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ごほうびははつもうで

「ご褒美は、初詣がいいです」
 ベッドの上に正座して、携帯に告げる。電話相手のにーさんは少しの間絶句した。
 年の瀬も押し迫った、クリスマス当日。
「初詣?」
 びっくりしたような声に、私は一つうなずく。うなずいただけじゃわからないってすぐに気付いて「ですっ」と力強く返事したら笑われた。
「というか、その」
 にーさんをうなずかせるための、あんちょこメモに目を落とし、私は恐る恐る話を続ける。
「除夜の鐘も撞きたくて」
「えええ? それって、理実ちゃん、夜中ってこと?」
「そーゆーことになります」
「そーゆーことって、あのねえ」
 にーさんは電話先で困ったようにうーんとうなった。
「他に誰か誘うの?」
「え、ええと、特には」
 メモすることさえ思いつかなかった、見事に予想外のにーさんの返答に私はついどもってしまう。
 予想外ってのはちょっと嘘。二人きりがよかったから、誰かを誘うなんて気は最初からなかったんだけど。
「――駄目、ですか?」
 ぎゅっと携帯を握る手に私は力を込めた。
「夜は危ないから一人じゃ駄目だって親は言うし、だったらついてきてって言ったら寒いからって嫌がるんですよ。かといって、他に誘えるような人はいないし」
「うーん」
 にーさんはうなって、うなって、しばらくうなりにうなって、その後でようやくうなずいてくれた。



「よし。理実ちゃんには何かご褒美をあげないと」
 にーさんがそう言ったのは、昨日。慌ただしいクリスマスイブが終わった後だった。
 私と言えば、お土産にケーキまでもらってほくほくしてたから、唐突な言葉にびっくりした。
 クリーミーブランの期待の新星であるパティシエ・篠崎さんの作ったケーキは、そう大きくはなかったけどおいしそうな生クリームとイチゴできれいにデコレーションされていて見るからにおいしそうで、帰って食べることばっかり考えてたから。
 クリーミーブランはウチのカフェの系列店。その上、篠崎さんはにーさんの高校の先輩で、それってつまり私にとっても先輩ってことになる。そのご縁で、なのかな?
 篠崎さんは今年、普段働いているお店からごっそりと道具を持ち込んで、にーさんが経営するカフェ・リリーフで朝から晩までケーキを作っていた。
 にーさんはなかなかのやり手だと思う。言ってみれば仕事馬鹿。常日頃から、店が繁盛するにはどうしたらいいかって考えてる。
 クリスマスに先輩を借りて、カフェをクリーミーブラン出張所のようにしたのもその一環。クリーミーブランって言えばこの辺りではちょっと名の知れたケーキ屋だ。
 目論見は成功して、そんでもって人手が足りなくなって、私に電話がかかってきたのはお昼のちょっと前。
 ちょうどうまいことイブが休日にはまったものだから、予想以上の人手だったらしい。にーさんとバイトの人美さん、呼び出されてやってきた私とで慌ただしく働いてもまだ忙しかったくらいだから。
「大丈夫ですよー。暇してたし。ケーキまでもらっちゃったし」
「いやいやいや、そういうわけにも。いくら忙しいからって受験生をこの時期呼び出すのは間違いだった気がしてきた」
 にーさんは真面目な人だ、と思う。
 同じ学校を卒業したんだから、内部進学のことくらい十分知っているはず。
 私はそれなりに真面目に授業を受けてたし、成績も悪くはないし、内部進学枠に十分滑り込めるとお墨付きをもらってる。試験もあるにはあるけど、面接と小論文が主だし、受験生と言われるほど受験にまみれて勉強はしていない――全くしないわけには、もちろんいかないけど。
 忙しい時くらいバイトしますよって、ずっと言ってたし。にーさんが女っ気一つなく仕事に明け暮れている姿を見て何となく安心もできたし、クリスマスに一緒に何時間か過ごせただけでも私的には十分ご褒美。
 だというのに、にーさんはひとっつも譲らずに強固に「ご褒美を」と言い続けた。その言葉に酔っている節さえある。
「何か適当にいっとけば? 何かしてやりたいって言ってんだから」
 私とにーさんの攻防を見飽きたらしい人美さんが呆れたように口を挟んできて、ええいこのシスコンめがと、続けてぼやいていた。
 にーさんにはお兄さんしかいない。で、昔から妹が欲しかったとか聞いたことがある。元バイト――進学が決定したら復活する気満々だけど――の私がちょうどいい妹代わりに見えるって寸法。
 私も姉さんしかいないからお兄さん代わりってところは多少あるのかも。だからにーさんにーさんって、それらしく呼んでみたりしてるんだから。
 人美さんに後押しされて、ご褒美ねえと私はうーんと考えたわけだ。妹がお兄ちゃんにお願いするようなご褒美って何ですか?
