて、はっと目が覚めた。
 ――萩野の声だった。
 目覚めてもなぜかトントンと扉を叩く音が聞こえている。夢で萩野の声を聞くなんて、どういうことだ。
 実際はおおかたかーさんが夕飯を呼びにでも来たんだろうと顔を上げると、まだ昼間だった。秋もだいぶ深まったが、日中はまだ暑い。背中に感じた炎の気配は、窓から注ぐ日差しだったようだ。
 トン、叩きつける音が不意に止んで、視界に影が差す。
「おはよう、春日井」
「え、あ、おはよう萩野」
「ようやく起きたね」
 影の主に反射的に応えてしまってから、俺はあわてて周囲を見回した。
 窓際最後部の特等席、見回す途中に視界に入った壁掛け時計は一時のやや手前を指していた。教場に残ってるのは俺と萩野を含めても十人いないくらい。
 俺はもう一度時計を見て、どうやら激しく机を叩いていたらしい萩野の手に視線を落とした。
 夢で萩野の声を聞いたんでなく、現実に耳にしていたものだったらしい。らしいが、つまりこれはどういう状況だ。
「どうしたんだ?」
 不可解な事実がいくつかある。俺は素直に問いかけを口にした。
「起こしてくれてありがとうくらい言えないのかしら」
「まあ、助かったが」
「引っかかる言い方するわねぇ」
 答え方も、声も、見上げた顔もよく知る萩野のものだ。さりげなく携帯を取りだして時間を確認しても、特に壁掛け時計と違うようには思えない。
「早弁でもしたのか?」
「どーゆー意味だあぁ?」
 俺の問いかけに一瞬で不機嫌になった萩野が、握りしめていた拳を俺に向けて持ち上げる。どうやらマズったらしい。
「いや、萩野は授業終わったら即昼に向けてダッシュだろ」
「春日井、あんた実は私のこと嫌いでしょ?」
「まさか」
 萩野は面白い女だ。色気より食い気が先走る、珍しいタイプの。
 県外高から入学して、大学近くで一人暮らし。「無理言って出してもらったからね」なんて言って、学費以外の部分はほとんど自らの手で稼いでいるらしい。
 そのせいもあってか――むしろ性格上の問題か、おしゃれにはとんと興味がない有様。化粧なんてまったくしていないし、着るものにもほとんど気を遣っていない。身綺麗にしてはいるけれど、大学生というよりは大人びた顔をした中学生と言った方がぴったりとくる。
 ――最近は高校生だって化粧してるしな。もしかしたら中学生もしているかもしれんが。
 少なくとも、俺は萩野を嫌いじゃない。着飾った女の子は目の保養にはなるが、どちらかと言えば着飾らない子の方が好みなんだな、これが。
「本当かあぁ?」
 俺のことをじっとり見る萩野は、きっとそんなこと気付いてもいないんだろうけど。
 趣味が悪いと言われたことはあるが、初恋からして萩野と微妙に似たタイプだった。
 隣に住んでいた三つ上のゆっこねえ。着飾らないところも、歯に衣着せない物言いも、どことなく萩野に似ていた。
 どことなく――だ。
 ゆっこねえは萩野ほどがっついちゃいないし、もう少しだけ女らしかった。
「嘘言ってどうするんだよ」
「まあ、そう言われてみればそっか。せっかく起こしてあげたのに失礼なこと言ってると、友達なくすわよ?」
「それは困るなー」
「困るなら口を慎め。で、春日井、あんた今日昼の予定は?」
 やっと怒りが鎮まったらしい。萩野はすっと立ち上がった。食い意地は張っているが、萩野は別段太ってはいない。
 豪快に飯をかッ食らう萩野は見ていてすがすがしい。どこにその栄養が消えていくのか激しく謎だ。燃費が悪いのかもしれないし、ダイエットをしている素振りもないが人知れずしているのかもしれない――が、ダイエットはあり得ないだろうな。
 萩野だし。
「昼って、昼飯のことか?」
「私もご飯まだって言ったと思うけどね。それでなくてなんだっての」
「――萩野、お前何か悪いものでも食べたのか?」
「だからどういう意味だそれは!」
