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2.

 そして、近所のスーパーでチョコとたまごとケーキ用のマーガリンを多めに買い込んで、私の家でケーキ型とハンドミキサーをとって綾の家に向かった。
 重い荷物をすべて引き受けた先輩はとてもいい人だと思う。
「そんじゃ、まず試作しましょーか」
「おー」
「綾、見物に走らない。えーっと、まずケーキ型にバター塗って。小麦粉ふって」
 無責任に椅子に座り込もうとした綾は「はーい」と素直に立ち上がった。
「僕は何をしよう」
「先輩はゆっくりしていてください。荷物持っていただいたのでとても助かりました」
 材料をはかって、わかるように置いて、綾が作業を終えるのを見計らう。
「よし、じゃあチョコ刻んで」
「え、刻む?」
「それから溶かすよ」
「うええええ」
 綾は心底嫌そうな声を出した。
 包丁とまな板の上に乗ったチョコを恐る恐ると言った様子で見る。
「本気で?」
「うん」
「最初から細かいのって売ってなかったっけ?」
 バレンタインコーナーに堂々と入り込んでいた勇者・先輩が言うのを驚いたように綾は見た。
「そんなのあるの?」
「あるけど、割高だよ。たぶん」
「手を切るよりそっちがいいよ……」
「そう?」
「うん。試作のはゆいが刻んでー。焼いてる間にそれ買ってくる」
 仕方ない。私は袖を上げて包丁を持った。
 チョコレートは刻むとざくざくいい音がして、私としては結構楽しい。甘い香りが漂ってくる。
 ざくざくざくざく。細かく刻んで、ボウルにいれる。
「すごーい」
 こんなので感心されてもな、とは思うけどほめられて悪い気はしない。
「えっとそれから湯せん……お湯!」
 あわててやかんを火にかけて、温まるのを待つ。
「60度とか書いてあるけど、温度計ないよ」
「その辺は気合いでカバーだ」
「無理だよっ」
 そんなことを言い合いながら、お湯を一回り大きいボウルに入れて、チョコを溶かす。
 同時進行で溶かしておいたバターをそれに加えて、別のボウルで卵黄とグラニュー糖を泡立てて泡立てて、チョコレートをそれに加えて……。
 本の通りに作ったら、作業はまあまあ順調だった。 
 ハンドミキサーがあれば綾でも卵白を簡単に泡立てることができる。
 ふるった小麦粉を混ぜて、さっくりメレンゲと混ぜて、型に流し込む。
 温めていたオーブンに型を入れてセットしてしまえばあとは待つだけだった。
「意外と、簡単な気がする?」
「思ってたよりもスムーズだったねえ」
 私と綾は顔を見合わせた。
「包丁とか使わない分お菓子って簡単?」
「分量間違えると即失敗だけど」
「お菓子づくりならいける、そんな気がしてきた……」
 綾はちょっと自信を持ったらしい。うきうきとオーブンをのぞき込んで、タイマーを見て、時計を見てを何度も繰り返す。
 食べれないお菓子を作っても、とかスポンジケーキを飾り立てるのは駄目そうだ、とかは言うべきじゃないんだろうな。
「これが焼けて良さそうだったら次本番で!」
「そだね」
「って、チョコ買ってこないと」
「刻むの楽しいよ?」
「できると思う?」
「他が簡単だと思ったらそれもいいんじゃない?」
 綾はそれもいいと思ったのか再びオーブンを覗きはじめた。気になるらしい。
「いい匂いがしてきたね」
「ですねー」
 道具をいったん洗うことにしてシンクに向かうと、先輩が近寄ってきた。
「手伝おうか?」
「いいですよー。綾につきあってもらっているだけで申し訳ないんですから」
「いいんだよ別に」
「もしかして、暇でした?」
「さっきも言ったと思うけど」
 先輩が苦笑する。私は慌てて首を横に振った。
「今日じゃなくって、今」
 はじめてくる人の家でかまわれることなくぼーっとするのはかなり暇かもしれない。そんなことにようやく気付いて、尋ねると先輩は「あぁ」と笑った。
「見てるのも楽しいかったけど、手持ちぶさたではあったかな」
「ごめんなさい」
「気にしないでいいよ」
 笑顔のまま先輩は続ける。
「持ちつ持たれつだからね」
「どういう条件で綾に協力してくれたんですか?」
 綾に会長の情報を流して、その代償に綾がすることってなんだろう。
 先輩は困ったような顔になった。
「別に何でもいいんですけど」