 で、思いついたのが、初詣だったわけ。
 お金がかかるような図々しいこと言えないし、初詣なら季節もの。ごく自然ににーさんと初詣できるなら、一年間幸せに暮らせる気がする。
 好きな人と一緒に年を越せるなんて、すごく幸せなことじゃない?
 稼ぎ時のクリスマスが過ぎてしまうと、ウチのカフェは割とすいているし、仕事が大好きなにーさんも年末年始はさすがにお休みする。だから夜更かししても大丈夫だと思うし。
 にーさんの彼女なる存在について考えたことがないわけはないけれど、とりあえず今のところは、そんな存在はいない。
 そのことは会話の端々からわかってるし、だから一日めいっぱい悩んだあとで私も勇気が出せたというわけ。
 渋々といった様子は電話先から伝わってきたけど、うなずいてくれたわけだし。たぶんもうしばらく彼女かそれに近い誰かはいないんだと思う。
 私は電話を終えると肩の力を抜いて、ばたりとベッドに倒れ込んだ。



 にーさんと無事約束をしてからは、一日一日大晦日までの残り日数を数えて過ごした。
 その間にウチの親は若い男女が夜中に出掛けるなんてと渋い顔をしたけど、だったらにーさんの代わりについてきてくれるのって聞いたらあっけなく折れた。
 にーさんのこと、全く知らないってわけじゃないし、にーさんが真面目な人だってことはよく知ってるんだもん。
 私がにーさんにーさんって慕ってるのを見れば、間違いはないだろうって思って諦めたってのもあるかも。
 うん、まあ――完璧妹扱いだし、心配するほどのことはなーんにもないんだけどさ実際。
 友達と買い物に出て大晦日用にちょっと背伸びした服を買おうかなと思ったんだけど、親に再び警戒されたら元も子もないわけで諦めた。
 残念だけど、それはまあ仕方ない。
 ジーンズにセーターでもいいじゃない。どうせ寒いからコート羽織るんだし、着飾っても見てもらう機会がないなら一緒。そう自分に言い聞かせたら諦めがつく。
 大事なのは服じゃない。にーさんと二人きりで!
 一緒に新しい年を迎える!
 そこが大事なのよ!



 何かと忙しない年末だから、大晦日なんてすぐにやってきた。他の受験生には申し訳ないけど、内部進学狙いの私は結構気軽で、大晦日の一日は勉強にも手を着けずにそわそわと過ごした。
 今日は、にーさんが迎えに来てくれることになってる。
 真面目なにーさんだけあって、ウチの親の心配を見越して挨拶に来てくれるんだってさ。それを聞いて逆に心配されたんだけど。
 約束通り午後九時きっかりににーさんは我が家にやってきた。母さんと二人で迎えに出て、居間に戻るとテレビを見てたはずの父さんはそんなことおくびも出さず、テレビさえ消してこっちを注視してた。
「こんばんは」
 テレビが消えてるもんだから交わす言葉以外に何にも音はない。どこかピリピリとしてる空気ににーさんは困った顔をした。
 私も困ってるし、ちょっと待ってよと言いたかった。こんな父さんは何度か見たことがある。姉さんが初めて旦那さんを連れてきた時と、結婚式の時。娘を持って行かれそうになってる父親って空気?
