IndexNovel

壁の向こうに

 彼女の周りには壁があり、さらに野茨が取り巻いている。啓吾は常々そう考えている。
 時代遅れの三つ編み。大きな眼鏡がほとんどの表情を隠している。それでもはっきりと、いつでも彼女がまっすぐ前を見ているということがわかる。
 とても勤勉な人だ。それは授業態度にも表れているし、休憩時間の様子でも明らかだ。寸暇も惜しまない様子でいつでも何かをしているから。その真面目さを買われて、クラス委員を務めているが、面倒な役目を押しつけられたと言った方が正しい。
「上狙ってるんじゃね?」
 塾に通ってるから、学校で課題をこなしているのだ――彼女を真面目ぶっていると嘲笑し、悪意を吐き出す者は一人二人ではない。
 彼女自身の人を寄せ付けない雰囲気が、余計に口さがのない発言を増やしているようだった。
 それらの言葉が全く聞こえていないとも思えないが、彼女は雑音には耳を貸さず、確実な未来を見据えているような顔を常に前に向けている。
 啓吾が彼女を気にかける一番の理由は、その揺るぎなさがうらやましいからだった。



 その日、啓吾が彼女に似た人を鷹城公園で見かけたのは偶然だった。
 公園は旧市内の端にある。市の中心街に割合近いが、足を伸ばそうと思うと地味に遠い位置関係。
 試験休み。ぬくぬくと惰眠をむさぼろうとしていた啓吾を起こしたのは母だ。文句を言いかける息子に有無を言わせず、母は仕事を言いつけた。
 入試なのに弟が受験票を忘れていったから届けてこいという指令。自業自得だと思うものの、弟が受験できなかったら哀れだ。仕方なく啓吾は身支度を調えて、仕事を完遂したわけだった。
 そのまま家に帰るのももったいないが、時間も早いため開いている店がろくになかった。それに一人でうろつくのもつまらないので、友人達に「暇だから遊ばないか?」とメールして、返事を待ちがてら公園に足を伸ばしたのだ。
 鷹城公園の中心には、市の名前の由来になった鷹城がある。城は堀に囲まれ、さらに周りを豊かな自然が囲んでいる。さほど大きな城ではないが、かつての城主のからくりコレクションがちょっとした見物となっていて、市の観光資源の一つになっている。
 啓吾も数度、学校行事で見たことがあるし、それなりに楽しかった記憶もある。暇つぶしに最適かもしれないが、今見ても楽しいものかは疑問だ。
 一応、城の入り口まで行ったものの、まだ開いていなかった。時間を確認してもまだまだ早いし、メールの返事もまだ来ない。
 時間つぶしのために啓吾はぐるりと城の周りを歩くことにした。吐く息は白く、寒さを感じる。靴底に感じる砂の感触がざらりとしているのは、地面が凍り付いているのだろうか。そんなことを考えかけたが、慌ててその思考を振り払った。想像して身震いするようでは世話がない。
 歩き始めて二つ目の角を曲がったときに発見したのがその人だった。
 角を曲がった瞬間に目に飛び込んだその人のぱっと見の印象が、ひどく彼女に似て見えた。だから啓吾は思わず足を止めたが、すぐにそんなわけはないと思い直して歩みを再開する。
 その人は城の後ろ姿を見る位置に座っていた。一瞬啓吾が勘違いしただけはあって、じっくりと見つめながら近づくと、横顔の輪郭が彼女のものと重なる気がした。
 縁石の上に、一畳くらいのレジャーシート。その上に荷物を広げて、木を背に自分は携帯用のレジャー椅子に腰を落ち着けて、スケッチブックにペンを走らせている。広げた荷物の半分は似顔絵が描かれた色紙で、残りの半分は風景画。
 シートの真ん中に立てかけたスケッチブックには「似顔絵 千円」と赤いマジックででかでかと書いてある。赤い文字から斜めにずらして、ピンクで影が付けてあった。値段表示の下には、大きなエンピツを持ったウェーブヘアの女の子がコミカルなタッチで描いてある。
 自画像のつもりなのだろう。レジャー椅子に座ったその人と、女の子のイラストの特徴はよく似ている。イラストの下にはアルファベットで「MIAYA」と記されていた。