 強く問うのは気が引けた。どういう条件にしろ、綾が苦手なことに挑戦しようと思うくらいには好きになった人とうまく行くように協力してくれた相手だし、休みの日にまでつきあってくれてるんだ。
「いや、それはね」
 先輩は困ったような顔のままで視線をあちこちにさまよわせる。
「えーっと」
「ちょっと興味があっただけだし、いいですよ〜」
「いやあの」
 優しそうな顔を困ったように歪ませて、ごもごも言う先輩は意外と子供っぽい。
「それだと僕がよくないわけで」
「はい?」
 何がよくないんだろう。不思議に思って先輩を見上げると、先輩は最高に困ったような顔で視線を逸らした。
「笹原さんがね」
「綾が無理言いましたか。かわいいからって気を許したらとんでもないですよ。かわいいから許せるけど」
 ちょっと馬鹿なことをしたって許されるってかわいい子は得だと思う。
「そうだねえ。かわいいけどしたたかだよね」
 先輩はうんうんとうなずいて同意した。視線は綾に向かい、その綾はこっちの様子なんて気付かずにオーブンを見つめている。
 長いこと焼くんだからそんなに見つめなくていいと思うけど、楽しみなんだろう。
「僕に取引を持ちかけてきて、それはまあ、何というかお互いに利するかなと思って」
「優しそうな顔して、先輩もしたたかですね」
 先輩はにっこり笑う。
「笹原さんがいい子だっていうことはわかってたし、海も気に入ってたようだしね」
「海っていうのが生徒会長の名前ですか」
「そう、笹原さんは面白いって言ってたから、くっつくとおもしろそうかなーと、そう思ったからね」
「確かに綾は面白いですね。意外と両思いだったりするのかな」
「そこまでは保証できないけど、悪くないと思う。ただどうも海はためらっている節があって、そんなときにバレンタインに協力して下さいと笹原さんがね」
「そしたら善意で協力してるようにしか思えないんですけど」
 先輩は笑ってそれを否定した。
 否定するのが不思議だ。
「それが違うんだよねえ」
 再び困ったように綾を見て、先輩はため息を漏らした。
「そのかわりに条件があってね」
「条件って」
 そのかわりの条件って、綾がまるで先輩を脅したかのようだ。
「笹原さんは文化祭からこっち、海のことをよく見ていたんだ」
「……全然気付きませんでした」
 まあそれは私が鈍いからだろう。
「海も気付いてなかったよ、あいつは鈍いから。それでもたまには気付いてたけどね。それでまあ、僕らは示し合わせた訳じゃなくよく目を合わせることになった」
「先輩はもしや綾が好きなんですか?」
 だとしたら、やっぱり脅したんじゃないだろうか。毒味で初めて作ったお菓子をあげるから協力して――綾なら言いかねないところがある。かわいいからって許せることと許せないことがあるんじゃないだろうか。
 声を落として、問いかけた言葉に先輩はびっくりしたようだった。
「まさかっ」
 驚きの声は小さく鋭かった。綾に気付かれなかっただろうかと先輩は様子を探って、オーブンに未だ夢中の綾に胸をなで下ろす。
「慌てるところが怪しいですよ先輩」
「違う、それは違うから」
 首をぶるぶる振って、情けない顔で先輩は言う。
「そうじゃなくって、あのね」
 先輩は弱々しく呟いた。視線を綾に固定したまま、先輩は言いにくそうな顔で口を開く。
「――君はきっと覚えてないだろうけど」
「はい?」
「文化祭の時に、笹原さんに協力して頑張ってたよね」
「ええ、帰宅部だしどうせ暇なんで」
「その働きぶりがすごいなあと思って。様子を見に回ってるときに、笹原さんに負けないくらいにリーダーシップをとって頑張っていて」
「ええと、ありがとうございます?」
 何をいきなり言い出すんだろう。先輩はちらりと私を見て、やっぱりすぐに綾に戻した。
「それでさ、気になってたんだよね」
「何をですか?」
「いやあの……」
 口ごもった先輩がようやくまともに私を見た。何となく違和感を感じると同時に、先輩は口を開く。
「君のことが、そのなんというか、好きだなあと?」
「へ?」
「協力してくれるなら、紹介しますよって、笹原さんが。それでまあ、今日も来たんだけど」
「えええええええ」
 感じた違和感は、少し赤い先輩の顔。
「見てるだけじゃ、知り合えないからね」
「正気ですか?」