 母さんがあまりのことに目を見開いて、でも何でもないようににーさんに座るように勧めてキッチンに向かう。それを追いたいのは山々だったけど、そういうわけにもいかずに私は二人の間に入り込むようにコタツの一面を占拠する。
 ねえ父さん。にーさんはバイトの女の子のわがままに付き合ってくれる良い人ってだけなんだけど。そんな簡単な一言が言えない。にーさんは緊迫した空気に困り切って黙り込んでる。
 静かな時間がどれだけ過ぎたんだろう。母さんがお盆を手に戻ってきたことで均衡は崩れた。
「はい、どうぞ。外は寒かったでしょ」
「あ、どうも」
 温かいお茶ににーさんの顔が綻ぶ。
「ごめんなさいねえ、理実がわがまま言ったみたいで。去年友達が彼氏と神社で年を越したって聞いたところから変にあこがれたみたいなのよ」
「ちょっ、母さん!」
「だからこの人も変にピリピリしちゃって」
「父さんを余計に煽るのやめてよ! 大体最初に一緒に行ってって言った時に嫌だっていったの忘れたの?」
 順に睨み付けると母さんは苦笑して、父さんは苦い顔になった。
「まあ、そうなんだけど、な」
「それはそれ、これはこれよねー」
 母さんは絶対面白がってる。父さんはそんな母さんにいいように操られてるようだった。
 付き合うのも馬鹿らしくなって、見るからに反応に困ってるにーさんを私は促した。
「今日はよろしくお願いします!」
「え、あ、そうだね、うん」
 ぴょこんと頭を下げてみせると、要領を得ない返事をしてからにーさんは一気にお茶を飲み干した。
「ではお嬢さんをお借りします。御津賀まで行きますけど……一時頃までには戻れると思います」
 すっと立ち上がって、にーさんは几帳面に父さんに告げた。何とも言えない顔で父さんは一つうなずく。その横で母さんが何かを言いかけるけど、また煽るようなことだったら困るからにーさんの背を押して居間から逃げて、コートを引っかけて玄関を出る。
 ばたんと扉を閉めて、ようやく人心地ついた。寒くて震えながらコートをちゃんと着る。
「理実ちゃんのところって……家族みんな面白いよね」
「言わないでください、事実でもへこむんで」
「や、褒め言葉なんだけどね」
「そーは思えません」
「そっか」
 にーさんの言葉は、本当に事実でもへこむ。
 家族みんな面白い……って、私も面白いとか思われてるんだろうか実は。
 ――何となく思われてる気がする。
 軽い気持ちでご褒美とか言ったのはいいけど何で初詣なんだよ、とか。思われてそう。すっごい思われてそう。
 気を回して初詣行きますよーの挨拶を申し出たら父さんが「娘は嫁にやらーん」な空気を醸し出してるし。そんな気はないのに母さんは無駄に煽るし。
 そりゃ、変だよねえ。うん、変だ……考えれば考えるほど変だよ……。
「にーさん、ごめんなさい」
「えっ、何で謝んの?」
「なんだかとっても申し訳なくて」
 びっくり眼で問い返されても、それ以上の理由はない。
「謝ることはない気がするけど。そもそも、クリスマスにお世話になったお礼なんだし、今日は」
「バイト代とケーキだけで充分、だと思いますけど」
 おねだりしちゃった引け目がある分、きっぱりとは言い切れない。にーさんは苦笑して「それじゃあ足りないしねー」って答えた。
「充分、デスケド」
「いやいや。せっかくのクリスマスイブをつぶして申し訳なかったと思ったし」
「あっさりバイトできるくらい完璧に予定がなかったので問題なしです」
「それを断言するのはどうなんだろう」
「今日だって、それこそ彼氏の一人や二人いたら他に誘ったんですけどねー」
「二人もいたら困るけど」
 冷静なにーさんの突っ込みに私は素直にうなずいた。
「それに、俺じゃなくて本物の彼氏と年越して初詣なんて言ったら――理実ちゃん出してもらえなかったと思うけど」
「うん、そうですね」
 にーさんは憎々しいまでに冷静にそんな風に指摘してくださる。
 ちょっとはアピールしてみようと思ったけど、ちょっと遠回しすぎたかな。これはドキドキなシチュエーションなのですよと言ったつもりなんだけど……気付いてない、よねえ。ううむ。
 にーさんと並んで歩く間に何くれとなくしゃべり続けて突破口を探すけど、さっぱり見つからない。にーさんはひょっとして鈍い人なのかと考えてみたけどカフェを順調に経営してるにーさんに限ってそんなことはあり得ない。
 だとすると……私は妹扱いで、端っから目に入ってないんだろうなあ。
 気付いてしまったのは最初からわかってたと言えばわかっていたことで、でもわかっていても落ち込んじゃうわけで。
「寒い?」
 勢いをなくして黙り込む私ににーさんは心配そうに尋ねてくる。
「そりゃ冬ですから」
 吐く息も白くて、揺れるように空へのぼっていく。晴れているけど、星はそう多くない。鷹城市は割と都会だから、明かりの数が多いんだ。これがもっと光源がないところで、満面の星空だったらもっとロマンティックな空気になったかな?