 明らかに似顔絵屋だ。商店街やショッピングセンターなどで、啓吾も時折似たような露店を見かけたことがある。興味がなくて、今まで近寄ったこともなかったけど。
「可愛いね」
 朝の公園には、他にほとんど人の姿がない。あまりに近づきすぎた気まずさで、啓吾は思わず口にした。
「どうも」
 愛想のない響きで返された声まで、ひどくクラスメイトの彼女に似ていた。スケッチブックにペンを走らせているその人に言葉以外の反応はなく、顔を上げすらしない。
 気まずさの延長から居たたまれない気持ちになった啓吾が散策を再開しようとした時、ようやくその人は手を止めて顔を上げた。太陽がまぶしいのか目を細めて、啓吾を見る。
 顔は第一印象通りに彼女によく似ていた。ただ、よく見ると様々なところが違った。啓吾より一つ二つ年上の印象の、大人びた面差し。ぱっちりとした瞳が印象的なのは、化粧の効果もあるのだろう。
 彼女の目はそんなに大きくないし、化粧に興味を持つほどおしゃれでもない。彼女は他の女子のように、制服のスカートさえ短くしていないのだから間違いない。ふわりと波打つ髪も彼女からほど遠く、何故最初勘違いしたのかわからなくなった。
「ここで似顔絵屋なんて儲かる?」
 思わず問いかけながら、啓吾は意味もなく「うわあ」と叫びたい気分だった。防寒のために着ぶくれているが、おしゃれなお姉さんだった。
 印象が彼女に似ているというのがどきりとした遠因。ほんの少し未来の彼女はこんな風になるのではないか――想像すると、妙に浮き足立った気分になる。
 啓吾のように質問する人間に出会ったのは初めてだったのだろうか?
 呆然とその人は啓吾のことを見返すだけ。数秒の見つめあいの後、先に我に返ったのは啓吾だった。「もしもーし」と呼びかけつつ目の前で手を振ると、その人ははっと我に返った。
「ええと、あんまり」
「裏手じゃなくて、正面で店開きした方がいいんじゃないの?」
 答えを受けて啓吾は続けて問いかけた。レジャーシートにたくさん置いてある絵は、看板代わりのスケッチブックに描かれたイラストのようなコミカルなものから、リアルタッチなものまで様々。どれも啓吾の目にはとても上手に見える。
「そこまで、まだうまくないから」
 控えめな答えに啓吾は驚いて目を丸くした、
「そんなことないと思うけど」
「ありがとう」
 はにかんだ笑みを見せて、その人は恥ずかしそうに目を伏せた。そうすると思いの外、幼く見える。
「正面でやってみればいいのに」
 何となく啓吾は続けた。困ったようにその人は顔を上げて、啓吾を見る。
「そこまでの勇気は、ないのよね」
「そうなの?」
「無駄にプライドが高いからかもしれないけど。誰にも見向きされない姿を見るのが嫌なの。でもそう言ってもらえると、うれしい」
 にっこりと微笑むその人に、啓吾は再びどきりとしてしまった。
 まぶしそうに目を細める様子が変わらなくて、啓吾は思わず彼女の隣にしゃがみ込んだ。もう少し話していたいと思ったからだ。
「普段こういうのに目を向けない俺が気にするくらいだから、自信持てばいいよ」
 口にしたのはお世辞ではない。なのに真っ直ぐその人を見ることが出来なかったのは、最初気にかけた原因である彼女が頭をよぎったからだ。
 彼女に似ていると思わなければ、遠巻きに見るだけでけして近寄りはしなかっただろう。だからなんとなく、面と向かって言いにくかったのだ。
「ありがと」
 啓吾の後ろめたさに気付いた気配もなく、その人はにこりと微笑んだ。横目でそれを目撃してしまい、ますます啓吾は面と向かうことが出来なくなる。
 横に座ったのは正解だと思いながら、啓吾はレジャーシート上の絵たちを一つ一つ見ることにした。
 誰を描いたのかわかる似顔絵も、どこを描いたのかわかる風景画もある。わからないのは啓吾が知らない誰かだったり、どこかを描いたのに違いない。
 啓吾が黙り込だために間が持たないとでも思ったのか、その人は手にしたスケッチブックに再び何かを描き始めた。シャッシャッという小気味のいい音に啓吾は顔を上げて、遠目にスケッチブックをのぞき込んだ。
