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宴の裏側で

 宴の喧噪は、すでに遠い。
 目を閉じてヒルムングは静けさを味わった。それはひどく身に染みるものだ。だが、喧噪にまみれて騒ぎたいとは思えない。
 日中の日差しが嘘のように、夜は暗く冷たい。気配を殺して歩いても足音が聞こえてきそうな静けさの中、ヒルムングは気ままに踏み出した。
 城内は盛大な宴の最中、城下も時ならぬ騒ぎで盛り上がっているらしい。だがどちらも今のヒルムングからは遠かった。
 ファンの城はとても大きく、敷地にはたくさんの離れと同じくたくさんの庭園がある。宴から逃げ出したヒルムングは追っ手がかからないくらい離れたところで、夜の散歩としゃれ込む。
 暗いが通い慣れた場所だ。月明かりが程よく大地を照らしている。闇に目が慣れれば、困ることなどほとんどない。慣れた道筋をヒルムングは辿る。
 アーチをくぐり、小さな池の畔を通り過ぎる。計算され、調和のとれた美しい庭だ。日中の華やかさからするとくすんで見えるが、月明かりの下の花々は幻想的だった。
 時間は存分にある。ヒルムングはそう自分に言い聞かせながら足を進めた。本日の宴は特別のものだ。その分、来客数も多い。一人姿を消したところで気付かれまい。
 仮に後でいなかったと言われれば、適当に言い逃れればいいのだ。そうしても信じてもらえるくらいに信頼されているはずだ。
 だが、孤独な夜の散歩はヒルムングの意に反して長くは続かなかった。
「王さんじゃないかね」
 がさりと音がした直後に驚いたような老人の声が背にかかり、ヒルムングは足を止めた。
「こんなとこにいていいんかね?」
 気安い声は徐々に近づき、ヒルムングは振り返る。見知った姿がそこにあった。
「同じことを私は言いたいね」
 顔の作りは厳ついが、笑みを浮かべると愛嬌のある老人だ。ヒルムングの言葉に大仰に見開いた瞳はくりくりしている。
「わっしがいようがいるまいが、誰も気にしまいよ。王さんがいなけりゃ、みんな気にするだろうがね」
 老人の身を包む服は真新しく、ほんの少しも似合っていない。「こんな服は窮屈でいかんだぁよ。あんな場所もわっしは好かん」続けて老人は服の端を引っ張る。
 普段は作業着を着ている庭師の長だ。ヒルムング自身が贈った夜会着だが、着慣れないためか居心地が悪そうだった。
「王さんの命令がなけりゃいかんかったし、その王さんがいないところにわっしがいる必要もない。違うかね?」
「追ってきたのか?」
 ヒルムングは目を見張った。にわかに信じがたかったのは、相手が長く気配を殺せるとは思えなかったからだ。
「いんや、まさか王さんが宴会を抜け出したなんて思ってもおらんかったよ。わっしも別口で逃げ出して、王さんの姿が見えたから声をかけたんだぁね」
「なるほど――」
「よそさんからもお客が来てたんじゃなかったかぃ? お相手せんでよかったんかな」
「私がしなくても、誰かがするさ」
「それはそうかもしれんがねぇ」
 何か言いたそうな庭師は、結局何も言わずに黙り込んだ。
「大仰なことをする気はなかったのだ、私は」
「うんむ」
 しばしの沈黙の後にヒルムングが言い訳じみてささやくと、言葉少なに庭師は応じた。示し合わせたように同時に二人は歩き始める。
 迷いなく向かうのは庭園の奥。しばらく歩んだ二人は同時に足を止める。夜闇の中、月明かりに照らされて淡い紫が揺れている。
 ヒルムングは身を屈め、そっと花に手を伸ばした。
「余計なことだったかね、わっしがしたんは」
 その花はスィーリリアという。
 花の名付けの親はヒルムングで、この世に生み出したのは庭師だ。
 葉は薄く、黄緑に近い色。可憐な淡い紫の花は人の親指よりもやや大きいくらいの花をいくつもつけている。
「余計なことをしたとしたのだとしたら、私でしょう」
 庭師は目を細めて顔を上げる。花に触れた手をそっと放してヒルムングは自嘲した。
「この花は彼女を思わせる。彼女の存在を忘れることが出来ずに、私が世に知らしめた」
 押し殺しているというのに、その声は静かな庭園によく響く。