 ――多分。きれいだねー、そうですねーで終わっただろうな。にーさんと私の関係は、雇い主とバイトの女の子かあるいは兄的存在と妹的存在というものでしかないんだし。
 私がにーさんにあこがれるのはあり得るけど、にーさんが私に惹かれるなんて――まず、ないよねえ。だって社会人と高校生だもん。その辺、敷居が高いよね。年の差八つだもん、下手すればロリコン扱いだもん。
「そういや、御津賀は大晦日に豚汁用意してくれてるらしいよ」
「――豚汁?」
「そう。一人一杯、先着順らしいけど。除夜の鐘撞ける時間に行ったら確実に食べられるんだって」
「はあ」
「ちょっとは暖まると思うよ」
「よく知ってますねー」
「兄貴に聞いた」
「へえ」
 大晦日の神社で豚汁かあ。確かに、ちょっと暖まりそうな気がする。想像すると、ちょっとわくわくしてきた。
 食欲が刺激されたって訳じゃなくて、にーさんとこんな特別的な日に一緒にいて、ちょっと特別なことが出来るってことにだ。
 今は見込みがなくても、この先どうなるかわからないじゃない。年の差はどうにもならないけど、高校生と社会人はちょっと聞いてどうかと思われそうでも、大学生と社会人なら……ねえ?
 ちょっとはにーさんの対象に入れそうじゃない?
 よーしと拳を握るとにーさんが苦笑した。
「理実ちゃん、張り切りすぎ」
 その妹の行動に呆れる兄的な言動が出来るのも今のうちだけなんだから。
「そんなことないですよ!」
「そうかなー」
「そうなんです」
 今はこうでも、来年は違うんだから。
 世間が休日の時もお仕事してて、クリスマスとかバレンタインとかそういう女の子が喜ぶイベントの時ほど稼ぎ時のにーさんにそれでもいいって人が現れることなんて、多分そうないんだから!
「あ、そうだ。進学が決まったら、約束通りバイト復帰させてくださいねー」
「それは助かるよ」
 にーさんがうれしそうににっこり笑ってくれたから、今はそれでよしとしよう。約束ですよっと指切りをしようとするとそれはすぐ苦笑に変わったけど。



 神社に着くと、豚汁をすすりながら除夜の鐘の順番を待った。並んでるのは家族連れとか年配の夫婦もいたし、カップルもいた。
 端から見れば私たちはどう見えるのかな?
 兄妹に見えちゃうのかなやっぱり。カップルに見えたらいいんだけど。
「もう少しで今年が終わりますねー」
「そうだね」
「にーさんは神様へのお願い、決めてきました?」
「もちろん」
 まずはにーさんって呼ぶのを止めないと、話を聞いたら兄妹としか思えないよねえ。ああ、でも敬語がそれっぽくないかなあ。うーん。
「理実ちゃんは?」
「決まってますよー」
 無事進学できますようにと、にーさんが私を意識してくれますようにと。ひとつめは努力で何とかなっても、ふたつめはそれだけじゃどうにもならないから切実。
「叶えばいいね」
「にーさんのも」
 にーさん本人が言葉だけでも応援してくれたから、少しは見込みがあるって思うことにしよう。私はにっこりとにーさんに微笑みかける。
 願わくは、来年の今日はご褒美じゃなくて自力でにーさんを誘えますように。
 私は決心も新たに自分に気合いを入れる。ようやく回ってきた順番に腕まくりして鐘に合掌したあと、ゴーンとひとつ鐘を撞いた。
 神様へのお願いが叶ったのか、私の努力が実ったのか、私がにーさんとおつきあいができるようになるのはもう少し、未来の話。

2007.12.30 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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