 そこには日を受けて輝く、鷹城の姿。
「なんだ、ここから景色描いてるんじゃん」
「え、ええ――」
 その人は啓吾にうなずきながら、慌ててスケッチブックを隠そうとする。
「ちょっと、見ないでよ。恥ずかしいじゃない」
 本当に恥ずかしがっていることが、真っ赤になった耳を見ればわかる。
「ああ、ごめん、つい。ここから見える景色を描いてるなら、正面には行けないなー。俺が客引きをしようかって言おうと思ったのに」
「何言ってるの」
 怒ったと言うよりは呆然とした声。スケッチブックを抱えたまま、その人は目を丸くしている。
「せっかく店開きしてるなら、お客さんに来て欲しくないか?」
「来て欲しくないとは言わないけど。でも、あなた――暇なの?」
 警戒心のにじむ声に、啓吾は内心舌打ちをする。本当は「何が目的なの?」とでも言いそうな、固い声だった。
 違う違うと啓吾は慌てて頭を振って、それじゃいかんと唐突に止めた。一瞬くらりとしたのは勢いよく頭を振っていたからだろう。ふらっとするのをこらえて顔を上げる。と、驚きの眼差しが自分を見つめていたので、体温が上がった。
「いや、暇な気がする」
 冷静ぶって口にしたところで信憑性はかけらもない。
「というか、暇と言えば暇なんだけど」
 誤解は解かなくてはならないと、啓吾はここにいる理由を次々にまくし立てた。
 弟が受験票を忘れたから届けに行って、それで帰るのはもったいないから友人にメールをして、返事が来るまで公園で時間つぶしをしようと思ったこと。クラスメイトにぱっと見の印象が似ていたから反射的に近寄ってきてみたのだということ。
「そんなに似てる?」
「よく見ると、そんなに似てない」
 素直に答えると、その人は楽しそうに笑った。ぱたりとスケッチブックを閉じて、楽しげにその上に頬杖をついて啓吾を見た。
「興味、あるなあ」
「興味?」
「そう。誰かに似ているなんて言われたの、初めてだから」
 ちょっと首を傾げて、「話してみて」と言う。知れば知るほど彼女とほど遠い仕草に、啓吾は困ってしまった。
「よく見るとそんなに似てないって言ったんだけど」
「でも、気になる」
「だけど」
「よし。じゃあ、特別に君のことを描いてあげよう」
 冗談めかした口ぶりで言っているくせに、本気でその人は荷物の中から色紙を取りだした。
「別にいらないし。悪いよ」
「気にしない気にしない。これも修行だからね」
「でも、商売なんだし」
「いいのいいの。色紙なんて原価は安いものよ。あ、しゃがむのも疲れるでしょ。椅子も使って」
 自分の後ろから木に立てかけてあったレジャー椅子を取って啓吾に差し出してくる。反射的に受け取って、啓吾は諦めた。これも何かの縁だしいい暇つぶしになると、椅子を広げて座り込む。
「そんなに印象が似てる?」
「だからよく見ると似てないんだって。でも、ぱっと見た瞬間は似て見えたかな」
「ふうん」
「横顔も何となく似ている気がするけど」
 確かめるように啓吾は色紙に向かう人を見る。一瞬の印象が似て見えた理由の大半は、横顔が似ているせいだろう。
「じゃあ逆に、どこが違って見える?」
 一瞬ちらりと啓吾を見つめて、その人は首を傾げた。茶目っ気を帯びた仕草、それがまず彼女と大きく違う。
「彼女は物静かだけど。みあやさん?」
「ん?」
「名前、みあやじゃないの?」
 啓吾はひょいと値札を取り上げて、イラストの下を指さした。
「ああ。偽名だけどね。知り合いに見咎められた時に言い逃れをするための。美しい彩りって書いて、美彩」
 くすりとその人――美彩は笑った。
「呼ばれたのは初めてよ。我ながらいい響きの名前を付けたなあ」
 満足げに呟く美彩はにこやかで明るい。目がそらせなくなったのは見とれたからだ。
 自分を見つめる啓吾にはたと気付いたように決まり悪そうな顔をして、美彩はペンを持った手をあげ、続きを促した。
「それで?」
「美彩さんは何となく、元気だね」
「その彼女は元気がないの?」
 問われて啓吾はしばらく考え込んだ。触れれば怪我をしそうなくらい厳重に身を守って、孤高を貫いている印象。
