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世界の未来で少女は語る

 キータッチの軽やかな音が聞こえる。気付いた瞬間に公博は目を開けた。見慣れない天井はコンクリートの打ちっぱなし。無機質な冷たさを感じて身震いした。
 どこだと自問しつつ胸元に目を向ける。清潔とは言い難い元は白かったであろう布団が掛けられていた。身を起こさないまま周囲を見回すと、やはり清潔感に欠けるカーテンがぐるりと公博が眠るベッドを囲んでいた。
 まったく心当たりのない場所だ。
 病院ではないかと思ったが、公博は瞬時に却下する。ベッドにカーテン――周囲の状況は条件に合うが、いかんせん清潔感が足りなすぎる。心なしかカビくさいから病院であるわけがない。
 次に思い浮かんだのは学校の保健室。だが公博はそれもすぐに振り払った。学校に縁がなくなって何年も経つ。今更保健室にいるわけがない。
 一番新しい記憶を公博は探った。寝起きの頭は霞がかっていて、すぐには思い出せない。心なしかズキズキする気がした。
 二日酔いかと訝りながらとりあえず身を起こし、彼は頭を振った。軽やかなキータッチは公博が目覚めたことに気付いた様子もなく続いている。
 公博は普段飲まない。弱いからだ。なのにらしくなく酔っぱらって、誰かに介抱されたのだろうか……いくら考えてもさっぱり思い出せない。
「あっ」
 眉間にしわを寄せながら考えていた公博は、キーを叩き付けるようなひときわ大きい音が聞こえたことが呼び水となりはっと思い出した瞬間声を上げた。
 声に気付いたらしく、キータッチの音がぴたりと止んだ。そんなことに気付く余裕もなく、公博はずりずりと身を引いた。ドンと背中が壁に当たる。
 最後の記憶が蘇った――酒に強くない。だから記憶の最後もやはり飲んではいなかった。
 何がその時あったのか、正確にはわからない。確実なのは仕事帰りの夜の道、誰かに背後から襲われたことだけだ。後頭部を殴られたような衝撃を最後に記憶が途切れている。
 カーテンの向こうにいるのは、だから夜道で公博を襲った何者かのはずだ。気絶したふりをしてりゃよかったと内心舌を打つ。
 嫌なことを先送りにしたいがための思考の間に誰かが立ち上がる音がして、それからすぐに目の前でカーテンが割れ、落ち着いた色の光が目に飛び込んできた。公博は思わず綿布団を引き寄せながら唖然とした。
 現れたのは、白衣を着た少女だった。夜道で背後から人を襲いそうには思えない、公博よりいくつか年下であろう少女だ。
 梳いてはいるのだろうが所々跳ねている髪は肩よりやや短く、その跳ね方はおしゃれなのかどうなのか判別しがたいレベル。化粧っけのない顔の作りは素のままで充分見られるもので、ごてごてと塗りたくる同年代の少女に比べればよほど公博の好み。白衣の内側はTシャツの下にホットパンツを身につけていて、白衣の間から目の毒になりそうな白い太ももが見える。胸は大きくないが、まあまあ均整のとれた体つき。
 何故白衣なのかが気に掛かるが、それ以外はごく普通の少女だ。観察すればするほど夜道で人を後ろから襲うような人間には見えなかった。
 だとすれば、彼女は襲われた公博を救ってくれたのだろうか――どちらにしても、この少女にそれが出来るとは思えなかったが、金を奪うために襲った後犯人が公博を放置した可能性がある気がした。放置するよりも、実入りの少なさに逆上する可能性の方が高い気はするのだが、実際は後頭部以外に痛みはないのだからそうではなかったのだろう。
「起きたの」
 一通り観察した後で首をひねりつつ顔を上げると、そこでようやく少女が口を開いた。涼やかな声は無感動で、人を突き放すような声色は少女は襲った方なのかと公博の疑念を再熱させる。
「お、おう」
 どちらにしろ警戒しつつ、公博は一つうなずいた。
 体力に自信もなく体格にも自信がない公博だが、それでも少女よりは充分体格がいい。少女が襲った側にしても、一人で公博を運ぶのは無理だろう。
 細く開けられたカーテンの向こうに仲間がいるのかと意識を集中しても、いるのかいないのかよくわからない。かすかにパソコンの機械音が聞こえるだけだから、誰もいないような気はした。
 公博は少女を観察したが、観察された少女の方も逆に公博を観察している――少女に視線を戻した公博はそのことに気付いた。
 少女は襲った方なのか、それとも救った方なのか。未だにズキズキと頭が痛むせいで、その二択しか思いつかない。そのどちらであるかによって、言うべき言葉が決まるのだろう。少女も何も言わないので、沈黙が部屋に満ちた。
 少女の眼差しは熱いというよりは、先ほどの声と同じくキンと冷えたようなもの。次第に居心地が悪くなって公博は身をよじった。