 だーんと頭を突き抜けていった衝撃が残したのはそんな言葉で、先輩は一つこくりとうなずいた。
「そうじゃなかったら、暇だからってわざわざお菓子づくりの見物に来たりはしないよ。毒味って名目も、ちょっと強引だとは思わない?」
「先輩はすごーくいい人なのか、暇人なんだと認識したんですけど」
「暇なのも事実だし、いい人だとはたまに言われるけどね――実は下心が」
「下心って!」
「変な意味じゃなくて、君と話せるなら来てもいいかなーと。そうじゃなかったら、家でゲームか何かしてる」
「変なゲームですか!」
「ロボットものだよ!」
 打てば響くように叫んだ先輩は顔をしかめて頭を抱えた。
「いや、ちがう、RPGを……」
「ロボットものは恥ずかしいですか……?」
「や、だって、ロボットとか言うと子供っぽいかと……いや、そうじゃなくRPGを」
「恥ずかしがることないと思いますよ」
 確かに子供っぽいけど。
「う……まあ、ゲームの話じゃなくて、そのなんというか、嫌じゃなかったらお友達になってもらえればな、と……」
 先輩が言う声は今にも消え入りそうで、でも気を取り直して私を見る視線は真剣そのもので。
「いやあの、そう言われてもええと」
 返答に困ってしまう。
 よく考えたら「好きだなあと?」って疑問系で言われてもどうなんだそれ。
 ピーッとそのときオーブンが高らかに鳴って、綾が「できたー!」と叫ぶもんだから、私はそっちに駆け寄る。
 いい焼き加減にいい匂い。
 上出来に見えて、綾も満足げだ。
「ちょっとおいてから食べようか。成功っぽいし、第二弾行く?」
「いえっさー」
 綾が冗談めかして敬礼する。
 洗ってひっくり返しておいたボウルを再び準備して、綾はさっきよりはスムーズに作業をはじめる。
 先輩を見ると気にしなくていいよと手を振って、食卓の椅子に再び座った。
 でもさっきとは違って先輩の視線がどうしても気になって、でもそれよりも綾のあぶなかしい包丁さばきも気になって。
 再びオーブンに型を突っ込んだときはなんだか疲れてしまった。綾はオーブンを気にしながら、第一弾の出来映えも気になるらしく食卓にやってきて、それから仕上げに真剣な顔で粉砂糖をケーキにふるった。
 切るのは私の役目。なるべく均等に四等分して、そのうち三つを二等分にする。残った四分の一分は三等分にした。
「先輩は甘いの大丈夫ですか?」
 うなずく先輩を見て、綾のお皿にだけ小さいのをのせる。
「いただきます」
 言って緊張した様子で初めて作ったケーキに手を出す綾は文句無くかわいい。おそるおそるフォークを口に運び、ぱくり。
「あっまーい」
「砂糖は控えめにしたつもりなんだけどな」
「そこまでは甘くない気がするけど。本当に笹原さん甘いの苦手なんだね……」
「好きか嫌いかと問われたら嫌いと言いそうなくらいです」
 真顔で答える綾に先輩は苦笑した。
「おいしいと思うし、苦手なのに頑張ったところは海に強烈にアピールできると思うよ」
「笹原が甘いのが苦手だと田崎先輩にアピールしておいて下さいよー」
「了解――さて、それじゃあ毒味は終わったし僕は帰ろうかな」
「第二弾がまだですよ?」
「それは食べずに渡すんでしょ?」
「それもそーですか」
 うなずいて、先輩はひょいと立ち上がった。
「今日はありがとうございました」
「いえこっちこそ貴重な機会をどうも」
 上着を着込んで先輩はにっこり。
 そのまま玄関に向かってしまう。いやいいけど、いいんだけど言い逃げって卑怯じゃないですか先輩。
「じゃあ笹原さん、グッドラック。詳細は明日また」
「ご協力どうもですよ」
 和やかな挨拶を交わして玄関が閉まる。
「よしじゃあ、試作の残りはゆいへのおみやげー」
 綾は歌いながら戻ってきた。
「どしたのゆい?」
「いやべつに」
 ここで「どういうことなの」と問いつめるのは簡単だけど、綾も綾で必死だったんだろうなあと予想もついて。
 言えないまま、キッチンを指し示す。
「片付けは綾の役目ね」
「うっ」
「帰るまでが遠足、片付けるまでが料理」
「あーい」

2005.02.13 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。

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