「普段は一目散に昼飯に突撃するお前が、一時近くまで俺を待ってその上起こしてくれるなんて……」
「あんたたまに、すごいわけわかんないこと言うよね、春日井……」
 呆れた素振りを隠そうともせず萩野はぼやいた。
 萩野は平気でランチ大盛りを食堂で一人食える女だ。女の子ってのは群れるのが好きらしいが、その辺り萩野は規格外。割にマメらしく弁当を作ってきて、どこかで一人食べることも少なくないらしい。
 群れるのが好きな子は、行動が何かととろいらしく、長いこと空腹のまま待たされるのが我慢できないんだと聞いたことがある。
 だからして、一人でランチが寂しいから俺を待っていたなんてあり得ない。
 明日槍でも降るんじゃないか、の一言だけは飲み込んだ。
「いやあ、ありがとなあ萩野。午後からも授業があるから助かった」
「そんなことはどーでもいいんだけど。で、結局昼はどうすんのあんた」
「どうって、学食に行くけど」
「よし」
 萩野が拳を握りしめる理由がわからない。
「じゃ、今日は私がいいのを食べさせてあげる」
「は?」
 萩野のほほえみはにっこりと言うよりはにやりと言うべきだった。
「どういうことだ?」
「おごるって言ってんの。行くよ、春日井」
「おごるッ? どうした萩野、確かに今日は夏がぶり返してきたかのような暑さだが。頭がやられ――いや、なんでもない」
 拳を握りしめて俺を睨んだ萩野ははーっと大げさにため息を漏らした。
「やっぱりあんた、私のこと嫌いでしょ?」
「いや俺はお前のことが心配なだけなんだが」
「心配してるなら言葉を選べ」
「えーと、いや、悪い」
「わかったらまあよし。ほら行くよ」
 冷静に思い返すと失礼なことを言ったもんだが、萩野の方針は変わらないらしい。歩き始めた萩野の背を俺は追った。
 どうしたんだ、何が起きた?
 何がどうなれば食い意地が張ってて、生活感があふれかえる=ケチな萩野が俺にわざわざ昼飯をおごってくれるんだ?
 頬をつねると痛い。火事の夢から違う夢に突入したわけでもないらしい。
 天変地異の前触れだ。
 妙なことを言い出しただけで、見ていた限りは萩野は普通だった。いつも通りの反応だったが、言い出したことだけが違う。
「何百面相してんの、春日井」
「いや、萩野の身に何が起こったのかと思って。宝くじでも当たったのか?」
「そんな夢は追えないわね。買わなきゃ当たらないとは言うけど、買っても当たらないわよ、あんなもの」
 推論はあっさり否定を食らう。まあそうだよなー。うちの親父も毎年ジャンボに万札はたいてるが、当たったなんて聞いたためしがない。
 しっかりしたことを言う萩野は、やっぱり普通に萩野だ。するとしかし、なんだ?
「あんた忘れたの?」
「何をだ?」
 俺の誕生日なんかじゃない。萩野の誕生日でもないはずだ。そもそも自分の誕生日にわざわざ野郎に飯をおごるような萩野じゃないはずだ。
 他に、なんだ?
「ほんっきで忘れてんの?」
 呆れた様子を隠そうともせず萩野は俺の横に並んだ。
 目を細めて俺を見上げ、しばらくして諦められたようだった。
「私はねえ、受けた恩義は返す主義なの」
「恩義? 俺お前に恩を売った覚えはないけど」
「あんたは鳥頭か。半月前、私がやむにやまれぬ事情で飢えていたときに、ランチおごってくれたでしょ?」
「ん……ああ、そういえば」
 そんなこともあったか。
 ある日、萩野が景気の悪い顔でゼリー飲料なんぞ飲んでいるから、結果的に秋のスペシャルランチをおごったんだったなそういえば。
 あれはやっぱり見ていてすがすがしくなるような食べっぷりだったな。学食のメニューにしてはスペシャルランチは高いが、一般店のランチと同じくらいの値段だ。
 生気がない顔してるから元気づけてやろうと思っただけで、別に恩を着せたつもりはないんだけどな。活き活きといつも飯をかっくらう萩野がゼリー飲料だぜ?