「気分はどう?」
 気付いた少女が問いかけ、
「頭が痛い」
 反射的に公博は素直に事実を告げる。そう、とやはり無感動に少女はうなずいた。
「よくある症状ね。半日もすれば治まるわ」
「はあ」
 少女に白衣は違和感があるが、口にした言葉はまるで手慣れた医師のもののように公博には聞こえた。曖昧にうなずいて内心首をひねり、やはりここは病院なのかと思う。
 少女が少女でなく化粧嫌いで童顔の女医だとすれば、清潔感が欠けてうら寂れた雰囲気だがここは病院なのかもしれない。
「俺はどうしてここに?」
 疑惑が薄れたので公博は尋ねた。少女ははじめて表情を少し変えた。
 そっと目を伏せて、まっすぐだった視線をそらす。重ねて公博が問おうとした瞬間にため息を一つ落として言葉を封じ、カーテンをゆっくりと大きく開いた。
 遮られていた視界が開けて、部屋の全貌が露わになる。やはり病院のような雰囲気をその部屋は持っていた。
 広さは大きくても八畳ほどだろう。狭くはないが、広いわけでもない。なんとなく大部屋のベッドを想像していた公博は予想外に狭い部屋に驚いた。
 ベッドとそれを仕切るカーテンの他にあるものはといえば、パソコンの置かれたデスクと本棚くらいだった。やはり元は白かったのであろう汚れた壁紙に清潔感はまるでない。
 公博の右手側に銀色の取っ手を持つ引き戸があり、その正面――左手側に窓があった。すすけたレースのカーテン越しに灰色の空が見える。レースも当然のように薄汚れているが、それとは関係なく暗いようなので、天気が悪いのか夜が迫っているのだろう。
 周囲の様子を確認している間に少女は身を翻してデスクの前に腰掛け、回転椅子をギシギシ回すようにして公博に視線を戻した。
「あなたは間引かれたの」
「は?」
 そうして突然に涼しげな声でさらりと告げられた言葉に、公博は間の抜けた声を上げた。
「まびき……間引きッ?」
 オウム返しをした後に、言葉の持つ意味に気付いて声を張り上げる。
「ど……どういう意味だよ。間引きって、それに俺は生きてるし、どういうことだ?」
 公博はベッドから降りて少女に詰め寄った。
 あなたは間引かれた――野菜を間引くのとは訳が違う。人間に対してそんなことを言うとは何事か。昔はあったようだが、今の時代そんなことがあるはずがない。
 自分は死んだのだろうかと自問して、公博が導き出した答えは否だった。死んだことがないのでわからないが、辺りの何もかもにリアリティがありすぎる。
 白衣の少女の姿をした死神なんて聞いたこともないし、死後もなお後頭部への痛みを感じるのはおかしい。死因が後頭部の殴打だから残っているのかもしれないが……。
 まとまらない考えが頭をよぎるが、結局はやはり自分は死んでいないのだと公博は結論づける。
 少女は「あなたは死んでいるの」とは口にしなかった。詰め寄られたことを気に掛けた素振りもなく、話を続ける。
「間引きシステムと呼ばれていた計画の実験体としてあなたは捕らわれた」
「――間引きシステム? 実験体?」
「計画の詳細は失われているけれど実行された。だからあなたはここにいるの」
 くらりとしたのは頭痛のせいばかりではない。少女の言葉はさっぱりわからないし、公博の理解を求めているようにも聞こえない。
「……長い話になるわ」
 少女は目を伏せて呟いて立ち上がり、そっと窓に歩み寄った。
「ここは、あなたがいたよりもずっと未来」
 薄汚れたレース地がふわりとひらめいた。予想通り窓の外は暗く、そして――。
「未来、だと……?」
 外の景色は少女の言葉を裏付けるかのようだった。
 どんよりと空は曇っていて、合間からわずかに光がのぞくだけ。大地は――建物群は荒れ果て、何もかもがくすんだように色がない。
 かすれた声で漏らした公博は窓に駆け寄った。何かの間違いだ、これは夢だと言い聞かせながら外を見る。
 風はぬるく、緑は見えない。全てが公博の知るものと趣を違えている。まるで廃墟のような様子を見て公博は我知らず身震いし、じりじりと後ずさった。
 現実だとはとても思えないのに、何もかもが夢のようにあやふやでない。ぎりと噛みしめた唇に苦い痛みを感じて、公博は愕然と膝を落とした。公博の体を鈍く受け止めたベッドもやはり現実のものとしか思えない。
 頭がおかしくなったのかもしれない――意味もなく叫びたくなったが、少女のまっすぐな眼差しが公博を冷静にさせた。
「なにがどうなって、こうなんだ……」
 素朴な疑問は力なく小さい声だったが、少女には聞こえたらしい。彼女はゆっくりと窓から離れ、元のようにデスクの前に座った。
「掻い摘んで話すわ」
「ああ」
 長々と語られても理解しきる自信がなく、公博はありがたくうなずいた。
