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番外編 一ヶ月目の憂鬱
「あなたのお兄さんっていったい何考えてるの?」
私がそう尋ねると、玲子はきょとんと首をかしげた。
時計は十二時をわずかに回ったところ。就業中ほどではないけれど、オフィス内には他人の目もある。
聞こえはしないだろうけど潜めた問いかけの事情なんてどうやら予想もつかないらしい。玲子は唇を尖らせながら首を逆向きに傾けて、それから口を開いた。
「えーと、何のことでしょう」
「そうよね」
あの男だって別に素っ頓狂なことをイトコに相談したりはしないわよね。
「どうしたんですか?」
一人納得して断りを入れようとした瞬間に不思議そうに問われて、返事に迷う。何でもないと言いたいところだけど、相談相手は欲しかった。
頭の中で友人の顔をいくつ思い浮かべても、馬鹿な相談をする当てがない。
玲子のイトコにして、兄的な存在である吉田とのお付き合いは一ヶ月を超えた。
それについての形容を「もう」にするか「まだ」にするかは悩ましいところだった。気付けば一ヶ月経過していたという意味では、もう。だけど期間的にはまだ一ヶ月しか経っていない。
だというのに。
「はー、おにーちゃんもやりますねえ」
あの男は婚約指輪らしきものを私に贈ってきたのだ。
そのことを告げると玲子は気の抜けた声をあげた。どちらかと言えば「やっちゃいましたね」とでも言いたそうな顔で。
そりゃあ最初っから吉田は結婚前提でと言っていた。それなりに本気を感じさせる態度でもあった。
でもだからって、付き合って一ヶ月で婚約指輪なんてあり得ない。
いやいや、世の中にはスピード結婚なんて言葉もあるからあり得ないわけじゃないんだろうけど――少なくとも私にとってはあり得ないことだった。
ケースは手触りのいい純白の素材。その中に鎮座する指輪にはダイヤモンドが煌めいていた。
幼い頃にイメージしたようないかにも指輪然とした中央にどんとダイヤモンドが一粒あるようなデザインではなく、その隣にそっと小粒のダイヤが添えられたデザイン。
学生時代は高価なものに縁がなかったし、ここ数年は自分の力で生きていくことに力を注いでいたからその指輪がどれだけの価値があるものかはわからない。
このご時世だ。さすがに給料の三ヶ月分なんてことはないと思う。その証拠に中央のダイヤモンドは目を見張るほどの大きさを持っていない。だけど小さいかと言われればそうでもないし小粒のダイヤも付いている。だから一ヶ月分ほどは十分にかかっているんじゃないだろうか。
他部署の吉田の懐事情なんてわからないから、すべては想像だけど。
週末のデートの帰り道。想定外に高価な贈り物に困惑する私の手にそれを押しつけるようにして、遠慮する前に吉田はさっさと踵を返した。
家が正反対の位置にあることを盾に送ってもらうことを固辞していたことを逆手に取られた形だ。
夕刻、あろうことか人通りの多い場所でそれは行われ、唖然としているうちに吉田の背中は人ごみの中に消えた。
付き合うと決める前に、確かに吉田は結婚前提と口にしていた。だけどいきなり婚約指輪はないだろうと思う。
別に何か理想があるというわけじゃあないけど、人通りの多い道の上でプロポーズらしき言葉の一つもないなんてさすがにあんまりだと思わない?