 それを元気がないのかと問われると、素直にうなずけない。
「っていうか、大人びてるのかな」
 何とか言葉をひねり出して口にすると、彼女の印象にしっくりとなじんだ。
「脇目を振らずに前を見て、どこか着地点を見てる感じ? まだ高一だっていうのに、しっかり将来を定めてる感じでさ。見た印象だけど。すごくうらやましくて」
「ふむふむ」
「見てると、なんていうか。俺このままでいいのかなって思う。何をしたいとか、俺にはこれと言ってないから」
 美彩は手を止めた。考え深げに色紙を見ていたが、やがて顔を上げる。
「どんな生き方が正しいのかは、人それぞれ違うんじゃない?」
「そうかな?」
「そう。求めるものがあるのなら、一直線にそこに向かってもいい。それがないなら今を楽しめばいいんじゃない?」
「深いこと言うねえ、美彩さん」
「深くはないよ」
 気恥ずかしげに顔を伏せて、美彩は再び色紙に向かった。
「求めるものを得るために、犠牲になるものがあるとわかる?」
「犠牲?」
「そう、犠牲。代償もなく、望むものが手にはいるほど世の中は甘くない。私はそう思う」
「彼女は何か犠牲にしているんだと思う?」
「さあ」
 啓吾の問いにあっさり美彩は首を傾げた。
「見ていればわかるんじゃない?」
「そうかな」
「多分ね」
 それきり美彩は黙り込んで、手を動かし続けた。ペンケースから様々なカラーペンを取り出して、色紙に色づけていく。集中して、真剣な眼差しで色紙を見据える美彩は、彼女にひどく似て見えるようになった。
 何となく居心地悪くごそごそ身じろぎして、啓吾はあちこちに視線をやった。幸い美彩が色紙を仕上げるまで余り時間はかからなかった。
 真剣な表情が緩んで、よしと満足げにうなずく。その気配を感じた啓吾は、美彩に視線を戻した。
「できた?」
「ええ」
 口角をにっと楽しそうに持ち上げ、美彩はにこりとうなずいた。なのに立ち上がってのぞき込もうとする啓吾を制して、逃げるように木の陰に隠れる。
「ちょっと待って、仕上げがまだ」
「出来たって言ったのに」
「サインしてないから。はい、どうぞ?」
 さらさらと色紙にサインを施して、美彩は手を翻す。緩やかな微笑みを浮かべつつも、どこか緊張感のある眼差し。
 ひらりと美彩が差し出した色紙には、当然似顔絵が描かれていた。くっきりと色づけられていて、短い時間で描き上げた割には塗りむらも少なく丁寧な仕上げ。
「うわ。すごいなあ、美彩さん」
 感心した声を上げて、啓吾は受け取った色紙に見入る。美彩はほっと息を吐いた。
 コミカルなイラスト風だから、似顔絵は啓吾らしいというだけで本当に似ているかと言われればよくわからない。でも、茶色がかった長めの髪は、まさに自分そのもの。何も考えずに笑っているような馬鹿みたいな顔も、悔しいことにそのものだと啓吾は思う。よく特徴を捉えてあると素直に感じた。
「それはどうも」
「本当にもらっていいのか?」
「どうぞ。いらないのなら、そこに並べるけど」
「うわ、それはなんか恥ずかしいなあ」
「知ってる人が見ても、似顔絵をあなただと断言しないと思うけど」
 自分を描いてもらう機会なんてそうはない。二度とないと言っていいかもしれない。せっかく描いてもらったものを、自分の知らない誰かに見られるだけにするのはもったいない気がした。
「いる、いるよ」
 慌てて啓吾は色紙を抱きしめた。美彩はくすくすと笑いながら、白いビニール袋を彼に差し出す。
「はい、これ。お話のお礼だから、大事にしてもらえるとうれしいわ」
 袋に色紙をしまいながら啓吾はこくりとうなずいた。
「ありがと美彩さん。大事にするよ」
「どういたしまして」
 にっこりと応じると、それきり美彩は再びレジャー椅子に腰を下ろし、スケッチブックを広げて黙り込んだ。
 すると美彩は一気に人を遠ざける雰囲気を身にまとう。彼女と同じような壁と野茨が美彩の周囲に取り巻くイメージ。彼女と美彩の共通点を再び見つけた気分になりながら、啓吾はそこから去ることにした。