 そりゃあまあ、好意を持ってるからこそそんな行動に出たわけだが、その程度で何かがどうなると思ってなかったというか、半月のタイムラグでおごり返されるとは予想外だ。
「本気で忘れてたの?」
「覚えてないワケじゃないが、別に恩に着せたつもりはないぞ?」
「あんた無駄にいいヤツよねえ」
「無駄ってのは余計だ。そんなに気を遣わなくてもいいぞ? 金欠なんだろ?」
「バイト代は出たし、解消されたわよそんなの。心配してたレポートも提出したし、気分がよろしいわけよ、いま、私は!」
「そりゃ、お疲れさん」
「おごられたままってのは気持ち悪いのよ。だから大人しくおごられろ」
「了解」
 萩野らしいと言えば、らしいか。俺が素直にうなずくと、よろしいと萩野は笑みを浮かべる。
 文句なしににっこりと、満面の笑みだ。
「で、どこに行くんだ?」
 学食の方向じゃなく、学外のどこかに向かっているらしい。ご機嫌な顔で萩野は俺を見た。
「すぐそこ。限定のパンプキンランチ、今日までなのよね」
 思いはすでに昼飯のところに向かっているらしい。萩野は今にも舌なめずりせんばかり。
「今日、そういえばハロウィンだな」
「えっ?」
 苦笑しつつ、思い当たったことを口にする。すると、驚いた顔で萩野は振り返ってきた。
「知らないのか?」
「知ってるわよ。バイト先でハロウィンフェアやってるし。それよりも何であんたがそんなこと知ってるわけよ。にあわなっ」
「――似合わないとか言われても」
「あんたみたいにがたいのいいにーちゃんはハロウィンみたいな行事は知らないもんなの!」
 萩野は力強く断言する。俺も失礼なことを言ったが、萩野も同程度には失礼だよな。
 俺だって萩野がまさかハロウィンの存在をきちんと認識してるとは思わなかったさ。どちらかというとマイナーなイベントは、色気より食い気の萩野に似合わないしな。
「後輩にイベント好きのヤツがいて、去年やったんだよ、ハロウィン」
「春日井が?」
「おう。ランタンも作ったぞ」
「春日井がーッ?」
 俺がカボチャをほじくり返したらおかしいって言うのかお前。
「悪いか」
「悪くないけど、すんごい意外。ランタン作るなんて本格的ねえ。カボチャアイテムにはときめくけど、そこまでする気にはなれないわ〜」
「結構楽しかったけどな」
「へー」
「お前もやってみたらどうだ? ほじくり返した中身は、何か料理に流用できるだろ。スープとか」
 本当に流用できるかわからないまま適当に言ってみると、萩野はふんふんとうなずいてそれなりにいい感触を返してくれる。
「来年辺り、挑戦してみよっかな。今日はこれからパンプキンランチだし。七百五十円、カボチャづくしよー」
 ほらあそこ、萩野は道の先を指さしてスキップしそうな勢いで足を速める。
 覚えているらしいランチのメニューを口ずさみながら急ぐ萩野はやっぱり食い気の女だ。それが萩野なんだからしょうがない。
 俺は先ゆく萩野に追いついて、彼女の前に座る。
 さて、萩野が期待するランチに舌鼓を打ちながら、楽しげに食う萩野を堪能しますか。

 キロキロ草子合唱譚 なおさんのところのハロウィン企画 五つのお題2006のむっつめ「戸を叩く音」に挑戦しました。
 使い方がいろんな意味で変則的ですが! 実に微妙なレベルで2005版「私と坂上の関係」にリンクしてるのでいいかなあと思いこんでおきます。1年後だ、というくらいしか関係ないですが〜(笑)

2006.10.27 up
萩野のやむにやまれぬ事情についてはこちら→色気<食い気
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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