「うわー、おにーちゃんやっちゃいましたね」
玲子は今度こそそう言って、天を仰ぐようにした。
そう思うわよねとうなずいて、よくよく考えてみれば、これは婚約指輪だなんて吉田は言わなかったなんてことに今更思い当たる。明らかにそう思える重さを感じる品だけど、渡された状況と付き合った期間を考えるとそれはない……のかしら。
これが勘違いならば目も当てられない。
「ねえ、玲子、その――」
恐る恐る吉田の真意を問いただしてみると、玲子は「そんなのわかるわけないじゃないですかー」とあっさりと答える。
「そうよねえ」
「でも、おにーちゃんがへたれだってことはよーくわかりました」
「へたれ……」
「思っていたよりさらにへたれ度が高いとか、ありえない」
玲子はあーあと大げさにため息を漏らして、頬杖をついた。
「実際の物を見て美里さんが婚約指輪みたいだと感じたなら、きっとそれ、そのつもりで渡したんだと思います」
頭を左右に振りながら言った玲子は、ちゃんと聞いたわけじゃないからわかりませんけどと続ける。
「呆れて見捨てたりしないであげてくださいね?」
見捨てるだなんて上から目線すぎないだろうかと思いつつも、私はうなずいた。
それを見て安心したように微笑んだ玲子は何故か周囲の様子を伺ってから身を乗り出してきた。
終業後、もう夕飯の時刻に近いコーヒーショップは人もまばらで、そんな必要なんて全くないというのに、さらには口元に手を添えて玲子は口を開く。
「そんなよーなことを言ってるのは、耳にしましたから」
潜めた声に私は首をひねる。
「そんなようなこと?」
「ええ」
玲子は重々しくうなずいた。
「ペアリングもいいけど婚約指輪ってのもいいなーみたいなことを」
「何考えてるの、あの男は」
「ホントですよね」
思わず漏れた感想に玲子はしみじみうなずいた。
「考えなしもいいとこですよ。大体、シチュエーションも何も考えずに物を渡すだけってデリカシーがないにもほどがありません?」
「え、そこ?」
「おにーちゃん、ゴロゴロ女を変えてると思ったけど実はそういうトコが問題だったかしら」
「――そこが問題ならあいつはどれだけ指輪をばらまいてるのよ」
玲子の口ぶりだと、吉田はまるでこれまでも付き合って早々、ろくな言葉も添えずに婚約指輪を渡しまくっていることになる。
思わず呆れた声を出すと、玲子ははっとしたように慌てて首を振った。
「浮かれて結婚情報誌まで買い込んできたのはきっと初なのでそれはないですから! そうじゃなくこー、お付き合いが長く続かなかったことにはそれなりの理由があったんじゃないかってことですよ!」
結婚情報誌――ですって?
さらっともたらされた情報に私は目をむいた。
「なんでそれを玲子が知ってるの?」
突っ込むべきところが満載なのに、口にできたのはしなくてもいいような質問だった。
「えーと、えー」
しまったという顔で言葉に迷う玲子をじっと見つめ続けると、やがて観念したかのように両手を上げる。
「おじーちゃん家で持ってるの見たんです。これまでにない浮かれっぷりでしたよ」
浮かれて舞い上がりすぎなんじゃないでしょーかおにーちゃんなんて続くのを、私は唖然として聞いた。
吉田と玲子の家族が仲がいいことは、最近になって頻繁に聞くことだった。週末ごとの夕食会にどうだなんて吉田から軽く誘われたこともある。
冗談だと思って軽く断ったし、彼も特に何を言うこともなかったから気にもしていなかったけれど。
玲子が目にできるところで結婚情報誌なんて広げていた吉田はそれなりの意味を持って私を誘っていた――のだろうか?
情報誌を広げ結婚の意思をアピールした上で私を誘うだなんて、何らかの意図があるようにしか思えない。
指輪を渡された顛末を思えば考えすぎかもしれないけれど、なし崩し的に結婚まで話を持って行こうとする意思を感じる。
いや、あるいは練れない渡し方もわざとだったのかもしれない。
玲子はすっかり吉田をへたれだと決めつけてかかっているけど、女慣れしていてどの相手ともすっぱりときれいに別れてのけているような男だ。
私なんかにどうしてそこまでと思わなくもないけど、吉田は確実に本気――なのだろう。
外堀から着々と埋めているのがその証拠になるはずだ。
「私、早まったかしら……」
いや、早まっているのはむしろ吉田か。
三十路に突入する前に落ち着きたい思惑はわからなくもないけれど、だからと言って焦りすぎだろうと思う。
お互いのことをよく知らない状態で見切り発車しても、到底うまくいくとは思えない。
「美里さあああああん。見捨てないって言ったじゃないですかあああああ」
「言ってはないわよ。うなずきはしたけどね」
続けて今後の懸念を口にすると、玲子はあっさりと否定してきた。
心を入れ替えた自分のおにーちゃんと私は絶対うまくいくという楽観的な発言なんて、もちろん鵜呑みにはできない。
馬鹿な相談なんてするんじゃなかったというため息を飲みこんで、私はとりあえず吉田に釘を刺すよう玲子に依頼した。
END
2010.07.08 up
※この作品はフィクションです。実在の人物・団体・事件などには、いっさい関係ありません。
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