 城の周りをぐるりと一周して携帯を確認すると、数件の返事が来ていた。色よい返事に顔をほころばせて、啓吾はさらにその返事をする。
 待ち合わせはゲーセンで。昼飯を食べて、カラオケに行った。散々流行の曲を熱唱したあと別れて家に帰ると、居間のこたつで精根尽き果てたように座っていた弟が「受験票ありがとうな」などと、珍しく素直に言ってきた。
 おうよとうなずいて、啓吾は弟の横に滑り込んだ。背もたれ代わりのソファに持っていたビニール袋を投げて、コートを脱ぎながらこたつに深く潜る。
「めんどくさがらずにコートはかけてから入れよ」
「嫌だよ、寒いのに」
 文句を言う弟の足に、啓吾はひんやりした手を押しつけた。ジーパン越しでも冷たさは伝わったらしく、すごい目で睨まれた上に蹴りつけられた。
「いって」
「自業自得。受験を終えて疲れてる弟に気遣いくらいしろよ」
「去年受験を終えて疲れてる兄に気遣い一つなかった弟には言われたくないなー」
 黙り込んだのは、思い当たる節があるからだろう。誤魔化すように弟は立ち上がって、恩着せがましく啓吾のコートをハンガーに掛ける。
「なんだ、これ」
 その拍子に色紙の入ったビニール袋がソファから落ちた。
「ああ、それ俺の似顔絵」
「似顔絵ー? ぶっは、何この馬鹿みたいな笑い顔」
「うるせえ」
 黙っていることもないかと素直に言ったら、勝手に色紙を見て弟は笑う。お前こそ馬鹿笑いだろうと言いたかったが、その顔があまりに似顔絵の自分にそっくりだったので止めた。
「でも、うまいもんだなあ。今日はどこに行ってきたんだ?」
「ああ、それは時間潰しに行った公園で、似顔絵屋のねーちゃんが描いてくれた」
「頼んだの?」
「まさか。たまたま、偶然。ちょっと話しかけたら話の流れで」
 にやにや笑いながら自分を見る弟を、どういうつもりだとばかりに啓吾は睨む。
「にーちゃんがナンパするなんて、そんなに美人だったか? みかさんとやらは」
「は?」
「名前も聞いてないならナンパじゃないか。てか、サインしてあったら確認するだろ、普通」
 啓吾は愛しいこたつから這い出すと、生意気なことを言う弟のこめかみをぐりぐりと痛めつけて色紙を取り返す。
 色紙の右下に、確かにサインがしてあった。綴られるのは「MIKA」の四文字。それから「To KEIGO」と続いている。
「みかだって……?」
 記憶の引き出しを啓吾はいくつも引き出して、一致する名前を導き出した。クラスメイトの彼女の名前は神崎美佳。興味があるからフルネームで覚えている。
「ちょっと待て、同一人物……か――?」
 動揺した声を上げる啓吾を、弟は訝しげな顔で見る。それに気づきもせず、啓吾はめまぐるしく考えた。
 美彩というのは偽名なのだと本人が言っていたし、偽名を使う美彩が彼女に似ていると確かに啓吾は思った。だけど、話せば話すほど似ているが違うという印象を強めたというのに。
 なのにはっきりと記されたアルファベットがそれを否定する。
 啓吾は彼女の話はしたが、彼女の名前も自分の名前も言っていない。すると、つまりはそういうことなのだろう。
 壁の内側の彼女は、啓吾が思っていたよりも人なつこく茶目っ気があるのかもしれない。
 啓吾は夕飯の声がかかるまで、馬鹿みたいに自分の似顔絵と見つめ合った。この密やかなる自己主張をどうするべきなのだろうと考えながら。

 物書き交流同盟 様の恋花祭りに参加した作品です。

2007.03.25 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

感想がありましたらご利用下さい。

お名前:   ※ 簡易感想のみの送信も可能です。
簡易感想: おもしろい
まあまあ
いまいち
つまらない
よくわからない
好みだった
好みじゃない
件名:
コメント:
   ご送信ありがとうございますv

 IndexNovel
Copyright 2001-2009 空想家の世界. 弥月未知夜  All rights reserved. Never reproduce or republicate without written permission.