「それが認められたことは、わっしもうれしいよ」
 庭師は静かに応じた。
「わっしも、妻のことが忘れられんでこれをつくったんだ。王さんの気持ちはよっくわかる」
 スィーリリアは、庭師が妻を思いながら様々な品種を掛け合わせ、時をかけて作り上げた花だった。庭師の妻はすでに亡く、ヒルムングに直接の面識はない。
 だが、その姿を思い浮かべることは容易だった。庭師の娘は母親によく似ていたらしいからだ。ヒルムングの妻は、この庭師の娘だった。その妻も、すでに亡い。
 蜂蜜色の髪に、淡い紫色の瞳――スィーリリアは亡き人の瞳の色を思い起こさせる。母娘して、体が弱い人だったのだ。まさしく可憐なスィーリリアのように儚げでか細くて。
 ヒルムングは庭師と並んで月明かりの下佇む可憐な花を見つめた。お互い思うのは亡き妻のことだろう。
 庭師にも思うことがあるはずだ。庭師も妻も元は北の大陸の人だ。深くは聞いていないが、苦労してたどり着いた異国に骨を埋めることになった妻のことを庭師は今でも想っているようだ。無理をさせたと後悔しているに違いあるまい。
 ヒルムングも同じだった。周囲の反対を押し切り、煩雑な手続きの後に娶ったこと――ヒルムングにとってはこの上なく幸せなことであったが、果たして彼女はどう思っていたのだろう。
 ヒルムングをそのままに受け入れて、優しく微笑んでくれた人だ。幸せだったと言ってくれるとは思っている。
 だが、時折頭の片隅で思うのだ。彼女の死期を早めたのは自分ではないかと。人の上に立つことは、生まれながらの王族であるヒルムングにとっても時に苦痛だ。元は庭師の娘であった彼女には、さらなる重圧だったと思う。
 考える度にヒルムングは身もだえしたいような苦しみを覚える。
 だが、彼女以外の誰かと共にある自分も、自分以外の誰かと共にある彼女も想像できないし、したくないのだから仕方ない。そう結論づけるのが常だった。
 同じ思いを抱えた二人は身分の違いを超えて分かり合う。
 煩雑な手続きの末に庭師とヒルムングは公的には雇われている者と雇う者というひどく薄いつながりしかない。だが、個人的にヒルムングは義理の父に親近感を持っていた。
 国中に花を広めたのは、亡き妻を思わせる花が広まることによりその気配を近く感じ取るためだ。庭師が花を作り上げたのも同様の理由だろう。
 国中に遍く花は見られるようになり、その末にヒルムングはスィーリリアを国花と定めた。
 今宵はその宴だった。城も、城下も――さらには国中の町や村すべてが、一夜の祝いの宴に沸いているはずだ。
「王さんもわっしも同じことをおもっとる。それがわかって、何を言う必要があるね」
 それがこの日になったのは、強硬な周囲の意見にさすがのヒルムングも抗いきれなかったからだ。
 亡き王妃を彷彿とさせる国花なのだから、その制定日は王妃の命日がふさわしい――理路整然とした意見には一理あり、感情を理性が制した。
 静かに亡き人を偲びたかった、それが飾らないヒルムングの本音だ。
 本音を押し隠し、城はおろか国中すべてに祭の触れを出し、さらには他国にまで招待状を出し準備を整え、最初だけ宴に顔を出しただけでもかなり譲歩したのだ。
 宴を抜け出すくらいは許されるだろう。
 花を生み出した功績をもって城の宴に招いた庭師が同じことを考えて抜け出すのも道理だった。
 謝罪は求められておらず、だからヒルムングは何も口にしないことにした。臣下に頭を下げることも、暗闇に紛れた今、他に誰もいないここでは許されるだろう。
 庭師はそれを見ないふりで受け流す。
 宴の喧噪は遠く、そして朝もまだ遠い。日中は忙しなく騒々しく過ぎていったけれど、今日はまだしばしある。
 二人は黙り込んで、亡き大事な人の好きだった場所でその人を忍びつつ瞳を閉じた。

 物書き交流同盟 様の一周年記念祭りに参加した作品です。

2007.08.22 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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