「終末的な思想に囚われた科学者がいて、彼はいずれ人の世に終わりが来ると信じていた」
「科学者の割に、ナンセンスだな」
「人の世に終わりが来るとしたら、その時に必要なのは便利な生活に慣れた若い人間の力よりも、古き良き時代を知る老年者だと彼は考え、時代のお荷物だと国に見捨てられかけていた彼らを救うことを考えた。それが間引きシステムの出発点よ」
「救う割に、間引きかよ」
「ネーミングセンスには欠けていたようだけど、彼は稀代の天才だった。後の世のためになる人材を選別し、それを残す仕組みを作った――その詳細は科学者と彼に賛同した者以外に伏せられていたから今の世ではそれがどういった造りをしているのかわからないけれど、端的に冷凍睡眠と言えばおおよそ正しいと思う」
「冷凍睡眠……」
「コールドスリープの方がわかりやすい?」
 首を傾げる少女に公博はゆるゆるうなずいた。
「あなたはそれを施されて、今――あなたにとっての未来に目覚めた」
 少女の眼差しは真剣そのもので、嘘を言っているようにはとても見えない。だけど突拍子のないことを、一度に飲み込むのは不可能だった。
「何で俺がそんなことをされたんだ。俺は若いし、その科学者とやらが選ぶ根拠も何もない。知識もなければ経験もないし、どちらかと言えば出来が悪い」
「計画の実験には、世に影響のない人間を使ったのだと思う」
 冷静な少女でも言い難いことはあったらしい。わずかに同情の交じる声は公博を情けない気分にさせ、そして胸の内に暗いものを生んだ。
「なんで、俺だ?」
 怒りを抑えつつ公博が絞り出した声に少女は身を竦める。
「私には、わからない」
「世に影響を与えるとはとても思えないような俺が、何があったか知らんがその科学者が言うとおりに滅びかけている時代に目覚めたのは何でだ?」
「計画は実験段階で頓挫したわ――不測の事態がそうさせたの。だけど実験体は一部残った。その実験体を、システムは気まぐれに放り出すの」
 公博はため息を落とした。少女の言葉はあまりわからない。あえてわからないように言っているようでもある。
「残った実験体とやらを全部廃棄するか全員一度に起こしちまえばいいのに」
 眠ったままでいられたならば余計なことを知らずに済み、ぞっとはするが廃棄されたとしても余計なことを知らずに済んで幸せだったろう。目覚めるにしても同士がいたならばいくらか救われたかもしれない。
 わかった範囲で主張すると、少女は緩やかに頭を振った。
「計画の詳細を知る人間が存在しなくなったから、無理ね」
「人を背後から襲って強引に眠らせるようなイカレタ科学者の計画が失敗した世の中が、希望に満ちあふれていないようでよかったとでも言うべきか?」
 断言されて公博はいらだち紛れに吐き出した。
 夢だろう夢であってくれ――願う気持ちとは裏腹に、目に映る何もかもが現実味を帯びていて、それは先ほどからちっとも変わらない。
 頭痛は少し治まった。ここが遠い未来だというのならば、頭痛の原因は襲われたことでなく冷凍睡眠とやらの後遺症なのだろうか。訳のわからない技術の後遺症と思えば気に掛かるが、治まりつつあるのだから大丈夫だろう。
「――俺はどうすればいいんだ」
 胸の内はもやもやして、思考がまとまらない。
 意味もなく未来に放り出されたイカレタ計画の実験体――自分に大層な価値があるなんてこれまで思ったことはないが、少女の言葉は胸に鋭く刺さった。
 嘘でも美辞麗句を並べてくれればいいのに。ふと思った愚にも付かない考えを公博は振り払った。お義理で「あなたは世界を救うためにこの時代に来たの」なんて言われても、何かが出来るわけではない。
 公博はただの一般人で、特記するような技術を持たない。荒廃した未来の世界で最適な選択を出来るような頭もない。
 公博はばたりとベッドに倒れ込んだ。
「とりあえず、寝る。夢オチだったら考えるだけ無駄だからな」
 宣告して、公博は薄い布団を頭まで被った。
「夢じゃ、ないわよ」
 布団越しに聞こえた少女の声は冷静かつ重いもの。夢のないことを言うなと内心ごちて、公博は目を瞑った。
 夢だったら万々歳、現実だったら出来ることを考えよう。「アダムとイブにならないか」と少女を口説くことから始めようか。外の様子を見る限りおそらくは人口が激減している世だろう。復興のためには人手が必要だと続ければ、これまでもてた記憶のない公博でも案外口説けるかもしれない。



 公博は我知らずにんまり笑い、つかの間の夢に身を投じた。

2008.07.30 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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